マタ・ハリ − 第一次世界大戦中暗躍した世界で最も有名な女スパイ

d5efa126.jpg前稿を請けて、本家本元『女スパイの代名詞』を論じよう。

パリを中心に活躍したオランダ人の踊娘にして、高級娼婦。
マタ・ハリというのはダンサーとしての芸名とのことだ。過去稿ライン・ダンサーで論じたように、この職業はサディスティンとしての可能性大だ。
加えて兼業の高級娼婦。「帝王を股間に弄し、女の本懐、これにすぎるものはなし」といったところか?
これは、ことによればことによる。彼女の心裏には可也色濃いサディズムが存在していたのかもしれない。

処刑に関するいくつかの逸話がその有力傍証になろう。
彼女は銃殺の前兵士たちにキスを投げたとか、銃殺寸前にロング・コートの前をはだけ、全裸で銃殺されたとか…
更にありそうでなさそうなものをあげれば、処刑前のマタ・ハリは泰然自若としており、気付けのラム酒一口は受けたものの、目隠しあるいは木にくくりつけられることは拒絶した、というものがある。

なのであるが…
彼女の業績をかんがむるに、仏独どちらの軍に対しても有力な情報をもたらしたという記録はないのである。
となれば、女スパイの代名詞などというのは、過大評価も過大評価!
今まで散々例を挙げつくしてきた「男性が作り上げた女性支配者像、サディスティン像」の一に過ぎない彼女なのである。

ただマタ・ハリの場合は、虚像ではないといっている。
この女性に関しては十分その可能性があった。
たとえ世の男性が思い描いたものと実像とのギャップがあったにせよ、それにより本人自身の性向がどうこうされる訳ではないのである。

正常なる男女関係は双方の誤解から… いや「良好なる〜」であったろうか?
ともかく、かかる趣旨のシニカルな金言がある。
この金言の『男女』を『SM』に置き換えたとしたら?

これもまた金言になりそうだ。


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川島芳子 − 漢奸罪で銃殺された男装の麗人

24631d47.gif東洋のマタハリ…
本家マタハリと同様、この女性もしばしばSM小説のモチーフとして登場する。
副題にしたように、男装の麗人としてのイメージがサディスティンを連想させるのであろう。
裏を返せば、戦前日本にはそれだけサディスティックな人柄を伝える女性が少なかった、加虐嗜好といえば男性の専売であったということになろうか。
ともかく未だ、男っぽい女優によってその伝奇的な生涯演じられる舞台等の少なくない芳子だ。

して、彼女はいつから男装するようになったのか?
それは、17歳のときから。生涯男装をとおしたサロルタとは事情を異にする。
となると、芳子の男装は男装癖等々の性向に起因するものとは考えずらい。
更に言うのなら、きっかけは自殺未遂、その自殺未遂の原因は恋愛問題と言われる。
どうも川島芳子には、アブノーマルの文字を見出せそうにはない。

さて、ご存知のように彼女は、終戦とともに中国国民党軍に逮捕され、その3年後に北平第一監獄で銃殺刑に処されている。
漢奸罪… 売国奴である罪ということであろうか。
同罪に問われた李香蘭は日本国籍が認められたために釈放され、時代を経て参議院議員・山口淑子となるのである。

李香蘭との比較で川島芳子の最期を見れば、「裁判は究極のSMショウ」と言う諸氏の言い分も多少は理解できるということになるか?

  家あれども帰り得ず
  涙あれども語り得ず
  法あれども正しきを得ず
  冤あれども誰にか訴えん

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女性には殺人は似合わない筈なのであるが… 少々フライング気味ながら

昨今わが国において、女性が加害者となる殺人事件が多発している。
述べてきたように、必然的に(より弱い存在である)子供が被害者となるケースが多くなる。
何ともやり切れぬ気分だ。

新聞のコラム種にもなっていたのだが鬼子母神の仏教説話である。
元々、鬼子母神・原語ハリティーは、子供を捕らえては喰らう夜叉(ヤクシャ、女性形ヤクシニー)であった。
釈迦は彼女の蛮行をやめさせるべく末子を隠し、親が子を思うこころを知らしめ懇々と諭す。
改心した鬼子母神は子供の守り神となるのであるが。

この説話が真理だ。女性は生命の生み手、その自ら生み出した生命を守り育む存在なのだ。
フィーメールセックスには、その生命を奪う行為など馴染もう筈がない。
摂理である。真理である。真理であるはずなのだが…

さらに話を広げるなら、恒常的な出生率低下である。
生まないわ、殺すわ、一体どうなってしまったのか!?

人類誕生、いや生命誕生以来、脈々として受けつがれてきた摂理が崩れてしまうのではないかと考えるのが、満更杞憂でもなさそうな現代日本社会が恐ろしい。

 注* 元記事が書かれた6/7の翌日に「フライング」でなくなってます。
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ラショーン・ハリス − 3人の息子を酷寒の海に投げ落とす

b6ac6164.jpg実はである。
論者は直近投稿で論及した人身売買を請けて、別の女を論題に記事にしようとしていた。
掲示板サイトで書いたことがあるのだが、南米に幼児を買ってきてはペットの大蛇の餌にしていた女がいたとか。
残念ながら確証ある資料を見つけるに至らなかったため、調査の中途で見つけたこの女を俎上にあげて論を進めよう。

先月下旬のAP電の記事によれば、副題のごとくだ。
再三論じているように、女性のサディズムは大抵の場合より弱いものに向く。
一番身近で且つ、相対的な位置において最も弱い存在である我が子が犠牲になるということだ。
女王様よ、ミストレスよ、と女性のサディズムを過度かつ歪んだ形で礼賛している一部諸氏よ!
貴方がたには、こうした事件を照らしあわしたところで自らの言動を省みられたい。

まあ、事件自体はこのようなもの。
「神の声が(いけにえに)捧げるよう求めた」などという発言を法廷審理するようなバカな国のことは、これ以上述べるには及ばぬ。話を少々広げよう。

なぜ母親が子供を殺すのであろうか?

  物いはぬ よものけだもの すらだにも あはれなるかなや 親の子を思ふ

獣ですら、親は子供を守ろうとするのに。
そう、獣… 野生の獣であれば。

これがペットショップに売っているものになると、少々事情が異なる。
例えば仔犬が生まれる。飼い主その他周りの人間様は、あまり仔犬の方ばかりを可愛がらないように留意しなければならないとか。
何となれば、愛情をとられたとやっかんだ母犬が仔犬を噛み殺してしまうことがあるからだそうだ。
現代世界各地で起きている母親による子供殺しの原因が、ここらから垣間見えてくる。

洒落くさいことを言えば。
現代人というのは文明という主人に飼われた飼い犬のようなものと言えるであろう。
ご主人様の愛情をとられまいと思うあまり生物の本質をも忘れ、自分の子供を殺してしまうこともあるのかもしれない。
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潮来出島の…

墨絵改めまして、5月・菖蒲の種札は菖蒲に八橋です。
花札は48枚中、水の光景はこの一枚のみ、前に話しました。
そして、もうひとつ。
地名が入っている札も、これ一枚だけですよ。
朔の話題にしたように、三河の八橋、現在の愛知県知立市あたりなんですけど、僕あたりは違った場所をイメージしますね。

どこかといえば、潮来・水郷地帯。
西条八十作詞のきれいなご当地ソングがあります。

    娘十八口紅させど
    わたしゃ淋しい船頭娘
    つばめ来るのに 便りも無くて
    見るはあやめのよう 花ばかり

    鐘が鳴ります潮来の空に
    月に墨絵の十二の橋を
    漕いで戻れど 別れた人と
    水の流れはよう 戻りゃせぬ    

『娘船頭さん』でしたね。
古賀政男作曲・美空ひばり歌唱のこの歌、リズムだけはよく覚えていたのですが曲名が浮かばず、長いこと調べていて最近見つけたところです。
特にいいと思うのは、「つきにー すみえーの〜 じゅーにぃ〜のーはしーを〜」
ここです。

2番の歌詞はあれですよねえ。
夕刻から段々段々暗くなり、やがては宵になり夜になって真っ暗になる。
それに伴って、極彩色だったあたり水郷アヤメの光景も色彩のトーンが落ちてゆき、月明かりに淡く照らし出された単色・墨絵調になっていく。
いいものです。日本独特の幽玄美を感じます。

是非とも皆さん、一度潮来へ…
とは僕は言いません。
観光地化されたところに行っても幻滅するのがオチですよ。
まあ確かに、女船頭さんの船で水郷めぐりはできますけどね。
到底『娘十八』とはいかない。元を10回くらい繰り返した後に『娘』の字ををつけたような船頭さんが大半でして、はい。
古賀メロディや他の創作作品で夢めぐらすほうが遥かに楽しい、断言します。

そうそう、とっておきの話。
ある夏のことです。
ご近所の方二軒から、休暇旅行に行ってまいりましたもので、と同じ日にお土産をいただいたことがありましたっけ。
富士山銘菓に尾瀬銘菓。菓子の大寄り。
早めにお召し上がりくださいとの注意書きがあったので、お茶を入れて両方あけてみると。
驚くではありませんか、まったく同じ洋生菓子!

げに恐ろしきは商魂なり、、、

と、この言い回し、



何でも観光地化しちゃうのはねぇ

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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華佗 (中国・三国) − 世界で初めて麻酔を使った外科手術をした名医

2ce943e1.jpg本プログは女性のサディズムをメインテーマとする。
従って、ときたま男性を主役に論を進めることがあっても見かけとは裏腹、ちゃんと女性心理を論としていることをお含みの上お読み願いたい。

さて、三国志演義によれば華佗が処刑された理由はこうだ。
偏頭痛に悩まされていた曹操に主治医である彼は、脳髄を切り開き腫瘍の除去を勧める。
とはいうものの3世紀になったばかりの頃である。
曹操は「頭蓋を切り開かれて人が生きていられるものか!」と激怒し暗殺未遂の咎で処刑してしまうのであるが。

論者が推測するに、曹操は華佗の理論を理解していたと思う。
ただ当時の民衆はとなれば、脳腫瘍の摘出手術など理解できようはずもない。
曹操とすれば巷間に怪しげな風評が立つのを恐れ、心ならずも華佗を処刑せざるを得なかったのではあるまいか?
このように、医術とは常にその時代時代の価値観との相克を余儀なくされるのである。

さしずめ論者などは旧価値観の代表者の部類であろう。
各位は臓器移植をどうお考えか?
そして、ドナーとなってよいとお考えか?
論者は真っ平御免だ。例え死後といえどわが身を、いやわが身であった物体を切り刻まれるなど、考えるだけでも恐ろしくなる。

脳死だか心臓死だかは専門外だからよく知らぬ。ただ死体といえど、見た目では殆ど生体と区別がつかないものであることは知っている。
できるだけ新鮮な臓器を取り出すためには、まだ温かいうちにメスを入れねばならぬ。
紛れもなく死体損壊。キュリー夫人の稿ほかで論じたとおり科学とはサディズムの有効利用に他ならない、医学はその顕例といえよう。

一旦話を歴史上に戻せして、同じ中国はもっと前の時代、前稿のあたりまでスリップさせよう。
劉邦、漢の高祖だ。
高祖は宿病に取り付かれた際に主治医にこう質問した。
「余の病は治療すれば治るのか?」
はいと主治医。返して高祖。
「天命ということがある。手数を煩わせるには及ばぬ」

こうありたいと思うのだが、そうも行くまい。
臓器移植に強烈な拒否反応を示す論者であるが、いざ自分が移植手術を受けねば延命できない事態に遭遇したら?
多分なら、手術をしてくれと懇願するであろう。世界中の人々の中から自分に適したDNA構造を持つドナーを探し、一刻も早く移植してくれと泣き叫ぶであろう。
これが、一番恐ろしいのである。

いや、論者だけの事情でもあるまい。
事実、発展途上国では臓器移植目的の人身売買が絶えぬという。
自分よりも平均余命の長い子供が天寿をまっとうするのを待つ? おかしいではないか?
答えはひとつであろう。

さて少々転ずるに、標準的な夫婦を想定すれば、大概妻が夫を見送ることになる。
その標準的ライフスタイルにおける夫婦の夫に臓器移植により生存できる可能性があったとしたら?
夫自身は延命を望まなかったとしても、その時点ではもはや意思表示困難、従って妻が(移植用)臓器を欲しがるということになろう。
ここにまた女性のサディズムが存在したか? フィリピンで肝臓移植手術を受けたといわれるあの故人の妻の態度は…

この稿も奥歯にものの挟まったような言い方でしめねばならぬようだ。

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足フェチの秋


 
 なんだか最近、女性の脚(足&あし)を意識した映画のポスターやチラシをよく目にするような気がするのですが、僕が足フェチだから気になるだけでしょうか。


 すらりとのびた長い脚に、キュッとしまった細い足首、そして美しい稜線を描く魅惑の太ももは、まさに歩く芸術品と言えましょう。

 僕は以前ダンスを習ってました。ダンサーの脚の張りの良さは、触わらなくても見ただけでわかる顕著な特徴があります。きちんと訓練を積んだダンサーの脚には、そういうことをやっていない女性の脚と比べると一目瞭然の違いが見られる。
 
 ダンスの上手い下手は、技術的なこともさることながら、身体づくり的な要素も重要です。激しい動きや複雑な振付けに耐えられるよう、毎日きちんと体をほぐし、ストレッチをしているからこそ血行もよく、みずみずしい肌の艶と健康的な弾力性が自ずと得られてくる。その美しさは脚フェチでなくとも目が釘付けになるくらい。脚のラインやかたちだけでなく、中身の充実した脚には憧れてしまいます。




「キンキ」(= kinky) とは、カタカナ英語としては日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、「性的に倒錯した」という意味です。邦訳するなら「変態ブーツ」となるわけで、これじゃお客さん来れないだろうとそのままのタイトルになったのでしょう。でも脚フェチを誘うデザインのポスターですね。


 これはちょっと以前に街を歩いていて思わず携帯のデジカメで撮影したもの。


     ↓


 
 タイトルは確か「トランスポーター」だったと思う。チラシをゲットすればよいものを、このポスターは特大パネルになっていて、そばに行くとこの脚もとにいるような気分になって、ついアオリの構図で撮影してしまいました。下から眺めるとなかなか迫力があり興奮しました。
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完全数

牡丹ストラップ昔見た時代劇のひとこまから。
抜け荷の探索をしていた我らがお奉行様は、ひとつの守り袋を手に入れます。
空けてみると花札が3枚。桜の20点札、牡丹の10点札、菊の10点札。
しばし考えてお奉行様、「判った。3、6、9で、ミロク、取引は本所の弥勒寺だ!」

僕はこれをみたとき、飛躍しすぎだと感じていたのですが、このブログを始めるようになった今は頷けるようになりました。
投稿日付に拘らず前に何度か話してるように、花札とは鎖国政策により禁制品になってしまったトランプの模造品だったのです。
だから、表だって数字は書けない、各月のテーマ植物の月で数字を読む、遊び人であるこのお奉行様はそこらの博徒のこころを知っていたというわけですね。

それにもうひとつは、3、6、9の法則性です。
いうまでもなく、3の倍数なんですけど、特に牡丹の6(月)に(本稿を)持ってきた理由を言いましょう。
6の約数はといえば?
2と3ですね。あと当然1と6自身も。

  1+2+3=6

ね? 代数ではこれを完全数と呼びます。
そう。6は一番初めの完全数なのです。
6は完全数。神は六日間で世界を創り一日休んだ。よって一週間は七日…

こうした「数の研究」も面白いものです。
で、書籍の紹介。
ゼロから無限へ コンスタンス・レイド 著/芹沢正三 訳。
講談社ブルーバックスにあります。

この著者のレイドさんて人は平凡な家庭の主婦なんですよ。
学問なんてどこででも、そして金をかけずにやることができる、これが再認識でき、そういった意味でも良書です。

と、この言い回し、



自然科学もいいわぁ

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


 注* 元投稿は6/6にされてます。完全数の日ですね
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博徒・郭解の姉 (前漢) − あてつけのために我が子の他殺体を道端に捨てる

8c99c9a6.gif韓非子によれば、世界を揺り動かすものは儒者と侠者とか。
儒者は文をもって法を乱し、侠者は武をもって禁を犯すから。
しかしながら、漢朝が儒を国教化して以来、儒者は体制に組み込まれた。
ということで、以降は侠者の孤軍奮闘となるのである。
さて、本稿主役の弟・郭解は、そんな漢朝成立程ないころ、未だ項羽と劉邦・戦国気風が残っている時代の博徒であった。

ここで、事件の概要を。
主役の息子は、酒の飲めない相手に無理強いして喧嘩となり、かえって刺し殺されたのである。
この場合、母親とすればどう動く?
考えられたい。
警察機構などというものができたのは近世も近世、それまでは世界中どこでも郭解のごとき侠者が司法警察の役を司っていたのである。
当然彼女は弟を頼るのである。
しかるに、解は下手人の言い分を聞いて今日言うところの正当防衛を認めるのだ。
納まらないこの母親は、副題にしたとおり我が子の死体を道端に捨てる。
動機とすれば、弟へのあてつけ、「義の人が聞いてあきれる。甥を殺されて相手を捕まえることもできない」ということだ。

ひとつ補足しよう。
中国に仏教が伝来したのは、後漢末期だ。
よってこの時代は、死人を仏と尊ぶという仏教流の心理態度はない。
いやそれどころか、既報のとおり、かの国かの時代における死人とは食材・工芸材料であったのである(勿論全面的ではないものの)。
その背景を鑑みたところで解の姉の行為を考えれば、これは屍体に関するサディズムからは遠かろう。
サディズムの対象は弟・郭解、これを貶めようとしたのであろう。
復讐的加虐だ。人というものは、直接の敵よりも敵を庇った者、味方にならなかった者の方により多くの憎しみを抱くものだ。
この逸話を史記で紹介した司馬遷が、李陵を弁護したために武帝の怒りを買い、腐刑に処せられたのは有名な話である。

…もう、お気づきであろう。
論者が真に意図したものは、全く別の時代、全く別の国のある女性の…

昨夜来のニュース解説同様、奥歯にものの挟まったような書き方の本稿である。


注* 元記事投稿日時は6/5夕刻です。
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エース

花札トランプさて投稿日付では後日になりますが、以前より繰り返し花札のルーツはトランプにありとお知らせしてきました。
各月の月数がトランプの数字になることは、既にお話しましたよねえ。
では印は?
答えはこうです。

 20点札 (光札) − スペード
 10点札 (種札) − クラブ
 5点札 (短札) − ハート
 カス札 (素札) − ダイヤ

どうです。本ブログ開設時にも使った松に鶴の札はスペードのエースだったんですよ!
スパリオール、ゴッド、スペキュレーション、オールマイティ、などなど様々な異称で呼ばれる、あのひときわ大きな黒桑の描かれたカード。
いやいや、正鵠を射たトップ投稿だったようです。
正直あの時点では知りませんでしたけど。

おっと、おっと、自画自賛はこれくらいにして。
松竹梅のランク付けでも最高位となる松は、まことトランプ各組エースに代用されるに相応しいテーマ植物です。
エース、大黒柱、主戦という意味に転じられる…
ひとつ思い出した歴史逸話があります。
と、時代背景を源平争乱の時代まで戻しましょう。

ここに登場します源義経。
史実では、衣川館で家来とともに自刃とありますが、人々の判官びいきはそれを認めたくないようで昔から数多くの生存説が存在します。
津軽海峡を渡り蝦夷地に入った、さらには大陸に入ってあのジンギスカンになったという説まで。

当然のこと、アイヌ娘との恋愛ストーリーが数多く存在しますが、今からご紹介するのはちょっと毛色の変わった話です。

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蝦夷地を逃避行する我らが義経主従、あるアイヌの村にたどり着きます。
聞くところによればこの村では、大層可愛らしい姫君が花婿募集中とか、
これは素通りする手はないでしょう?
果たして主従も、そのように行動します。

さてさて詳細を聞けば。
なんとなんと、姫君に相撲で勝つこと、これが入り婿の条件。
えっ、えっ!
今まで、数多の屈強なアイヌ青年がチャレンジしたけれども、悉く打ち負かされたとか。

狐につままれたような心地になる主従、そして、現われ出たる当の姫君、
ホント噂どおりの可愛らしい娘!
ただし、身長195cm・体重120kg、
『弁慶とどっこいの大女』とのことだから、ま、こんなとこでしょう。

流石にたじろぐ主従ですが、そこは持ち前の明るさとチャレンジ精神で勝負を開始します。
…が、実にあっけない。
伊勢三郎以下の家来衆、悉く45日(一突き半)で重ね餅にされてしまいました。
うーん、こうなればエースを出すしかないでしょう。
敗退した三郎以下の声援に促されて、弁慶が土俵に上がりました。

ガチーン!
はでなぶつかり合い。
そして、がっぷり四つに組む。
満座の一同は、固唾を飲んで勝負を見守ります。
なんせ、この世にこんなでかい人間がいたのかと驚愕するような巨漢巨女のぶつかり合いです。
これを見逃す手はないでしょう?
一同の眼差しは真剣そのもの。

ですが、一人だけ真剣でない者がいました。
当の弁慶です。
いや、べつに『真剣でない』という訳でもないのですが。
ペタリと張り付く胸部、そして鼻腔に飛び込む甘い乙女の香り…
どうも、いつもと勝手が違い、リズムが狂う。

かたや姫君のほうは、手馴れたものです。
いつものごとくいつものように、足が止まった弁慶をじわりじわり追い詰め、そしてみんごと投げ飛ばしました。
あーあ、五条大橋に続きまたしても不覚!

ダメじゃないか、弁慶さんよ。
これで義経チームは全滅。
またしても花婿は見からなかったのか、と悔しさ半分嬉しさ半分の酋長。
満座の一同は帰路に着き始めました。

と、そのとき「仕方ないものどもよ、ならワシが」の声があがります。
ほかならぬ主人の義経。そうでした、すっかりこの人を忘れていました。
「九郎の殿には無理だと思います」一呼吸あって姫君。
そうでしょうよ、そうでしょうよ。義経という人は160cm内外、体重にいたってはこの姫君の半分もないでしょうから。
でもまあ、一応義経にも権利があります。
再び花婿選考会が始まりました。

抜群のフットワークをいかし、懐に飛び込む義経。
がっちりと両前褌(?)をとり、相手胃袋あたりに頭をつける。
振りほどこうと横に振る姫君の襟口がはだけ、豊満な乳房が飛び出します。
得たりと義経は、首を起こし吸い付く。小兵で得した。でもこんなのあり?

あっと小声をあげ力が抜ける姫君。空かさず義経は差し手を深く、ヒメドコロに差し入れゴニョゴニョ弄くりまわします。
完全に出足のとまった姫。ここで義経はもう片方の差し手を抜き、「もう片方」の乳房を愛撫しはじめました。
変形三所責め、相撲の手ではないんですがねえ。

こちらの方はからきし弱い処女姫が、京の都を鳴らしたプレーボーイ義経のテクに抗えるわけがありません。
恍惚となり完全に身体の力が抜けた姫を義経は渾身を力を込めて土俵に叩きつけました。
ずしーんと地響き、そして花婿決定!

「九郎の殿はずるいのぅ」と頭をかく弁慶。あくまでも好人物のようです。
こうして、三国一の花婿を得たこの村では祝宴がもようされ、夜が更けていきました。
めでたし、めでたし。。。

…ではないのです。
なんとその晩、皆が寝静まった頃を見計らい義経主従は、村の金銀財宝をことごとく盗み出してドロンしてしまったのです。
アイヌの伝承でも好意的に受け入れられている義経ですが、この村の伝承では珍しく悪人に描かれているようです。

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如何でしたか?
非常に珍しい義経悪人伝です。

そうでしたよ。エースがだめならジョーカーがありましたか。
残念ながら花札には、ジョーカーは取り入れられませんでしたけど。

と、この段落直前までの言い回し、



弁慶を投げ飛ばしたアイヌ娘

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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羅貫中ワールドの登場人物たち − 中国四大奇書に見るアブノーマルな世界

d1b60ad8.gifあの三国志と水滸伝は同じ作者の手によるものだった!
意外なことだ。少なくても論者はそう感じる。
正確に言えば、作者とされる羅貫中は巷間の伝承を物語に集大成したにとどまるのであるが。
これもまた伝承…
だからこそ、例え物語・創作であっても描かれている世界には史実的な裏付けがあり、歴史として論じても危うからずなのではなかろうか?

特に論者の興味が向くのは水滸伝のほうだ。
全編に描かれるアジア型カニバリズム… 劉備の稿で触れたとおりである。
好例が、母夜叉・孫二娘だ。茶屋のおかみである彼女は旅人たちに次々痺れ薬を盛っては殺害し、人肉饅頭に料理して売り物にする。
肝要なのは、こうした人物が『好漢』の一人に数えられていることだ。
水滸伝の舞台が北宋時代末期であることを考えれば尚のこと奇書である。

さてこの稿の論題として、更に女性サディズムの近例として論じやすいものをあげよう。
主人公である宋江は、この場面でも山賊に捕らえられ肝吸にされそうになる。
幸い首領・燕順は捕虜が宋江と知るや、非礼を詫び縛めを解くのであるが。
と、ここに別の人物が捕虜となって現れる。本稿主役である女性だ。
宋江はこの女性も助けてくれないかと頼む。

「宋江殿、この女は青州清風寨の正知寨・劉高の妻。良民をいじめ賄賂をむさぼりとるとんでもない女ですぜ」

と渋る一同を何とか説き伏せる宋江。
それが後日の災いになるとも知らずに…
彼女は寨に戻ると、「知事夫人の威厳で山賊どもを震え上がらせ(堂々戻って)きた」などと作り話を押し通し、あまつさえ偶々市中で見かけた宋江を山賊の首魁であると讒訴しこれを虜にするのである。

ものの本によっては、彼女自らが逆さづりの宋江に竹鞭をふるい拷問する場面が描かれる。
いや、これは拷問ではなかろう。純然たる打擲だ。
絶対に吐くわけがない、このことを誰よりもよく知っている夫人その人が打ち据えているのであるから。
夜叉となる快感に酔いしれる、と言えば文学的且つ的確な表現となろう。

どうやら中国宋代におけるサディスティンは悪女だったようである。
それにしても大陸の悪女はスケールが大きい。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


赤桐

赤桐桐にも5点札があった!?
CGの4枚のうちの赤い桐がそうです。
で、これは13ヶ月・4人花札で使うらしいですよ。

順に説明しましょう。
通常の花札は3人で競技しますよね。八八、12ヶ月48枚の点数合計は264点、即ち88×3です。
これに13ヶ月目である竹が入るわけです。投稿日付に拘らず前にお話したように竹は柳(雨)と同じく各点札1枚ずつ4枚の構成です。
うまく割り切れない、ということでこの赤桐、そしてもうひと月、赤坊主が登場します。
花札において赤とは短冊と同義、この二タ月のカス札がそれぞれ1枚ずつ5点札に昇格するとなると?
そうです。13ヶ月52点数合計は308点、77×4、つまり4人花札は八八ならぬ七七競技というわけです。
これまた、お見事!

さて、話は変わりまして、投稿日付は12/8、太平洋戦争開戦の日ですよねえ。
赤桐ならぬ赤紙で召集された兵士たちは鬼畜米英を叫び戦いました。
今や日本は戦後60年超、にも拘らず精神的には未だ米国の植民地状態…
本当に日本の外交とはちぐはぐなものです。

正露丸という薬はご存知でしょう?
お腹を壊したときに飲むやつ。
あれは元々は『征露丸』だったらしいですよ。

ひとつくれよう露にゲンコ、日露戦争さなかに作られたこの医薬品は、オロシャ征伐の機運に乗ってこうネーミングされました。
ところがやがて戦争は終わってしまう、仕方なしに同音の『正』をあてて『正露丸』としたそうで。

日本の外交を端的に表していて興味深いという論評をみたことがあります。
征服するか、正しいと崇め奉るかの両極端。

と、この言い回し、



某巨大掲示板群で質問を貰ったので、また『ヤプー』から

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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巴御前 − 代表的女武者の心底にあったものは?

a2b369c0.jpg強女萌と呼ばれている男性諸氏にはお待たせした。お馴染み、美女ファイターの登場である。
冒頭より腰を折るようであるが、当時いうところの美女とは現在の意味ではない。
女中さん、差別用語か? (夜のお相手も含むところの)下働きの女性、という職制上の名称のようなのだ。
それ故、木曾義仲の愛妾という説明がされている人物なのであるが。
とはいうものの、平家物語によれば、「色白く髪長くして、容顔誠に美麗なり」ということなので、今日言うところの美女と解してもよかろう。
女武者として名高い彼女の数多い武勇伝の中で最もそれらしいのが、『木曾最後』のこのくだりであろう。

五騎が内までも、巴は討たれざりけり。木曽殿、巴を召して、「己は女なれば、是よりとうとう何ちへも落ち行け。義仲は討死をせんずるなり。若し人手に、かからずは、自害をせんずれば、木曽の最後の軍に女を具せられたりなんど、云はれん事こそ口惜しけれ。とうとう落ち行け」と宣へども、猶落ちも行かざりけるが、あまりにつよういはれ奉て「あはれ、よからう敵かな。木曽殿の最後の軍して、見世奉らん」とて、ひかへて敵を待つ処に、武蔵国に、聞えたる大力、おん田の八郎師重、卅騎ばかりで出で来たり。巴其の中へ懸け入り、おん田の八郎に押し雙べ、むんずととつて引き落し、吾が乗つたりける鞍の前輪に押し附けて、ちっともはたらかさず、頸ねじ切って捨ててんげり。

なんと、力自慢の武将の頸を素手で捻り切ってしまったというのだ。
この内容であるから、世に言うところのMF(ミックスファイト=男女勝負)サイトでも時たま話題にもなる。
であるのだが…

残念ながら、この景における巴の心裏には何らのサディズムもない。いやそれどころか、一遍の異常性癖すらも。
あるのは、ひたすらひたすら義仲に対する恋心のみ。そしてそれは盲目的ですらある。
女の一念なんとやら、この超人的な働きもそのモチベーションをいれたところで考察すれば、別れ話に駄々を捏ねる古今東西極ありふれた女の行動の一つに過ぎないといえるのではなかろうか?
恋の対象であり、主人でもあった義仲は彼女のこの行動を望んではいない。言わば背信にして命令違反。
論者はこの種の同性には共感を覚えない。正直反発すら感じるところである。

それよりも、巴とともに戦った木曽軍の兵士たちが彼女のことをどう見ていたかに興味がある。
ことによれば、今日のMFサイト訪問者たちに似た憧憬をもって巴御前を見ていた男性もあるやもしれぬ。
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梅をかざして

地方梅花札2月は梅、これまでお話したように古くより畿内人から蝦夷の一族に至る全ての日本人に愛されてきました。
さりながら。
庶民たちは生活に追われ、季節になってもゆっくり楽しむこともできません。
万葉集に面白い歌があるんですよ。

  ももしきの 大宮人は 暇あれや 梅をかざして ここに集へる

あぁあ、梅の花なんかかざしてまあ、都人ってのはよっぱど暇なんだろうよ、
やっかみ半分、ユーモラスですね。

さて、僕の尊敬する万葉学者の犬養孝博士は、富士山の歌を例にそこらの事情をこう解説されてました。

>神亀天平の歌人山部赤人は、富士を仰いで創作意識を自在に駆使し、かの有名な不盡山歌をつくった。
>それはなによりも旅の宮廷人の感覚であって、土地の人には、生活の山ではあっても美の対象ではない。
>人間と風土との関連はみごと一つの富士を現出している。

そして先生は、「赤人と現地の人とでは、全く富士の見方が違う。現地の人は(赤人と違って)美しいなんて思って見てない。そんなことしてたら仕事にもなんにもなりゃしないから。」
と、おっしゃってました。

うーん、いくら犬養博士のお説でも、僕、これだけは賛成できないんです。

昔、浦安ディズニーランドにいった折のことです。
帰り際にキャストと呼ばれている清掃員の人たちが、「今日の花火は綺麗だったね」と話していたのを聞いたことがありました。
随分小さいじぶん(←掛詞)のことでしたが、はっきりと覚えています、だって僕も花火が綺麗だと思ったから。

人の感性にも最大公約数みたいなものがあるもの、綺麗だと思うものは大抵の人が綺麗だと思うものです。
旅人であろうが現地人であろうが、業務中であろうが業務外であろうが。
いや、むしろ『業務中』の人のほうが、こういった小さな楽しみを見つけて『心の休み時間』にするのではないでしょうか?

万葉集に登場する歌人は天皇から乞食まで種々雑多な人たち、この種の『最大公約数』が『万』葉の心なのではないでしょうか? 先生。

と、この言い回し、



犬養先生のお説でも

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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胴二

ちらしふだ久々に競技花札の話をしましょう。八八 (合わせ) 競技です。
何度か話してますように、この競技は最終的には3人での勝負となります。
ディーラーである親とあと二人。
それぞれ名前がついてまして、親の右隣に座り二番目に札を切るプレーヤーを『胴二』、左隣に座った最後にプレーヤーを『ビキ』と呼びます。

一般に胴二は損になると言われてます。親からは押さえつけられ、ビキからは突き上げられ。
そうですよねえ。実際社会の事例にも通じます。中間管理職というのは損な役回り、身につまされる人も多いのではないでしょうか?

現代に限った話ではなく、花札成立期の江戸時代にもすでにこんな話があります。
ある朝、殿様が足軽の粗相をしかりつけ、(懲罰として)雪の中裸でいるように申しつけるのです。
そして、足軽の上役に見張っているように命じ、そのまま外出します。
と、夕刻帰ってくると、足軽は裸のまま。さて、ここで問題。殿様はこの上役になんと言ったか?

「よくぞ、言いつけを守った、大儀」 ? はずれです。
正解は、
「なんで、着物を着せておいてやらぬのだ?! それが(上役である)お前の役目ではないか!」
と叱りつけた、なのです。
そうですよねえ。トップとすれば叱らざるを得ない、それを庇うのがミドルの役目です。それを計算の上で叱ることもありますし。
ともあれ、中間管理職の真価は、上と下との板ばさみをいかにして旨く乗り切るかで決まるのです。

ここに中国はお馴染み、三国志の二人の武将を登場させましょう。
関羽と張飛。

「桃園の誓い」、もうこれは全く説明などいらぬほど有名な逸話ですよね。
関羽・張飛の両将は早くに、劉備と義兄弟の契りを結ぶ、というのが演義の出だしです。

非常に人気の高い両将ですから、義兄弟の方も多いでしょう。
が、後世の史家の評価は必ずしも高いものではありません。
「関張の徒」、些か、というよりは大いに軽みを込められた成句があるくらいです。

この件については、経営関係の書でよく分析されてますね。
大いに有能な営業課長、やり手の営業部長、けどそこまで。
所詮は事業本部長として、トップマネジメントを担うまでの器ではなかった、こういうことだそうです。

まずは、関羽。
この人は妙にプライドが高く、人を見下すことがあったようです。
いや、下のものにたいしては、非常にいい上役なのです。
ただ目上のものに対しては、非常に傲慢無礼、劉備以外には頭を下げるものか! と明言していたという記述もどこかで。

蜀成立時、関羽は「事業本部長」として荊州を経営していました。
蜀帝となった義兄劉備の発した辞令をみて、彼は怒り狂います。
「なぜ帝弟である俺が黄忠みたいな老いぼれと同列に置かれなければならないのか!」
と。

それを聞いた使者は毅然としてたしなめます。
出来立てのほやほや、これから国づくりをして行こうとする蜀なのだから、人集めのため後から参入してきた人材を重用するのはやむを得ないこと、
と物の道理を問いたのち、こう締めくくります。
「かつて劉邦が漢帝となったおり、まず外様の韓信を高位につけました張良ほか子飼いがそれに対して文句を言ったという話は聞きませんぞ」

さすがの羽も、このときは反省するのですが。
こうした態度の積み重ねから次第に内からも外からも嫌われ、最後は麦城に敗死することになるのです。

これに対し張飛。
いやホント、この二人は好対照、正反対なんです。

つまり飛は、目上の者に対しては非常に腰が低く礼儀正しい、が下のもの(部下)をないがしろにするのです。
大昔の、しかも乱世のことです。「ないがしろにする」というのは、意地悪をしたりとか怒鳴りつけたりとかの生易しい次元の話ではありませんよ。
ずばり、(意味もなく)殺すということです。

そこらへんの具合は、陳舜臣さんが秘本三国志のなかでストーリー化してますんで、引用します。

-----------------------------------------------

 張飛は手にした鞭を、ひゅーっ、と鳴らした。彼はいつも革の鞭をたずさえている。気がむけぱ、それを振りまわし、ひゅーっ、という音をたのしんだ。空を切る音だけではない。空を切った音が、なにかに当たって、びしっ、と鋭い音に変わるのを、もっとよろこんだのである。
 樹木の幹を打つ。建物の柱を打ち、壁を打つ。地面を叩きつける。−だが、もっと手ごたえのあるのは、生きている人間のからだを鞭うつことだ。うおっ、とか、ぎゃっ、とか、声をあげる。自分の力をうけた人間がいるという実感は、単純な張飛をよろこばせた。
 悲鳴をきくことが、張飛にはたのしくてたまらない。
 やがて、彼の嗜虐趣味は進んだ。悲鳴の連続を好んだ。ひい、ひい、ひい、とつづく坤きである。−いや、悲鳴の連続のうちはまだよかった。彼はついに、その連続した悲鳴がとだえたときの手ごたえに魅せられた。
 と長い余韻をのこして、悲鳴は消えてしまうのである。その人間が死んでしまうのだ。悲鳴が消えた瞬間、張飛は言いようのない充案感を味わう。それは法悦といってよかった。


-----------------------------------------------

とまあ、こんなことばかりしてる張飛です。果たして部下に寝首を欠かれ、閬中に横死することになるのした。

と、この言い回し、



…言葉を選ぶなあ
週末はアブノーマル。さあ、サディズムいくぞ〜 - 今日は安物スキァナが大活躍 -

を丸写ししました。

………
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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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目的をもってする加虐被虐はSMにあらず、今更ながら

昨1日来つい夕刻までライブドアブログ全般にわたり、大規模システム障害が起こっていた。
掲示板サイトは大賑わいである。
こんな声があった。

「こんな欠陥だらけにライブドアにしがみ付くのはマゾヒスト」

言わずもがな、話を面白くするために、あえて間違ったことをいっているのであるが、ここから話が膨らむ。
目的のための我慢は、マゾヒズムでないのは勿論のこと、マゾヒスティックですらもない。
にも拘らずSM談義においては、しばしば話が混線する。
論者はかつて、次のように発言した。

>利益を追求しない企業体など社会悪以外の何者でもない。
>そして、目的をもってする加虐被虐はSMでもなんでもない。
>前者は存在意義から、後者は辞書的語義から導き出される。

と、その詳説である。

まずは時代劇によくある光景だ。くノ一が捕らえられ逆さづりにされ青竹で打たれるシーン。
青竹を振るってる警吏はサディストでもなんでもないでだろう。
密書のありかを吐かせるという「目的」があって虐待を加えてるのであって、虐待そのものが目的じゃなのだから。

そして、逆のケースとしてあげたのが、女性トレーナーに師事するボクサー志望の青年の例だ。
青年が、異性である女性トレーナーから痛めつけられることに喜びを感じるのは、強くなりたいという「目的」に近づけるから…
見た目ややってることは全く同じでも、天地ほどの差があるということである。

さて改めて自らの過去発言を見返すに。
前者・警吏の例は、(潜在的)サディズムの昇華である可能性はある。
趣味と実益を兼ねた「サディズムの有効利用」とまで話を広げたら前提が崩れてしまうものの兎も角、昇華である可能性だけは付け加えておこう。
ただ後者・ボクサー志望の例は、どうやってもマゾヒズムには結びつかない。
言うまでもなかろう。(いつまでも)痛めつけられること(そのもの)を喜んでいたなら、本来の目的が果たせなくなるではないか。

それだけマゾヒズムというものは自己矛盾的なのである。



注* 元記事の投稿は6/2宵の口ころです。
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エムマニア

激ヤバ画像につき… -僕をクリックすると見られるYO
 たまにはブログらしく日常の身近な出来事を書いてみよう。コンビニでこのお菓子のパッケージが目に飛び込んできた。よく見るとそれは「ミルクマニア」と書かれているのに僕はそれを

「Mマニア」

 という視覚情報で受け取ってしまいちょっとびっくりした。そして苦笑いしながら、普段チョコレートなんか買わないのに、つい衝動買いしてしまった。

 別に年がら年中マゾヒズムのことについて考えているわけではないのだが、己の性癖の深刻な影響がこういうところにも現れてくるのでしょうか。ほとんどビョーキですね。

 このチョコは美味しかったです。


注* 原文には激ヤバ画像があります。ネット倫理を考慮し、元記事CG部加工の上転載しました。
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光明皇后 − 名もなき婦人になじられた慈愛の人

2af53c8a.jpg今更であるが、論者は自他共に認めるへそ曲がりである。
へそ曲がりというのはいつの時代にもいる。
本稿の主役である光明皇后の奈良時代にも勿論。

光明皇后。奈良時代の人、聖武天皇の皇后。
仏教に篤く帰依した慈愛の人。貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行った。

そんな彼女は下々からすれば、天女のような存在だったろう。
「大君は神にしませば」の天武持統時代からは時がたったとはいえ、壬申パワーの強烈なエネルギーは未だ継続中である。
その天女自ら傷ついた兵士の治療にあたる、手ずから傷口を洗い包帯を巻く…
もったいなや、ありがたや、と手を合わせる兵士や家族たちの姿がまざまざと浮かぶ。

ところが、その場に一人だけ例外がいた。本稿二人目の主役である。
その名もなき女は皇后を睨みすえ、こう詰問した。

「皇后様は本当に惨いお方だ。かつて貴女様は、そうやって私の父を戦に駆り立てて戦死させました。そして、今度は夫を… この次は同じ方法で息子を奪おうというのでしょうか?」

まあ多分なら後の時代の別逸話からの創作ではあろうが、目から鱗である。
特にこのブログとすれば、語るべきものが大きい。

慈しみ、慈愛ほど人に安らぎをもたらすものはないだろう。
そして恐ろしいものはない。
皇后は全くの奉仕の精神で下賎な兵士たちの治療にあたった。無償の愛だ、将しく慈母の如し。
ここに全く別の天邪鬼の虫が入る。
無償の愛に対して、人は恩返しをしたくなるものだ。
娘のことも忘れ、妻の嘆きも考えず、母の悲痛の叫びも耳に届かず、ただひたすら恩ある慈母・光明皇后ために命をも投げ出して報いる…

これぞ、Female Domination という感じだ。
意外や意外、この慈愛の皇后こそが最も過酷な支配者だったのである。

そしてそれを暴いたのが、へそ曲がりの精神、これもまた本稿の結論。

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ゲルマン神話の創造者たち − 「ロキの口論」34節に見る興味深い逸話

7ad50dc5.JPGネットにおける男性マゾヒストたちは嗜好に偏りがある の稿で、実験などという不遜な言い方をした論者である。
いや、事実のその甲斐あり、件のサイトリンク元ワードを辿っているうちに副題の箇所を知ったのだ。

ゲルマン神話の大特徴は、最後に破滅を迎える点であろう。
全編のバックボーンをなるアゥスガルズルの神々と巨人族の戦い… いかにも狩猟民族らしい闘争心旺盛な展開である。
さて、本論の狂言回したるロキ神は神話の中でも非常に大きな位置を占める。
概略をいえば神々の座に連なるも元は巨人族の出身、共倒れとなるラストバトル・ラグナロクにおいては寝返って巨人族に付くことになる。
「〜口論」はそこに至るプレリュード部だ。
酒席のいさかいから、ロキは居合わせた同僚神の醜聞裏話を暴露し次々コキ下ろしていくというものである。
詩仕立てであるから節がある。途中からはじめよう。

段は女神フレイヤの醜聞を暴き、矛先が彼女の兄フレイにも及ばんとしたときである。
この美男美女兄妹の父であるニヨルドが口を開く。「こんな奴にとりあうな」と。
そこで、間髪入れずロキが返したのが34節、ニヨルド神人質時代の苦話暴露だ。

「便器野郎がずいぶんな口を叩くじゃねーか。てめぇが人質として東の神々ンところに送られて来た時、その口は、ヒュミルの娘たちのトイレ代わりに使われただろうが」

なんと! 
…かくのごときなのである。

思えばゲルマンの神話創部たちの心底には汚涜症サディズムの傾向が色濃くあったのではないか?
美しいもの・権威あるものを創っては穢す、ぶち壊す。
総括的量的な極がラグナロクならば、局所的質的な極がこの「ロキの口論」34節、人間便器ならぬ『神便器』の創造だ。
巨人ヒュミルその人ではなく、娘たちになっているところが様々な意味で興味深く、故に本サイトの論題たりうるのであるが…

ここは結論を述べるにとどめ、詳説はしかるべき後日に譲り別題とあわせ論じたい。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


ギリシア神話の創造者たち − 狩人アクタイオンに対する女神アルテミスの残酷行為を見る

7ad50dc5.JPGさて、クララ・シューマンの稿で論じたアマゾネスというのはギリシア神話に出典する。
ギリシア神話… 念には及ばぬと思うが今のギリシア共和国の神話ではない。
南欧から小アジア、地中海の島々はてはアフリカにいたる広大な地域に伝わる伝承の集大成である。
それ故に、最有名の世界神話なのであるが。
本稿はそのギリシア神話のほんの一説を俎上に論を進めよう。

アルテミス、ローマ神話に入ればディアナ。最高神であるゼウスの娘にして、太陽神アポロンの双子の妹。
余談であるが、日本神話のアマテラス・ツクヨミ姉弟とは逆順の日月神である。
そして、この月の女神は野生動物の棲む野山を支配しする狩の女神でもあった。
であるからして背が高くて愛らしい。兄アポロンと同じく優れた弓の射手にして、短い上着で軽装し猟犬や小鹿を連れ、美しいニンフを従えて弓を手に矢筒を背にして野山を駆け回る女狩人の姿で表される。

して、もうひとりの主役である狩人アクタイオンの登場だ。
アルテミスとその供のニンフは、狩猟のあいまに山間の川や静かな池で水浴びするのが好きであった。
ある日森をさまよっていた狩人アクタイオンは、、たまたまその光景を見てしまったのである。
それに気づいたこの処女神は激怒する。

「人間よ、町に帰りアルテミスの裸を見たと言いふらせ。できるものであるならば」

と、彼に水をはねかけ、鹿の姿に変えてしまうのである。
そのために、アクタイオンは自分の猟犬に襲われ、八つ裂きにされてしまった。

論者は最初これを読んだ日の夜、恐ろしさのあまりうなされてしまった。
この残酷逸話の作者は男女いずれであろうか?
激怒云々の点から見ると男性に思われる。すなわち男性が思い描く女性像(処女像)であるということだ。
別に女とて、偶発的に裸を見られたのであれば腹を立てはしない。
怒るのは意図的に覗き見られたとき、その劣情に腹を立てるだけだ。早田夫人の稿で述べたか?

さりとて、男性が創ったものだとすれば、それ以降の女神の行動はできすぎである。
全てを忘れるほど取り乱し、あとさきもなく復讐的加虐行為に走る…
男性に裸を見られて感じるあの羞恥を知っている者でなければ出てこないような気がする。

まあ、男女合作なのであろう。いやいや、間違いない。
だからこそ、民話伝承、だからこそ時代を超越して未来永劫人々に大きな教訓をもたらすのである。

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菊の地酒

九月菊に盃、花札9月にふさわしい日本酒があるのを見つけました。
その名も『菊姫』、霊峰白山より出る水に育まれた加賀の地酒のようです。

各地の地酒というのも郷土の名産なのでしょうねえ。
またある地方の地酒で『木戸泉』というのは、菊の花に似た黄味を帯びているのが特長とか。
まあ、僕は酒をやりませんから、よく分かりませんけど、それでも日本的なよさということだけは実感できます。

のんべえで知られる江戸時代の狂歌師・大田蜀山人センセーあたりにかかったらこうです。

     世をすてて 山に入るとも 味噌醤油 酒のかよひぢ なくて叶はじ

ねえ、お酒って美味しいの?

と、この言い回し、



ここらでひとつ軽いものを挟んで、っと

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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燕と隼

燕11月・柳(雨)の10点札に描かれますのは、燕です。
花札に燕がいることはあまり印象に残りませんよねえ。前にも言いましたか?
これも、20点札の道風のイメージが強いせいでしょう。
今日は再び、この目立たない燕を話題にしましょうか。

燕、燕。
1 スズメ目ツバメ科の鳥。全長一七センチくらい。上面が黒く下面は白、額・のどが赤い。翼が細長く、尾も長くて先が二またに分かれており、敏捷に飛びながら昆虫を捕食。日本には夏鳥として渡来し、人家などに椀形の巣を作る。ツバメ科の鳥はほぼ全世界に約七五種が分布。日本では、ほかにショウドウツバメ・イワツバメ・コシアカツバメなども繁殖する。つばくら。つばくろ。つばくらめ。《季 春 子=夏》

  大津絵に 糞落しゆく 燕かな (蕪村)

「つばむ」からきてるようですね。それから、やっぱり夏鳥…
なになに? 2の意味は?
2 年上の女性にかわいがられる若い男

…話題を振りましょう。辞書にはない3の意味を。

3 2004年(平成16年)3月以降、九州旅客鉄道(JR九州)の九州新幹線新八代駅〜鹿児島中央駅間を運行している新幹線列車の愛称を指す。「つばめ」の名称はその起源を1930年(昭和5年)10月まで遡り、戦前・戦後を通じ国鉄を代表する特急列車の愛称とされてきた歴史がある。

と、その敏捷な動作から九州内の特急の愛称として用いられ、長いこと親しまれているのが燕なのです。
面白い話があったらしいですよ。
やはり今はなくなってしまった、東京−西鹿児島 の寝台特急「はやぶさ」、
「つばめ」は大牟田の駅でこの「はやぶさ」を追い抜いてしまうのです。
「はやぶさがつばめに食われてたんじゃ洒落になんねぇ」なぜか散々聞かされている僕です。

こうした国鉄時代の逸話には古き佳き日々の匂いが感じられますよねえ。
言うまでもなく、今はJRという民間会社。
お役所仕事を脱皮するための民営化は、果たしてよい結果をもたらしているのでしょうか?
いいとこ両取を目論んで、その結果は? という事態にならなければいいのですけど。
訓話としてよく用いられる話を紹介します。皮肉屋で知られるバーナード・ショウが某女優からプロポーズされたときの逸話があるでしょう。

♀「貴男の明晰な頭脳と私の豊満な肉体を兼ね備えた子供が生まれたらどんなに素晴らしいことでしょう!」
♂「(スカサズ、ニャットワライ)しかし、私の貧弱な肉体と貴女のお粗末なオツムを持った子供が生まれたとしたら、こらまた悲劇でしょうな」

優性遺伝もあれば、劣性遺伝もあり、、、

と、この言い回し、



えっ!? BBSを覗くと、、、

を丸写ししました。
これまた2度目。
どうや彼女、ら同人のことを当てこすってるみたいね、…って…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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クララ・シューマン − 賢婦人? アマゾネス?

21cd2259.jpg本稿で論ずるのは、未亡人となったの後のヨハネス・ブラームスとの浮名についてではない。
おっと、突拍子もなかったか?
クララ・シューマン。かのロベルト・シューマンの妻。
自身もピアニスト、作曲家として名高い。

激動の19世紀、このように家庭人兼職業婦人として活躍したクララを賢婦人と称える声が高い一方、陰口も聞かれる。
「あれはアマゾネスだ」 多分毒舌家として『名高い』ベルリオーズあたりだったと思う。
まあ、歴史に名を残す業績を残したのだから、それなりの努力、このブログで再三引いている分析学上の用語を用うればサディズムの有効利用はあったであろう。

ただまあ。夫と並んだ肖像画を見る限り、彼女はそんな大女でいない。
アマゾネスというのは唯の悪口に近いと思料する。
そうであろう? アマゾネスというのは大女・筋肉女という意味合いが強い。
そして、その種の女性はとかく言われるもの…

平均身長ちょうど位の論者であるが、小学校のころは一番背の高い(背も高いと言うべきか?)部類だった。
結構暴れもしたのでクラスの男子たちにすれば、さしずめアマゾネスに思えていたに違いない。
この余談、例のマゾ男性向けSM創作短編集に書いておいた。
だが。

むしろ論者のケースは例外であると言える。
大柄な女性というのは、大概はおとなしいものである。過去稿・みよ女で触れた、最長身女性YMはどんなことをされても決して喧嘩をしなかったと聞く。
その相関(逆相関)は本質的なものであるのか?
まあ、190センチ小学生・YM女史は、そうならざるを得ないとしても、通常なら女性対男性、女性の方が2回り3回りくらい大きくてちょうど互角の体力勝負になるのではないだろうか?
大柄な男性ならいざ知らず、女性がおとなしくしなければならない必然性はない。

結論的に言えるのは、そのように育てられているから。
つまりは、
身体が大きくて(力が強くて)お嫁の貰い手がないのだから、せめておとなしくしなさい。
あの決め台詞を聞かされ続けたがために、後天的にそうなってしまっているのであると言えよう。

男女両性の歴史が、現在まで女性に隷属的マゾヒズムを押し付けていたため、まるでそれが本質であるようになった…
既出、カーレン・ホルナイ女史ら社会分析派のフロイドへの反論にもつながるこのトピックスである。




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【御転婆天地驚動組合】
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


考えるマゾ



 僕は小学生の頃からすでに、好きな女の子から虐められてみたい、とかいう(かわいいレベル?)の妄想を抱いておりましたが、それと同時に、自分がどうしてそんな奇妙な幻想を抱けるのかが不思議でした。自分自身が理解できない。子どもの頃はそんな自分がが嫌いだったのでけっこう劣等感がありましたが、大人になってからは開きなおることができました。変態な自分がいとおしくさえ思える。ただ、たんに変態である、変人であるということで納得すればいいのだが、ではなぜ変態なのか?という疑問は相変わらず残るわけです。

 だから、大人になってからSMクラブに行けるようになって、「鞭で打って下さい」と

お金を払ってまで お願いしてしまう行動力の源とはいったいなんなのだろう?

 というようなことも考えるようになりました。自分でも「よくやるよ」って思う。はては、ここではとても書けないくらいチョー恥ずかしいことをしてくださいなどと臆面もなく言えてしまう自分が、とても不思議。恥知らずな自分がまた心地よい。バカだよね。
 そうでない人もいるからには、その差はなんなのか。個性とはまた別の差異のような気がするわけです。

 画像は女の子に虐められる男の子をテーマにした作品を発表している伊藤一蔵氏のサイト Girl Beats Boy より




 注* リンクの場所を一蔵氏・非営業時代のサイトに変えて掲載しました。提携業者以外の宣伝をするものなんですので。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ネット業者・伊藤一蔵商店 様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
こっちだけ商売してしまいましたぁ!

阿漕な僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
posted by homer_2006 | Comment(0) | マゾヒズムに花束を!


鶴(タヅ)鳴き渡る

鶴そもそも花札というものは、徳川幕府の鎖国政策に伴い禁制品となってしまったトランプの模造品・代用品として作られていったもの、投稿日付では後日となりますが前に何度か書きました。
と、なると、1月は各組のエースということです。道理で松を持ってきてるわけですね。
とりわけ光札(20点札)は、豪華であってしかるべきです。
今日は久々、配置されている動物である、鶴の話をしてみましょう。

今更言うまでもなく、ツル目・ツル科(Gruidae)に分類される鳥の総称、長いくちばし・首・足をもつ大型の水鳥ですよね。
「鶴は千年、亀は万年」といわれるように、古くからカメとともに長寿の象徴として親しまれ、昔話にもよく登場します。
ただ残念ながら、松の木にとまっている図は虚構です。差し詰め、コウノトリやサギなどを鶴に置き換えたものでしょう。
古代人のもつ白い鳥に対する憧憬がそうさせたものであることは想像に難くありません。

  わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る

万葉集の有名な歌ですね。
そうそう、書き言葉では『タヅ』ですけど、話し言葉では既に万葉時代から『ツル』だったらしいですよ。
うーん、せっかくの名歌ですから全部目を通しましょうか

 神亀元年甲子冬十月五日、紀伊国に幸(いでま)しし時、山部宿彌赤人の作る歌

 やすみしし わご大君の 常宮と 仕へまつれる 雄賀野ゆ 背向に見ゆる 沖つ島 清き渚に 風 吹けば 自浪騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より 然そ貴き玉津島山 (巻六−九一七)

 反歌二首

 沖つ島 荒磯の玉藻 潮干満ちて 隠ろひゆかぱ 思ほえむかも (巻六−九一八)

 わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (巻六−九一九)

 右は年月を記さす。但し玉津島に従駕(おほみとも)すといへり。因って今行幸の年月を検注して以ちて載す。

[歌意]この世をお治めになるわが天皇の永遠につづく御殿として、お仕え中しあげている雄賀野の宮の地から、うしろの方に見える沖の島の清らかななぎさには、風が吹くと白浪がさわぎ、湖が干ると美しい藻を刈りつつ、神代の昔から、このようにもマア尊い玉津島山であるよ。
沖の方の島の荒涼とした磯の美しい藻は、潮の干たところに潮が満ちてきで、海水に隠れてしまったら、心ひかれて思われることだろうナア。
わかの浦に潮が満ちてくると、干潟が無くなるので、葦辺の方をさして、鶴がずうっと鳴いてゆく。
[語意]「神亀元年」は、七二四年、聖武天皇の最初の年。「十月五日」続日本紀によれぱ十月五日に平城京を出て、八日に玉津島頓宮に着き、滞留十余日、廿一日に和泉に帰って、廿三日に帰京となっている。「山部宿禰赤人」は既出。「常宮」は、永久につづく宮殿。「雄賀野」は、和歌山市の市街地の南部で、和歌浦町の西北に接する一帯の地。

とまあ、万葉学者の犬養先生の講義に沿えばこんな感じです。

うーん、長歌反歌一体となった美の描写。
長歌が観念的時間的に歌えば、反歌はそれを受けて具象的空間的に歌う。
第一反歌が引き潮を歌えば、第二反歌は満ち潮を歌う。
長歌+反歌2首のセットでなければならない。
ですか。

最後に先生は、玉津島といえば赤人の歌、和歌山という地名になったくらいに切っても切り離せなくなった、この景観を残さなければならないと締めくくってました。

ヘドロで海苔も作れなくなった…
そういえばある方の地元も昔は海苔の産地だったんですよねえ。
まあ、こちらはヘドロより先に埋め立てで海岸がなくなってしまったらしいのですが。

ねえ、皆さん。
本当に日本は埋め立てまでして土地を作らなければならないほど狭い国土なんでしょうか?
簡単な計算問題。

日本の国土は38万平方キロ。
人口が、大幅に社会増して、1億9000万人になったとしましょうか。
一人あたり、どれだけの広さになるでしょう?

と、この言い回し、



よーし、「公約」どおり

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


江藤幸子 − 『須賀川のオウム』の教祖たる祈祷師

cee77883.jpg悪魔祓いと称して6人を撲殺しミイラ化した遺体と寝起きしていた…
かくも奇怪きわまる猟奇事件の印象が薄いのは、発覚した1995年当時、かのオウム真理教が世間の注目を一手に集めていたためであろう。
僅かに副題にしたようなフレーズをつけた報道がなされた程度にとどまった。

考えられたい。
これは大変な事件であろう。
例えば犠牲者の数は、和歌山毒カレー事件のそれを上回る。
何よりも、その猟奇性だ。半ばミイラ化した遺体と寝起きしていたとは!
江藤たちは、「魂は死んでいないので、そのまま寝かせていた」と本気で信じていたというのだ。

論者も江藤の宗教を理解にするには至らない。
従って地裁・高裁と同様に、これは殺人・死体遺棄事件であると判断するしかない。
そして心理分析的には、典型的な屍体愛好の事例であると位置づける。

宗教か?
仮に100%そうであったとしてもだ。
屍体愛好は屍体愛好である。
殺したという部分では(宗教というファクターがあるがために)、サディズムが介入したかどうかは判断はつかぬも、こちらの理由で彼女の行為は押しも押されぬサディズム心理に基づくものと言えるのではなかろうか?

さて既にいくつか論題にしたように、女性による凶悪猟奇事件が多発する昨今。
そちらの方の理由からも、本稿・江藤幸子事件は益々人々の印象から遠い存在となりつつあると感じる。

また1稿、投稿が増えそうな予感のするこのところのニュース報道である。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


紅梅・黄鶯

梅鶯梅のタネ札は、鶯との『花鳥合わせ』、本当にベストな組み合わせです。

  紅梅わずかに開き、黄鶯しきりに囀る

これは百人一首選者・藤原定家がその日記である『明月記』に晩年書き残した一文です。
定家という人は病気のデパートといっていいくらい多くの疾病に悩まされていたらしいですよ。
おそらく、上の日記を書いたときには既に目も殆ど見えなかったと思います。
その殆ど見えない目にも、梅鶯はきちっと移っていたということですね。
若いころ、大いに楽しんだあの光景…

もう少し時代を遡りましょう。
万葉集は巻三.三三二&三三三。九州は大宰府の長官をやっていた時代の大伴旅人の歌です。

  わが盛り また変若めやも ほとほとに 寧楽の都を 見ずかなりなむ

  わが命も 常にあらぬか 昔見し 象の小川を 行きて見むため

旅人が大宰府に赴任したのは60過ぎになってからです。
生涯現役などと言われている現代でもそろそろ隠居かなあっいう年齢ですよねえ。
しかも、行き来だけで片道一月以上かかる鄙の地、妻に先立たれた旅人の心中は察するに余りあります。

「わたしの盛りの年が、またもどってくることがあろうか。ひょっとすると、奈良の都を見ずに終わることであろうか。」
「私の命も、いつまでもあってくれないかなあ。昔見た象の小川を、行って見ようために。」

昔見し 象の小川を 今見れば いよよ清けく なりにけるかも

  おそらく旅人自身、生きて都に戻れないことを承知してたんだと思います。

ところが、意外にも66歳のとき都に戻ることになるのですよねえ。

と、この言い回し、



望郷+都志向

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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ネットにおける集団サディズム

鶏は残酷な生き物で血を流している仲間がいると全員で突付いて殺してしまう…
とある財界人が、このフレーズを基に著書を著している。勿論人間行動についてだ。
一言で言えば集団サディズムということになるのだが、ネット巷間において件の顕例行動を多々見ている論者である。

過去稿において「絶対悪・スパム」を論じた。
話は後先になったのであるが、先に論じなければならなかったのは、もっと前から用いられている用語である「荒らし」の方であろう。
果たしてどのような意味なのか?
この言葉を好まぬ論者がたった一度だけ使ったときは、管理する掲示板に違法広告を貼られたときのことをイメージした。
だが、これは一般的に用いられている用例からは距離がある。普通言われている荒らしとはもっと曖昧模糊とした意味であることは付け加えるまでもなかろう。
結論めいたことを言えば、つまるところ荒らしとは、「荒らし」と名指しする人間の気に入らない言動のことに過ぎないのである。
元より客観的な判定尺度などありえない。

そうであろう?
違法性があるとか、その他社会規範に反行する言動であれば、その旨を具体的に指摘すればよいだけだ。それがないものだから、「荒らし」などと声高にまくし立てなければならないのである。
『空気』ってのは何なのであるか!?
誤解なきよう念を押せば、あくまでも普遍的一般的に語義を述べるという前提の基の『結論』だ。

そこで「絶対悪・荒らし」に話が繋がるのである。
拵えたものだと承知の上でならいい。例えば、掲示板群サイトの運営陣のように。
だが、本気でそんなものがあると信じて「荒らし」「荒らし」とまくし立てるとなると…

そういった連中の行動心理は、ちょうど10歳内外の女児が意地悪するときのそれだ。
ほら、あるであろう? 「何々ちゃんは嫌いだから皆遊ばないようにしようね」
いや、決して侮ってはならない。
幼いが故の残酷さ、男性よりも女性の方が残酷なことを平気でする、何度か論じているとおりである。
それが証拠に、大の大人が平気で「荒らし云々」と口走る、「荒らしが入ってきたときは全員で撃退するシステムを開発しました」などというSEが出てくる。
児戯がそのまま共通認識(めいたもの?)となっているネット空間なのである。
「鶏は…」

魔女狩りという有名な史実がある。
閉鎖空間における集団ヒステリーの典型なのであるが、オープンなネット空間でこれが繰り広げられるとは?
やはり、ネットを閉鎖空間と錯覚している向きが多い証拠なのであろう。

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内に内にと性向する男性マゾフェチサイト

マゾヒズムとは個の持つ攻撃本能が内に向いた症状、サディズムとはそれが外に向いた症状。
故にサディズムはマゾヒズムを克服した状態である…
この分析心理学の学説を、歴史上の人物に検証している本ブログである。
で、本稿はネット上の事例を鑑みるとする。

少し前であるが論者は、「何故(男性)Mサイトばかり(目の敵にするのか)?」と言われた。
まあ誤認識の上での件の発言であったのだが、ある意味当たっている箇所もあるので、ここから切り込もう。
して、当たっているとは?
この種のサイトの現況をつらつらみるに、非常に危険だと感じているということなのだ。

具体的に言おうか。
「本サイトは○○向きです」「○○癖以外は閲覧しないでください」
こんな注意書きのあるものは、他に例をみない。
万人の閲覧できる場所に提示しておいてこの言い草はナンセンスの極みである、といいたいのはさておいて。
将に「攻撃本能(その他一切のエネルギー)が内に(のみ)向いている」の典型例なのだ。
しかもこの傾向にあるのは(男性が主催する男性)マゾフェチサイトと呼ばれるところくらい、それ故に論者が目の敵にしてるように写るのかもしれない。

好意的にみれば、自らの内なる性向を社会からは受け入れられにくいものだと自覚しているともとれなくもないか?
マゾフェチサイトのそうした傾向を嫌い『マゾ』『フェチ』の文言を外してしまっているところはもっとたちが悪い。
この面々が好んで使うのが『M』なる略称、異常性を現す語句でプロパガンダしながら、ちゃんと(マゾヒズムじゃないぞ、Mだぞ)逃げ道を打っているところがしたたかだ。
展示会その他の販売イベントの際は、何食わぬ顔で『特殊性癖』を前面に打ち出して商売する人たちである。
商業目的侮るべからず、ということで非商業目的に戻す。

さて、人間の性は男女の2通りのみ、そして原則反対性からパートナーを見つける。
互いにパートナー候補となりうる論者からかけられる言葉は、
内に篭らず自己の内面を見直し、克服すべきは克服してくださいよ、
こんなところであろう。

頑張れ、日本男児。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


徴側・徴弐 (チェン姉妹) − 西暦1世紀、後漢に反攻したベトナムの民族的英雄

5b70e849.jpg突然であるが各位は、世界一、戦の強い国、弱い国はどこと考えるか?
因みに論者は、それぞれベトナム、ロシアをあげる。
ロシアというのは広大な国土の割には案外攻められやすく、数々の歴史的大敗を喫している。
ジンギスカンにやられ、ナポレオンにやられ、ヒットラーにやられ…
しかもその全てにおいて、首都モスクワを陥落させられている。
これとは対照的にベトナムは…

先ず思い出すのは、20世紀の米国との戦いであろう。
それからジンギスカンが興したところの蒙古帝国にも戦勝した。
神風に助けれたわが国とは違い、堂々戦火を交え打ち勝ったのである。
他国に攻められても負けない… その全民族的心底にあるのが本日俎上にあげた、徴側(チュン=チャック)・徴弐(チュン=ニ)姉妹の英雄譚であろう。
時は西暦二桁の時代、かのイエスキリストのころである。

中国は漢のころから揚子江の南にも勢力を伸ばした。
江南は一くくりに交州と呼ばれていたのである。
南越(なんえつ)今で言うところのベトナムのその一部として漢朝の太守がおかれていた。
こうなると、お決まりのパターンがある。中央官吏による搾取。
そこで蜂起したのがハイ・パ・チュン、この姉妹である。
反乱勢力はインドシナ半島のみならず現在の中国南部にまで広がり、姉はその盟主として女王の座についた。

そこで中央政府が派遣したのが、かの伏波将軍・馬援である。
反乱勢力は伏波将軍に鎮圧され、姉妹は敗死する。
日本で言えば10世紀の平将門のケースとよく似ている。それだけ歴史の古い国だということであろう。

そして、ベトナムの将門は女性であった。
強女萌えを自認する男性各位の感想は如何であろう?
それを提起するための本稿である。

さて話を戻して、馬援であるが。
民族的英雄を倒したとあっては、さぞやベトナムの人々に恨まれているかと思いきや、必ずしもそうではないようである。
これは、かの国の『大南国史演歌』の一説である。

 …漢は馬援を将として 我を討つべく差(つか)わせば
 西湖のほとりを血に染めて 干戈交ゆる数百合
 されどかよわき手弱女が など英雄に敵すべき
 弓折れ矢尽き禁渓(かまけい)に 最後はあわれ落ちゆきて
 武運拙き姉妹は 無情の川に身を投げぬ
 戦いおわり伏波将軍が 銅柱ここにたつという…
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


金魚マゾ

 これは「救いようのないマゾ」という意味だそうです。

 まったくマゾヒズムという習性は、自分でも救いようがないものだよと思う。いったいどうして、このような願望が存在し得るというのだろう? 
未だに不思議でしょうがありません。

 こんなマゾな自分が言うのも変な話ですが、

誰がどう考えたってそうでしょ?

 様々な好みの種類(痛いのが好き、恥ずかしいのがいい、舐めたい、踏まれたい、等々 etc...)があるとはいえ、基本的に地球上に存在する生き物として、こんなおバカなこと考えているヤツって、人間だけ。
 (他の動物さんの意見を聞いたことはありませんが ^^ )

 しかも、普通の性欲よりも強い願望としても成り立つメンタリティには、この世に生きるものとしての根本的な存在意義すら問われるのではないか、などと時々悲観的な気分にもなります。

 これは、「宇宙の果てにはいったい何があるのだろう?」という普遍的なナゾと同じくらい、僕にとっては重大な疑問なのである。

 だけど、いつもは面倒くさいから、そんなこといったって、

好きなものは好きなんだからいいじゃん!

と、半分開きなおることにしている。

  「マゾヒズムの発明」とか、ミシェル・フーコーの難しい著作を読んでみても、なんとなくわかったような気がしてわからないのがマゾの心理。

 これを追求することは、結局「人間とは何か?」という問いかけにもなってくるのである。

 マゾヒズムが救いようがなくて、無様でミジメでもうどうしようもないのに対して、サディズムの方はかっこいい。心理的にもまだ説明がつきそうな気がする。(←説明できないけどね) 

 だって「救いようのないサド」という表現は、どこか不自然な気がしませんか? サディストって、例えば縄師さんとか緊縛師、そして女王様も含めていわゆる「S側」の人達って皆さんとてもスタイリッシュでクール。

 サディズムとはまた違うのかもしれませんが、憎たらしくてきらいなヤツをぶん殴ってみたいという気持ちは理解できる。これと同じようなベクトルで、可愛さあまって憎さ百倍的に、本当は好きな人を虐めてみたい、という、いわば愛し方の種類としても、まあ、納得はできる。

 でも、僕は本来暴力そのものが嫌いでして、女性から暴行を受けるのが好きというわけではありません。SMプレイのジャンルに「格闘技系」みたいのがあるけど、あれはちょっと勘弁してほしい。
(好きな方には申し訳ないけど、プロレス自体があまり興味がないもので)

 もっと僕が好きなのは、美しいものを崇拝する気持ち のようなもので、その相手にのみ服従し、その美の前においてのみ恥ずかしい姿をさらすことが出来る、という感じです。だから公開羞恥プレイのようなのは、ちょっとイヤかな。

 ま〜、偉そうにナンダカンダ言ってみたところで、僕がキンギョマゾであることにかわりはないのですが...


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雨など降るもをかし

雨光今更繰り返すもなく、花札11月・柳の別名は雨です。
空から降ってくるものは、なんで雨なんでしょうか?
地球は水の惑星、すべての生命体の命の源たるその水は天から降ってくるのです。
よくよく考えれば不思議なものでして。

そして、我々日本人の祖先たちはそれを風雅として楽しむこころを持っていました。
雨など降るもをかし、枕草子にもありますよねえ。
ああそうだ。この記事を書いているのは6月で真冬の話をしたあの日の翌日なんですよ。
バランスをとる意味で、今度は11月で晩春から初夏の話を書きましょう。
ということで、「香爐峰の雪」の続編です。
傘を持たず雨にあったとき、彼女たち一部女子高校生は「今日は山吹(の花)」というらしいでよ。

江戸城を築城した、あの太田道灌の逸話からきてるとお分かりになるかたも多いでしょう。
この話をするためにはまず元逸話である、「後拾遺和歌集 」兼明親王の話をしなければなりません。

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兼明親王(914-987)が京都の小倉に住んでいた頃、雨の日に蓑を借りたいと言う来客に、代わりに山吹の枝を折って持たせて帰らせました。
後日、その客が山吹を渡された意味が判らないと聞いて来たので、親王はこの歌を返したそうです。

  七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞあやしき

そこには、一重の山吹は実が成るけれど、八重咲きの山吹はいくら花が咲いても一つも実は成らない。
それから引いて、貸すべき蓑のひとつも無いのは心苦しい事だという寓意が含まれていました。

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その元逸話を引いたとこで道灌の逸話になります。

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あるとき、道灌は遠乗りに出ました。そこに降ってきた突然の雨。
困った道灌は、近くの民家を訪ね蓑を所望しました。
すると、応対に出た一人の娘、道灌をじっと見つめたのち、すっと外に。
やがてずぶぬれになって戻ってきた娘は、蓑ではなく「一輪の山吹の花」をそっと差し出し、無言でひざまづく。
何のことか分からない道灌は、憤慨して帰路に着きました。

その夜、道灌が近臣にこのことを語ったところ、近臣の一人、中村重頼が進み出て謎解きをしたのです。

  七重八重、花は咲けども 山吹の みの一つだに なきぞ悲しき

これを聞いた道灌は、名もなき少女ですら知っていた逸話を知らなかった不明を恥じ、詩歌の道を勉強することになるのです。

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と、まあ、こんな話でしたね。
正直僕は、少女がこの歌を詠んだのだと思ってたのですが。

馬鹿にしないでくださいよ。
胡桃沢耕史さんも同じ勘違いしてたんですから。
『夜明けを奔る旗手』読んでね。

と、この言い回し、今更断るまでもなく、



山吹の花

を巧みに丸写ししました。
ま、いつものパターンを崩したくないから、いきますか。

………
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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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岡本千鶴子 − 自ら手にかけた娘を含む五遺体と同居

fe2aa1c0.JPG念のために繰り返すが、本ブログは事件報道を目的とするものではない。
少なくとも立ち上げた時点では、そのような意図はなかった。
が、蓋をあけてみると…
と断ったとおり、本稿の論材もサイト開設時には人々の知るところではなかった歴史的事実である。

奇しくも、過去稿・会田美喜の事件に極めて違い場所で起こった歴史事実、時系列的にはこちらの方が少し前になる。
事実状態が不詳であったので少し待ってみた。
にも拘らず、判ったことは副題にしたことくらい、それだけ怪奇な事例であるといえよう。

とは言うものの、本件岡本の事例は心理背景に限っては説明がつきやすい。
殺人(サディズム)と屍体フェチシズムが結びついた症状…
論じたとおり、この二つは非常に結びつきやすいのである。何となれば、屍体愛好の心裏がなければ殺人などというとてつもなく原価性に乏しい行為に及ぶわけがないのだから。

そして、彼女のそれは極めて女性的なもの、ベラ・レンツィのそれと同類であるといえよう。
溺愛する娘を手にかけたこともさることながら、実の子と推定される遺体と何十年も同居し続けたことである。
見方によれば、情が深い。
死んだ、ガスで焼いてしまう、という通例を容認できなかったとするなら、死んだ小猿をミイラなるまで抱いたままでいる母猿の行動にも似る。
更に言えば、屍体崇拝の心裏もまた万人が持つものである。特に仏教徒はそれが強い。(遺骨、遺灰、釈迦の骨である舎利など)

だが、いうまでもなく、程度の問題だ。
その基準を論者が示すことは、おこがましい限りであるので、制度面で踏み込もう。死者は墓所に葬らなければならぬと法律で決まっている。
決まっている以上は、個人的嗜好いかんに拘らず従わざるを得ないだろう。人はエテ公ではないのである。

いつまでも忘れないことも供養なら、忘れることもまた供養ではないか?
ここに『偲ぶ』という言葉がある。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


立てば芍薬 座れば牡丹

牡丹さてさて、花札6月のテーマ植物は牡丹、日本ではあまりなじみのない植物だと繰り返してきました。
ここで詳細を調べてみるに、必ずしもそうとも言い切れないことが解ったので本日の話題としましょう。

牡丹。
ボタン科の落葉低木。高さ一〜二メートル。葉は大きく、羽状複葉で、互生する。五月ごろ、白・紅・紫・黄色などの大形の花が咲く。花びらは五〜八枚あるが、重弁や二段咲きなどさまざまな園芸品種があり、寒牡丹もある。根皮を漢方で女性の浄血薬などに用いる。中国の原産で、古くから栽培。花の王とよばれ、「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」 「深見草」「二十日草(廿日草)」「忘れ草」「鎧草」などの異称もある。ぼうたん。
勿論夏の季語ですよねえ。

 牡丹散りて うちかさなりぬ 二三片 (蕪村)

そうそう。
以前はキンポウゲ科に分類されていたが、おしべ・花床の形状の違いからシャクヤクとともにボタン科にうつされたんだそうですよ。
これで思い出しました。
 
 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花

やまとなでしこのことですよねえ。
実際、中国から伝来した牡丹は8世紀には既に日本で栽培されていたようです。
ただ、文学に登場したのはずっと後、『枕草子』(「殿などのおわしまさで後」の条)が最初、まあ、ここらが馴染みがないと感じられる所以でしょう。

枕草子、奇しくも朔でも話題になりましたよ。
英語かぶれ、最近ではドイツ語もつまみ食いしている僕は、日本古典はからっきし。
知ってる枕草子と言えば、こんな話になっちゃいます。ってことで、季節は一転真冬へとスリップします。

香炉峰下、新たに山居を卜し草堂初めて成り、偶々 東壁に題す

 日高く 睡足りて 猶お起くるに慵し
 小閣に 衾を重ねて 寒さを怕れず
 遺愛寺の鐘は 枕を欹てて聴き
 香爐峰の雪は 簾を撥げて看る
 匡廬は 便ち 是れ名を逃るるの地
 司馬は 仍お 老いを送るの官たり
 心泰く 身寧きは 是れ帰する処
 故郷 何ぞ 独り長安にのみ在らんや

そうですよねえ。作者・清少納言とその主人・中宮定子との謎賭け合戦の下地となった白居易(楽天)の七言律詩ですよ。

突然ですが、独自の女子高校生観をお持ちの皆さん。
彼女たちだって、香爐峰の雪〜の話くらいしますよ。
むしろ積極的に使ってるくらい。
「カーテン(ブラインド)をあけてほしい」という意味の『暗号』で「香爐峰の雪は?」って言ったりね。

関連して、傘を持たず雨にあったとき、「山吹(の花)」。
この話題は後日。

と、この言い回し、



枕草子でおなじみの白居易(楽天)の七言律詩を

を巧みに丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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