アメリア・ブルマー − ブルマの考案者とされる女性解放運動家

436c5cb4.jpgブルマー女史がブルマの考案者であるというのはどうやら俗説らしい。
別の運動家が考案したものを彼女が自分の新聞で紹介したから考案者に間違えられたとのことだ。

女性解放運動はここでの論題に相応しいようで相応しくないと思料したので、ブルマで論を進める。
ご存知のとおり、女性が運動しやすいようにとの目的から発案された。
初期のころはだぶだぶ木綿の所謂ちょうちんブルマである。
絵のものとも少しことなるか?
いや、某元国会議員の女学校時代ブルマ姿の写真があるのだが…
ご紹介できないのは残念だ。

そして、その後のブルマが辿った運命もまた周知のとおり。
化繊の普及により、身体にフィットしたパンツタイプに変わる。
それがために、男性の劣情を…
ということで日本、とりわけ学校体育においては、廃れていくのである。

論者も(短パンタイプの)ブルマ体験のない一人だ。
別にこれで運動をしても構わないと思うのだが、言われてみれば確かに、パンツで野外を歩いているようなものだ。学校の体育授業で使われなくなったのは至当であろう。
まあ、女性解放のために考案された衣料が、もっぱら男性からの防御がために廃れていったというのは何とも皮肉なものである。

話は変わるが、FemDom (Female Domination)とつき物がごとくに登場する BDSMという略語。
このBDとは、ボンデージの略である。
いや、「略らしい」と言った方が正直か? 論者はよく知らないのである。

知らなくても別に構わないであろう。
女性サディズムを論ずるうえで、ボンデージルックのあの女王様スタイルの女性を語らなければならぬ必然性などないのであるから。
ましてや、あれを着ていなければサディスティンに非ずなどというバカげた話はどこの国にもない。

確かにボンデージは鎧兜足りえる。
本来受身であるはずの女性が、衣装の力によって大胆になるという要素はある。
けど、それはとりも直さず主客転倒ということだ。
もっぱら(マゾ)男性のためにボンデージに身を固めるとなれば…

ボンデージとブルマは本当によく似ている。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


奴隷契約書

 なんとも甘美なる響きのするこの言葉。「奴隷」というフレーズだけでもビビッとくるものがありますが、それに「契約書」という3文字がつくと、自分の中のマゾモードにがさらにパワーアップしてきます。

 知る人ぞ知る甘美会と呼ばれるSMサークルでは実際に会員同士で奴隷契約書のようなものを作成し、実践しているようです。その契約書のサンプルを 家畜人の森 の中で見ることができます。ここの「奴隷契約書」のページでは先日もご紹介しました「毛皮を着たヴィーナス」の中でワンダとセヴェーリンが取り交わす内容が紹介されています。作者のマゾッホはご存知のようにマゾヒズム文学の金字塔を打ち立てたのみならず、自分の作品世界を後に実人生でも追体験した希代な作家。おそらく現代のSMプレイにおける奴隷契約的概念のテンプレートがこの時に完成したと言えるのでしょう。
 
 だからなのかどうか、奴隷契約書の多くは「奴隷側」の視点から、マゾヒズムを満足させる方向で草稿が書かれているような印象です。例えば、 Shadow M というサイトでも「奴隷規約」として奴隷宣言や奴隷契約書のサンプルが紹介されていました。これもマゾ男性が作成されたものです。

 一般社会では、法律や契約書というのは弱者を守るために、支配する側の特権的で恣意的な影響を排除する機能を持たせるのが普通です。しかし「奴隷契約書」というのは、弱者である奴隷の立場をより不利に、よりみじめなものにするために存在している点でおもしろい。おそらくサディズムの視点から作られた奴隷契約書もどこかにあるのでしょうが、M奴隷側が自ら自分のマゾヒズム願望を満たすために作成する、または契約をお願いするパターンが多いような気がします。こういうのを読んだり、書いてみたりして興奮してしまうのは、マゾヒズムを理解出来る人だけでしょう。たとえ本来、身も心も女王様に捧げる決意は当然マゾヒストとしてはしているのだけれど、あらためて意識的に確認する作業は、マゾヒズムという精神的な礎なくしては出来ない。もしもノーマルな人がこういう奴隷契約を結ばなければならない状況に陥れば「冗談じゃない!」と不快感が先に来るのでしょうか? 最初はイヤだと思っていても、美しい女主人との契約にだったら、奴隷契約を結んでもいいじゃないかと思える日もくるのではないでしょうか。
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花束を!
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