時鳥という名の時無鳥

藤繰り返しますが、藤の10点札にはホトトギスが配図されています。
投稿日付に殆ど意味のない当ブログは、他の月でもこの話題に触れてきました。
そろそろ本流である4月に戻りましょう。

ホトトギス。
色々な漢字表記がありますが、1つに『時鳥』がありますよねえ。
そうです。初夏を告げる鳥です。
古くから春のウグイス、秋の雁とともに和歌に詠まれてきました。

ところが、代表的な和歌集である百人一首では、

   ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞのこれる

とまあ、こんな感じです。
夏の歌にはなってますけど、どちらかといえばこの光景は秋に近い、歳時記を捲れば『有明月』は中秋から晩秋にかけての季語ですし。
こうしてみると、ホトトギスとは季節感がありそうで案外季節感ない鳥のようです。

さて、和歌の手法の一つに『本歌取り』がありますよね。
この本歌取りには幾つかのルールがあります。
まずは元歌がはっきり分かるようにすること、それから引用するのはせいぜい二三句までにとどめ出来れば句の位置を変えること、歌の種類を変える (秋の歌を雑歌に、恋歌を冬の歌に、といった風に) こと、等々です。

では、これらのルールを踏まえてひとつ、さっきの百人一首81番を秋の歌にでもしてみましょう。

   有明の 月もさやかに すみだ川 今日を限りと 都鳥舞ふ

うーん、完璧に分かりませんねえ、昼なのか夜なのか。
頭の中で考えた歌であることが明々白々、

と、この言い回しと歌、



続・糞食らえ、しゃせい主義

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!



posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


ノーマルなマゾ?

 久しぶりのエントリーでございます。新学期、春の新シーズンをむかえて皆様いかがお過ごしでしょうか?

 もともとそれほど頻繁に更新していたブログではなかったですが、まる一ヶ月以上もあいてしまうと、投稿するタイミングというかエントリーしようとする意欲を持つのに意外と時間がかかるものです。別に年がら年中SMのことを考えているわけでもないので、普段の生活が忙しくなってしまうと、つい放置状態になってしまう。それでもフェティッシュな妄想はいつでも出来るし、実際してしまうのですが、いざ「書く」という行為は、時として思った以上のエネルギーが必要になります。

 左サイドバーのBookmarkでリンクさせてもらっている他のブロガーの皆さんもそうだと思いますが、その過激ともいえる投稿内容とは裏腹に普段はごく普通の生活をしていらっしゃるのだと思います。しんのすけさんも時々言及されていましたが、見た目は「変態」とかマゾとは絶対に思えない顔をしているはず。それが本当の姿なのか仮の姿なのかという問題は置いておくにしても、日常の言動からは想像もつかないことを実は考えているということは、誰にでもあることでしょう。そしてたまに、お金と時間に余裕がある場合には、その種の妄想や願望を満たしてくれる風俗店に行ったり、サービスを享受するというのも、よくある話です。未成年者を相手にしたりするなど法に触れるのは論外として、既婚者が風俗店に行っちゃうぐらいは、奥さんへの裏切り行為とは言えるかもしれませんが、現代社会においてはまともな生活の一部と言えるのかもしれません。まあ夫婦生活のことはわかりませんけど、マゾとカミングアウトしていない旦那が、奥さんに内緒でSMクラブの女王様に鞭打たれている、なんていう図式はもう珍しくもなんともないんじゃないか。ひと昔前ならけっこうスリリングな「告白手記」のネタになりそうなお話だったのでしょうけど、変態系ブログもこれだけ氾濫しているのをみると、その程度の内容ではインパクトに欠ける。昔の「奇憚クラブ」の投稿記事を読むと、時代性もさることながら、書く人間のそういう意識レベルの違いが克明に現れていて興味深い。すでに投稿すること自体が、何か反社会的というか、モラルに反するんじゃないか、というモードで書かれていたりする。内容的には今みるとどうってことないんだけどね。人によって羞恥レベルが異なるわけですが、時代とともに文化的な羞恥レベルも変わってきていますね。

 何が言いたいかというと、僕も自分が変態でマゾを売りにしているようなブログを去年からやってきたわけですが、いろいろなブログや口コミレベルでも似たような界隈の人たちの様子を見るにつけ、

 僕ってまんざら変態でもないのかしら?

 と、つい思ってしまうわけです。誤解して欲しくないのですが、けして

「僕はまともですよ!」と 主張したいわけではありません。

 むしろその逆で、子供の頃からマゾというコンプレックスに悩まされてはきましたが、自分がマゾで変態であることにアキラメにも似た「誇り」のようなものを感じていたりしたわけです。それが、実はそれほど重症でもなく、むしろごく普通の感覚にも近いのかもしれない、という気が最近してきている。不思議なものでこんな感覚は以前はなかったことです。こういう意識レベルの変化はブログを書くようになってからで、自分の変態性というのを冷静に見つめてみる機会が増えたからなのでしょう。またネットを通じた様々なコミュニケーションの影響も大きいです。リアル社会では出会うことのなかった同好の人たちと交流できるというのは、インターネットならでの恩恵でしょうね。意味不明のアラシさんも含めて、いろいろと勉強させてもらったと思っています。

 ブログを通じて北川プロさんとも個人的なお付き合いになりましたし、交流の幅も広がりました。mixiも半分放置状態になってますが新たなコミュニケーションの可能性を感じています。
 今後もぼちぼちではありますが、このブログは継続していきたいと考えております。

 よろしくお願いします。

 ( ↑ ...とか言いつつ、更新頻度はそんなにマメにはならないであろう)

posted by homer_2006 | Comment(8) | マゾヒズムに花束を!
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