正常は異常 異常は正常

さて、直前の投稿を請けて続けてみよう。

今はもう流行らなくなってしまったか? 三高というのがある。
即ち女性が男性に求めるものは、高身長・高学歴・高収入。
論者もそれなりに太めなので、これはそこ、やはり非デブ型の高身長男性が理想だ。
で、実際の未来の伴侶は?

ことによれば、チビデブ短足男かもしれない。
論者の現在の価値観からすれば、これは耐え難い欠点ではある。
が、それなりの魅力があったので、仮定に於ける未来の論者には、その欠点が見えなくなっている。
いや一歩進んで美点に見えているのかもしれない。
あばたもえくぼ、前稿でこう言った。

で、ここで考察あれ。あばたもえくぼ…
将にこの言葉、フェチシズムの本質ではないか!
正常な心理態度といわれているものが、特異な心理態度であるフェチシズムそのものということになるのである。
このように、性愛心理とは世にもまた複雑奇怪なものなのである。

本当に合理的な人は恋など出来ない、崇敬する万葉学者の博士がことあるごとに口にしていた。


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みよ − ギネスに載っている江戸時代の大女

8c99c9a6.gif大女に関して数値記録するのは、昔から盛んなようである。
現在でも、よく目にする。
なんでも、最近亡くなったYMなる女性が、推定198cm・100kg超で、記録に残る日本人女性では最長身とか。

論題にしたみよなる農家の嫁は縦よりも横の方が凄かったようだ。
残念ながら、肝心のギネスブックが見当たらないのであるが、多分180cm台半ば150kg超程度だったと記憶している。
体重で通称名になっていたそうである。

彼女が一躍有名になったのは、夫が他の女に気を移したときの逸話からだ。
足の間に夫を挟みこみ、浮気をやめるようにせまる。
この体格であるから堪ったものではない。泣きの涙の夫は2度とみよ以外の女に触れないと誓ったそうだ。

お市の稿で論題にしたトールフェチ、そして今回の稿で心を動かされるであろう人たちを括るファットフェチ…
いずれも概念に対するフェチシズムである。
フェチシズムとはなんぞや?
邦訳としては、節片淫乱症・崇物症・性的愛玩症などが適用語となっているほか、物件恋愛、性的心酔、淫物症等がある。
これでわかるように、性愛の対象を生きた人間そのもの全身よりも、性対象の一部分(断片)に求める特異な心理態度である。
トールフェチ、ファットフェチというのは、数値という概念に性対象を求めている心理態度なのだ。
であるのだが、どうも昨今そこらが怪しげである。

即ち、背の高い女性・太った女性が好きな男性のことをトールフェチ・ファットフェチと言っているきらいがある。
彼らは別に特異な心理態度ではあるまい。
長いのが好き即トールフェチではない。異性に好みのタイプがあるのは至極当たり前のことだ。
そして、太った女性が好きな男性が痩せた女性に恋してしまったら?
あばたもえくぼということがある。これが微妙なる『正常な性愛心理』なのだ。

却って話をわからなくしたか?
もう一度フェチの邦訳を読んでほしい。
フェチシズムとは特異な心理態度、平たく言えば変態の一種、そう易々と使っていいような言葉ではない。
フェチとフェチシズムは別物、という考えを提示する人もいる。詭弁ではあるが、うまい妥協点ではあろう。
だが、それにしても…

誤解がないように願う。
論者は言葉の定義を云々することを目的にこの稿を書いているのではない。
通常の心理態度で説明が付くものに、なぜフェチだのSMだのとアブノーマルを冠するのか? と言いたいがためである。

正常なものに異常を表す語句を当てはめ、その語句が本来もっている異常性の側面が薄れてゆく… ある意味、言葉のインフレであろう。
断言していい。フェチ・SMの用例に関しては意図されたインフレである。
商業主義(アダルト)の販拡の都合上。ここに源を発し、恐るべし、現在ではかの恣意どおりに定着しつつあるとさえ言える。

大いに一家言ある論者である。
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頭の体操

27cdce81.jpg本日はサイト趣旨から完全に離れよう。
偶には、このようなことも必要だ。
思えば論者… いや、私と称そう。この記事は論説休止である。
私の別サイト運営は、このような遊びの部分がなかったために、息苦しさを感じることがあった。
その学習からである。

さて、多湖輝氏はご存知か?
代表著書『頭の体操』は、心理学の入門書としては最良の一冊なので是非読んでみるとよい。
この『たこあきら』は、元祖タレント教授というべき人である。
まあ本人は響きを嫌って、『たご』と濁らせているが、同郷のものなら濁らないと知っている、余談ながら。

試験術を紐解いた氏の著書の一節にこのような記述がある。
迷ったときは、一番最初に思いついたものが正解。
陳腐化しているように見えるが、全くの公理だ。
これを守り通したおかげで、自分でいうのもなんであるが試験名人たりえた私である。

サイト運営に関しても、この公理が成り立つと思う。
最初に思いついたことが一番いいのである。
あれこれ考えるのは愚か。

と、この公理のもう一つの読み方だ。
最初に思いついたことが一番、つまりは、サイトというのは段々と先細りになっていく宿命にある、ということでもあるのである。

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大晦日(おおつごもり)

桐花札12月は桐、これもどうも季節感がありません。
11月の柳(雨)とこの月は、10月までの10ヶ月とは明らかに毛色が違います。
思えば、後から付け加えられたものなのでしょう。
因みにカブ札は1から10までの10ヶ月です。

そうそう。現実の1年も元々は10ヶ月だったんですよ。
これは欧米も同じです。
ただし、あちらさんは、1月と2月を後から加えて12ヶ月にしたようですね。
英語を思い出してください。
9月−セプテムヴァ セプトってのは7ですものねえ。
以下、オクトが8、ノーヴは9、そして最後、ディッス = 10、ね?

さて、話を元に戻して。
とにもかくにも、12月は「しはつる」年の瀬です。
大晦日の年中行事の話でもして、季節感を持たせましょう。

皆さんの地方では、何か独特の年越し行事がありますか?
千葉県には「千葉笑」という大晦日に行われる年中行事があるそうです。
近隣の百姓杣人が地元のお寺さんの境内に集まり、為政者の悪口を言ってはゲラゲラ大笑いし、賑やかに年越しをする。
そう、大凡人の悪口ほど面白いものはありませんから。

ところがです。
その「千葉笑」会場には、代官を筆頭に幕府首脳部が忍びで来ているのです。
そして、参加者たちもそれを知っています。
一夜言いたいことをいってすっきりしたら翌日からはまた良民に戻り為政者たちを立てる、また為政者たちは誰が何を言ったか根に持ってはいけない、意あるところだけを汲み取り為政の参考にする、
このような年越し行事なのです。

   眉つゝみ 狐も出るや 千葉笑  (松瀬青々)

お寺さんの名前は、せんよう寺と音読みになります。

と、この言い回し、



全く毛色の違った補逸が付いてます

を丸写ししました。
伏字をばらしちゃった

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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女伯爵サロルタ − 終始男装を通したハンガリーの貴族の末路は?

da626fdc.jpg余談から入ろう。
論題の人物は通例では、『伯爵夫人サロルタ』と呼ばれる。
これは誤訳であるが。
つまりは我彼の貴族事情の相違だ。日本の事情と異なり、ヨーロッパでは女性が爵位を継ぐこともあるのである。
だから、未婚の女性であっても邦訳は『伯爵夫人』となってしまうのだ。
と、そのような事情で、伯爵夫人といっても決して脂ぎったオバさんというわけではない。

本論に入ろうか。
終始男装で通していたサロルタは、ついに一人の処女と『結婚状態』に入る。
そして、人工陰茎をしていたことが1700年当時の法律に触れ、『ソドミー罪』で処刑されてしまうのだ。享年27歳。

このトピックス、サディズムの切り口からも切れるのであるが、今回は同性愛の検証事例としよう。
一口に同性愛といっても、意味はいろいろである。
生理学的に見れば件の事例、文句なしに同性愛の事例だ。

では、心理学的には?
同性愛のパターン、とりわけ女性のそれは、二大別できると思う。
先ずは、純粋な意味での同性愛、あくまでも互いに本来の性のままで愛し合うというパターンだ。
そして今ひとつは、擬似的に男役を定めての倒錯愛だ。
事例のケースは、そのパターンだ… と言っていいであろうか?

論者は否定的である。
注目点は、サロルタが終始男装で通していたという点だ。
それが、人工陰茎を装備して処女を貫いていたのである。
これは、心理的には彼女は男性そのものということに他ならない。

所謂レズであるのならば、少なくても時には男役を交代しなければならないはず。
でなければ、女役というのはなんなのか? いやいや、それ以前に、片方が『男』に徹してる以上『同性愛』では字面的におかしいではないか? ということになってしまう。

心理的には男性そのもの、というサロルタであるから彼女の男装は、男装癖でもない。
つまりはサロルタの倒錯性向は、性同一性障害、この一言に尽きる。
この言葉が出来たのはつい最近…

思えば心理学というのは非常に危うい学問である。
なぜならば、帰納の上に演繹的結論を積み上げなければならないから。
だからこそ語句の定義だけは、ゆめおろそかにできないのである。
どんなに時代や社会背景が変わったとしても、日の出は『東』、日の入は『西』。

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雨が小粒の真珠なら

雨花札の11月は、柳(雨)。
投稿日付に拘らず随分前に書きましたが、どうも季節感が沸きません。
そうですよねえ。雨と言うのは一年中降りますもの。

鬱陶しい雨降り。
でもそれはそれで、情緒があるものです。

 雨が小粒の真珠なら 〜♪

なんて、昔ながらの歌謡曲の一節などを。
ロマンチックですよねえ。

千年以上も昔の万葉人たちも、雨をロマンチックと感じていたようですよ。
万葉集巻7は壱千九拾晩、の作者未詳の歌を見ましょう。

  我妹子(わぎもこ)が 赤裳(あかも)の裾の ひづちなむ 今日の小雨に 我れさへ濡れな

「妹」、これも何度も出てきてる単語ですよね。
書かなくてもお分かりと思って、触れなかったのですが、いもうと という意味ではありません。
古語においては、恋人、妻という意味です。

「わぎもこ」は、「わがせこ = マイダーリン」の反対、マイハニー、犬養博士流に言えば「可愛いあのこちゃん」ということになりますか。
それにしても、赤スカートの裾と雨は、殿方の気を引くための小道具であるようで、

と、この言い回し、



常に見直しはしてますので過去稿もお目通しのほどを

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


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修道尼たち − 十字架上のキリスト像をみているうちにオルガスムスへ

27d3f022.jpgうまいタイトルがつけられなかった。
これも女性のサディズム事例は名前の記録がないことが多いため故にと、寛容されたい。

さて、標記の事例はサディズムのうちで、視虐症と呼ばれるものである。
これは、男性のみでなく女性にも事例が多いサディズムだ。
何ゆえか考察するに、自ら手を下すことがないという保険が掛かっているためと思われる。
自ら手を下すことがないのであるから、反撃がない。腕力勝負で勝ち目のない女性にすれば歓迎するところだ。

隠し立てはしない。論者もこの傾向はある。
複数の場所で、魚介類の調理時にぞくぞくすることを暴露してきた。
これもネットの匿名性の恩恵と感謝するところだ。
論じたようにサド性向というのは人間誰しも大なれ小なれ持ち合わせている性格因子であるので、恥じるべきことではない。
かといって、積極的に晒すべき性質のものでもなかろう。

話を冒頭に戻して。
女性のサディズム事例に名前の記録が少ないのは何ゆえか?
当時の女性観? それもあろう。
だか、もっと大きな理由は、そもそも女性には名前自体がなかったことではないのであろうか?
これは東西共通のことである。

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神功皇后 (オキナガタラシヒメ) − 2世紀初頭海を渡った猛き皇后

0c825423.jpg前2稿を請けて、三韓征伐の女傑を論題としよう。
とは言ってもお馴染み『神功皇后が卑弥呼だったか?』ではない。
サイト趣旨に従い、あくまでも女性視点のフェムドムの切り口から論じたい。

記紀等によれば、皇后はお腹に応神天皇を妊娠しているときに、神のお告げを受け朝鮮半島に出兵したということになる。
キーワード、妊娠、神のお告げがここにも登場しているのだ。ジャンヌダルクの稿で意識した。
そんなかやで大車輪の活躍をした、この神がかりの妊婦は見事三韓征伐を成し遂げる。

で、俎上に上げたいのは、新羅王を馬飼いにしたというエピソードである。
自らの馬飼いにするとなれば…
と、副次的な話から進めよう。

轡を取らせる… これは家来を臣属させるときに用いられる手段だ。
有効な手段と言えよう。露払いに上から相手を見下ろすというファクターが加わる。
SMプレーでもこの物理的にも上にくるというのが重要な要素になる。特に女性がSになる場合は。
過去投稿で取り上げた、人馬や人間便器を思い出して欲しい。
いずれも男女の体格差で本来的には下になってしまう女性が男性の上に来ている。
話を元に戻せば。
男性に轡を取らることを好む女性がいたらば、彼女はS的性向が強いものと考えてよい。

さて、ここまで回り道をすればよいか? 副次的な話ではない主論に入ろう。
国王、馬飼い… 当時の価値観に直して新羅王の心底を考えてみよう。
国王たるものが馬飼いを志願することを余儀なくされるというのは、死に勝る屈辱ではないか!
そして、神功皇后が一国の王を馬飼いにまで貶めたこの心底。将しくサディズムに他ならない。
繰り返すが、当時の価値観による職業ステータスである。

まあ、現代でも女上司ものというのは人気があるのであるが、間違っても神功皇后三韓征伐と同列においてはならないだろう。
なんとなれば、現代の職位関係は。
ひとつには、人間みな平等の建前の元になされた上下関係であること。
そして今ひとつには…
真のドミナントは組織そのものであること。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


エプロン奴隷なるもの

過去投稿のいずれかで述べる話題であったか?
女性が男性を傅かせ、家事その他一切の身の回りの世話をさせるのを、俗にエプロンプレーとか言うらしい。

言うまでもないが、このシチュエーションに於ける女性にはサディズムもなければ、間違っても彼女はドミナントではない。
もしそうでないとするのなら、動物園の雌獣はドミナントとして飼育係を支配していることになってしまう。

そういえば、家畜人ヤプーには牛セッチンなるヤプーが登場したか…
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SMにエロスは必要か?

 このようなタイトルは、できることなら、僕が考え出したと思われたい。
残念ながら、似たような議論は昔からあって、しかもテンプレートと思われる素材に三島由起夫の「芸術にエロスは必要か」という小論もあります。

 エロスというのはいつでも物議をかもすもの。SMとの関連で言うと例えばフェティシズムなどと一緒に議題のテーブルによくのる。

あるいは、例えばメイド喫茶にエロスはあるのか? などなど。

 エロサイトにある一つの確立したジャンルとしてSMが存在するからといって、SMにエロスが必要かどうかは一概には言えないと思う。マニアックに言うなら、エロにこだわらない愛好家もいるのだ。エロスを超えた、究極のこだわりの世界がSMにあるように思えてならない。

 これが、SMに興味も関心もまったくない人にとっては、たんなる悪趣味な世界に映るのであろう。かろうじてエロスを感じるところに、許容範囲の限界ラインがあるのかもしれない。


 巷に多くある「エロス論」によれば、まず「性欲を喚起」する何かがエロにはあるらしい。だとすれば、鞭で打たれて怒る人にとっては、SMにエロスは存在しないことになる。(わざと極端に言えばですが...)

 打つ側にしても、無実の人を鞭打つことに何かためらいがあるとすれば、そこにエロスの介在する余地はないであろう。
さらに言えば、マゾだからといって全てのM男が鞭で打たれて勃起するかといえばそうでもない。へたすると縮みこんじゃったりなんかして。


 これは要するに、人によってはエロスの判断規準が異なるということであり、もともと明確に定義できるようなものではないということではないだろうか。勃起すればなんでもエロスと定義してもいいけど、それだけではないような気もする。

 しかしとにかく、エロスとはなんだかよくわからないけれど魅力的なものではある。禁断の世界でもあり、宗教的には冒涜とみられる場合もあるのだけれど、芸術の世界では不可欠な要素として昔から重要なテーマとして用いられてきた。エロスが芸術として創作活動に関与するならば、SMにもそういう面がありそうである。

SMはアートだ! なんていう人もいるしね。SMはエロだとか、エロでないとか、いろいろなことを言う人がいますが、その人が納得、満足できるのであれば、あとはどうでもいいんでないかい? と思う今日このごろです。

 SMクラブなどでなおざりに行われるプレイに、はたしてエロスはあるのだろうか。人はエロスを求めてSMクラブに行くのであろうか? 

 少なくとも言えるのは、何かを期待して、ロマンを求めていることだけは言えそうである。
posted by homer_2006 | Comment(4) | マゾヒズムに花束を!


十三番目の月

竹花札は十二ヶ月各月4枚ずつの構成。
今更言うまでもありませんね。
12×4の12に1を足して13×4にしたらば…
何か思い出しませんか?
そうです。トランプです。
前にお話したように、意外にも花札のルーツはトランプにあるようなのです。

で、十三ヶ月の花札があるんですよ。
十三番目の月は、竹だったり雪だったり。
4枚の札の種類は、光札、種札、短冊札、素札。
現在の花札でこの構成は11月・柳(雨)だけです。
こうしてみると、元々は他の十一ヶ月にも4種類全ての札があったのかも知れませんね。
少なくてもそうでなくては、トランプの代用品にはなりません。

トランプを禁制品にした徳川幕府とカードゲームに魅せられた江戸庶民との知恵比べ。
それによって、トランプとは全く別の花札が出来上がっていったのです。
似たような話がありますよねえ。
ご存知ですか、マリア観音?

江戸時代のキリシタンたちによって作られた聖母像の代用品です。
さされた時に、これは観音像だと主張しようとしたわけですね。
ところが。
時代が立つにつれて、拝んでる本人たちも段々どちらを拝んでいるのか分からなくなっていったようですよ。

そんなこともあってかなくてか、現在でも親しまれている観音様です。
東京・浅草は浅草寺といえば観音様。
江戸情緒豊かな名刹ですよね。
それから、何度か話題にしている西遊記の世界。
某民放のテレビドラマでは出演機会がなかったものの、原作では重要脇役の一人ですよ。

観音様、観音菩薩、正しくは観世音菩薩。
もっとも人気の高い仏様と言えるでしょう。
もとい、仏様ではありません。仏となるために修行をしている者、梵語でいえばボーディサットヴァです。
漢語にいれる際に、菩薩、と音訳したわけですね。

人間の男女は勿論のこと、馬や時にはハマグリの姿になって登場する観音様。
西遊記では、女性のイメージかな?
やんちゃ坊主の悟空もたじたじのお転婆な姉、という感じで。

そうそう、「観音様」「ご開帳」というのは一部符牒で、とんでもない意味に使われる…

と、この言い回し、



もう一丁いきましょうか

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


ジャンヌ・ダルク − 救世主という比喩にも使われるようになったオルレアンの乙女

5136466e.jpg比喩に意味で過去投稿で使った。
本日の論題はこのフランスの国民的英雄としよう。

言わずともしれた英仏百年戦争の際のオルレアン解放の貢献者である。
女勇者の代表格…
して、このブログで論ずるべきエピソードはあろうか?

結論を先に言うなら、ないのだ。
いや、彼女だけではない。
強女というのは並べて、サディスティンにもドミナントにも結びつかない存在のようであるようである。
過去稿で論じたことであるので繰り返さないが、俗に格闘マゾと呼ばれている一部男性の願望は容易には実現しないものでありそうだ。

むしろ、ダルクはマゾヒスティックですらある。少なくても禁欲主義者であることは間違いないであろう。
そして、最後は魔女として火あぶりの刑に処せられ果てた。
処刑裁判での答弁によると、彼女は神のお告げにより立ち上がったということである。
これもまた彼女に限らず、古今東西の女傑は大概はそういうことになっている。

女勇者というのは神がかりでないとならないのであろうか? 
だとすれば、能力があるが故の悲劇。
論者は悲劇だと思う。
無残にも処刑され果てたとあっては、後に復権し英雄といかにたたえ続けられたとあっても何にもならない。
荘子『尾を塗中に曳く』である。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


最上御前 (義姫) − 実の子・伊達政宗に毒を盛った乱世の母

7dd4db87.jpg正宗の父・伊達輝宗は戦国には珍しいような温厚な人物と伝えられる。
奥州の暴れん坊・独眼竜政宗の気性は母譲りだというのが通例だ。

そもそもこの義姫の輿入れの理由が、凄まじい。
実家である最上家のため、隣国伊達の頭首・輝宗の寝首を掻くことを目的として嫁いだというのだ。
実際彼女は、戦場に出て大将首をとるような女丈夫であった。

当初の目的は果たせなかったものの、やはり武勇談を残さずに生涯を終える女性ではなかった。
副題にした事件である。
義姫はなぜ実の子である政宗を殺そうとしたのか?

お家安泰のため? 過去投稿で論じた北条政子や則天武后のパターンである。
確かにその説もある。小田原の秀吉の下に中々馳せようとしない政宗に伊達家を任せるに足りずと見切りをつけ、葬り去ろうとしたというものだ。
だが論者には、そうは思えぬ。
彼女にそれだけの情報収集力があったのなら、傑物・政宗の才能を見抜いていたばずだ。
第一、計算づくであるならば自らの手を汚しはしないであろう。
すばり、殺したいがために毒を盛ったと見るのが自然ではないか?

未遂に終わったこの事件であるが、政宗は首謀者として同腹の弟・正道を斬っている。
義姫はこの正道を溺愛していた、というよりは政宗のことを異様に嫌っていたのである。自らの手で殺そうと思うほどに…

これはある意味、非常に女性的だ。
下世話にも言うであろう? 可愛さあまって憎さ100倍と。
将しくそれである。
最上御前・義姫という人は、男性的な表向きとは裏腹に、内面は最も女性的な人物であったようだ。
そして、主観的には一番弱いものである自分の子供をサディズムの対象にしたのである。
或いは彼女は、自分に気性の似ている政宗に嫌気したのかもしれない。

きょうだいが多いと、どうしても差別が生まれる。
親に可愛がられる子と、そうでない子と。
人の子の親とて所詮は感情の動物である人間であるのだ。

そういえば、あの大家族。
かのオウム真理教の教祖・麻原彰晃の家では三女が大いに優遇されていたとのことだ。
これも、母親である松本知子の好き嫌いが大きな要因となっていたのであろう。



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荒野の黄葉(もみちば)

黄葉旧暦10月といえば、初冬にあたりますよねえ。
めっきり冷え込みが激しくなってきました。

さて、花札10月は紅葉(もみじ)。
何度か話題にしたように、万葉時代は『 もみち 』と清んで読みました。
そして、『 黄葉 』(もみちば)、という書き方もあるんです。
そうです。投稿日付に拘らずずいぶん前に、紅葉の札は三原色全部揃っているといいました。
代表歌人、柿本人麻呂の歌を見てみましょうか。

   ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉の 過ぎにし君が 形見とそ来し

どうです? モミジの光景に初冬の寒さが伝わってきましたか?
あまり、ピンとこない… うーん。
そうかもしれません。
これは、ある長歌の反歌ですから、これだけではピンとこないかもしれません。

おっと、長歌というのは、五・七を何回か繰り返し最後七音でとめるという歌体、そして反歌と呼ばれる短歌がセットになるのでしたよね。
では、件の長歌を全部見ましょう。きっとピンときますよ。

  軽皇子の安騎野に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作る歌

 やすみしし わご大王 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 京をおきて 隠口の 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を 石が根 禁樹おしなべ 坂烏の 朝越えまして 玉かぎる 夕さりくれぱ み雪降る 阿騎の大野に 旗薄 小竹をおしなぺ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて

  短歌

 阿騎の野に 宿る旅人 うちなびき 眠も寝らめやも いにしへ思ふに

 ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉の 過ぎにし君が 形見とそ来し

 東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月かたぷきぬ

 目並の 皇子の命の 馬並めて 御猟立たしし 時は来向ふ


ほら、三番目に有名な歌があるでしょう?
中学の教科書にも出てくるので、、よくネット検索にも引っかかりますね。
そして、大概は単独でとりあげられてる。
蕪村「菜の花や月は東に日は西に」と同趣旨、雄大な自然の風景を歌ったものだ、的解釈になってますね。

ただ、(巻一−四五)〜(巻一−四九)一連で見れば全くそれが間違いであることが分かる、
先ずは背景から説明しましょう。

軽皇子の父、草壁皇子は事情あって天皇即位できぬまま28歳でなくなりました。
この歌は、その後日、軽皇子が父・草壁皇子ゆかりの安騎野をいわば「追悼狩」のために訪れた折の歌です。
時節は旧暦11月の半ば、一晩の野営が時系列的に歌い上げられていきます。

まず、長歌で全体像と安騎野に入るまでの時点が歌われ、そして、いよいよ4首の反歌へ。
まさに芝居で言えば、一景〜四景、時間的にも心情的にもどんどんと進んでいく様子が読んで取れます。

第一反歌で、「宿る旅人 〜 眠も寝らめ」亡き草壁皇子が偲ばれて寝ようにも寝られない、第二反歌で、荒涼たる周りの光景に目がいく、そして、第三反歌です。
これを天文学的に解析すれば、新暦12月21日の午前五時五十五分とのこと、もっとも冷える時分ですね。
冷える、冷える、身体も心も。
一晩中まんじりとして一睡も出来なかった一行の、おどろおどろしいばかりに荒涼とした光景に共鳴した心情を歌い上げたものといえるでしょう、この『東の〜』は。
そして、第四反歌、夜明けとともに野営を払って狩へと出かけるところを歌ってフィナーレとなるわけです。

まさに部分だけを見ていたならその真価は分からない、の好例ではないでしょうか。

と、この言い回し、



全部を見なけりゃなんともいえないさ と、この台詞『某画像板』に書き込みしてる人たち向け

を丸写ししました。
曰く因縁の『某画像板』…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


中近世・中国の女性たち − 纏足によって男性に支配されたのか?

8e938a3c.JPG纏足とは、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習である。
宦官と違い、日本には伝来しなかった制度だ。
一体なんでこんなことを?
表向きは足の小さい女性が上品だということになっていたためであるのだが、裏には明らかなる支配の構造があろう。
足に対するフェチシズムの傾向が強い男性による支配…

つまりは、逃げ出せないようにするためである。
この時代は古代と違い奴隷制度はない。だが民主主義の時代でもない。
農奴… とりわけ農村部においては女性たるもの、荘園主の財産であった味には変わりはないのだ。

魯迅の小説あたりにもここらの事情は出てくる。
小作の男は適齢期になると、貯めた金を持って荘園主の元を訪れる。
金を数えた荘園主、うん、この金額ならあそこにいるのはどうだ? と指をさす。
と、取引が成立すると華燭の典である。
纏足娘はちょこちょこよちよちと、伴侶となった男についていくのだ。

今の価値観で計ればひどい話であるのだが、それはそれで結婚制度ではあったのだろう。
さらにである。
纏足娘が、口をきく道具として生涯支配され続けたか? そこらの事情がきわめて懐疑的であることからも、嗚呼! あわれなるかな、中国纏足女性、とは断じられないのである。
民話伝承に登場する彼女たちは、おおかた夫に纏足の包帯の交換までさせる横暴妻である。
別の場所でも何度か論者は、この話題に触れている。

中国の笑い話集『笑府』から。

 ある男、女房にいいつけられて纒足の包帯をほどいてやっていたが、臭くてたまらないので、思わず片手で鼻と口をおおった。すると女房が怒って、
「何です、そのしぐさは。いやなら、してもらわなくてもいいのですよ」といったので、あわてて、「いいえちがうんです。さっぎ蒜(にんにく)を食ベたので、その息がおみ足にかかってはいけないと思いまして……」

話は話としても、男性の支配心理を逆手にとっての逆支配は、いかにも小気味いいではないか?
そして、女性的である。最後に笑ったものが勝ち。

わが国においてもそうであろう?
山の神ということがある。女は三界に家なし、と言われながらもなんだかんだ他に家に入り、ちゃっかりそこの主になってしまうのである。
家の中こそが女性が支配者となれるべき場所。男性は男性なりに女性は女性はなりに、自分が戦うべきグラウンドが与えられているということだ。
論者に言わせれば、女性の社会進出のなんのと言って、敢えて男の領分に入り込む女は阿呆である。女王様よ、ミストレスよとちょうされて、マゾ男の充足のために汗だくになって鞭をふるう人種と似たり寄ったりといったところか。
思えば、人間が天より与えられている選択肢は無限にあるように見えてその実、案外少ないのではなかろうか?
だとすれば無難な選択をするのが賢い。森羅万象、全ての物事にはそれに伴う原価があるのである。

今の時代このような考え方の論者は多分、へそ曲がり女の部類になるのであろう。


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幼いがゆえの残酷さ

書かれた時代背景もあろう。グリムの童話には残酷シーンが多々登場する。
例えば、ヘンゼルとグレーテル。
兄を助けるため最後、グレーテルは魔女を火の中に突き落とす。
これ以外にも、当時の拷問そのままの設定記述は枚挙にいとまがない。

この感覚は狩猟民族ゆえか?
いやいや、人のことはいえまい。かちかち山をもう一度読み直すとよい。
このように、子供というのはなべて残酷好きである。
童謡もそうであろう。

かの有名な米国の、10人のインディアン。これなぞは、白人社会に進出したネイティブアメリカンの青年が次々に惨殺されるという逸話を歌ったものだ。
そして、わが国の、花いちもんめ、五木の子守唄あたりも。いづれも女郎に売られていく女の子のことを、あっけらかんと歌い上げている。

幼いがゆえの残酷さ… あえて詳述するまでもなかろう。
人は本能にして生まれ、社会経験を積むにつれ理性でそれを抑えられるように育ってゆく。

してみると、サディストを自称する人間とは?
答えは書かぬが花…
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マーガレット・サッチャー − フォークランド戦争、是か?否か?

de68cca7.jpgさて、前稿に続いて近代の戦争に触れる。
女王の国の女性首相が在任中の1982年に、アルゼンチン軍がフォークランド諸島へ侵攻した。
この鉄の女は、間髪をおかずに艦隊を派遣、これを撃破したのである。

まあ、評価は様々あろう。
当事者にはそれぞれ言い分もあるはずだ。
だか、岡目八目ということもある。
英国内の評価を承知の上であえて言うなら、血を流さなければ同等の効用を得られなかったか否かは甚だ疑問である。
歯切れが悪かったか? 論者は目的以上の攻撃をしたのではないのかと言っているのだ。

まさか腹立ちに任せて派兵したわけでもあるまい。
サッチャーにすれば確実に鎮圧できる目算があるから軍を派遣したはずだ。
だとすれば、より弱い相手に虐待を加える女性型のサディズム。
いずれにせよ心裏には、攻撃本能が働いている。まあ分かり易く言えばヒステリー症状。

当時の日本の論客、卑近に言い方をすれば糞爺どもは、
「日本政府はサッチャーさんに婦人薬でも送ってやれ」
と揶揄したとか。
口惜しいが論者もそのとおりだと思う。

婦人参政。
男性にやらしておいたら意地の張り合いで、つまらぬ喧嘩ばかりする。オスの本能云々を持ち出すまでもなく、歴史をみれば瞭然である。
ならば女性にやらしてみたらば? 結果がこの体たらくである。

そういえば夫婦喧嘩で、青あざや引っかき傷を創られるのは、大概夫のほうであったか。これまた歴史に鑑みれば。

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菊は栄える

菊は栄える日本の秋を かざる花 〜♪

と文部唱歌に歌われた菊です。
戦後割愛されてしまった2番の歌詞、

あおぐ ごもんの 菊の花 〜♪

で歌われているように、かしこきあたりが家紋にしていることは、投稿日付に拘らずずいぶん前に話題にしました。

ところが、花札成立時期においては、この『かしこきあたり』はさしたる権威があったわけではありません。
勘太郎月夜歌』という戦前歌謡に花を散りばめたきれいな歌詞がありますので、ご紹介しましょう。

3 菊は栄える 葵は枯れる
  桑を摘む頃 逢おうじゃないか
  霧に消え行く 一本刀
  泣いて見送る 紅つつじ

考えてみれば幕末、薩長は徳川に替わる新しい権威を必要としていました。
そこではたと思いついたのが『菊のごもんのあのお方』ということなのでしょう。
話は突拍子もなくなりましたが、花札の9月菊はどちらかといえば中国の花と見たほうが、自然ということが言いたかったので、のっけからこう入りました。
そういえば、9月の節句は菊の節句ですものね。

さて、そのかしこきあたりですが、第二次世界大戦前に、その権威最高潮となりますね。
壬申の乱以来のことではないでしょうか?
そして、1945年8月15日です。

   堪ふること いまは暑さのみや 終戦日 (及川貞)

正直宮城前に土下座した人たちの心情はおよそ理解できない僕ですが、この句意レベルなら実感として理解できます。
もう一曲、戦前歌謡の歌詞をみてみましょう。『九段の母』

2 空をつくよな 大鳥居
  こんな立派な おやしろに
  神とまつられ もったいなさよ
  母は泣けます うれしさに

さてさて、それぞれの感性で色々感じ方はあると思います。
因みに僕は、これ、皮肉だと思うんですよ。いくらなんでもここまでねえ、って感じで。

戦後60年以上たった今でもやってますよねえ。
日本人のなかにも、靖国神社に参拝するのがけしからんという、僕に言わせれば訳の解らないことをいう人たちがいます。
この人たちは、くだん(←掛詞)の歌詞をどう感じるのでしょうか?
皮肉と感じなくてもいい、ただ世の中には「皮肉である」と感じている人間もいる、ということだけは意識において欲しいものです。

と、この言い回し、



あついあつい秋の季語

を巧みに丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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リンディ・イングランド − 捕虜虐待で有罪判決を受けた米女性兵士

8cbfc17a.JPG再び、現代史の一稿を。
未だ記憶に新しい、かの女性である。

公開された数々の写真を見て論者も多くの驚愕を覚えた。
勿論彼女の行動の裏にあるのは、文句なしのサディズム…
現場写真という大きな証拠がある以上、いくら言を連ねたところで覆しようがないであろう。

ただ。
残念というのも不謹慎な言い方になろうが、これは戦時下で行われたことである。
永田洋子の稿で触れたごとく、殺伐とした殺し合いの場においては人は変わる。
同時に公開された写真でもっと衝撃的なものがあった。
何かといえば、敵兵の死体をアーミーナイフで傷つけながら満面の笑みを漏らす別の女性兵士。
この女性が、平時においても同様な行動をとるとは考えがたいのだが…
戦争が人を変えてしまうのか、はたまた平時が凶暴なる人間に猫を被せてしまうのか、古来より論議はつきない。

8cbfc17a.JPGさて、リンディの事例で連想されるのが、アーロン収容所の話である。
いや、連想というよりはそのものと言ったほうがいいであろうか? 女物のパンツを顔に被された捕虜の写真があった。
これがリンディのものであるか、別の女性兵士のものであるか、はたまた新品であるのかはわからぬ。
わからぬのであるが、ブルセラの稿で論じたように、女性には自分の汚れ物を隠したがるという本能がある。
論者とて自分の履いたパンツを男性の顔に被せるようとは思わない。男性の顔に被せてあったパンツを履くなど、想像するも鳥肌が立つ。
ただし、これが『人間』の男性であるならば…

アーロン収容所.jpgここでアーロン収容所と結びつく。
かの収容所の英国人女性は日本兵に裸を見せることなど平気のへいざ、そのくせ同国の男性にはちょっとでも肌を見られようものならひどく恥ずかしがったものだとある。
アーロン著者は「あの女どもは、日本人を人間と思ってないんだろう。人種差別だ」と憤っていた。
少々ニュアンスが違おう。
人間誰しも自分から遠いものは人間と見られなくなってくるのである。
人間と見られない存在であるから、虐待するのも比較的抵抗感が薄い、パンツを顔に被せるのもさしたる抵抗もないのである。
行き着くところは…

そして、ここにもうひとつ大きなファクターである宗教が被さる。
これについては、また本格的に論ずる機会もあろう。

注* 下2枚の画像は転載に際し追加したものです。元記事にはありません。
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淀の方 (茶々) − 親兄弟の仇である秀吉の側室となった秀頼生母

2e1bc7a9.jpgそもそも、秀吉は茶々の母であるお市に憧れていたということになっている。
主人筋である女性への憧憬… しかも片や秀吉は短躯のうえ痩せぎす、片やお市は超長身とあれば、それなりのシチュエーションも用意できよう。
お市の稿で述べたよう、彼女は浅井に嫁ぎその後柴田勝家と再婚し運命を共にすることになる。

さて、茶々からみた秀吉であるが、まず小谷落城の折に実父である長政と兄・万福丸を殺されている。
しかも万福丸は処刑である。
更に紆余曲折あった後、再び秀吉に北庄を攻められ、今度は母・お市と養父・勝家を殺されてることになる。

言ってみれば茶々にとって秀吉は、母と二人の父、兄の仇と言うことになるのだ。
その秀吉の側室となるときの彼女の気持ちはいかなるものであったろう?
テレビドラマで鶴田真由演じたところの茶々はこうであった。

 「知っておるぞ。そなた母に懸想していたであろう?
 主人に対し…汚らわしい …よかろう、側室にでも側女にでもなってやるわ。
 但し。そなたのことは草履とりとして扱う! 聞き入れられぬのならこの場で舌を噛み切る!!」

条件をのんだ秀吉との間に奇妙な主従関係が始まる。
「茶々様」「サル」と呼び合う逆転関係。
圧巻は「秀吉、馬になれ」お馬ごっこであった。
鶴田茶々は勘九郎(当時)秀吉の背に腰を下ろし這い回らせる…
痴人の愛を意識した演出であろうが、中々妖艶であった。

仇に身を任せるということがある。
女性はセックスに関しては受身、これを言い方を変えて言うなら男性を受け止める、吸収するということにもなる。
文字通り、男性の『せい』を己のなかに呑み込むのである。
古来より仇の子を生むことによって、復讐を果たすという事例は多々あり、将に強者への反撃たる女性型サディズムの典型例といえよう。

史実の茶々がどうであったかははかり知りえぬ。
ただ事実だけいえば秀吉の死後、茶々は世継ぎ秀頼の生母・淀の方、淀君として権勢を振るうことになるのである。
結果的には秀吉から全てを奪い返している。

もう少し、件のテレビドラマの話を続けよう。
場面は秀吉臨終の場である。北の政所・おねが淀の方・茶々に声をかける。

 「お前様、まだこの人を恨んでますかえ?」

激しく頭を振る茶々。ということでサクセスストーリー終劇となるのである。
本当に男女の気持ちと言うものは理屈では説明がつきにくい。
昨今では、セクハラだ、ドメスティクバイオレンスだと法が割り入る風潮にあるが、これは嘆かわしい事態だと評しておこう。

余談である。
薄幸の美青年として描かれる豊臣秀頼という人は、実際は体重160`もある力士のごとき男性であったと記録される。
痩せぎすの太閤とは正反対、それがために秀頼の父は秀吉ではない、一部には実しやかに同じくでっぷりと太った家康の子だなどという噂が流れた。

して、その真偽は?
これを考察するには、まだまだその道の修行の足りない論者である。



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軍艦マーチ

寒梅投稿日付には拘らず前にお話した『花札占い』。
2月・梅の言葉はこうです。

 「酷寒にさらされる運勢。万事意の如くにならず、手違い、挫折が生ずる。
 恋愛の相手は心を変えやすい。好調な事業も過大な税金や使い込み等に注意すべし。」

おやおや、凶のようですね。
それと、この内容はどう読んでも江戸花柳界で作られたものではありません。

2月が酷寒の時期というのは新暦ですし、何よりも最後の部分です。
税金なんてものがポピュラーになったのは、第二次世界大戦後ですよ!
シャープ勧告ってやつです。
まあ、そんな歴史的背景で2月は確定申告受付開始の時期でもあるわけです。

もののついでに指摘すれば、好調な事業も過大な税金〜 って部分は明らかに間違い、儲け以上に取られる税金はありません。
そんな訳です、事業者の皆さん。来るべき確定申告では前年の所得を正しく申告しましょう。
ん? 同じ話をどっかでしましたっけ。まあいい、続けましょう。

因みに終戦直後の超インフレ時には、100パーセントを超える税率もあったようですよ。
戦後の闇市の時代ですか?
この時代の社会背景は、胡桃沢耕史氏の『旗手シリーズ』、これなんか読むとすごくよく分かりますよ。

特攻隊の生き残りである主人公瀬川が、持ち前の強運で戦後の混乱を次々に乗り切って成功を収めるという痛快憚。
参考書や年表とつけあわせで読んで、楽しみながら近代日本史を学べました。

そういえばちょっと前の新聞に、この主人公モデル(の一人)になったのでは? と思えるような人のインタビュー記事が載ってましたっけ。

パチンコと言えば、『軍艦マーチ』が付き物。
あれを考案した方は未だご存命らしいです。

記事によれば、やはり進駐軍から呼び出しを受けたとか。
えーい、殺すなら殺しやがれ! と、居並ぶ将校の前で、いつものように大音響でSPレコードをかける、
曲がおわったあと、しばらくあって、「…OK」
そして、現在まで続いているあの定番が出来たとのことでした。

と、この言い回し、



第二次世界大戦欧州戦線終結60年の今日に
で外部リンクされていた
名作「家畜人ヤプー」を読んだことがありますか? の該当レス

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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○○の女王

前稿の副題として、『ハードコアポルノの女王』という言葉を使った。
「女王とは?」「女王と呼ぶに相応しいのは誰か?」
これらは、しばしば論じられるテーマである。

特にSMという言葉がよく聞かれるようになってからは盛んで、そこには多分にSM女王という意味合いが加わる。
而して、答えは?
まず大体はこうである。

「お姫様なら掃いて捨てるほどいるけど、女王(様)と呼ぶに相応しい女性はいない」

世のマゾ男性を侮るなかれといったとこか? 耳の痛い話だ。
これは、個人批判ということでなく聞いてほしい。
『貢ぎプレー』なるものを提唱した自称S女性が総すかんを食った事があった。
至極もっともである。
女王と称する以上は誰よりも厳しく自分自身を律しなければならないはず、他人に貢がせるなどもっての外、あべこべもいいところである。

論者は(単なる)S女性と女王(様)との間に一線引いたかたちで理解をしている。


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トレイシー・ローズ − 後に未成年であったことが判明したハードコアポルノの女王

01ea5f82.jpg前稿に続き、近代の歴史である。
また別の意味で問題があるだろうか? どうか好意的にお読みいただきたい。

さて、1980年ころ全米、いや全世界にその名をとどろかせたポルノスターである。
日本にも来た。
当時のわが国にとってはトレイシーの出現は蒙古来襲にも匹敵するような驚愕事であったはずだ。
なにせ、コリーダあたりがハードコアポルノ最高峰であった時節なのだから。
論者ですらその名を知りうるくらいの記録が残っているというのが、論より証拠といったところか。

ところが、この彼女、あとになって未成年であったことが判明したのだ。
而して我彼様々な反響があった。

まずはご当地である。
トレイシーの相手をした男たちは震え上がった。
刑事罰を受けるのではないかと。
そうである。権利関係を重視する移民の国においては既にその当時、未成年との性交渉が禁じられていたのである。

わが国の反応はといえば。
ただただ信じられないという反響が大多数であった。
こちらの国はといえば、儒教が根付いた国であるからまず年齢という序列に目が行く。
年限に達してないものが、より上位の行為を行ったということを事実として受け入れることを妨げる潜在意識があるという言い方でよいだろうか?
ともかく、かくのごとき反応であった。

そんな中で、ひとつの大衆評論があった。
「遥かに年上で性経験豊富な男性陣が、未成年のトレイシーにあえ無く昂ぶらされてしまう。これは見方によってはマゾ趣味の男性の興味をそそるのでは?」
以前、掲示板サイトにおいて論者は「儒教の根付いた国では、力の逆転ならぬ序列の逆転によるSM関係が生まれる可能性があるのでは」と問題提起したことがある。
ある意味、この大衆評論がそれにあたろう。
ただ残念なことに、厳密なるSM関係ではない。もっぱら男性マゾヒストたちの琴線のみにしか触れないイメージの世界、GBBの稿で論じたとおりだ。

もうひとつの注目すべき点は、当時の日本にはこれを男性マゾヒズムの範疇に分類するものが性風俗関係にすらもなかったという点だ。
今ならば… 繰り返し論述していることであるので以下は繰り返さない。

さて、いまさら言うまでもないことだが、現在では日本でも未成年との婚姻外性交渉は法規で禁じられている。
風習や歴史、国民性の全く違う国の制度に右に倣えするのは如何なものであろうか?
顰に倣うということがある。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


江田文子 − 福岡美容師バラバラ殺人

6d95be4f.jpg連合赤軍・永田洋子よりも更に新しい、平成の御世の出来事だ。
本来この手の話題を取り上げるのは不穏当なのかもしれない。
が、これは、あくまでも歴史評論である。
論者に時事評論の意図はない。
事件当時の名前で扱っているあたりにも、そのへんの意図をおくみ取り願えればと思う。

さて、この事件は1994年3月、熊本県のパーキングエリアのゴミ収集場から人間の右腕が発見されたことが発覚の発端となる。
以降続々九州各地からバラバラ死体の一部が発見され、一躍世間の注目を集めた。

なぜ、文子は被害者の死体をバラバラにしたか?
運びやすくするためと本人が供述したとある。
だか、そんな真似をしたら、死体という物証を増やしてしまうだけだ。検事の専門家でなくてもわかる。

では真実は?
おそらく本人を含めて誰も知り得ないだろう。
ただ、わかることはその心裏に屍体加虐の意識がある、これもまた心理学の専門家でなくてもわかる。

この手の猟奇事例は男性の専門分野だ。
いや、専門分野だった。少なくてもわが国においては、この事件が起きるまでは。
非常に能動的な加虐は将に男性、という感じだ。
事実この事件においても、可也捜査が進んだ段階においても尚男性共犯者、或いは一歩進んで男性真犯人を探したであろう。
だか…

果たして江田文子という人物は心理的には男性だったのか、はたまた従前の男性心理女性心理という区分が間違っていたのか、それとも…
結論を出すには、まだまだ日が浅すぎる。
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アメリア・ブルマー − ブルマの考案者とされる女性解放運動家

436c5cb4.jpgブルマー女史がブルマの考案者であるというのはどうやら俗説らしい。
別の運動家が考案したものを彼女が自分の新聞で紹介したから考案者に間違えられたとのことだ。

女性解放運動はここでの論題に相応しいようで相応しくないと思料したので、ブルマで論を進める。
ご存知のとおり、女性が運動しやすいようにとの目的から発案された。
初期のころはだぶだぶ木綿の所謂ちょうちんブルマである。
絵のものとも少しことなるか?
いや、某元国会議員の女学校時代ブルマ姿の写真があるのだが…
ご紹介できないのは残念だ。

そして、その後のブルマが辿った運命もまた周知のとおり。
化繊の普及により、身体にフィットしたパンツタイプに変わる。
それがために、男性の劣情を…
ということで日本、とりわけ学校体育においては、廃れていくのである。

論者も(短パンタイプの)ブルマ体験のない一人だ。
別にこれで運動をしても構わないと思うのだが、言われてみれば確かに、パンツで野外を歩いているようなものだ。学校の体育授業で使われなくなったのは至当であろう。
まあ、女性解放のために考案された衣料が、もっぱら男性からの防御がために廃れていったというのは何とも皮肉なものである。

話は変わるが、FemDom (Female Domination)とつき物がごとくに登場する BDSMという略語。
このBDとは、ボンデージの略である。
いや、「略らしい」と言った方が正直か? 論者はよく知らないのである。

知らなくても別に構わないであろう。
女性サディズムを論ずるうえで、ボンデージルックのあの女王様スタイルの女性を語らなければならぬ必然性などないのであるから。
ましてや、あれを着ていなければサディスティンに非ずなどというバカげた話はどこの国にもない。

確かにボンデージは鎧兜足りえる。
本来受身であるはずの女性が、衣装の力によって大胆になるという要素はある。
けど、それはとりも直さず主客転倒ということだ。
もっぱら(マゾ)男性のためにボンデージに身を固めるとなれば…

ボンデージとブルマは本当によく似ている。
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奴隷契約書

 なんとも甘美なる響きのするこの言葉。「奴隷」というフレーズだけでもビビッとくるものがありますが、それに「契約書」という3文字がつくと、自分の中のマゾモードにがさらにパワーアップしてきます。

 知る人ぞ知る甘美会と呼ばれるSMサークルでは実際に会員同士で奴隷契約書のようなものを作成し、実践しているようです。その契約書のサンプルを 家畜人の森 の中で見ることができます。ここの「奴隷契約書」のページでは先日もご紹介しました「毛皮を着たヴィーナス」の中でワンダとセヴェーリンが取り交わす内容が紹介されています。作者のマゾッホはご存知のようにマゾヒズム文学の金字塔を打ち立てたのみならず、自分の作品世界を後に実人生でも追体験した希代な作家。おそらく現代のSMプレイにおける奴隷契約的概念のテンプレートがこの時に完成したと言えるのでしょう。
 
 だからなのかどうか、奴隷契約書の多くは「奴隷側」の視点から、マゾヒズムを満足させる方向で草稿が書かれているような印象です。例えば、 Shadow M というサイトでも「奴隷規約」として奴隷宣言や奴隷契約書のサンプルが紹介されていました。これもマゾ男性が作成されたものです。

 一般社会では、法律や契約書というのは弱者を守るために、支配する側の特権的で恣意的な影響を排除する機能を持たせるのが普通です。しかし「奴隷契約書」というのは、弱者である奴隷の立場をより不利に、よりみじめなものにするために存在している点でおもしろい。おそらくサディズムの視点から作られた奴隷契約書もどこかにあるのでしょうが、M奴隷側が自ら自分のマゾヒズム願望を満たすために作成する、または契約をお願いするパターンが多いような気がします。こういうのを読んだり、書いてみたりして興奮してしまうのは、マゾヒズムを理解出来る人だけでしょう。たとえ本来、身も心も女王様に捧げる決意は当然マゾヒストとしてはしているのだけれど、あらためて意識的に確認する作業は、マゾヒズムという精神的な礎なくしては出来ない。もしもノーマルな人がこういう奴隷契約を結ばなければならない状況に陥れば「冗談じゃない!」と不快感が先に来るのでしょうか? 最初はイヤだと思っていても、美しい女主人との契約にだったら、奴隷契約を結んでもいいじゃないかと思える日もくるのではないでしょうか。
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花束を!


吾が立ち嘆く

霞花札の八月は芒、別名坊主でしたね。
調べてみると、もうひとつ、霞とする記載もあるようです。

いや、不思議に思いますよねえ。
だって、霞といえば春。旧暦八月は仲秋ですもの。

と、歳時記を捲っているうちに発見しました。
秋の季語に夕霧。
昔は春秋ともに霞ともいい、霧ともいっていたのが、後になって春を霞、秋を霧というようになったと書かれていました。

この歌もちょうどそんな時期でしょう。
投稿日付に拘らず前にお話した万葉集は巻十五に収録された遣新羅使人の歌です。

 安藝国(あぎのくに)風速(かざはや)の浦に舶(ふね)泊てし夜、よめる歌二首

   我がゆゑに 妹歎くらし 風速の 浦の沖辺に 霧たなびけり

   沖つ風 いたく吹きせば 我妹子が 歎きの霧に 飽かましものを

万葉集には天平8年(736)の遣新羅使人の一行の歌一五四首が収録されています。
本職の歌詠みの作ではない、だからこその叙情溢れる歌風は後の日本詩歌のいわゆるひとつの定番になったともいえるでしょう。

さて、歴史的観点から切り込めば、この一行の旅は非常に難儀を極めましたよねえ。
なにせ、当時の日本は新羅から相手にもされてないような国情に加え、道中も苦難の連続。
なんと瀬戸内海を渡るのに1月以上を要してしまったのです。

その瀬戸内海縦断中途のこの歌は、次の遣新羅使人の妻の歌とセットで読むとよいでしょう。
夫婦愛を伝える歌としてよく知られた歌です。 

    君がゆく 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ

あなたが行く海辺の宿にもし霧が立ったら、ドヨーン、私が嘆いて吐いた溜息だと思って頂戴ね、ドヨーン。
声に出して読んでみると、余計にさの重っ苦しさが伝わってきます。
だってそうでしょう? 西暦8世紀の時代に遥遥海を亘って新羅の国まで出向くんですよ。
当時の運輸事情を考えてごらんなさいませ。
今日、有人宇宙船で宇宙空間に飛び立つのにも匹敵する、いやそれ以上の大冒険であったに相違ありません。
待つほうの、なんて言うんですか? 心配度? は、それ以上の時代格差があるでしょう。
だって、情報収集の手段なんて全くなかったんですから。

そんな時代背景を踏まえ、「時を同じくして」読むと作者心情のよく分かる歌です。



と、この言い回し、



いや〜、またアーカイブ類が開かなくなってしまいました
いつもいつも時事ネタは一歩遅れて取り上げる 目指せ!! 平成の女蜀山人! 本稿に限っては計画的犯行ですけどね

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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六法

カブ札今日はまたカブのお話を。
カブ競技には、数を表す独特の言い回しがある、8がオイチョで9がカブ、いつか話題にしました。
続けて言うと、7は七ケンまたはナキ、6は六法です。

六法、あの六法と字まで同じですよ。
風雅を扱ったこのプログの対象外の言葉ですが、世俗の話も一興。
少々触れておきましましよう。

投稿日付に拘らずつい二三日前ですか。
六法の専門家もなんだかなあ、と感じさせられるニュースが飛び込んできましたよねえ。
オウム事件・麻原被告の裁判のことです。

ひとことで括ってしまえば、法曹界とは浮世離れした世界、って感想になりますか。
要するにこういう人たちってのは、法律を絶対的なものだと思ってるんですよ。
何かといえば、「人の性は善だから」
いいですか? 法律なんてものは、ちっとも性善説などにたってません。

法という字はなぜさんずいなのか?
これは、水の中に羊を囲い込んだ図なのです。
羊を放牧するなら、湖の中の小島に放せ、
さもなければ、どこに逃げていってしまうか分からないから。
中国の昔の人たちは、法というものの本質をよく理解していたようです。

諸子百家の話から、老子に振りましょう。
同じ諸子百家の孔孟が学問化し儒学になったのと対し、どちらかというば老子は宗教化しましたよね。
老子(人)自身も太上老君なんて神様になっちゃったり。

ほら、あれです。
某民放のドラマ『西遊記』で大倉孝ニがやっていたあれ。
徹底的なマヌケ役でしたよねえ。

いやいや、あれでいいんですぞ。
西遊記というのは、そもそもが仏教の啓蒙書ですから、原作でも道教関係はマヌケ役に徹します。

例えば、ほら、あの金角銀角の章。
孫悟空が須弥山、峨眉山、泰山の下敷きになって動けなくなってしまう場面があったでしょう?
三山の土地神は、悟空に呼びつけられさんざんに叱り付けられることになるんですが。
大和三山と違ってここの三山の土地神はみなロートル。
「(いくら老いぼれでも)神が化け物にこき使われるとは世も末」と、ブツブツ言う悟空もまた化け物、笑えます。

と、この言い回し、



こんどは本場の…

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!



裁判は究極のSMショウ?

偶には時事問題を挟もう。

436c5cb4.jpgオウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告の死刑確定の可能性が強まったようだ。
ひどい話である。
仮にも人一人の命の懸かっている法廷の場が、法曹の駆け引きの場に利用されていいわけがない。
もとより、所謂オウム裁判においては、裁判とは何かと疑わされる傾向が強かった。
例えば、死刑が確定したある被告の判決理由など、逮捕前に出ていた週刊誌の特集号そのままという感じだった。
こんなことで人の命を奪ってよいものであろうかと疑問に思っていたのだが、今回の東京高裁の決定で来るところまできてしまったかと憤っている処だ。

断っておくが、論者は死刑廃止論者ではない。
光・母子殺害事件などを見る限り、死刑制度は存続すべきだと考える。
だからこそ慎重が上にも慎重でなければならないと言っているのだ。
人が公権力を使って人の命を奪うのである。一切の感情の介入は許されないのだ。

裁判は究極のSMショウだなど発言している人を見たことがある。
不謹慎な話だ。なによりも大間違いだし。

勿論心の中でそう思うのは自由だ。
何人の人を殺しても全く罰せられることのない世界で、滝の白糸の男女を置き換えて女性裁判官に裁かれる自分をイメージし楽しむマゾ男性を責めはしない。
だが、本質だけは誤ってはならない。人は間違いをする動物、その間違いが絶対にあってはならない司法の場なのである。

そこにリビドーの極とも言えるSMを絡ませた件の発言者にも併せて猛省を促したい。


注* 画像は転載者の判断で加えました。元文にはありません。


壬申パワー

紅葉投稿日付に拘らず前に述べてきたことの復習から入りましょう。
ごらんになってピンと来ない方がいらっしゃるようなら、どうかご面倒でも該当投稿を探して先にお読みください。

花札の1〜3月は色々な意味で共通項を見出すことが出来ます。
ですから、絵札を集めた三光(表菅原)、短冊札を集めた赤短(裏菅原)が、競技において裏表の出来役になるのはなるほどと理解できます。
これに対して、6・9・10月には特段の共通項を見出すことができない、
にも拘らず、表−猪鹿蝶 裏−青短 になる。
なぜなのか調べてみたのですが、未だに判りません。
その代わりでいうわけでもありませんが、花札をイリュージョンしたセガの看板ゲーム、『サクラ大戦』にこの月に関連する話題がありますので、今日はそれを話題にしましよう。

『藤枝あやめ』というキャラクターが出てくることは5月・菖蒲で書きましたよねえ。
次回作で登場したあやめの妹の名前が、『藤枝かえで』なのです。
桜、藤、あやめならきちんと連続3ヶ月がするけど、最後がかえでになってしまうとひと月だけ飛んでしまう。
まあ、偶然でしょうけど似てます。

そうそう、この二人は正反対の性格という設定になってます。
きょうだいというものは、とかくそうですよね。
意識的にそうなっていくのでしようか? こいつとだけは同じであってたまるか! ってな感じで。
そのくせ見た目はよく似ている、だから余計癪に障るわけで。
古来、きょうだい喧嘩というのは枚挙に暇がありません。

少し前にもありましたよねえ。
昭和の名大関・初代貴乃花のニ子山親方が亡くなったときです。
まあ、なんと申しましょうか? 両雄並び立たず、これが身近な兄弟ということになれば争うのが普通、ということになってしまうのでしょうか?
ということで、日本古代史を紐解く上で絶対の絶、避けては通れない『兄弟喧嘩』である壬申の乱の話をしましょう。

まあ、天智天武の兄弟も鎌足が生きている間は表立って争いもせずやっていたのですが。
その潤滑油がなくなってしまうと、お決まりのコースです。
天智天皇は弟であり皇太子である大海人皇子(天武天皇)を遠ざけ、実子である大友皇子を世継ぎとすべく画策を始めるわけですね。
そして、病床に臥すと枕元に大海人を呼び寄せ、帝位を譲るといいます。
それが罠だと察した大海人は、僧になると称して吉野に逃れるわけですが。

天智天皇の死を知るや大海人天皇は吉野を出て、大友皇子(弘文天皇、ただおそらく即位もしてなかったと思う)を打ち破る。
わずか40人で出発して1月足らずで天下を統一してしまった、まさに神業が『壬申パワー』。
万葉集繚乱時代を彩り、そしてそれは退廃の孝謙時代まで持続します。

   み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間無くぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を  (巻1-25)

   淑き人の 良しとよく見て 好しと言ひし 吉野よく見よ 良き人よく見 (巻1-27)

この二つの歌は、いずれも天武天皇が吉野を詠んだものです。
苦しかった潜伏時代と壬申パワー全開時代の好対照な心底が感じられますね。
 
と、この言い回し、



このネタはもう少し早くに出すべきだったのでしょうが

を丸写ししました。

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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

【コメント】
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


「エッグのお部屋」 → 「御転婆天使協同組合」

▼平成18年 5月 2日(火曜日)
 タイトル:「〜社説〜 エッグのお部屋 は、”ど〜も 氏の新たなる再出発”を応援する」

昨晩、Mサイト界に激震が走った。
それは、急所蹴り系創作サイト老舗「御転婆天使協同組合」(略敬称)が、全コンテンツを完全に閉鎖し、「サイト運営」から撤退した事だ。
あまりにも唐突で、憶測の域を出ないのであるが、独自に得た情報によれば、東北某県で起きた「高校教師、風俗店経営が発覚」のニュースが影響してるとの事。

更に、以前から「氏の職業問題」については、ネット内外でも密かに議論されていた。
その中で、一部の「潔癖観の強い野次馬」が ど〜も 氏に強い追求をしており、とても奇麗事で片付くような問題ではなかったと言える面もある。

エッグのお部屋としても、平成15年5月中旬まで、ど〜も氏とは「相互リンク」を提携しており、「投稿作品」の行き来も盛んな友好関係にあった経緯があり、ここに、これから再出発される ど〜も 氏にエールを贈りたい。
周知の通り、「御転婆天使協同組合」と「エッグのお部屋」の間には”相互リンク解除”という過去もあるが、そんな昔話は、もはや関係ない。同じ趣旨を持つサイトとして、同じ時代に生きた旧友として、ど〜も 氏を陰ながら応援してあげたいのだ。

その前提で敢て酷ともとれる発言をしたい。
ある意味、この閉鎖は遅きに失っしたの感もある。
人はその心の中で何を思おうが自由だ。が、それを表に出すとなれば話は別、種々の制約を受ける。
職業倫理は問うまい。極事務的に法令のことを言おう。
この手の物品の販売を手がけるとなれば、風俗営業法、訪問販売法、更に副次的に所得税法等々数多の法令の制約を受けるのだ。
法治国家で法に従わないわけにはゆくまい。その意味で同サイトの運営はとうに限界に達していたのではあるまいか?
いや、叱責ではない。
遅ればせながらそれに気づき、電撃閉鎖をした ど〜も 氏の英断には改めて拍手を送りたいと言っているのだ。

とはいうものの。
人とはそれほど強くないものだ。
失礼ながら、サイト運営から撤退した ど〜も 氏も意馬心猿をどこまで押さえられるか?
どうしてもまた書きたくなったら、ここに書けばよい。
「エッグのお部屋」であれば、いつ利用してもらっても構わない。
心中溜まった劣情を心置きなくぶつけてほしい。特殊性癖を克服できない弱い自分を懺悔しながら。

何はともあれ、まずは、「一大決心」を決め、これから新たなステージに立とうとしている ど〜も 氏を応援しよう。「エッグのお部屋」は、サイト再開以降、極力「意見提示」を控えてきた。今回の件についても、全くの「外野」であるが、それでも、陰ながら応援させて頂きたい。

ど〜も 氏 いや、「ど〜も 氏たる実在人」 ○○氏の「これから」に、大いに期待する。



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【 エッグ vs ミユ 】
タグ:ニヒリズムに花束を! ニヒリズム マゾヒズム エッグのお部屋 御転婆天使協同組合 エッグ ど〜も 番頭グループ 馴れ合い 閉鎖 ミユ http://blog.livedoor.jp/egg3000/ なれあい 社説 Mサイト界 金蹴り 金蹴 高校教師 風俗店 相互リンク 風俗営業法 風営法 訪問販売法 所得税法 納税 法令 法治国家 サイト 電撃閉鎖 意馬心猿 特殊性癖 意見 外野 掲示板 2ちゃんねる 玉姫殿 サディズムに花束を! 歳時記 詩歌 5月 風薫る 皐月 五月雨 管理放棄 初節句 菖蒲 鯉幟 漫画 玉子系 業者 エロ業者 アダルト 商業エロ 汚物 汚物処理業者 目指せ!! 平成の女蜀山人! 社会的価値 インターネット ネット 隣人 利害 ネット人格 SM M 正義 大悪党 札幌金蹴マン 教師 オフ 伊藤一蔵 れっど&ひひる CountECO 不改 教育者 関が原 石田光成 商業目的 おせっかい 喜多村 チップとデール アルバイト メール メール問題 UU blog K ビリー・ザ・キッド アル・カポネ イタズラ小僧 山田花子 エリザベス 千里眼 読心術 喧嘩 teacup 奈美 管理人 御殿場天使協同組合 悪態 コテ コテハン 常連 常連コテ 与謝野馨 パクリ 作品置場 動画 隠し動画 BLIZT CUBE ネット正義の根幹にある発想は妬み・僻みと思われる 妬み 僻み ネット正義 悪徳業者 BLITZ CUBE BLITZ CUBE ふぇち詰めサービスパック・2 M野郎拷問Stage まるたか チョベリグ チョベリグマガジン


「御転婆天使協同組合」 → 「エッグのお部屋」

▼平成15年 9月26日(金曜日)
 タイトル:「〜社説〜 御転婆天使協同組合は、”エッグ氏の新たなる再出発”を応援する」

一昨日、Mサイト界に激震が走った。
それは、コギャル系イラストサイト老舗「エッグのお部屋」(略敬称)が、完全にフリーページを閉鎖し、「会員制サイト」への移行に取りかかった事だ。
これに至るまでの経緯は複雑で、周囲では様々な噂が飛び交っているが、とある情報筋によれば、「相次ぐ画像の無断転載」と「無責任なリクエストに疲れた」との事。

更に、以前から「会員制移行問題」については、同サイト内でも盛んに議論されていた。
その中で、一部の「会員制反対陣営」がエッグ氏に強い追求をしており、とても穏やかな話し合いとは言えなかった面もある。

御転婆天使協同組合としても、平成15年5月中旬まで、エッグ氏とは「相互リンク」を提携しており、「投稿作品」の行き来も盛んな友好関係にあった経緯があり、ここに、これから新サイト移行へ再出発されるエッグ氏にエールを贈りたい。
周知の通り、「御転婆天使」と「エッグのお部屋」の間には”相互リンク解除”という過去もあるが、そんな昔話は、もはや関係ない。同じ趣旨を持つサイトとして、同じ時代に生きた旧友として、エッグ氏を陰ながら応援してあげたいのだ。

しかしながら、かなり突然の閉鎖決定だっららしく、周囲のサイト管理者は混乱を隠せないのが現状だ。(エッグ氏と相互リンクする某管理者談。)
エッグ氏は、これまで、「コギャル系Mイラスト」の最高峰として、その需要を一手に引き受けてきただけに、今回の決定事項に周囲からの注目度は高い。
更に、今後は、「一般ページ」と「会員制ページ」に完全分離し、新サイトへ経営移行するらしいが、会員資格の授与方法なども不明確で、エッグ氏にとっての課題になりそうだ。
どこまでを「常連サポーター」と見なし、どこからを「外部の訪問者」とするか、その線引きの難航が想定される。

・・と言っても、番頭氏の「玉姫殿」(略敬称)をはじめ、「完全会員制」として大成功や大飛躍した例は数多い。従って、その様な先駆者達の指導の下、一つ一つ課題を解消していけば、エッグ氏も会員制サイトとして成功を収める事が出来るのではないか・・と考える。

何はともあれ、まずは、「一大決心」を決め、これから新たなステージに立とうとしているエッグ氏を応援しよう。御転婆天使は、今年6月以降、極力「意見提示」を控えてきた。今回の件についても、全くの「外野」であるが、それでも、陰ながら応援させて頂きたい。

エッグ氏の「これから」に、大いに期待する。


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【 ど〜も & エッグ 】


楊貴妃 − 『養子』安禄山におしめを与える

855ec46b.jpgともに有名な人物であるので、人物解説は割愛する。
中国は唐、玄宗皇帝の時代である。
西暦751年正月、宮中に参内した安禄山に楊貴妃は裸にし錦繍を施したおしめをつけさせる。

実はこのとき、禄山は貴妃と母子関係を結んでいたのである。
まあ彼にすれば後宮入り御免となるための方便で申し出ていたのであるが、「私の禄坊や」と戯れられては成り行きにまかせるしかない。
体重300キロの禄山は徹底的に赤ん坊のふりをすることにした。

大勢の官女が見守る前で産湯に使い体を洗ってもらう。
勿論彼は大人であるから、官女たちに股間をいじりまわられれば、それなりの反応をしてしまう。
それを見て楊貴妃筆頭に一同大爆笑、ということでその年の年賀は終わった。

まあ、今日でいうところの『幼児プレー』か?
意識してこの言葉は使わなかった。
というのは、安禄山がかかる仕儀は微塵も望んでなかったからである。
これは、専ら楊貴妃の戯れ、合意の『SMプレー』とは趣が異なる。
が、彼女のこの行為の心裏にはサディズムが存在する。母性が故のサディズムとでもいおうか?
それも、論者に言わせればかなり強いサディズムである。少なくても支配の構造ではあるだろう。

姉である女児は、ままごとに於いて大概弟や妹を自分の赤ちゃんにする。
そして、嫌がったりすると引っぱたく。
まあ、下のきょうだいのない論者は伝聞でしか知りえないのだが。

女性というのは独占欲が強いものだ。
ひとたび己が手に抱いたものがその手を離れることを認めたがらない。
自らの胎内から出たものを容易に独立人格たらしめようとしない。
そして、それが時には攻撃的な行動となって現れる。
母猫が子猫をとられることを恐れるがあまり、これを食べてしまうことがあるように。

世界各地の民話伝承の類では、大地が女性として描かれることが多い。
自然の慈しみ、そしてその過酷さ、母性のサディズム性を的確に表現しているといえるのではあるまいか。

それはそうと。
実在の楊貴妃という人物は、絵のような細身の女性ではなかったようだ。
肥満体も肥満体、超肥満体。
それ故、いつも彼女を湯浴みさせているおつきの官女たちにすれば、巨漢・安禄山を湯浴みさせるのはお手のものであったことだろう。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


令嬢モレル − 1835年、パリで起きたロンシェル事件

1c8b8b69.jpgあまり有名な話ではないのので概要を説明しよう。

この事件は、十六歳になる将軍の娘モレルが寝室に侵入した暴漢により衣類を裂かれ猿轡のまま強姦されたという訴えから始まった。
しかも強姦の後メスで刺されたので、悲鳴をあげて隣室の家庭教師を呼んだけが、犯人はすでに逃走したあとだったという。
一通の無名投書もあり、バリ警察はロンシェルなる元少尉を犯人として逮捕し、裁判の結果彼は10年の懲役刑に処せられた。

ところがこれが冤罪だったのである。
そもそもモレルはひどいヒステリー症であり、メスの刺傷も怪文書もみな彼女自身が発作的にしたことだったということが事後に判明したのだ。

これが、かのロンシェル事件である。
類似の事件は、現代も、いや現代ほどよくおきているであろう?
この種の事件の走りともいえる。

さて、本論。
このモレルは症状は典型的な自虐症であり、マゾヒズム心理である。
これが定説であり動かしようもないことだ。

が、少々検証する機会が認められるのなら。
彼女は刃物で人間を傷つけている。この点はどうであろう?

周りに誰か他人がいたなら?
そこまでいかないとしても、例えば犬猫のように確実に斬ることができるものが目にとまっていたとしたのなら?

ここで分析学でいうところのSMとは何ぞや? をいえば。
個の持つ攻撃本能の昇華、外に向いたのがサディズム、内に向いたのがマゾヒズム、である。
だが、この内外というのがそれほど絶対的な区分わけになろうか?
話を元に戻せば、モレルがメスで斬りつける対象はいかなる状況下においても彼女自身でなければならなかったのか? という問いかけをしているのである。

もうここまで言えばいわずもがな、論者の考えるところの答えはNOである。
自分よりも弱いもの、確実に斬りつけられるものがその場にいたのなら、彼女はそちらを傷つけに出ていたと思われる。
偶々周りが全て自分よりも強いもの(少なくても主観的には)であったがために、対象が自己自身になったのである。
今までの投稿で繰り返し論じているように、残酷好きな女性にむしろサディストが少ないのは、女性というのが弱い存在だから。
もし仮に、その前提が取り払われるようなことになったら…

下世話にも、「SとMとは紙一重」とか「自分はSM両刀使いだ」とか、よく言われる。
そのとおりだと思う。
かつて別な精神病とされていた躁病と鬱病は、一見正反対のこの2つが現在では、同一の疾病・躁鬱病ということで落ち着いている。
ことによれば将来、サディズムとマゾヒズムは同一症状、というのが通例になるのかもしれない。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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