お花見

花見花札3月は桜。
旧暦表示のあるカレンダーで投稿日付を旧暦日に見つけた日前後のお休みの日、実際にお花見に行かれた方も多いのではないでしょうか?
今日は趣向を変えまして、東京は上野公園の桜散策としゃれこみましょう。

まずはお山の辺りから。

  井戸ばたの 桜あぶなし 酒の酔
  
秋色桜ですねえ。江戸情緒が感じられます。
作者・秋色こと、菓子屋お秋は、この句を詠んだとき、なんとなんと数え年13歳だったとか!
びっくりです。

さてさて坂を下りますれば、同じく江戸のびっくり人間・蜀山人の歌碑が鎮座まします。

  一めんの 花は碁盤の 上野山 黒門前に かかる志ら雲

原文は最後『しら雲』ですが、歌碑を見る限り表記のように見えましたのでそのまま記します。
流石は蜀山人、『一めん』に碁盤面を匂わせ、白と黒とを織り込んでますね。
黒門(町)は今はなくなってしまった地名、所謂アキバの北部あたりのことです。

囲碁も江戸時代に盛んだったボードゲームです。
花札とは少々趣を異にし偶発性に左右されません。純然たるサシ勝負といえますか、だから喧嘩が絶えない。
同系ゲームの代表例は将棋ですよねえ。

ただし、囲碁と将棋では協議者層が異なるといわれてまして。
囲碁は旦那様のやるもの、将棋は○夫馬○のやるもの、というのがちょっと前の常識だったとか。
理由を述べよ、と問われて明確に答えられる人いる?

と、これらの言い回し、



ホント、季節感のないこのblog
上野山の桜と蜀山人の歌
サイトオーナーの方にも読んでいただけてるようで (三度=みたび)


を次々に丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!





posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


平貞文 − 平安時代の実践スカトロジスト

63ddd4e1.jpg平貞文は中古三十六歌仙の一人で多情多感な風流子といわれたドンファンである。
あるとき、本院ノ侍従という美女に恋して、さまざま手をつくしたが彼女が逢おうとともしない。
可愛さ余って憎さ百倍、そこで彼女の尿尿を見たり嗅いだりすれぱ、その疎ましさのため一度に恋情が思いとどまるだろうと考えたのである。

この時代は虎子筥といわれる『おまる』を使っているので、尿尿の入手も比較的容易だ。
貞文が尿尿の入った虎子筥を奪って来させ、三重がさねのその筥(はこ)をあけてみたところ外にも中は薫香に充ち、丁子を濃く煎じて入れた匂い物がこめてあった。あきらめようとしたのに「かく心ある人やある」と思われ……「いとど死ぬばかり思へど甲斐なし」と失恋のどん底にしずんだという。
これが『今昔物語』巻三十に書き残されている『平中の遊び』。芥川龍之介が『好色』に、谷崎潤一郎が『乱菊物語』にそれぞれそのままの形で創作化したことは有名である。

尿尿を見たり嗅いだりする…
さて、これを女性の立場から、しかもサディズムという切り口で論じなければならないのだが。

論者も時々「貴女の排泄物を頂戴したい」といわれることがある。
これは排泄物に対するフェチシズムというよりも、俗に言うところの『便器マゾ』の心理に基づくものであろう。
因みに便器マゾは圧倒的に男性が多いとされていることを補足しよう。

確かに「糞食らえ」という罵り言葉が複数言語にあるように、他人に自分の汚物を食べさせるというのは最大級の辱めには違いない。
「貴女のお尻の下で口をあけて待っています」
などと、言われると、くすぐったい気持ちにさせられるのも事実である。

だが、はっきり言って現実味はない。
いやそれどころか、プレーSMにおけるところの『黄金プレー』なるものは、むしろ責め手(排泄物を食べさせる女性)が責められているとさえ感じられる。
最大の理由は衛生上の観点から、ほかにも色々あるのだが、これだけで十分だ。
自分のものとはいえ、排泄物が体にかかったり、甚だしくはそれを手でつかんだりすることを快しとするであろうか?
便器願望者の思い描くフェムドムワールドの虚構性がここにもあった。

とは言うものの、汚物が非力な女性にとって有効な責め具となることもまた事実だ。
かの昔スケバン全盛期、汚物を使ったリンチがしばしば行われたという。
この場合責め手はただ普通に排便するだけ、排泄物を手でつかみ犠牲者の口に押し込むのは子分たちの役目となるので、前述の不快感は伴わない。サディズムである。

それにつけても、女性のサディズムは同性に向くことが多いという傍証の、なんと多いことか!

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


女性が仕切る報道番組が実現?




 今朝のCNNで結構派手に報道されていたニュース。NBCの朝のモーニングショーの顔である Katie Couric がCBSに移籍し、夜の報道番組のアンカーになるらしい。米国3大ネットワークで、夜の報道番組の司会を女性がやるのは初めてのことらしく、アメリカ国内ではかなりのインパクトがあったようです。

 彼女は日本ではほとんど無名ですが数年前に TIME誌の表紙 も飾ったこともある、アメリカでは実績と知名度を持つ人気キャスター。若い頃に夫をガンでなくし、その後ガン研究基金への精力的な活動でも知られ、二児の母でもあり歳の割には童顔で美人です。
 日本でいうなら以前の久米宏や筑紫哲也さんのようなポジションに女子アナが就くようなものでしょうか(ちょっと違うかな ^^)
 
 ああいう場所での女性の役割って、昔からあまり変わってなくて、今時こんな言い方も時代錯誤とは思いつつ、依然として「添え物」的な面が残ってるような気がします。レディーファーストの国アメリカにおいてすらもそういうムードがあるらしく、長年にわたって夜の報道番組の看板キャスターは「男の世界」としての伝統がありました。そこに今回の大抜擢。CNNはどちらかというと冷めた見方をしていた印象でしたが、米国マスコミ、特に報道現場における衝撃度は大きいような気がしました。これまではなんとなく触れられることのなかった男尊女卑的なヒエラルキーが明確に浮き彫りにされたような。

 深読みのしすぎでしょうか。

 まあとにかく、この前のマーサ・スチュワートといい、先月来日したライス国務長官といい、アメリカではパワフルな女性の活躍がよく(米国内で)話題にはなりますけど、社会的な受け止め方の温度差とでもいうのか、日本との文化的な違いが際立つ部分だと思いました。
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花束を!
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