ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ − 浮名も高きフランス国母

78704766.jpg国母とは、国家元首の妻。して、その夫は?
かのナポレオン・ボナパルトである。
「我輩の辞書に不可能はない」のナポレオン唯一の不可能が、彼女を良妻にすることであったといえようか?
ということで、久々に悪妻を俎上にあげよう。

彼女の経歴は容易に調べられるので割愛するとして、ほんの零れ話を紹介する。
ある日ジョゼフィーヌは、日夜の国務に疲れ転寝をしている夫の鼻元に(ブルー)チーズを近づける。而してナポレオンの寝言。

「ジョゼフィーヌ、許せ。今日は疲れておるのだ」

嘘か真かは定かではないのだが、二人の夫婦関係はこの逸話に集約されているのではなかろうか?
ブルーチーズの匂いというのは、とうのたった女性の陰部のそれに似る。そう、彼女は夫よりも6歳も年上であったのである。

未だに妻は年下でなければならぬという男性も少なくない。述べたようにオスが若いメスを求めるのは優勢生殖の本能によるもの。
一方、社会生活の利便を考えれば。
種々の要素で、むしろ年上の妻がベターなのだ。理由を一言で言えば、母性を有効活用できるからとなろうか。
男性はその伴侶を選ぶ際において、実をとるか名をとるかの選択をすると言えよう。

さて、このジョゼフィーヌである。
彼女にはそうした姉さん女房のよさというのがないのだ。ここが悪妻たる所以なのだが。
夫の意に染まない行動をする… 精神的いじめ、サディズムといえなくもない。
が、そうであるとしても極めて幼稚だ。周囲の注目をひこうと悪戯をする幼児に似たり寄ったりである。

どうやら、やはり。
サディズムというのは幼児を卒業していない人間の心理態度のようである。



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千姫 − 男を次々と誘い込んでは弄んだ末全員殺した?

8c7c19cd.jpgかの徳川家康が、豊臣方への人質として大阪城に送った実孫である。
因みに、豊臣秀頼に嫁いだときの年齢が数え七歳、そして大坂夏の陣の折落城する大坂城から救出されたのはその12年後だ。

まあ、この女性ほど実態とかけ離れた形で伝承されている人物も珍しかろう。
実際の千姫は非常に可愛らしく、温厚な女性であったという。
にも拘らず、錦絵や浪曲でよく語られる彼女は副題の如くだ。
代表例「吉田御殿の話」を少々引こうか。

大坂落城の際、坂崎出羽守に救い出された千姫は、坂崎の求婚を斥け、本多家に再婚した。が、千姫は吉田御殿にこもって遊興にあけ暮れた。大工の芳之助は一夜の伽を命じられたが、翌朝死体となって許婚者おかつに発見された。吉田御殿の悪評は紛々だった。本多家の若侍小林万次郎は、姫と刺しちがえて死ぬより方法はないと言い、自らその役を買って出た。しかし、万次郎は姫の美しさの虜となった。やがて、万次郎の死体も沼に上った。−−

凄い話…
日本のサロメ、快楽の末オスを食い尽くすサソリのメスの如し、といったとこか?
勿論作り話、定めし徳川に恨み骨髄の豊臣残党が意図的に流したデマであったことは想像に難くない。

が、暫し待たれたい。
唯のデマだとすれば、時代を超えて現代まで伝承することはあるまい。
それだけの価値があると言うことだ。
つまりは、人は「吉田御殿の話」等々に万人が感じうる最大公約数的な共感を見出しているということである。
論者は日本のサロメと評した。実際同様の妖艶なるエロスを感じる。

そして、もうひとつ。
女性サディスティン像というものは、洋の東西をとわず、そしていつの時代も、専ら男性側の都合によってつくられたものであるということが、千姫の例からも検証できるのである。
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むちの似合う女王様

さてさて、随分久しぶりの投稿となりました。
一円にもならないことはあまりしたくないものですっかりご無沙汰してました。
でもまあ、人間というのは気まぐれなもので時には意表をつくこともあります。
建前ブログのほうに、某芸能人をネタに「鞭の似合う女王様」なんてのを書いたせいで、僕もちょっとたまりました。
ここで、本音を吐き出します。

昨今、商業主義が「SM、SM」とはしゃぎたててくれるせいで、堅気の皆さんも「女王様」と称する女の顔写真等を見る機会もあろうかと。
一目にして瞭然ですね。彼女たち、80もありませんわ。
って、スリーサイズとかその類の数値ではないですよ。

IQ80もない

といっているんです。
昨年9月某ビデオ会社のイベントに参加したおり、こうした女性の幾人かと接触してまざまざ実感しました。
子供のころから「バカだ、バカだ」といい続けられた人間を女王様と奉ってごらんなさい。
判断能力が著しく劣る彼女たちのことです。
もう天にも昇る心地! 入れ墨でもなんでも入れて、エロビデオにも何でも出演しますわ。
まあ、僕らにとっては格好のカモということで、「無知の似合う女王様」であることをひしひし実感するところです。

そんな新作との相乗効果を狙ってか、あのビデオ会社はとうとう映像配信販売まで始めたんですよ。
いいお値段なんですけど、それで商売になる世の中なんです。
それにしても、あそこの社長、儲けになるのはわかるんですけど…
いい年こいて何も今更、昔の、人前で排便しているところの画像まで流さなくてもいいと思うんですけどねえ。
一度やったらやめられない、「無恥の似合う女王様」が経営するに相応しい業種といえるでしょう。

あっと、こんな話はキモいだけですよねえ? 
商売のためにやっている僕ですら気持ち悪くなってきました。
でもまあ、一事が万事このように、無知と無恥とが絡み合った複雑な現代社会…
もっと一般にもなじみのある別の話題で、賢く生き抜いていく知恵とはどのようなものかを探り続けることにしましょう。

mixiのことです。
こちらもとうとう9月に株式上場するそうで。
代表である笠原健治という人は、うまい商売を考え付いたと思いますよ。紹介会員制。
そして、勧誘した会員数の多寡でステータスが決まるという素地を作っておく。
これならば、いきおい会員も増えますわ。ネズミ講の手法ですね。
そうした巨大閉鎖空間は、商売にもってこいの囲い込みエリアであるとは、前にも話しました。
ねえ、「ミイラ発言」で広く知れ渡るところとなった、あの淫靡な閉鎖空間。
あの騒ぎでも、もっぱら発言会員が罰せられただけで、会社のほうはむしろ宣伝にすらなったくらいでしょう?
繰り返しているように、このようにして「無知」を手駒にし使いこなすことが金儲の鉄則なのです。

でもね。株式公開はどんなものなんですかね?
公開するということは、生み育ててきた企業が自分のものでなくなるということなんですよ。
まあ、それが既定の路線であるというのが、所謂ITの通例なのですが、そこから得られる教訓です。
つまり、笠原なる人物はmixi信者を集め、自分のためにせっせこせっせこ働かせて築いたものを、上場により手放すことになった、それが当初から敷かれた路線であったということなのです。

で、公開後、彼はどうなります? 株式放出で得た金銭で一生涯寝て暮らす?
そうでは、ないですよねえ。間違いなくこれからも、あくせくすることになるでしょう、自分のものでなくなった株式会社ミクシィという上場会社で、今まで以上に「無恥」に徹して。

資産総額なにがしとかいう画餅に目をとられてはなりません。
要は、生き金をどれだけもっているかということなのです。
「金は使ってナンボの世界」「座して半畳、寝て一畳」
この2つで結ぶことにしましょう。
タグ:マゾヒズムに札束を! マゾヒズム マゾヒズムに納税を! http://blog.goo.ne.jp/homer-2007 札束 ブログ mixi ビジネス トラブル 会員制 商業 囲い込み 株式会社ミクシィ 東京都渋谷区道玄坂1-12-1 渋谷マークシティウエスト19F 笠原健治 会員制SNS 商業カルト 辰神麗子 吉田勝久 ミイラ発言 かっつ 【かっつ】会員制SNS「mixi」の赤裸々な内情を広く外部に知らしめてくれた吉田勝久さんに感謝状を贈ろう!【ミイラ発言】 会員制SNS「mixi」 麗子 麗子女王様 女王様 むち 板についている 女王様と鞭 ダンス SM マドンナ マイケル プロモーションビデオ ビデオ MTV 浜崎あゆみ 鞭打 威厳 ボンデージ ボンデージ衣装 心の問題 こだわり SMの3大アイテム 3大アイテム ろうそく 首輪 ハイヒール 浣腸 小道具 春川ナミオ 顔面騎乗 資格 倖田來未 可憐 ミストレス 覚醒 建前 本音 鞭の似合う女王様 タトゥー・クイーン カリスマ Mistress 刺青 清吉 北川イベント コンプレックス 肥やし 建前ブログ 芸能人 商業主義 堅気 IQ80 スリーサイズ ビデオ会社 バカ 北川 北川プロ 判断能力 エロビデオ エロDVD DVD 入れ墨 出演 無知の似合う女王様 カモ 相乗効果 映像 映像配信 配信販売 映像配信販売 社長 北川社長 北川繚子 排便 人前で排便 画像 キモ 株式上場 紹介会員制 ステータス 会員 閉鎖空間 巨大閉鎖空間 囲い込みエリア ネズミ講 ねずみ講 淫靡 宣伝 無知 手駒 金儲 鉄則 株式公開 公開 株式 株式放出 カルト カルト集団 上場会社 IT IT企業 mixi信者 信者 笠原 笠原社長 ミクシィ 無恥 資産総額 至上主義 市場主義 画餅 生金 金は使ってナンボの世界 座して半畳、寝て一畳 東証マザーズ マザーズ マザーズ上場 ネットエイジグループ 番頭グループ Homer 学生起業家 ベンチャー投資事業 東京・渋谷 西川潔 インターネット ネット 生き金 一事が万事 マゾビデオ 女王様ビデオ 石が浮かんで木の葉が沈む 精白 sexii ケツ毛バーガー 白鯛素久 村岡万由子 ムラ ☆ムラ☆
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火の鳥伝説

桐ピカ繰り返しますが、12月・桐の光札には鳳凰が配図されます。
花札の絵札には原則動物が描かれますが、考えてみれば架空の動物はこれだけです。

さて一口に鳳凰と称しますが、本来は鳳と凰とは違った意味だったようです。
鳳は訓で読むとおおとりですよねえ。元々はコウノトリ・ツル・ハクチョウなど、大形の鳥の総称だったようです。
それが、「荘子」逍遥遊に見えるという巨大な鳥=鵬になったあたりから架空の鳥を意味するようになります。

これに対し、凰。これが本来の『ほうおう』です。
即ち、体は、前は麟、後ろは鹿、頸は蛇、尾は魚、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似るといわれる。羽が五色で、梧桐に宿り、竹の実を食べ、醴泉を飲むと伝えられ、聖徳の天子の兆しとして世に現れるとされる。
というわけで、桐につながるのです。
もうひとつ、(同じ『ほうおう』の)雄は鳳、雌は凰という、という別字義から鳳凰と称されるようになったという解釈を付け加えましょう。

前にも言いましたように、この鳳凰を狂言回しに使った『火の鳥』という手塚漫画の代表作がありますよねえ。
火の鳥の生き血が不老不死の薬と言うことで、卑弥呼が、平清盛が血眼になってこれを求めます。
権力者というものは、未来永劫その座にありたいと願うわけでして。

して、中国は秦の始皇帝の話を。

もうご存知の通り、中国4000年の歴史で初めて皇帝を名乗った人物ですよねえ。
その絶大なる地位にいつまでもありたいと願うのが人の性(さが)、様々に秘薬・仙薬の類を求めたことでも知られます。
手塚漫画代表作『火の鳥』では火の鳥の生き血がそれにあたるのですが、さておくとして。

始皇帝は若返りの秘薬と信じて、若い♀のおしっこを愛飲したそうです。
ここにもひとつの、非マゾの屎尿狂崇がありました。
ね、明らかにマゾではないでしょう?
あやしげな「くすし」が、生き血がいいと言えばそれを飲んだであろうし、生き胆がいいと言えば少女の腹を割いてそれを取り出したでしょう。
それだけの地位・権力を持っていたのです。
少なくとも♀の便器になりたいと願ったアドルフ・ヒットラーとは同じ屎尿狂崇であっても大違い…

と、この言い回し、



えいちゃん さんのBlogがまた動き出しました

を丸写ししました。

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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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神国日本を襲った兵たち − 蒙古襲来時の対馬の悲劇

5365e8cb.jpg言うまでもなく元朝・蒙古帝国は、中世ユーラシアの一大驚異である。
そして、我が日本はこれに呑み込まれることはなかった。
神風…
だが、これは全体像だ。本稿は部分にスポットをあてる。

対馬。地理的には九州よりも朝鮮半島に近い位置にある。
したがって大陸からの侵略路となる。にも拘らず、元寇時における守備兵の数はなんとたったの13人だったという。
これでは戦になどなるまい。蒙古兵による一方的な殺戮だ。
ここにひとつの伝承がある。

蒙古兵は島の子供たちを捕らえ、親が見てる前で煮殺し、そのスープを親たちに飲ませたと言うのだ。
論者は、蒙古兵と言った。だが、これは蒙古人ではない。
日本を襲った部隊の主力は、高麗や宋の兵たちだ。
即ち、利のみの行動哲学を以て動く遊牧民族ではなく、我々と同じく儒教を学び義を重んずる行動を美とする定住民族なのである。
親子の情を知りつつのこの仕打ちは、将しく狂気のサディズムと言えよう。本稿ではサディズムを分析学の切り口ではなく、文学表現的方向からきってみた。
いや、被害者面だけを強調するのは不公平か。攻守ところを変えたケースもあることを付け加えよう。

ここに『もっこ』と言う言葉がある。
お化けと言う意味だ。
「言うことを聞かないと、もっこが来るぞ」
このように子供を叱るために用いられる。
語源は蒙古の訛り。それだけ蒙古襲来は日本にとっての脅威だったのである。

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鞭の似合う女王様

 板についている とはまさにこのことだ。

 ダンスの振り付けが「女王様と鞭」というモチーフでここまで見せつけてくれたことはかつてなかったのではないだろうか。SMを連想させつつもいやらしくなく、パワフルかつ上品なセンスで素晴らしい!

 音楽的にもいいカンジ。昔のマドンナやマイケルのプロモーションビデオ(MTV)を思い出してしまう。詩も心にしみる。



 ↑ アクセスにちょっと時間がかかり、前ふりもやや長いが、最高にごきげんなMTVに仕上がっている。

 とにかく、浜崎あゆみのファンならずとも、彼女に鞭打たれたいと願わずにはいられなくなる。

 いったいなんなのだろう。とにかく存在感がずばぬけている。女王様にはこういう威厳というか、誰がみてもそれとわかる貫禄が必要で、平凡な女性にただたんにボンデージ衣装をつけて鞭を持たせるだけではサマにならない理由がここにある。

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ひいてはIT社会の有様に異議あり

昨今Blog業界の有様に異議あり の続編を挟もう。

果たして、「スパムなる絶対悪を拵えている」面々が意気揚々となる現況が繰り広げられている。
ライブドアスタッフブログに、つい先ごろこんなコメントがあった。

 「小学生のやってるブログに待望のコメントが来た。喜び勇んであけてみたらスパムだった…」

一理あることは認める。
認めるが故に、この意見のごとく子供を山車に使うようなやり口には猛反発を覚えるのだ。

子供ががっかりした。だからどうしたというのか?
言わせれば、可哀想でもなんでもない。
これがネットの現況、ひいては現在社会の赤裸々な姿、さらにひいては人の性そのものだ。
埒もない悪戯広告で済んだのはむしろ運がいいくらい! 奇麗事は沢山である。
がっかりしたというなら、それはそれ、ネットというものの危険性を教え込むいい機会ではないのか?
今更繰り返すまでもなく、ウェブをはるということは全世界の不特定多数を対象に情報を発信し、不特定多数から情報を受信するということだ。
それをやる以上、子供であろうが弱者であろうが最低限の現況把握のもとにやって貰わなければ困る。
困る、困る、誰よりも困るのはネットの危険を教えられることなくまた身をもって学ぶこともなく長じてしまう当の本人、そうなるほうが余程可哀想だ。

小中学生のネット利用率は60%を超えるとか。
そして驚かされるのは、家庭において何のルール付けもなく是認されているということである。
これでは諸問題が起こるもの無理からぬことだ。
ひとたび問題が起きたらば、関係者たちは責任のなすりあいの末、つまるところはネットそのものを悪者にして落ち着く。
何をかいわんやである。

火、刃物、乗り物…
人類は次々と便利なものを発見発明してきた。
そして、その都度、その危険性を学んできた。
便利なもの即ち危険なものなのである。
ネットも同じだ。
何故に危険性から目をそむけ玉虫色のパラダイスを作ろうとするのか?
子供をいとおしむならば、なぜネットを危険性を教え込み手綱を〆ようとしないのか!?

論者は、「明確なるルール付け」の元にネットを行っている少数派だ。
例えば、知らない人間とはメールのやり取りをしないとか、個人を特定できる情報は絶対に晒さないとか…
このように躾けられる機会を有したことは仕合せ、天に感謝するばかりである。

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国訓

萩壁紙昨日に続き、萩に連続投稿です。

画像をお借りした頁に興味深い記述がありましたので引用するとしましょう。

>ハギは日本の秋の訪れには欠かすことのできない植物として古くから親しまれ、万葉集では140首も詠まれている人気ブランドです。
>秋の七草では筆頭に数えられ、名前も木へんではなく草かんむりに秋の“萩”という和製漢字ができたほどですが、実はマメ科の、れっきとした樹木なのです。
>株から多数の芽をだすことから「生え芽」、ここから「ハギ」と呼ばれるようになったそうで、別名「ヤマハギ」とも呼ばれます。
>
>山野に自生するヤマハギは日本原産で全国に分布しており、花は紅紫色で地味ですが気品があり、花言葉は「思案・内気」。
>根が横に広がって張るので、斜面に植えると地崩れ防止になるだけでなく枝先がきれいに垂れて見栄えがします。
>ハギは秋の季節感をあらわす代表的な題材のひとつですが、花札の図柄にもあるのをご存じでしょうか?
>花札にはトランプのように数字は記されていませんが、12種類の季節の木や花があらわす「月」から数字が読み取れるようになっています。

はい。はい、です。
今迄お話してきたことが、ちゃーんと載ってますですよねえ。
いやいや、これを見て書いていたわけではありませんぞ。
その証拠に少し補足してみましょうか。

「和製漢字」と言うのは少しニュアンスが。
萩という字には、ちゃんと「シュウ」という音読みがあります。
ただし、シュウというのはヨモギのことなんですよねえ。
ハギとは似ても似つかない、つまりは日本と中国では萩の意味が違うわけです。

これを国訓と言います。
おっと、もっと正確に書きましょう。

こっ‐くん【国訓】
1 漢字に、その意味を表す日本の言葉を当てて読むこと。また、その読み。訓。「水(スイ)」を「みず」、「侵(シン)」を「おかす」と読む類。 2 漢字本来の意味と一致しない、日本独自の読み方。また、その読み。アユに本来はナマズの意味の「鮎」の字を当てる類。

そうです。2 の方の意味の国訓ですね。
1 の国訓は訓読みと同義というわけです。
投稿日付に拘らず、前に音読みの話はしましたので、今日は訓読みといきましょう。

さてさて、7/7は七夕。
さて、なんで七つの夕べと書いて「たなばた」と読むのか?
答え。そういう風に決まってるから。
一口に(漢字の)訓読みと申しましても、普通の訓読み(正訓)のほかに、こうした意味をあてた読み方、義訓がありまして。

団扇 = うちわ なんてのもそう。
他に、訓読みしかない漢字もあります。畑だとか裃だとか。
これらは、日本で出来た漢字、国字といいます。

音読みには3種類あり、そして訓読みもある意味3カテゴリがあるわけですね。



げにチンケなるは陰暦なり、、、

を丸写ししました。
転用が禁じられてない企業広報だけの丸写しにすればよかったのに…つい…

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呂布 − 三国志演義随一の強将、果たしてその実体は?

c9ea7101.jpgご存知、三国志はあの呂布を俎上にあげよう。
副題にしたように、彼を三国志演義中最強の武将と押す向きも多いのではなかろうか?
兎も角よく殺した。裏切り、そして殺す…
呂布に関する記載はこればかりと言っても過言ではなかろう。
殺伐とした人物である。

ただ、彼のためには若干の弁護をしておかなければならないだろう。
それは遊牧民族の出身であること。
利のみにより行動することを余儀なくされる彼らの行動は、定住民族の価値観から測れば義理人情に欠けるということになってしまう。
呂布の常習殺人も、そこを考慮して割り引かねばならぬ。

さて、このような強将であるゆえ、漫画等では使ったCGのごとき豪傑面に描かれることが多い。
ところが、それは大間違いのようである。
なんと、彼は白面だったという。
宦官でもない限り、男という男は髭を蓄えるのが通例だったこの時代おいては珍しいことだ。
更に意外なのは、中性的な美形であったということ。
種々の文献から呂布の容貌を想像するに、既出の織田信長のような面持ちが浮かんでくる。

そして、相貌から類推される殺人パターンも、この二人はよく似ている。
「泣いて馬謖を斬る」で表される男性のそれとは正反対、或いはあっけらかんと或いはためらいもなく殺す…
非常に女性の性格的パターンだ。

と、ここまで書いたところで、論者の大胆仮説を提出してみよう。
呂布女人説だ。
性同一性障害の傾向とまで論じた信長にすら、嫡男信忠はじめ子達がいた。
だが呂布の世継ぎめいた子の話は殆ど見ない。(わずかに娘を背負っての記載を演義に見る程度)
男性性にしてみれば、殺することと淫することは同値。にもかかわらず呂布に関しては女色に興じたという匂いの片鱗すらもないのだ。
同じ日本の戦国大名に類似を見出せば、この点に関しては上杉謙信に模せられよう。
周知のとおり、謙信女人説はそれなりに有名だ。種を明かせば、そこからの連想なのであるが。

と付け加えてもなおかつ、女人説など荒唐無稽と笑い飛ばす向きが大半であろう。
だが、考えられたい。呂布というのは卑弥呼よりも前の人なのである。
どれだけの確証ある記録が残っていようか? 正史といったところでたかが知れている。

さらに三国志人物評の主たる拠所となる演義は創作物なのである。
数ある演義系の読み物の中に、呂布を女として描いたものが出てきても、それはそれでいいのではないか?
そういえば、アニメ版横山三国志では魏将・于禁が女性であった。

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寒山 (中国・唐) − 後世 ヒッピーの神様となった奇行の禅僧

49819fd5.jpg論者の別ブログでも話題にしたことが寒山である。

 時人見寒山,各謂是風顛。貌不起人目,身唯布裘纏。
 我語他不會,他語我不言。為報往來者,可來向寒山。

詩人としても名高い彼の代表作の一節だ。
要するに、ボロを纏った風顛 (ふうてん) だと笑う世間の人々を逆にこちらが笑っているということである。

隠者は静者ではない。それどころかむしろ強烈な精神パワーの持ち主だ。
その昇華しきれない精神エネルギーは、例えば行動になり、例えば衣服や身なりに転嫁された形で現れる。
つまりは、世間一般とは異なるファッションをしたがるということ、古今東西共通の公理である。
それが証拠に副題のごとく寒山はヒッピーの神様となった。

と、この稿で論じようとしているのはBDSMのBDなのだ。
随分と久々なのであるが。
過去稿・ブルマーで紹介したように、BDとはボンデージの略、女S男MのSMプレーでお馴染みの、あの女王様ルックである。
逆趣向のプレーでは、責め手男性には衣装の指定はない。
だからこそ、BDSMという独立用語があるくらいなのだが、さて。
もはや制服といってもいいくらいお馴染みのあれである。
さりとて。
街中あの格好で歩いている女性というのも余り目にしない。
あんな格好で歩いたら、それこそ「時ニ人ハ彼ノ女ヲ見テ」になってしまうだろう。

もうここまで書けば論者の言いたいことはお分かりのことと思料する。
なんだかんだと言っても未だ、女性サディストというものは世間の価値観とは逆行する隠者の類なのである。

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証城寺の萩は

萩さて何時もの如く投稿日付を無視したところで本日、また一件ブックマークを加えてみました。
まあ、再三話題にしてることがその中にも書いてありますよねえ。
そうなんですよ。月数とその月のテーマ植物が必ずしも一致しないのが花札なんです。

例えばこの月、萩も、どう考えても7月では早すぎますよねえ。

  証 証 証城寺
  証城寺の萩は
  ツ ツ 月夜に花盛
  己等は浮かれて
  ぽんぽこぽんのぽん

かの有名な野口雨情・『証城寺の狸囃子』にも歌われてます。
ところで、この証城寺ってのは、僕の家の…
あばばば! 余分なことを口走らないうちに話題を振りましょう。

朔の話の繰り返しですが、やはり萩の見ごろは月見の季節と重なります。
そういった意味でも7月は『月ミスマッチの月』でして。
そして、証城寺に限らず月見の場所はお寺さんの庭がベストと相場が決まってるようです。

  三井寺の 門たたかばや けふの月 (芭蕉)

雑談集(ゾウダンシュウ)に出典する名月の句です。

今宵、琵琶湖のほとりで眺める名月は、ことさら趣深い。自分もこれから三井寺に出かけ、故人の詩にあるように、「月下の門」をたたいて風雅にうち興じたいものだ。
という意味になりましょうか。
「推敲」の語源になつた賈島(カトウ)の詩ですね、「李疑ノ幽居ニ題ス」中の「僧ハ敲(タタ)ク月下ノ門」の句をふまえ、この詩句を引く謡曲『融(トオル)』の世界が念頭にあったという解説を見ました。

そして、詠まれた場所は大津の義仲寺。
例の木曽義仲ゆかりの寺、このCGなんですけどね。
なーんでバナナの木が!?

どうやら、三井寺の名物は残念ながら萩ではなかったようです。
何をばなな…

と、この壁紙CG付「ツマンネエ」言い回し、



カレンダー壁紙つき

を丸写ししました。

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鳳皇桐の光なり

12月改めまして花札は12月のテーマ植物は桐。
でも桐は、花は夏で実は秋なんですよねえ。
念には及ばぬと思いますが、辞書の記載を書き記しておきましょう。

きり【×桐】

「籠を出る鳳皇桐の光なり」〈柳多留・七一〉

1 ゴマノハグサ科の落葉高木。高さ約一〇メートル。樹皮は灰白色。葉は大形の広卵形で長い柄をもち、対生。五月ごろ、紫色の鐘状の花が円錐状に集まって咲く。実は熟すと殻が裂け、翼をもった種子が出る。材は白く、軽くて狂いが少なく、げた・たんすなどに重用。中国の原産。しろぎり。《季 花=夏 実=秋》

やはり高級材であるとのことです。
ふふーん、ここで我が家の家宝自慢といきましょう。

花札と並ぶ日本カルタといえば、百人一首ですよね。
実は我が家には、明治30年製造のカルタ札があります。
すごいですよ。
象牙の取っ手がついた桐箱入り。
かなり使い込んでいるのに塗りが全く剥げてないのには驚かされます。
100年以上経ってるというのに。
そして何よりも驚かされるのは、歌が今売っているカルタ札と全く変わってないこと。
………
だって言うじゃない? 「歌は世につれ世は歌につれ」って、

と、この言い回し、



『 智ではじめ 徳でおさめる 小倉山 』

を丸写ししました。

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性同一性障害の対処方法に疑義あり

過去にも数回トピックスにした性同一性障害についてだ。
「心の性と身体の性が食い違った状態」であるか?
昨今、当人の認識性で扱おうという機運急である。
とうとう小学生にまで…

専門家がそれがよいとしているのであるのだから、口を挟む余地もないのかもしれない。
が、岡目八目ということもあろう。論者なりの考えを述べたい。
結論的には副題にしたとおりである。

人には全て個性がある。現行社会に受け入れられる個性もあり、受け入れられないそれもあり。
そして人は、受け入れられない個性を押し殺すことにより社会に適応する。
そう、数万人に一人の性格因子を持っているのは何も性同一性障害者だけではない。貴方も私も万人がそうなのである。
ましてや、性同一性障害は精神疾患だという。
ならば、尚のことぎりぎり最後まで、その克服に努めるべきではないだろうか?

例えば浪費癖。
これの対処法は、心がままに散財させることなのか?
例えば殺人淫楽。
これの対処法は、心がままに人殺しを重ねさせることなのか?

極論すればかくの如しだ。
正直に言ってしまえば、当人の認識性でと言っている専門家たちのことが、どうも信用できないのである。
SMは普通のものだといっている面々と同じ匂いが感じられて。

性同一性障害者の大半が『その関係の職業』についているのも気に掛かるところだ。


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江島 (えじま) − 江戸時代の大疑獄事件、主役である大奥女中

3a9c71c0.jpg江島生島事件は18世紀前半、彼女と歌舞伎役者生島新五郎の起こしたスキャンダル事件である。
最終的には処罰者1300名余となるこの大事件も発端は他愛がない。
山村座・生島新五郎の芝居を観た江島が、宴会に饗ずるあまり大奥の門限に遅れてしまったというだけのことである。

さて、本ブログとすれば、この江島の行動裏に買春の心理、(下世話な書き方で恐縮だが)男買いの願望が働いていたかどうかを検討すべきであろう。
結論、定かではない。いや、無責任で申し訳ない。
が、ここで言えることは、その種の心裏がけしからんという理由で、かくも大勢の人間が連座処罰されたということである。
そして風紀粛清をなし得た江戸幕府は、八代吉宗の時代へと突入するのである。

ときに。
「貴男の性欲買います」
このキャッチフレーズの付いたエロ広告を目にすることがとみに多くなったと感じないだろうか?
いやいや、飛躍しすぎだ。現代日本におけるネット事情である。
論者が、これに対してどのような感を持っているかは言うに及ばぬであろうから割愛する。
ただ一言だけ、「こんなものに首を突っ込んだ貴女若しくは貴男は、『現代の江島生島』にされかねませんよ」とのみ書き記そう。
もう、とうの昔に風紀粛正の時期を迎えているネット事情だ。

それと今一件である。
この江島生島事件はもう十年ほど前の国営放送大河ドラマにも登場した。
江島を演じたのは、あべ静江。
裁きの場面である。
黄八丈を着て島流しにされる覚悟を示した、あべ江島はこう開き直る。

「最初から(適応される)罪(名)が決まっていて…」

そうなのである。当時の話題を独占していたオウム事件。
上祐史浩広報の「…だから私、あんまりぐちゃぐちゃ言いたくない。バカらしいですよ、こんなの!」をそっくりそのまま言わせたのである。
当時『悪』以外の評価が認められなかったあの台詞、大流行したのに流行語とすることさえも『禁じられた』あの名言を。

テレビの前で笑い転げた思い出が鮮明な論者である。

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心の問題

 マゾヒズムには大まかに言って、自己に向けられる「被虐願望」と、他者に向けられる「崇拝願望」の2種類があり、それらが微妙にミックスしたかたちで現れる場合が多いようです。一番典型的な例が、崇拝する女性から虐められたいというもの。好きでもない女性から虐められたいとは普通は思わないでしょうが、マゾヒズムには屈折したかたちでいろいろなパターンがあるようで、一概にはなんとも言えない世界。
 
 似たようなことがフェティシズムに言えて、例えば靴やストッキングを履いているのが誰かという問題を越えて、靴そのものに愛着を持ってしまう場合もある。全ては本人の心の問題であり、その本人ですらきちんと理解しているとは限らない。なんでかわからないけど、こだわってしまう。そうした、他の人にとっては意味不明なこだわりを、理解できないまでも、認めるというか、尊重する態度は大切なことだと考えます。


 最近誰かさんが「心の問題」とかいうようなことをおっしゃっておりました。

それはご自分の心の問題だったような印象でしたが、個々の人々、つまり相手方の心の問題にも触れて欲しかったように思います。
 
 対象がなんであれ、レスペクトする気持ちは尊い。例え邪悪なものに対しての忠誠や尊敬の念でも、本人にとっては純粋で不可侵な心の問題と言える。

 ただそれが、周囲に与える影響によって、社会的な判断は分かれるでしょう。自己のこだわりを尊重するのと同じぐらいのレベルで、他者のこだわりや心の問題を意識することが、この複雑な現代社会を賢く生き抜いていく知恵のような気がします。


煙くらべ

3月続けましてもう一稿、中国では春霞を意味する煙にまつわる春三月の話題を。

日本においては煙というのは一時、忌み言葉となっていました。
ひとつには、源氏物語の柏木。
火葬の煙を連想させるから、あたりですか。

そして、また別の理由は、周防内侍の、

  恋ひわびて ながむる空の 浮雲や わが下もえの けぶりなるらむ

ここらあたりでしょうかねえ。
とまあ、ここらを踏まえて、百人一首選者・藤原定家の逸話です。
その業績からして、温厚な貴公子をイメージする方も多いのではないでしょうか?
ところがどうして、この人はなかなかの暴れ者、『狂乱の貴公子! リック・フレアー 』だったそうですよ。
若いころの暴力事件、さらに、ぐっと晩年の承久二年(一二二〇)二月十三日の内裏での二首歌会です。

ちょうど新暦で言えば三月ですよ。歌会にはもってこいの時期です。
ところが、かねて後鳥羽上皇の専横ぷりを不満に思っていた定家は、まず一首目『春山月』と題し、

  さやかにも 見るべき山は 霞みつつ わが身のほかも 春の夜の月

と、招聘されたことに対する不満を当てこすりにこめました。
そして、二首目が『野外柳』、
  
  道のべの 野原の柳 下もえぬ あはれなげきの 煙くらべに

上でいったように、「下もえぬ」「煙くらべ」は当時の宮中では不吉な言葉として禁句・NGワードになってました。
それを両方入れて、秀歌にするとは!

果たして、上皇はぶちきれ定家を勅勘(上皇が臣下を勘当すること)してしまいます。
以上、歌詠みが必ずしも文弱の徒という訳ではないという事例でした。

と、この言い回し、



「煙くらべ」がなんで縁起が悪いか
潜入観念で評価しちゃダメ

を巧みにちらばらせて丸写ししました。

………
………


わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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煙花三月

手書き桜春三月は花の季節、そして花札の季節でもあります。
そうでしょう?
日本において単に花といった場合は桜の花のことを言う、前に書きました。

お隣は中国においても三月は花の季節です。
残念ながらソメイヨシノというわけではないでしょうが、まあ、見てみましょう。
李白の有名な七言絶句です。


  黄鶴樓に孟浩然の廣陵に之(ゆ)くを送る

 故人 西のかた  黄鶴樓を 辭し,
 煙花 三月  揚州に 下る。
 孤帆の 遠影  碧空に 盡き,
 惟(た)だ見る 長江の  天際に流るるを。

煙花三月、出てきますよねえ。
ここで言うところの煙花とは、「カスミと花」ということで、つまりは春景色のことのようです。
いいですよねえ、響きとすれば。
我彼の煙観の相違といったところですか? お隣の国では煙というのは爛漫の雰囲気があるようです。

わが国だと、むしろ反対の感じにもなりますか?

   我が胸の 燃ゆる想いに 比ぶれば 煙は薄し 桜島山

我が同門、某W大の皆様、おまたせしました。
第二校歌の人生劇場ですよ〜。
5番まであって、4番と5番の間にこの歌の朗詠が入るんですよね?
手元の古い宴会ソング集によればそうです。

-----------------------------------------------------

人生劇場 早稲田大学第二校歌

 ”ああ歓楽は女の生命虚栄は女の身上であります。わずか七日ばかりの享楽を得んがために哀れ儚なくも美しき乙女の貞操は花と散ったのであります。覆水盆に帰らずのたとえあるが如く 親をいつわりし罪いと深きかな 哀れメリーさんよ チンタッタチンタッタ”

一.やると思えば どこまでやるさ
  それが男の 魂じゃないか
  義理がすたれば この世は闇だ 
  なまじ止めるな 夜の雨
  
 ”ああ 縁なす緑 緑また緑の その中に まことなる乙女の姿 その時 夏村大三はつぷやいた”

二、あんな女に 未練はないが
  何故か涙が 流れてならぬ
  男心は 男でなけりゃ
  わかるものかと あきらめた
  
 ”時は大正の末年 夕暮の日 いとさびしき所は 三州横須賀村 印ばんてんにもじりの外套を わらじに乗せたる 身もいと軽く帰り来りしは 音にも聞えし 吉良常なり”

三.時や時節が  かわろとままよ
  吉良の仁吉は 男じゃないか
  俺も生きたや 仁吉のように
  義理と人情の この世界

 ”ああ 夢の世や夢の世や 今は三歳のその昔 いとなつかしき父母や 春は花咲き夏茂り 冬は雪降る故郷の 生れは正しき郷士にて 一人男子と生れたる 宿世の運命の哀れなるかな 浮き立つ夢にさそわれて 一人旅立つ東京の 学ぴの庭は 早稲田なり”

四.はした役者の 俺ではあるが
  早稲田に学んで 浪風受けて
  行くぞ男の この花道を
  人生劇場 いざ序幕

 ”おきゃん おいどんの心がわかるか 我が胸の 燃ゆる想いに 比ぶれば 煙はうすし 桜島山”

五.早稲田なりゃこそ 一目でわかる
  つらい浮世を 笑って過ごす
  馬鹿な奴だと 笑わば笑え
  他人にやわからぬ 心意気

-----------------------------------------------------

ちなみに、この歌の作者=西郷隆盛 説は間違いです。


と、この言い回し、



わーかー〜る〜 ものかーと〜 あきらーめー〜た〜

を丸写ししました。

………
………


わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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ジョゼフ・ギヨタン − 断頭台の発案者であるフランス内科医

3e153d08.jpg余談である。
前稿・メアリー1世の副題をうっかり「断頭台に送った」としそうになってしまった。
それはありえない。
なんとなれば、地球上で初めてギロチンが正式使用されたのは、1792年4月25日。
彼女がこの世にあったのは、1516年2月18日 - 1558年11月17日なのだから。
徒然草にある『小野道風の書ける和漢朗詠集』の口だ。
もっとも、この手の誤りは存外にあるようなのである。
例えば、某国の切手で正式採用されていた図柄、船上より望遠鏡で新大陸を望むコロンブスの図。
そう。望遠鏡が発明されたのは、コロンブスが死したる後なのである。

前置きが長くなった。
ギヨタン、それが訛り訛ってギロチンとなるのであるが、彼が断頭台を発案者したのは受刑者に無駄な苦痛を与えず処刑するがための目的からであった。
折りしも折、仏革命のために需要はあった。そして欧州に広まりやがては他地域でも用いられることになる断頭台なのである。
割と有名な話であるのでご存知の向きも多かろう。

ここでの着目点は、今日我々がギロチンに対し抱くであろうイメージとの落差である。
こんな残酷なものが、罪人に対する慈愛のために考案されたものであったとは!
如何に中世ヨーロッパの刑罰が残酷なものであったかか推し量られる。
幼いがゆえの残酷さ、で既に論じた。

ここでもう一つ思い出すのが、かのアリスである。
「首をちょんぎっておしまい!」の女王様が登場するではないか。
かの時かの土地に於いては、首を切りたがるのは女王様、おろおろして止めようとするのが王様の意識パターンが出来あがっていたようである。

民話伝承の産み手たる民草の意識下には、過去稿で論じてきた首切り女王様たちのイメージがあったであろうことは想像に難くない。

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鹿が下る坂ならば

花札 紅葉10点札には原則動物が描かれている、ということで10月紅葉のタネ札には鹿が配置されてます。

     おく山に 紅葉ふみ分け なく鹿の こゑ聞くときぞ 秋はかなしき

百人一首の猿丸大夫の歌を髣髴させる、と朔の記事にしました。

小倉山百人一首には他にも、鹿の歌がありますよねえ。


8 我庵は 都のたつみ しかぞすむ 世を宇治山と 人はいふなり

83 世中よ 道こそなけれ おもひいる 山のおくにも 鹿ぞなくなる 

いずれも奥山ですか。そうですよねえ。
義経記のクライマックスの1つ、「鹿が下る坂ならば…」なんてのからしても、鹿の居住地は山奥と相場が決まってます。

えーっと。
鹿が下る坂ならば、馬も… でしたよねえ、続きは。
ところが、現実はさにあらずのようです。

大概の4つ足動物は、坂を上ることは出来ても下ることは出来ないのです。
ほら、前につんのめってしまいますから。

ヤギになんてのは、数少ない例外ですよねえ。
頭が小さい上に、比較的バック目についている。

そして、一部鹿類です。
大きな角があるので、首を前後することで重心をとることが出来る。
「アルプスの少女ハイジ」に出てきた「大角のダンナ」あたりですね。

と、この言い回し、



今日で7月上旬も終わりですゾ スポンサーさん 79日目

を丸写ししました。

…「現実はさにあらずのようです。」
なーて、気取らずに、
「そんなウマシカな!」
とストレートに書いたほうがよかったです…な…

………
………


わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
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    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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メアリー1世 − 300余のプロテスタント指導者を処刑した『血塗れの女王』

46b5e7d3.jpgご存知、Bloody Mary の登場である。
16世紀の史実は、カクテル名として21世紀の現在までその名を伝える。

彼女の大量殺人の心裏は?
今迄の人殺し女王様たちと同様、可能性としては2通りが考えられよう。

ひとつは、地位保全がためにという可能性である。
宗教という麻薬の力を借りてというのが特記事項か?
実際メアリーは熱心なカトリック信者であるし。

ただ、カトリック信者であったことを突きつめてゆくと。
彼女は父王の宗教改革を覆しカトリック復帰を徹底したのである。父に対する反発…
実際メアリーは望まれない子であった。一時王女として身分を剥奪されるなどの辛酸も舐めている。
ここで、今ひとつの可能性に行き着く。

サディズムからの流血… 女性にありがちな反撃的・復讐的な加虐である。
この仮説が正解だとして論を進めれば、(広義)殺人淫楽に該当するも、殺人淫楽(狭義)や屍体加虐のファクターはない。
淫楽殺人、「異性(或いは同性も)を殺すことだけによって性快感を得るもの」の典型例であろう。

種を明かせば、前々稿・殺人とサディズムは、メアリー1世を論じたいがための前振りであった。

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言葉で飾るな 言の葉に心を乗せろ

nintendoさて、各月に散らして花札占いの話をしてきました。
今日はそのまとめということで、占いの心得としゃれ込みましょう。

一般の占いでも、筮竹に召し使われている間は、大易者にはなれません。
花札占いもこれと全く同じで、札の言葉の真髄をよく呑み込み、的確に判断ができるかが占いの分岐となります。
占う人と占われる人との間が、花札を整理しその言葉を聞いているうちに、一本の糸で結ばれたとき、占いは成功するのです。

うーん、詩歌の心に通じますねえ。
言葉を飾っているうちは決して人のこころを打つことなど適いません。
万葉集は東歌でこんなのがあるんですよ。

  筑波峯の さ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹ぞ 晝も愛しけ

うわっ! なんて露骨! 教育上よくない、18禁だ、18禁だ!
ってことになりますか?
あんまりそんな話は聞きませんよね。

ここで持ち出したいのが、有名な万葉学者である犬養先生が生前よくおっしゃってた
「エログロナンセンスというけど、エロはグロではない、芸術だ、表現の仕方が悪いからグロになってしまうのだ」
です。

件の筑波峯の歌は、田舎言葉丸出しで妻に対する性愛の情を直接的に出してます。
その素直な気持ちが、時間を超え、空間を越えて他人に共感を覚えさしむのでしょう。
いかがですか?
少なくても、エロ = 低俗ということなら、今日こんなものが省みられることはありえませんよね。

と、この言い回し、



本blogは決っしてノンアダルトではありません

を丸写ししました。

………
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ダイエットすべきか?

物騒な論題は小休止することとして別トピックスを挟もう。
いや、論者の体重のことなのだが、とうとう六の大台に乗せてしまった。
別プログで盛んに言い訳したことであるのでここではせぬ。身長が極々平均値であることを鑑みれば、『然るべき称号』を付されても仕方あるまい。
とは言いつつも、さしたるショックも感じてないのだが。

世の女性の痩身願望たるや凄まじいものなのであるが、どうも危機感が薄い論者のようだ。
女性心理の欠如? いやいや、周りの同類同年代も似たり寄ったりである。
年齢ということを考えれば、論者もこれから痩身願望に目覚めるのかもしれない。

して、この痩身願望である。
今の論者に言わせれば、(女性の本来の性向である)マゾ心理に基づく自虐にも思えるのだが。
事実ダイエットで身体を壊す女性は後を絶たない。
とは言うものの、肥満もまた立派な疾病である。実害が出るようになれば、好むと好まざるに拘らず論者もダイエットに取り組む。
米国の価値観、肥満者とは自制の効かない人間ととられるのも癪なことだし。

さてさて、このように男性に美しく見られたいがために痩身に夢中になる女性陣なのであるが、当の男性はどう感じているか?
どうも、その逆という統計が多いようだ。
特にファトフェチシストに限った話でもない。知る得る限りの情報では、「丸みを帯びた女性らしい体型が好き」という回答が圧倒的なようである。

男性に好かれようとダイエットするのは逆効果?
これも興味深い。
述べてきたように、原則性愛に関しては男性がアクションを起こす側に回る。
男性が女性を追いかける、女性が男性から追いかけれらるという鬼ごっこである。
(女性が男性を追いかけていると信じている)ダイエットという行動は、実はむしろ男性から遠ざかっているということだったのである。
そうなると、男性はますます夢中になって追いかける…

性愛心理というものは、なんと、よくできたものであることか!


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不揃いの美学、花札

文月
この月の話題に相応しいかは不明ですが、7/7は五節句の一つ七夕ですね。
残念ながら、花札にはその痕跡もありません。
強いて言うならば、前に話した隠しテーマ・風が微かに掠る程度でしょうか?

日月星辰というくらいですから、星祭が入っていてもいいんですがねえ。
ここらもやはり花札と言うものが、室町に宣教師の持ち込んだトランプの代用品として古来よりあった『花鳥あわせ』をベースに試行錯誤的に作られていたものであるがためでしょう。
花札と言うのは本当に不揃いなカルタです。
そこらがまた楽しいところなんですけど。

さて、七夕。
花札にはいってないというものの、日本でもかなり昔から行われていたイベントのようですよ。
万葉集にも出てきます。

天地の 初めの時ゆ 天漢(あまのかわ) い向ひ居りて 一年に 二度会はぬ 妻恋に もの思う人 天漢 安の川原の あり通ふ 出での渡に そほ船の艫にも 舳(へ)にも 船(ふな)装ひ 真楫繁貫(まかりしじぬ)き はたすすき 本葉(もとは)もよそに 秋風の 吹き来る 宵に 天の川白波しのぎ 落ち激(たぎ)つ 早瀬渡りて 若草の 妻が手枕くと 大船の 思ひ頼みて 漕ぎ来らむ その夫(つま)の子が あらたまの 年の緒長く思い来し 恋を尽さむ 七月(ふみづき)の 七日(なぬか)の宵は われも悲しも

反 歌

高麗錦(こまにしき)紐解き交(かわ)し 天人(あめひと)の妻問ふ宵ぞ われも偲はむ 彦星の川瀬を渡るさ小船(おふね)のえ行きて泊てむ川津し思ほゆ

中国の七夕伝説では、七月七日の夜、牽牛と織女とを逢わせるために、鵲が翼を並べて天の川に橋を架け、それを織女が車で渡って牽牛のもとに赴くという話になっています。ところが『万葉集』の七夕歌では、天の川を渡るのは大部分が織女ではなく牽牛であり、織女が牽牛のもとに赴くとするのは、七夕歌130余首のうちのわずか2首に過ぎません。これは、当時のわが国の妻問い婚の風習に合わせて中国の伝説を改変したからであると考えられます。また、『万葉集』には鵲も一切登場しません。牽牛が織女のもとに赴く歌の場合は、牽牛は多くは船を用い、時には徒歩で天の川を渡っています。ただし、『懐風藻』には、織女が鵲の橋を渡ることがよまれていて、『万葉集』とは顕著な対称を見せています。これは『懐風藻』が漢詩の影響を強く受けていることに由来すると考えられます。和文脈の作品に鵲の橋が登場するのは『拾遺集』あたりからです。

と、どこぞからコピペして、そして、

七夕まつりと言えば、平塚のものが有名、本日の各稿を書く上で同市のHPを大いに参考にしたことを申し上げておきましょう。
それによりますと、「懐風藻」 の七夕詩には「仙車鵲の橋を渡り、神駕清き流れを越ゆ」とある、と記されています。

「懐風藻」。日本最古の漢詩集ですね。
万葉集(759)よりも成立が早い(751)のは意外です。

と、この言い回し、



また通い婚の話ができるなあ

を丸写ししました。
だって元々が殆どコピペ…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

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もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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殺人とサディズム

さて、殺人淫楽と一口に括ってきた本ブログである。

が、どうも分析学上は、ある程度分類して考察すべきとのことだ。
「正常は異常、 異常は正常」の高橋鐵氏はこれを、

1.淫楽殺人
2.殺人淫楽
3.屍姦
4.屍体愛好
 ・屍体加虐
 ・屍体崇拝
 ・食人症
 ・吸血症

このように細分している。
従って、前稿までの記述に違和感ある向きは適宜読み替えられたい。

1.と2.の違いは何か?
淫楽殺人とは、別名殺人淫乱症とも呼ばれ、「異性(或いは同性も)を殺すことだけによって性快感を得るもの」
殺人淫楽(狭義)とは、「殺害してまでも淫楽を遂げる凶行」
とのことである。

論者あたりは、後者をサディズムと括ることにはやや違和感があるのだが、それはそうなんだろう。
更に面白いのが、3.や4.も広義殺人淫楽に含めていることである。
昨日投稿・会田美喜の屍体加虐あたりもここに含まれている。

ここで留意しなければならないのは氏の分類は、
「これらの行為は互いに重複している場合が多いので画然と区分することは難しいのであるが、主要な目的がどこにあるかによって…」
と断り書きをいれての上であることであろう。

そうである。
ここらに書かれたものそのものの行為や実施者というものが存在する訳ではないのである。
あくまでも、抽出分類だ。
例に出したついでに言えば、会田の(広義)殺人淫楽は偶々屍体加虐 一点のみが表に出ていただけに過ぎない。

で、本稿の結論とすれば、やはり次のようになってしまうか?
SMという言葉を多様し啓蒙し、それをもってプロパガンダを掛けている事業者諸氏よ!
貴方がたが商売のタネにしているものは、かくも殺伐としたものなのである…

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会田美喜 − 交際相手の男性を殺し首を切断

2af4f036.JPG時というものは悠久に流れ、歴史を象っていく。
ある史実のその時間的場に立ち会わすことができたならば、それは行幸だ。

ということで、開設以来もっとも近しき過去に起こった史実である。
時は西暦2006年4月30日、本稿の主役・会田美喜は交際相手である男性を刺殺した。
そして数日後というから、今月に入ってからである。殺害現場に戻って、遺体の首を切断したというのだ。
このように近過去の歴史ゆえ、論ずるに際して先ずは、被害者に哀悼の意を捧げ冥福を祈りたい。

不謹慎ながら、ついに女性が男性をバラバラ殺人するという事例に遭遇できたかとの感だ。
女性が男性に向けた強烈なサディズム…

江田文子の稿で論じたとおり、罪証隠滅目的でバラバラに、などいうのは全くの自己矛盾。
心裏にある屍体加虐の願望からである。
サロメの稿で提起しNEVADAを論題に請けたように、女性が首を欲すると言うのは去勢コンプレックスから。
将に後世の教科書題材となりそうな、件の事例である。

かつては、女性が加害者たる殺人事件は男性共犯者(或いは真犯人)がいないか当たり直すのが刑事捜査の定石だったと言う。
理由はといえば、女性の力で人一人殺すのは困難なことであるから。ましてや死体をバラバラに切断するのは…
実際、屍体加虐の事例として分析学の本に出ているのは男性犯のそればかりである。

男女同権の思想は、両性の同質化につながりつつあるということか?


  注* 下記は転載に際して追加しました。原文にはありません。

 その1         その2         その3 



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昨今Blog業界の有様に異議あり

先ず断っておかなければならぬのは、日頃より繰り返している「論者はネット人格である」ということだろう。
誤解ないように願いたいが、架空人格であると言っているのではない。
そうであろう? 現にこうして投稿をしているのであるから、れっきとした実人格の裏づけがあるのである。
その実人格を前面に出したくないと言っているのだ。

そもそも、如何なる方法で実人格を前面に出そうというのか?
ハンドルしか名乗らないのがネットの慣例である。
それ故に、相手の年齢・性別・人種・国籍その他一切の個人属性は、煎ずれば知りえないのだ。
その一切を知りえない相手と、どこのどなたとも判らないままに情報交換できるのがネットの利点ではないか?
論者はそう考える、素顔を晒すなど真っ平だ。
これもまた責任逃れをしたいがためではない。
素顔を晒したらば得られるであろう特典の一切を放棄していることで、十分に責任を取っているであろうが。応能負担、費用収益対応の原則…
フェアなはずだ。

このところのBlogは、とみにソーシャルネットワークサービスの方向に傾斜しつつある。
論者はこのSNSというのがどうもよく分からぬ。
不特定多数の目に付くネットという場所に登場しておいて、何ゆえに同一地区・同一趣向等々近しき属性の相手を選って接触しようというのか?
効率の悪い取引である。不特定多数相手分だけ原価を払っておいて、利益は限定多数からしか得ようとせぬのだから。
なによりもつまらないと思うのは所謂リアルで会うことを目的にネット活動すること、出会い系というやつである。
それならば、初手から実名で行動を起こせばよいものを。手続きを踏む段だけの手間隙がもったいない。リスクも大きいし。
対人コミュニケーションなどというのは対面でするに限る。少なくても論者はそうする。
言わせれぱ、ネットコミュニケーションなどというのはマスのコミュニケーションだ。
いずれにせよ、素顔を晒すなどという行為は論者にとっては愚の骨頂なのである。

まあ、ここらはひとそれぞれの事情、経済学の用語を使って言えばインディヴィジュアルプレファランスに拠るところなのだが。(酒1瓶とマンハッタン島を交換したネイディヴアメリカン)
価値観を押し付けられることを余儀なくされるとなると…
で、最近よく目にするスパムという言葉である。

「(スパム、スパムって騒いでるけど、つまるところ)スパムってなんなのさ?」
皮肉を込めて、掲示板サイトに書き込んでみた。
大真面目な即レスが返って来た。とはいってもそこらにある説明の丸写しだが。

スパム 【SPAM】別名 : ジャンクメール, junk mail, バルクメール, bulk mail

 公開されているWebサイトなどから手に入れたe-mailアドレスに向けて、営利目的のメールを無差別に大量配信すること。インターネットを利用したダイレクトメール。

メールに関する記載は、まだいい。
何とならば「営利目的」という言葉が入っているがために、普遍的・客観的な説明がされているから。
『悪』と決め付けるも苦しかるまい。

では、Blogにおけるスパムコメント・スパムトラックバックとは?
ここらになると非常に怪しい。大概は「記事に関係がない」という記述で逃げてしまってるのが現状だ。
つまるところ、そこが限界ということであろう。
関係のあるなしは誰が決めるのか? 普遍的な尺度があるというのか?
結局は個々人の主観に拠るしかないであろう。
ここで話がつながる。価値観の押し付けに他ならないのである。

Blog運営会社の価値観や都合を押し付けられるのは我慢ならぬことだ。
ひどい例と思うところを実名を挙げて言う。
特定の発信元からの発信を一方的に止めたと堂々宣言する、忍者ブログ。
既に発信済みのものをスパムという名の下に勝手に削除してしまった、DTIブログ。
文書検閲ではないか!?
暗黒警察さながらの暴挙と名指しで非難したい。

何よりも業腹なのは、スパムという絶対悪をこしらえて、それに当てはめようと画策していることである。
この際であるから、その先棒を担ぐ連中にも拳をむけよう。

この面々にしてみれば、この種のBlog運営会社の行動はむしろ正義なのだ。敢て断るまでもなく。
それどころか、色々と注文をつける。禁止ワードを増やせの、ホスト情報を表示する仕様にせよと。
つまりは、自分の得たい反響だけが返ってくる環境が理想郷、自動的に理想郷になる環境を整えてくれるところがいい会社なのである。

今でこそコメント類の一切を辞退している論者であるが、かつては精力的に集めていた。
その際においては、広く声を集めたいということで別掲示板を用意してそこでやっていた。
いや、実はこの掲示板の管理こそが、論者が鼻にかけていることなのだが。
我ながら、よくあんなにもうまく出来たものよと感嘆している。
その際腐心したのが、論者主催の別サイト礼賛一色にならないように誘導することであった。

不特定多数に対し情報を発信している以上、反響も不特定多数から返ってくる。
自分にとって都合のいい反響もあれば、都合の悪い反響もあるのだ。
都合のいいものだけ拠って集めようとするのは、虫が良すぎる。
あまつさえ、Blogとはそんなものよ、「空気を読む」なる行動をして都合のいい反響だけを返すのがネットマナーよ、などと本気で言っている連中も少なくないとは!

最初から都合のよい反響だけが返ってくるように仕向けるなど論者の考え及ぶところではない。
イカサマ博打に勝ったことを手放しで悦べるほど無邪気ではない。
念のために断るが、「イカサマなしの博打で勝つ」ことを目的にしている訳でもない。
どこのどなたとも判らぬ方から、「素顔を晒してない私」を礼賛されても、それは詮無きことである。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


降り残してや

米あやめ花札菖蒲の月は、風薫る五月。
また旧暦で考えれば、梅雨時に当たります。

言いましたように、5月のタネ札は花札48枚中唯一の水の光景ですよねえ。
そして、よく使われる夏の季語『五月雨』。

  五月雨の 降り残してや 光堂

投稿日付に拘らず、前にお話しました松尾芭蕉の句です。
僕個人的には、この句が好きなんですけど、まあやはり芭蕉の五月雨の句と言えば、これになってしまいますよねえ。

  五月雨を 集めて早(疾)し 最上川

奥の細道・最上川。こう、なんか、

  ええや えんやえ〜 えんや え〜と
  よいさのまかせ えんやら まかせ

の掛け声が聞こえてきそうです。
さて、この最上川なんですけど、あの唄は、ロシア民謡のヴォルガの舟歌の影響を受けてるんですって。どっかの音楽番組で耳にしたことがあります。

うーん、どうなんでしょう?
ヴォルガの舟歌に似てる日本民謡といえば、むしろ貝殻節のような気がするんですけど。
地理的にもその方が辻褄があってきますし。
と、この言い回し、



あ、言いませんでしたけど

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


平清盛 − 加虐的復讐心で付き走った一代の英傑

46f083de.jpg復讐心即不毛なものというわけではなかろう。
それを有効活用して上り詰めた実例がある。
平清盛… 「伊勢のへいじはすがめなりけり」とからかわれた相手を見返してやろうと直走って頂点まで上り詰めたスーパーヒーローである。

さてその彼の性分であるが、多分漏れずサディスティックな部分が多い。
数ある逸話のなかで論者の印象が強いのは、赤子の折母親の乳房に傷を残すほど噛み付いたという記述と、鹿ヶ谷の陰謀発覚の折、首謀者らの顔を土足で踏みねじったというあの逸話だ。
で、論者が思うには、彼のサディズムもまた女性型ではないかと思われるのだ。防衛型・反撃型のそれ。

清盛とよく比較されるのが後世の織田信長だ。
その信長のことを論者は、(心理的には)女性そのものではないのか? と論じた。
確かに清盛は、信長よりも一族のことに腐心した。個ではなく種の防衛に走るのはオスの本能である。

だが、考えられたい。嫡子重盛死後の彼の行動を。
文字通り暴走してしまったではないか。到底平氏末代までの発展を念じての行動ではない。
ひたすら、ひたすら、己ひとりのみの理想のために走った。福原遷都などは宛ら、UFOキャッチャーの前で「あれ取って!」と駄々をこねる我侭娘そのものだ。

古今東西、頂点を極めた人というのは急速に耄碌するものだ。
老人の子供返り、そして本性が現れる。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


茱萸(しゅゆ)に菊酒

菊酒さてさて、花札9月は菊の節句を投稿日付に合わせてみました。
新暦に慣れた僕たちにすれば、まだまだ暑い季節のように感じてしまいますが、旧暦の9/9は、もう10月の半ばですものねえ。そして形式上には晩秋になります。
菊は菊でも、もう残菊の部類かもしれません。
そういえば、花札の図柄も黄色一色の菊ではなく残菊のイメージがあるような。

と、本場の菊の節句を見てみましょう。
唐・王維の七言絶句です。

   九月九日山東の兄弟を憶う

  独り帰郷に在りて異客(いかく)と為り
  佳節(かせつ)に逢う毎(ごと)に倍(ます)ます親(しん)を思う
  遙かに知る 兄弟高きに登る処
  遍(あまね)く茱萸を挿して一人を少(か)くを

本場の重陽節、
日本と同じく中国でも9/9に茱萸を頭に挿したり、菊酒を飲んだりしたようです。
また、一族が集まって高い所に登り宴会する習慣(登高)があったらしく、この詩のテーマにもなってますね。
親(しん)とは身内のこと、 作者十七歳の作です。

と、この言い回し、



しまった! 出し遅れ

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


ネットにおける男性マゾヒストたちは嗜好に偏りがある

予定は未定と言う。
一回きりで終えようとしていた、

  マゾ男性向けSM創作短編集

を本日更新してみた。

ご覧になればお分かりと思うが、繰り返し非現実的事例と論じている女性による汚物責めの記述比率が高い。
ある程度は意図している。
いや、ネットで目にするマゾ男性の心理態度で常日頃より意外に感じていることがひとつあるもので。
それは、かかる記述に嫌悪感を覚える男性諸氏がマゾヒストたる方々にも少なくないことだ。
所謂便器マゾ、汚物フェチシズムに結びついたマゾヒズムは、定番中の定番といってもいいほどポピュラーなものはずなのに… 繰り返すが意外だ。

彼らが(通常の心理態度の持ち主で)無条件に汚物に関する記載を忌むのならば、まだ理解できる。
だが、そうではないのだ。論者が見聞きする限り、男性の汚物に関する記載なら平気な彼らなのである。

何ゆえ、ネットにおける男性マゾヒストの事情はこうなのか?
正直、論者には仮説が浮かばない。
実験と言ったら不遜な言い方であるのだが、それが知りたくての更新である。


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【御転婆天地驚動組合】
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


説教強盗を不能にさせた2女性 − 警視庁磯山課長の談話より

8cb12e6d.jpg大正末期から昭和の初期にかけて、帝都を戦慄させた怪盗がいた。
妻木松吉… 盗みに盗みに入った家の家人にあれこれ説教をしていることから、説教強盗と呼ばれている。

ありがちな話、侵入宅の女性を強姦する。
妻木は、強姦しておけば警察に届けられられないだろうと考えて、と供述している。
明らかにこじつけである。

男性サディズムの一形態に強姦症がある。
まあ、世の中は色々、わざわざ自分の妻を強姦する男もいるくらいであるから、これもまた頻出の事例であろう。
勿論、現行社会制度では犯罪…
この犯罪者の多くは、社会に何の貢献もできず、従って女性からも全くかえりみられない為に、サディスティックな欲望を燃やすものが多い。
『性的飢餓』に破壊的・加虐的復讐心が加わったものだといえよう。
説教強盗・妻木松吉はその典型であるではないか。

で、本稿で論ずる女性である。
妻木はその犯行中、ただの二件だけはどうしても不能だったという。
一度は、「私の裸体をどんなにでも愛撫して、満足をとげてくれ… そして別室に寝ている主人に全部話してくれ」と頼んだ人妻の場合。
他の一件は、からだを投げ出し「豚になめられたと思えばいいのだから早くおやんなさい」と落ち着いて言った女性の場合だという。

結構有名な逸話のようで、種々の創作の中に転用されている。
このような態度によって、男の攻撃欲・破壊欲は出鼻をくじかれ、更には強姦につきものの禁忌をおかすという動因が失われてしまうのである。
俎上の2女性、加虐の欲望に加虐でカウンターを食わすとは、実に小気味いいではないか!
とりわけ後のほうの女性である。

さてさて、ぶち明けた話である。
論者も加虐的復讐心をモチベーションに行動を起こすことが少なくない。
正直、最近に至ってはっきり認識した。自分はサディスティン(のファクターが色濃い女)だと。

どちらが仕掛けてきた攻撃か?
それは双方に言い分があり。水掛け論になろう。
ただ論者は被害者ヅラするのは性にあわない。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


フローレンス・G・ジョイナー − 夭折した陸上短距離女王の心裏にあったものは?

95a1e68c.jpgジョイナーは果たして違反薬物を使っていたのか?
それは、このプログの論ずるところではない。
ただ心裏を知る上で注目するのは、この(男性並の)肉体、同時出場した日本人男子選手を上回る五輪レコード、そして38歳で死去したという事実である。

彼女には男性化願望があったのか? それを論じても面白いのであるが、ここはやはり女性のサディズムの線で論じよう。
とはいっても、男性を打ち負かすこと云々の話ではない、過去投稿で一刀両断したとおりである。
パソリーの稿で例示した、サディズムの昇華法・利用法の具体例としてである。
これに該当することには異論はなかろう。
何せ、これだけの競技実績を残せたという事実から逆算的に言い切れる。

ピエール・ド・クーベルタン男爵「オリンピックは参加することに意義がある」
今はすっかり「オリンピックはお祭り騒ぎ」という意味で受け取られているこの言葉の真の意味はご存知か?
因みに男爵は「参加のためには過酷な修練を積まなければならない、その過程こそが尊い」という意味で言ったのである。
さてさて話を戻せば、人間技とは思えないような実績を生むための修練には、異常と分類されている心理態度をモチベーションとして使わざるを得ないだろう。
サディズム、それが内に向いた自虐マゾヒズムを含めてである。

で本稿の主たる論点は、これがサディズムの利用例として、果たして"有効利用"法と言えるかどうかなのである。
まあ、論者の見解は否である。ローマコロシアムの稿、結論の逆向き視点だ。
ありとあらゆるスポーツなど、本来健康増進のためのものである。それが(極めるがために)早死にでは本末転倒もいいとこではないか!

論者は幸いにして、スポ根路線などというものが下火になった時代に生まれた。
前はどれだけ珍重されていたかは、前にあげた漫画『巨人の星』あたりを見れば判る。
そして、それが下火になっていた歴史過程は、前稿でもあげた弓月光のアンチスポ根・風刺ギャグ漫画で覗き知った。
だが…

本当に我が国におけるスポ根教信者は絶滅したのであろうか?
ここに、気になる言葉がある。「感動を与える」「夢をもらう」「ありがとう、選手の皆さん」
冷静に考えればおかしな話であろう?
感動だの夢だのは個々人の心の中に沸いてくるものであって、人から与えられたりもらったりするものではない。
また、対象に対して礼を言うべき性質のものではないのである。
調べてみるに、いつぞやのオリンピック中継でアナウンサーが(文学的比喩的な意味で)言い出したものが、いつの間にか字面どおりに使われるようになったしまったということのようである。

むしろ危険なのは選手のほうだ、字面どおりに受け取っている選手のほう。
金の亡者になっているのならまだいい。「命あっての物ダネ」、この防波堤でとまるから。
だが、「自分は国民に『夢を与える』使命があるのだ」と思い込んでいる選手は…
第二第三の「幸吉はもう走れません」になる可能性が少なからずあるのだろうか? スポ根崇拝が絶滅した現代においても。

今日、皇居で催された茶会…
このようなスポーツ選手の文化人扱いには、首を傾げること多々の論者である。

   利休忌や トリノみやげは 金ひとつ (去る2/28に)
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


カエルの歌が…

変り雨柳 (雨) の20点札に登場する動物は蛙です。
あの姿や泣き声は、まあ、お世辞にも雅とは言えませんが、なかなかどうして、僕たちの先人たちはこれを楽しんでいたようです。
古今集の序を見てみましょうか。

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、猛きもののふの心をも慰むるは歌なり。

そう言われてみれば、鳥獣戯画なんてのもありましたね。
古来より日本では親しまれてきた動物といえるでしょう。

本格的に詩歌にしたのは、江戸時代の俳人・小林一茶、痩せ蛙の一茶ですよねえ。
彼は、ありとあらゆるものに慈しみをもっていたのでしょう。

  やれ打つな 蝿が手をする 足をする

ねえ? いかにも一茶らしい慈しみの心のにじみ出た代表作ですね。
ただ、
ハエが足のすっているような動作は、付着した細菌を落としてるのですから油断は禁物ですぞ。
って、さいきん(掛詞)ハエなんかいないか、

と、この言い回し、



"Yare utsuna hae ga te o suru ashi o suru."

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない・をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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韓信 − 牧童の股をくぐった漢建国の功臣

0861cb8a.jpg時間は、呂后の稿よりもほんの少しだけ遡る。
本サイトでは、「股くぐりの韓信」である。

果たして彼の股くぐりの本意はいかなるものであったか?
それは定かではないだろう。なんとなれば、死して既に二千数百歳の韓信なのだから。
ただ現在でも、「ならぬ堪忍するがするが堪忍」同義の教訓的美談として語り継がれている。
アニメ『一休さん』あたりにも一話があった。

今更ながらであるが、他人の股をくぐるというのは屈辱的な行為、国の如何にかかわらず共通認識めいたものはあるようだ。
そこで、本サイトのタイトルである。
そう、股をくぐらせるというのはサディスティックな行為である。
物理的にも精神的にも相手を下に置いて見下ろすことになるのだから。
そして、女性であればなおさらのことだ。

「嬢ちゃん、女に跨られると縁起がわりーだよ!」
随分前のことだが、論者は(縁起物である漁船の)大漁旗を跨いで叱られたことがある。
何故女に跨られると縁起が悪いのか?
それは女が陰であるから、五行思想だ。
陰の気の出口を真上にもってこられ、直射されたら堪らないという訳である。
満更迷信ではなかろう? 女性の性器構造や生理の仕組を考えるとよい。

という訳で、女性が他人に股をくぐらせるというのは、上から陰の気を浴びせかける、という汚物責めのファクターがプラスされたサディスティック行動ということになるのである。
手軽で安全で、それでいて結構本質的なSMプレー足りうる。
論者も多少は。

最後に。
過去稿で取り上げた弓月光に『壁の中からニュ!』という読みきりがある。
この漫画に於いて弓月は、男の子に股をくぐらせる女の子の心裏を描いている。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


奇譚クラブ

「奇譚クラブ」とその周辺

河出書房新社

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 前著 「奇譚クラブの絵師たち」でも当時の裏話を生き生きと綴っていた濡木痴夢男の新刊。この人は「奇譚クラブ」の熱心な投稿作家であったが、「奇ク」の編集者で絵師でもある須磨利之(喜多玲子)に誘われ、「裏窓」の編集者となった人。その後、緊縛写真の縄師としても活躍し、戦後のSM文化を裏から表から産み育てた。他にも河出文庫から何冊か出ていますが、今回の新作は「奇ク」を狂言まわしとした戦後SMのガイドブックとしても読める、とても興味深い内容になっています。

 「奇譚クラブ」は今でも古本屋などで入手可能で、ヤフオクでもわりといい値段で取り引きされております。僕はたまたま小学生の時に道ばたに束になって捨てられていた数冊を拾ったのが運命的な出会いとなりました。ここで初めて春川ナミオなどのイラストに衝撃を受け、この雑誌をきっかけとして、当時自分の中に芽生えつつあったマゾヒズムを明確に意識することになりました。世の中にこういう世界があることを知り、なかば安心した思いが忘れられません。中学生の頃には今でいうアニメおたくのように、SM雑誌の収集に情熱をそそいだものです。子供だから街の本屋では買えないし、もちろんお金もありませんから、郊外の住宅地を歩き回り、ゴミ捨て場に古雑誌が捨てられているのを見つけては、まるで ホームレスのおじさん のように物色し、SM関係の雑誌をかき集めて家に持ち帰ったものです。当時は「SMキング」「SMコレクター」「SMフロンティア」「SMマガジン」「SMセレクト」といった、誌名に「SM」を付けた雑誌の発刊ラッシュのような時期で、買ったはいいけど家の中での処分に困った人たちが、けっこう投げやりに捨てていたのでしょうか。郊外のゴミ置き場にはたいていエロ系週刊誌の陰に隠れたかたちで、こういったSM雑誌もよく捨てられていましたね。

 「奇譚クラブ」には時期にもよりますが、総じてグラビア写真が少なく、読みもの中心でした。しかしイラストにFemDom系のものが多く、特に春川ナミオ以外にも男性マゾヒズム願望を満たすような作品が掲載されていたのが印象に残っています。他のSM雑誌が女性緊縛写真やS男性向けの構成がメインだったことを思うと、「奇譚クラブ」はバランスがとれていたように思う。そのページに掲載されている小説や記事とは関係なしに時々登場する「イメージギャラリー」という読者投稿のコーナーがあり、そこには「犬女」などで知られる室井亜砂路の作品も見られました。岡たかしや飯田ひろくにとかがM男ものをよく描いてました。四馬孝や杉原虹児といった大御所もこの頃から登場しています。

 戦後のSMを語る上で欠かすことの出来ない貴重な資料としての「奇譚クラブ」ですが、僕にとってもエム心の故郷のようなものなのです。


【アフィリエイト文責】

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