『梅に鶯』ではなかった?!

なかった?!.投稿日を2月晦日にして、重大発表をしましょう。

  かの有名な『梅に鶯』、実はあの鳥はウグイスではなかった?!

どうやら真実のようです。あれはメジロ。
昔からよく間違えられているようで、鶯色というのは実のところはメジロ色、、、

うーん。本ブログとしては是が否にも反論しなければいけませんね。
どうしましょう? あれでいくか。

ウグイスに見えたなら、それは鶯でいいじゃないですか?
普段から生物学上の分類など、意識して話をしている僕たちではありません。
例えばタイという魚がありますよねえ。あれなんかも色々な魚をミソクソに『タイ』と称しているだけでしてねえ。
旨い魚は皆タイと呼んでいると言っても過言ではありません。
梅の花につきものの鳥を、全て鶯と呼んでもまた苦しからずですよ。

生物学上の分類を至上としてしまったら、逆にチグハグな話になってしまいます。
例えば本ブログ『梅 - 2月』のカテゴリーで、ウメ科の植物である薔薇の話に継いでしまったら?
つーことで、ここで子規の代表作に行っちゃいましょう。

  くれなゐの 二尺のびたる ばらの芽の 針やはらかに 春雨の降る

どうも僕、この『針やはらかに』がしっくりこないんです。

と、この言い回し、



『針やはらかに』とは?

を丸写ししました。
この程度だったら…さ…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


ゲルマン神話の創造者たち A − 雷神トールの敗北

4fa50e0e.gif北欧神話は一月前に取り上げたか。奇しくも前回と同じく、付属マゾ男性向けSM創作短編集のリンク元解析より寄稿をおもいたった。
即ち。
女子の相撲に関する関心が非常に高いようなのである。
これが、所謂MFファンということになると…
男女が肉体をぶつけ合い万人の目に勝敗が明らかに映る方法での直接対決をする、とのことでそれなりの人気があるのであろう。
まあ残念ながら、『ガールズ ビーツ ボーイズ』のSM性 の稿で結論付けたごとく、(一義的には)SMというわけではない。特に女性側の心裏は。
とはいうものの、かの神話一の勇者トールが女と相撲をとって負けたという逸話は一稿裂くだけの価値はあろう。
論を進めよう。

言いかけたように、雷神トールというのはゲルマン神話一の勇者猛者である。
日本神話で言えばスサノオ、中国四大奇書の世界なら西遊記の孫悟空、三国志の張飛、水滸伝の魯智深あたりに相当する暴れん坊である。
彼が巨人族その他と闘い、これを打つ負かしたエピソードは枚挙に暇がなし。
が、唯一…

ヨトゥンヘイム(巨人の国)訪問の折のトールは負け続け。
全てのコンペティションで悉く負け続ける。
極め付けが彼が最も得意とする腕力勝負、なんと最後の最後トールはエリという女性との相撲勝負において完敗を喫するのである。
ゲルマンの神話創部らしい徹底的な破壊・汚涜と言えよう。
経緯を掻い摘もうか。

この折の、巨人の王ウトガルド=ロキはトールら一行を(表面上は)友好的に迎える。
よって先ほどコンペティションと表現した。早食い競争、かけっこ、当初は歓待のための余興のようなところから始まった。
あるであろう? 負けているうちに段々熱くなってくるということが。
主人ウトガルド=ロキは決して勝ち誇らなかった。だが、これが…
嘲られるよりも、勝ち誇られるほうが、勝ち誇られるよりも、憐れまれるほうが、より腹がたつであろう?

事実トールも自らが酒の飲み比べに負け、更には彼の飼い猫を持ち上げることも出来ず、
「お前さんはいい飲み手だ。だが仕方ない。その体格(つまり彼らは巨人)では」
と同情され完全にきれた。

「小さくても負けはせぬぞ! (巨人の誰かと)直に戦わせろ!!」

やめとけ、やめとけ、怪我するから、という感じか?
巨人王が雷神の対戦相手に選んだのは、ヨポヨポの老婆であった。
…論者・別ブログばりの悪戯演出であったか?
でも、相撲の対戦相手とすれば、これほどの格下もなかろうて。
そして、雷神トールはエリというこの老婆をピクリとも動かすことが出来ないのである。
いくら力をこめてもこめても。ジリジリ押されたトールはついに力つき片ひざをついてしまう。

「勝負あった!」の一声。
ここでノーサイドとなった主客は晩餐をともにすることになるのだが。

翌朝別れ際、ウトガルド=ロキは種明かしをする。全ては彼の魔法…
まあ、どの対戦相手も絶対に勝てない相手であったのである。例えばこの老婆は「時」であった。
どんな屈強の戦士でも時とともに老いてしまう。老いには勝てるわけがないのだ。
訳書によっては直接『老醜』としている本もある。

一方『時代』『時の流れ』と訳しているそれも少なくない。
どんな英傑であっても歴史の流れに抗うことができない…
本論説ブログの一貫した結論と一致する。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


花や今宵の

山桜開口一番話しましたように、花札というのは大変美しいカルタです。
ゲームとしてもルールは簡単で覚えやすく、それでいて奥が深い。僕たち日本人が愛し熱中してきたもの当然と言えるでしょう。
でもまあ、余り熱くなるもはいけません。いつまでもいつまでもきりなく続けるのは考え物です。
一年12ヶ月と決めたら、きっぱりそこで終わりにする、博打の道具に使うなど論外です。
そうですよ、勝っても負けても恨みっこなし、パッと咲いてバッと散る桜の心に学ぼうではありませんか。

と、滅びの美学を話したのは、投稿日ベースで3日前。
三日見ぬ間の桜はどうなりましたかねえ?
マゾヒズムに花札を! の根幹とも言えるべき滅びの美学です。
実際は日付は開きましたが、その続編といきましょう。

    行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし

前にご紹介した平忠度の歌。
出典もすばり、平家物語<九・忠度最期>です。
清盛の弟・薩摩守忠度は名高い歌人だったんですよねえ。

一の谷の戦いで敗れて落ちて行く途中、忠度は岡部六弥太(オカベノロクヤタ)に討たました。
六弥太は最初は討ち取った相手がだれなのか分からなかったんですよ。
と、箙(エビラ)に結びつけてあった書き物を取って見ると、「旅宿の花」という題でこの歌。
岡部六弥太はこれで討ち取った相手が薩摩守であることを知るのです。

箙に歌を手挟んであったことからすれば忠度は、戦の前から死を覚悟していたに相違ありません。
でもですよ。
決して生を投げ出していたわけではないですよ。
見てください、この歌、

 「ゆきくれてこのしたかげをやどとせばはなやこよひのあるじならまし」

旅の途中で日が暮れて、桜の木の下を宿とするならば、花が今夜の宿の主人となり、もてなしてくれるであろうか。

ね? 辞世の類ではないでしょう。
事実鉄漿貴族のなりをした忠度は、昔とった杵柄、柔術まで駆使してあわやというところまで六弥太を追い詰めるのです。

最後の瞬間まで命の限りに戦った、だからこそ死の安定がおとづれる、そして滅びの美学として人のこころを打つのではないでしょうか。

と、この言い回し、



某国営放送ではやらなかったシーン

を全文丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


犯罪者集団・日本経済新聞につける薬はないのか? 〜 月並みな言い回しながら

>> [痴漢逮捕]日経子会社60歳専務が電車内で  2006年11月18日
>
> 電車の中で痴漢をしたとして、警視庁神田署が日本経済新聞社の子会社「日経統合システム」の花輪契志(ひさし)専務(60)を都迷惑防止条例違反容疑で逮捕していたことが分かった。
>花輪専務は容疑を認め、17日に東京簡裁で罰金30万円の略式命令を受けて納付。辞表を提出し同社を退社した。


タイトル同様月並みな表現から入るなら、ついにここまできたか、といったところです。
今までの「犯罪者集団・日本経済新聞」代表選手は大方が若手、より意味合いを伝えるのなら「下っ端」の類でした。
しかるに、今回の花輪選手の場合は本社部長職まで勤め現在は報じられているとおりの肩書きにある、あった人物です。
この点からは、二つのことが読み取れましょう。

先ずは、新聞社自体が「犯罪者集団」であるというフレーズが、満更誇張ばかりではなかったということです。
そうですよねえ? 中枢社員がこうして犯罪者に名を連ねたのですから。
そして今ひとつは、過去に下っ端が起した犯罪について、新聞社は何らの反省もしておらず、口先だけの謝罪のみの無為無策であるということ。
はい、先に重役が犯罪を起し波及で子分が、というのではありませんもの。回り将棋よろしく、段々中枢に近い人物が犯罪戦士として名を連ねていく日本経済新聞社の現況は、近くトップの逮捕すらを予感させる体たらくです。

僕は今、逮捕と言いました。
誤解ないようにないように願いたいのですが僕は、新聞記者が、新聞社社員が逮捕されたらいけないなどとは微塵も感じてませんから、念のため。
いやそれどころか、ジャーナリズム、大いに逮捕者を出しなさい、と言います。
言います。言いますが、但しです。
これは、あくまでも本来のジャーナリズム活動に関連してということですから。

即ち、現行憲法における言論の自由は、必ずしも全ての言論を自由とするものではありません。
ですから、記者の行動は時には法規を逸脱することになるかもしれない。記事の内容とか取材方法がとかがですね。
いいではないですか? 記者たるもの、一度正しいと感じたならあくまでもその信念を貫くべきです。
逮捕・収監、大いに結構! そこまでの信念を持って記事を書きなさい。獄中から己が信念を訴えかけてこそ、記者たるものの本領発揮であると僕は思います。

日本経済新聞社関係逮捕者に視点を戻せば。
残念ながらです。今更言うまでもなく、彼らの起した(起したとされる)犯罪はいずれも、職務とは遥かにかけ離れたところに位置するものであります。
なんともまあ、浴びせかける罵言すら思いつかないほどの破廉恥犯罪…
それに関して憂慮する点を次に掲げましょう。

プロフィールに書いたとおり僕も新聞社に居ましたもので、ジャーナリズム体質と言うのを肌で感じた経験があります。
なんか、こう、権力と戦っているヒーローのごとき者になったような錯覚を起すんですよ。ああ、さっき書きましたか。
だから、逮捕や収監を心中ひそかに美化してしまう帰来にあるのです。それが、いかなる罪状であろうと、味噌も糞もいっしょくたに。
破廉恥犯罪に対する社内のバッシングが欠けている、少なくても他業種の企業に比して弱いのは、このためと言えましょう。

また、起きますよ。
この集団には自浄作用がない、いや、それ以前に各人のですよ。神経が麻痺しちゃってる、道徳観念なんて入社1年目で雲散霧消してしまうんですから。
まあ、そんな新聞業界の体質への嫌気もあって昨年退社し、現在はマゾ男を自称した風俗ライターめいたことをやって食いつないでいる僕です。

さて、表題は「〜つける薬はないのか?」でしたよねえ。
うーん、これは非常に難しい。述べてきたように、新聞社・ジャーナリズムに身をおき、その禄を食んでいる以上、私情は内に秘めなければならない。個社員の道徳心や倫理観などは余りにも無力です。
更には日本経済新聞社も一新聞社に過ぎません。
なんでも終戦直後「いやしくも法の番人が、ヤミ米を食うわけにはいかない」と言って餓死した裁判官がいたとか。
これと同じく、日経新聞ひとり業界全体の流れに逆行したクリーン体質に転ずることなど不可能でしょう。所詮、自助努力などでは解決できることではありません。

そうです。マスコミにちやほやする社会の側にも問題があるんですよ。
今の腐敗体質をなんとかしたいならば、こうした赤裸々な姿をあるがままに捉え、社会全体の問題として社会全体が問題視するようになることが、必要にして最低限の前提となりましょう。
とりあえずのところ、「〜つける薬」は見いだせそうにありません。

とは言うものの、これで終わってしまったら鼎の軽重を問われることになりましょう。
ひとつ妙薬候補をあげるとすれば、それはネットジャーナリズムの健全なる発展あたりでしょうかねえ?
このブローバンド時代、ツールの進化によって、誰しもが全世界に対し情報を発信することができます。
老若男女だれもが「新聞社」をやることが出来るのです。
そして、そこには既存権力もなければ伝統権威もない、純然たる実力勝負となります。
天下の日本経済新聞と言えども、一ネット人格と全く同じ土俵で勝負しなければならないのです。

もしネットジャーナリズムが理想的な形で進化したなら、犯罪者集団・日本経済新聞、こうした腐敗権力の足元を脅かすことにもなろうのですが、果たして…   (了)


posted by homer_2006 | マゾヒズムに花輪を!


とけて流れりゃ

先斗町今日は、全くの内輪話から始めましょう。
投稿日付は11/12のこの記事、実は旧暦で言えばちょうど半年前くらいに書いてます。
梅雨どき、花札は柳の別名雨の季節ですね。今年の梅雨はよく振るってことで、大雨に見舞われている地方もあるようです。
僕の地方も天気予報では連日雨のはずなんですが。
余り降らないんですよ。いやあ、えらく暑くて。
下手すれば、このまま梅雨明けだった、ってことになってしまうような予感すらします。

いや、案外多いんです、このパターン。
実際僕の地方あたりでは、梅雨と夏の境目ってのが曖昧なんですよ。
夏はホントよく降ります。ちょうど、稲光と鬼の手足、鬼札のような光景をよく目にします。
んな意味でも、やっぱり花札11月季節ミス設定ですね。

っと、僕は梅雨のない地方に住んでいるって設定でしたね。
ボロが出ないうちに話を"ふり"ましょう。

雨が降る、雨に流れる、ということで、柳の札4枚を集めた出来役、雨シマは他の役を全部流してしまいます。
とけて流れりゃ 皆同じ 〜♪ って、雨が雪に変われば少しは旧11月らしくなりますか?
おっと、お座敷小唄ですね。

♪〜富士の高嶺に 降る雪も
  京都先斗(ぽんと)町に 降る雪も
  雪に変わりは ないじゃなし
  とけて流れりゃ 皆同じ

作詞者不詳のこのうた。
3フレーズ目は、「雪に変わりがないじゃなし」「雪に変わりがあるじゃなし」等々別説があるようです。
ふんふん、前後で判断すれば確かに「皆同じ」意味合い…どれで唄っても、変わりがあるじゃなし、いや、ないじゃないし、ですか。

それにしても、おなじ「ある」で正反対の意味になったり、「ある」と「ない」が同じ意味になったり。
ホントに日本語ってガイジン泣かせ、

と、この言い回し、



「ある」なのか「ない」なのか、それが問題だ

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


小梅

節気梅季節は巡り、今年もまた2月がやって来ました。
「梅に鶯」、花札の絵の光景が待ち遠しくなる今日この頃です。

そういえば、去年の11月頃でしたよねえ。とんでもない梅の狂い咲きがあったのは。
gooブログをやってる人なら、まだ記憶に残ってるでしょう? あのイメージは強烈でしたもの。 

ご存じない人のために説明しておきましょうか。ブログの編集(管理)画面に表示される広告が、とてつもなく場違いなものになったんですよ。
白塗りをした女装芸人のパフォーマンスを使った、この広告バナーは不評そのものでした。

「キモい」「あの化け物を何とかしてくれ」

まあ僕も、それやこやで、かの人物が「小梅大夫」というお笑い芸人であることを知るのですけどね。
ですので、この広告は大成功だったんでしょうね。
ほら、出典は失念したけど、こんなのがあったでしょう?

 悪役は うまくやるほど 憎まれて 嬉しくもあり 嬉しくもなし

って。
小梅大夫という人も、定めしこの狂歌のごとき複雑な笑みを浮かべていたことと思います。

小梅といえば昔、別の芸人がいましたよ。
赤坂小梅、小梅姐さん、戦前昭和の流行歌手です。
その名の示すとおり、赤坂の見番の出ですね。
いや、芸者と歌手の二足のわらじを履いていたといったほうがいいのかな? 料亭に客としてきた野口雨情・中山晋平らに、その美声を見出され、レコードデヴューした、とありますから。

持ち歌としても、女心を唄ったオリジナル歌謡もあり、全国の民謡を独自アレンジで唄った「小梅節」あり。
古い地方芸能に独自色の強いアレンジを加え全国区に移入させた、偉大なる大衆芸人といえましょう。
平成の現在も皆に親しまれている花札…
同じく「古くて新しい」娯楽の担い手であった小梅姐さんに触れてみました。


と、この言い回し、全て僕が考えました。

バクリはなし!

………
………

わああぁぁぁぁ!!! オリジナル記事を書くなんて、他所の記事をパクらないなんて!
偽者だ、偽者だ、こんな僕は、僕じゃないよぉぉぉぉ!!

と、取り乱す僕を、ワラって、ワラって! 
もっと、ワラって〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | 偽・マゾヒズムに花札を!


孫夫人 (中国・三国)  − 三国志主役二人をきりきり舞させた弓腰姫

0510015b.jpg孫尚香というのは演劇上の名前であるようだ。
昔の女性にありがなことで、この女性もまた本名は不明である。
でも彼女に限ってはそれでも十分であろう。何せ孫権の妹であり、劉備の夫人なのであるから。

弓腰姫…
非常に武術に長けた女性であったという記載は、どの記録にも共通だ。
そして気性も激しい、そのせいで当時としてはとうがたった年齢である23歳までは縁がなかった。
縁あって劉備玄徳の後妻に納まる彼女、政略結婚である。
まあ、女傑嫌いの作者・羅貫中により演義では、つまらない人物、下世話な言い方をすれば体育会系バカに描かれる孫夫人であるのだが…
論者が見る限り、そんな人物には読めない。そこで本稿副題があるのだが…
少なくとも、後世日本の類似事例、家康後妻となった太閤秀吉の妹・旭姫とは天地の差がある。
同じ創作でも、より史実に近い形に検証して書かれている陳舜臣・秘本三国志あたりでは、彼女登場の場面は以下の如しだ。

周瑜より政略結婚を献策された孫権は、腹の皮をよじって笑い転げる。
「アレをか? 玄徳もさぞや手を焼くことだろうて」
瑜に窘められた権は妹を訪ね、嫁にいかぬかと持ちかけるのであるが、彼女の反応はこうだ。

「誰? 兄さんの部下なら御免だわ。だって謀反でも起こさない限り、兄さんより偉くなれないんだもん」
「ははは、違うよ。ちょっと年はとってるんだがな」
「どうやら劉備玄徳のようね。面白いじゃない」
「ほう… どうしてだい?」
「兄さんと劉備はいっしょに荊州を攻めたじゃない? 土地は兄さんの方が余分にとったかもしれないけど、人は皆、劉備についていっちゃったじゃないの。どんな男だか興味ある」

…絶対口にしてはいけない言葉だ。勿論後のほう。
兄がそれこそ命がけでしてのけた荊州攻略を全面否定してしまってる。人間の存在価値自体をぶち壊しているとでもいえばよいか?
偶々孫権が大笑いの直後だったからよかったものの、当時かの地の世間相場に照らせばその場で斬り殺されても文句が言えないところだ。
しかも、(政略のための重要駒であるから)絶対に斬り殺されるないと計算しての発言であることが小面憎い。
兄妹だから許される『兄いじめ』といったところであろう。

繰り返すが、論者もまた兄二人を持つ末妹…
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


不許薫酒入山門

大連菊菊に寿の盃は10月のタネ札、桜の光札と組み合わせれば花見で一杯、芒のそれとで月見で一杯…
さてさて、またまた飲兵衛さんのお話です。

どんなにお酒が好きでも、職業柄飲むことの出来ない人と言うものありまして。

 不許薫酒入山門

薫酒、山門ニ入ルヲ許サズ…
山門とはお寺の門のこと、つまりは僧侶は生臭物と酒は厳禁という意味です。
そうですよねえ、宗教者として厳しく自らを律しなければなりません。
酔っ払ってへべれけになるなんて、もっての外。

ところが、この山門の戒碑を3文字目で切って読んだ人がいるのですよ。
えーっと、

 薫ヲ許サズ、山門ニ入ル

殺生厳禁の僧侶が生臭物を食べるなんて、もっての外、その代わり慈悲深いお釈迦様は飲酒は大目に見てくださる、
なんて、解釈になっちまいまして。

まあ、この曲解がなかったとしても、『般若湯』だなんて符牒で飲む人は飲みますけどね。
ついでに言えば、卵は『白なすび』マグロの刺身が『赤豆腐』、不許薫酒入山門の戒めも次第次第に形骸化していきました。
そして、生活そのものも堕落します。
羊羹 (小豆で作った羊の羹の代用品) なんてやってるうちは可愛げがあったんですけど。

かつて、平清盛や織田信長は由緒ある寺を焼き討ちしました。
それは、彼らが宗教嫌いだったから? 恨みがあったから?
そうでないですよねえ。
由緒ある寺に認められた治外法権をいいことに、巣食っていたならず者たちが暴れていたからですよねえ。
真面目に学問をしようとしていた人たちが、どれだけ迷惑してたことか。

僧の形をした無頼の徒…
なんか似てますね。

と、この言い回し、



「火中の栗を拾う」 具体的には他者発言を私が言ったと言われかねないような言動をとること
閉鎖後の2006/6/30 加筆部

を丸写ししました。

………
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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


日野富子 − 戦国へのプレリュードを奏でた室町の悪女

392ca5b8.jpg日本史における大物役者の割には注目度の低い女性だ。
ネット検索をかけても得られる情報は、大河ドラマで富子を演じた三田佳子のトピックスが大半、別の意味での大物役者のイメージに取り付かれる。
改めて紹介するに、室町幕府8代将軍足利義政の正室である。

ご存知のとおり義政というのは腐敗政治家の代表格、その正室して取りうる行動はいくつかの選択肢に絞られる。
して、彼女の意思決定は?
結論を言えば、富子という女性は中国三大悪女のパターンに非常に近いタイプだ。
即ち、政治に興味を示さない夫に代わって幕政に深くかかわって影響力を行使する、だが、自分が矢面に立つわけでなく、ちゃんと防波堤めいた人物を間に立てる。
ある意味、自らが尼将軍となった北条政子よりも賢いやり方かもしれない。

そして、サディズムであるか。
勿論、彼女も血を流した。お決まりの側室粛清。
まあ、お決まりである。
それよりも…
副題に掲げたごとくの行動の方が罪深いといえるであろう。即ち、管領の力を高め、唯でさえ分権型組織である室町幕府の屋台骨を危うくしたのは、他ならぬ富子なのである。
言うまでもなく彼女一人が悪いわけではない。だが応仁の乱に端を発し、家康により漸く終結する戦国時代の間に流れた血は、如何ばかりの量であろう?
掛け算である。今ひとつの乗数は、蓄財に励んだこの女性の私利私欲度。
日野富子という女性は、日本史上屈指の流血女王と言っても大きくは外れないのではないか?

戦国時代であるか。隣国中国にもあった。
だが、こちらの方はイエスキリストが生まれる前の時代だ。
我彼の年代の差分だけ、我が国の戦国時代は血の匂いが生々しい。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


一刻千金

葉隠花札3月のテーマ植物は、日本を代表する花である桜、そして古来単に花と言ったら桜の花を意味する、繰り返し話してきました。

ところで、滝廉太郎の歌曲で『花』と言うのがありますよねえ。

 ♪〜 はーる〜 うらーらーの〜 すーみーだがわ〜

いやいや、『隅田川』ではありません。この歌は『花』という題です、よく間違えられるんですけどね。
ともかく、隅田川沿いの春爛漫を歌い上げた名曲で、僕大好きなんですよ。
あー、三番は宵から夜にかけて、それこそ夜桜の景になります。

 ♪〜 げに いぃーこくも せんーきんの〜

一刻千金にあたいする春の夜という訳ですねえ。
日本人の美学の共通項という感じです。

ところがところが、江戸の狂歌師・大田蜀山人は少し変わった賛美のしかたをしてますよ。
 
  一刻を 千金づつに しめあげて 六万両の 春の曙

江戸時代の一刻は2時間、その一刻の値が千金すなわち1万両というのなら、ひと晩つみあげて春の朝をむかえたときは、しめて6万両、というワケ。
いつの世にもへそ曲がりがいますよねえ、はい。

因みに一刻千金は大陸からの輸入品のようでして。
ほら、中学の授業でやったでしょう?
蘇軾の春夜です。

 春宵 一刻 直千金
 花に清香有り 月に陰有り
 歌管 楼台 声 細細
 鞦韆 院落 夜 沈沈

韻は金、陰、沈。
承句が句中対、転句結句が対句ですか。

そんなことより、
最後の二文字が(爆)

と、この言い回し、



掲示板への書き込みありがとうございました

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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酒を讃むる歌

山與菊さて、投稿日付は9/10。
以前お話したように、十日の菊です。
花札競技で同義を探すに、投稿日に拘らず前にお話しました『かつぎの鬼札』あたりになるのですが、それはさておきましても、ものには時間の効用というものがあるわけです。

ところが例外もありまして。
まあ、菊に寿の図柄に配されまする酒などがそうでしょう。
別に9/9を逃して、10日に飲んだって構いません。
飲兵衛はなんだかんだ理由を付けて、9/10を飲酒の日にしてしまいますよ。『不思議の国のアリス』のお茶会、「誕生日でない日を祝えば」のクチですね。
まあ酒をやらない僕には、あまり歓迎できないことなんですけど、それは押さえて。
千年以上も昔の男、大伴旅人センセーが示してましたよねえ。

どどーんと13首、全部いっちゃいましょう!

 験なき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし

 酒の名を 聖(ひじり)と負ほせし 古(いにしへ)の 大き聖の 言の宣(よろ)しさ

 古の 七の賢(さか)しき 人たちも 欲りせし物は 酒にしあるらし

 賢しみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし

 言はむすべ 為むすべ知らず 極りて 貴き物は 酒にしあるらし

 中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ

 あな醜 賢しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む

 価なき 宝といふとも 一坏の 濁れる酒に 豈まさめやも

 夜光る 玉といふとも 酒飲みて 心を遣るに 豈しかめやも

 世間(よのなか)の 遊びの道に 楽しきは 酔ひ泣きするに あるべかるらし

 この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ

 生まるれば 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな

 黙然(もだ)居りて 賢しらするは 酒飲みて 酔ひ泣するに なほ及(し)かずけり


さてさて、今日は6番目の『中々に〜』に注目したいと思うんです。
これには元ネタがありますよね。
古代中国で呉の国の鄭泉(テイセン)という酒好きな男が、死んだらかまどのそばに埋めよ、数百年の後、土と化して酒壺に作られるのが心願だ、と遺言したという故事に基づいてます。

どうなんでしょう?
ここまでくると、倒錯性向に近いような気がします。
鄭泉にせよ旅人にせよ、(たとえ酒壺になったとしても現世の自分は)「酒は飲めない」ということを承知の上で「酒壺」に作り変えられたい、と願ってる、そういった意味で目的と手段の逆転がありますから。
と、何いってるのか自分でもわからなくなってきたとこで、転調します。

まー、男の人たちの中には、酒壺ではなくて「とある繊維製品」に生まれ変わりたいと願ってる人もいるんじゃないですか?
結構多いそうですね、これって。
♀には殆ど例がないのですが。

え? これもイミフ?

と、この言い回し、



もし無生物に生まれ変われるとしたら?

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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死の本能

殺人 〜究極にして最も純然たるサディズム …
つい先だって、6月20日の投稿である。
その後も起きること、起きること!
奈良・田原本の放火殺人、大阪の学生グループによる岡山での生き埋め殺人、そして香川の…

何ゆえに、かくもまた?
思えば、人が死について学習する機会が少なくなってしまったのが起因しているように思料する。
死についての実感がないので歯止めがなく、人を死にいたらしむるということだ。

論者自身もまた、臍の緒切ってこのかた目の前で人が死ぬのを見たことがない一人だ。
別に驚くには足りまい。論者の両親ですら同様なのであるから。
我が家において、この体験があるのは戦争を体験した祖父母の世代となる。
これが原始以来つい近代までの期間においては、全く事情が異なる。

すなわち人は、幼児期より身近な人間の死を目の当たりにする機会を有していた。
兄弟姉妹が死ぬ、(当然のこととして同居している)祖父母が死ぬ… それを実感する。
我の事情に彼の例を当てはめるのも何であるのであるが、メーテルリンクの戯曲『青い鳥』を読めば、そこらの事情は分かるであろう。
兄チルチルは自らの体験から妹ミチルに死というもの概念を正確に説明している。
が、論者、いや、両親すらもそれが出来ぬ現代なのだ。
多産多死人口構成の変化、核家族化、医療の進歩等々理由は多々あるのだが、ともかく事実として死というものを知る機会がなくなってしまったのである。

人間のみに限らず、ありとあらゆる生物には『死の本能』というのがある。
実はこの『死の本能』、大いにSMと関係がある、というよりそのものなのであるのだが、ここでの詳述は割愛して結びに続けよう。
本能のみが先走り学習する機会がなくなって来たとなれば、昨今凶悪事件に見るような歪んだ形での『死の本能』発露も無理からぬことではないのだろうか?
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


エドワード・ジェンナー − わが子を実験台に種痘を完成させたと伝えられる医師

47cf6d37.jpg本論に入る前に、前稿の補足をしよう。『池田某』ではなく『池田優子』と書ける程度までには調べてみたので。
彼女が資産家というのは誤り。ジェンナーが息子を実験台にしたと言うのと同レベルの誤り、唯の神話に過ぎぬ。
そもそも資産家とはなんぞや? 経済学に即して定義すれば、資産所得により生計を立てている者である。
池田のみに限らず、医師というのは須らく資産家ではない。押しも押されぬ労働者である。労働階級、無産階級だ。
資産家と言うのは、職業欄に地主と書くような人たち、そして彼女は自ら「時給〜」とエムプロイーたる己を吹聴して回っている人物… そうした意味でのやっかみは不用と思料する。
広げれば、昭和以降における労働での蓄財など全くとるに足らないものだ。

「どこからどこまで人の土地を踏まずにいけた」

古き佳き時代の、こんな資産家が現代にいたとしたら、SM観はどうなるか?
例のマゾ男性向けSM創作短編集に一本アップロードしておいたことを、遅ればせながら案内し本論に入る。

さてさて、医師は医師でも18世紀は英国の田舎医者が本稿主役である。
後に天然痘撲滅で大偉人となるジェンナー。
そうか、わが子で実験したというのは誤りなのか?
いや、どうも論者には『誤り』であるとする記述が『誤りである』と言っているようには読めないのであるが。というのは「臨床実験の過程で息子に種痘している」と書かれているので。
従って便宜上、副題のごとく論を進めるので、違和感ある向きは適宜読み替えられたい。

とまれ、ジェンナーが天然痘撲滅の大偉人であるという事実は動かしがたい。間違ってもこれにケチをつけようという趣旨ではない。
だが、医療の発見発明のためには臨床実験が不可欠になるというのまた事実、性質上その実験に人命に拘るリスクを伴うということもまた動かしがたい事実なのである。

ここに安倍英という20世紀の医師がいる。彼は安全性が確認されないエイズ治療薬投与のために殺人罪で訴えられた。
この二医師が行った医療行為の間にどのような差異がある?
片や成功、片や失敗、これは結果である。結果でなく行為自体にどのような差異があるのか? と問うている。

念には念をと言うことで繰り返すが、ジェンナーの功績にケチを付けたいわけでもなければ、司法における安部の無罪判決の積極支持が目的でもない。
両者の行為には(本質的)差異がないと言いたいのだ。

結果であるか?
雷の中で凧をあげたフランクリン。
感電死しなかったのが不思議なくらいであろう?
事実同じことをやって殉職した科学者もいることだし。
科学進歩のためには、危険が伴うのだ。また、失敗は成功の母である。
リスクを冒して進みたいと思うもよし、命あっての物種と自重するもよし、それはそれぞれの哲学次第だ。

で、愈愈核心の部分に入る。
リスクを冒し進んだジェンナーの心理である。
ここで肝心なのはケースの場合、死の危険に晒されたのは他者の命…
お分かりであろう? 医術とは人の持つサディズムの利用法の一、将しくその顕例であるので俎上にあげた。

しかも、この他者の中に自分の子供も入っているのだ。
まあ、獣であっても原則自分の身を犠牲にしても子供を守ろうとするのが本能、繰り返しているとおりなのだが。
彼の行為は少なくても、歴史をその場に戻し当時の価値観ではかれば倫理に反するもの、いや、(臨床実験に成功したことが広く知れ渡っている)現代においてすらも変態のレッテルは貼ってしかるべきであろう。
安全性の確認できていない新薬の臨床実験のために、わが子と他人様の子を使ったのだから。

こうして世に名前を残した人物というのは、一人の例外もなく変態なのである、という高橋説。


---------------------------------------------------------------------------------------------------------------【御転婆天地驚動組合】
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


池鯉鮒

知立さて、花札5月のタネ札(10点札)の図柄は、菖蒲に八橋。
八橋とは、三河の八橋、現在の愛知県知立市あたり、繰り返し話してきました。

知立の読み仮名をふってませんでしたね。『ちりゅう』、東海道五十三次 39番目の宿です。
そして元々の字は『池鯉鮒』、将に水の景そのものの土地柄だったようです。

鯉&鮒、まあちょっと前までは、知立に限らず日本の河川湖沼のどこにでもいた駄魚なんですけどねえ。
ブラックバスですか? あんな余所者に追い立てられてすっかり肩身の狭い思いをしているようです。
それに何よりも、自然水系の絶対数の減少、これが大きいですよね。
川や水をきれいに! 当たり前のことを訴えかけておくとしましょう。

でも、あんまりきれいな水でも住みにくいようですよ。

  白河の 清きに魚の すみかねて もとの濁りの 田沼ぞこひしき

こんな狂歌もあるくらいですし。

なんて。
この歌でいうとこの真の意味での白河とは、あの鬼平が畏敬した「年下上司」、松平定信のことですね。
「田や沼や汚れた御世を改めて清らに澄める白河の水」、定信は田沼親子の賄賂政治により乱れきった幕政を建て直すぺく寛政の改革を断行しました。
ところが、その結果招いたのが大不況、そして生まれたのが冒頭の狂歌です。
つまり、今日流に言えば政治浄化のために経済の停滞を招いたということになりますね。

さて、もう一方の役者である田沼意次にスポットライトをあてましょう。
鬼平と同じく、やはり池波正太郎さんの作である『剣客商売』のなかに登場しますね。
そして、数え年19歳の美少女剣士『佐々木三冬』は意次の娘。
舞台では当時50歳の香川桂子さんが三冬を演じたそうです。
池波さんは、その点について著書『男の作法』の中で、「三冬は意次の娘という(むずかしい)役だから、ベテランでなければ演じられない」と記してます。
田沼意次という人の歴史上の評価はむずかしい、ということにも通じますか?

と、この言い回し、



50歳にならないと19歳を演じられないとな?

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


整形願望者という自虐マゾヒストと願望に応える者たち

昨日来であろうか? とある有名人なる人物の娘が誘拐された事件が大きくメディアを賑わしているのは。
有名人子女の営利目的誘拐…
元祖ともいえるトニー谷の例に見るように、なぜか大体は被害者の方がバッシングを受けるようである。

件の池田某(正直、論者は彼女のことは知らなかった)も多分にもれず。
本論を展開するにおいて、先ず事件についての意見を述べる必要あるのであるが。
敢えて述べるまでもないようだ。下記がそっくりそのまま愚見となっているので、全文を掲げる。


  倫理欠くカリスマ美容医・美人女医を放置していいのか

【PJニュース 06月28日】− 「医師は、医業の尊厳と医師としての名誉を重んじ、患者や社会の信頼に応えるように努めなければならない。この名誉や信頼は、医学知識や技術だけでなく、誠実、礼節、品性、清潔、謙虚、良いマナーなどいくつかの美徳によって支えられ培われたものであり、・・・」。日本医師会の「医師の職業倫理指針」には、こう書かれている。

 女子大生誘拐事件と言われる事件で、誘拐された女性の母親、池田優子医師(杏林大医学部卒)が新聞テレビで取りざたされている。民放テレビ局の報道などによると、この母親は「カリスマ美容外科医」などとマスコミでもてはやされているそうだ。本人もまんざらではないらしく、テレビ番組に多数出演し、その実生活までテレビカメラを入り込ませて、東京の超高級住宅街にある豪華な自宅、所有するイタリア製超高級車のフェラーリや、娘に買い与えたベンツを撮影させるなど、奢侈(しゃし)なライフスタイルを誇らしげにしている。

 このことが、誘拐犯人の娘誘拐の動機になったらしい。犯人は雑誌から切り抜いたこの娘の顔写真を持っていたという。たぶん、犯人には「金持ちの道楽娘」という印象があったのだろう。犯人をかばう気はさらさら無い。だが、池田医師とその娘の生活を見れば、誘拐してくださいと言っているのと同然。この娘の捜索にかかった費用は国民の税金によってまかなわれていたことも知って欲しい。
  
 また、美人女医などといってテレビ番組に頻出する西川史子医師(聖マリアンナ医大卒)はテレビ番組などで「ブスは生きる価値なし」だとか、「年収4000万以上の男じゃないと付き合えない」などと、医師としての自覚に欠ける発言を繰り返している。この方は整形外科などが専門らしい。「らしい」と綴ったのは、ネットでこの西川医師を検索すると、専門分野よりも、「ミス日本」や「ホリプロ所属」が目に付くからだ。

 日本の医療費は高騰する一方だ。保険に入っていても3割も負担する時代になった。もし、こんな医者だか、芸能人だか分からぬ輩たちの贅沢三昧の暮らしの一部に、一般市民の税金や保険金が使われているとすれば、これは大問題だ。池田医師や西川医師に、品性や謙虚といった医師倫理があるのだろうか。そして、医業に専念せず、メディア露出ばかり考えているこの2人のような医師とは呼べないような医師を、なぜ、マスコミがもてはやすのか。

 マスコミ出演にうつつを抜かせるほど、医業は安易な専門職なのであろうか。こんな輩に命を預けるのかと思うとぞっとする。少なくとも、PJ自身はこんな医師らに診断されたくはないし、こんな医師らになけなしの収入から払った医療保険金を渡したくない。破たんの危機にある日本の医療制度を、こんな自堕落な医師のために崩壊させてはならない。

 PJの知人の医師らには、こんな医師は一人としていない。みな日夜患者を思い、裕福でないとは言わぬが、質素で謙虚な生活をしている。額に汗して患者の治療に当たる医師は、医師免許を売り物にしている芸能人をどう思っているのだろうか。

 さて、日本医師会はこの顛末にどう対応するのだろう。医師免許の国家試験の見直しや、医師免許更新制度の導入は必須である。倫理観の無い者は医師にさせない、医師にさせておかない。でなければ、高い税金と保険料を払っている一般市民の安心・安全な医療制度は望めない。【了】



さて、歴史を紐解くに、「医は算術」などと医療に対して正面切っての批判がなされるようになったのは、武見太郎の出現がきっかけであろう。
かの吉田茂に可愛がられた医師であり、ケンカ太郎、武見天皇、などという異名を取り数多くの旋風を巻き起こした彼の出現が。
別タイプで旋風を巻き起こしたのが、特州会・徳田虎雄。
ともに功罪あり、こうした個性派を巡る相克の甲斐あってか、現在の医療はよりよき方向に推移してきた(欲を言ったらきりがないにせよ)。
だからこそ、一部の不心得者の出現は恐ろしい。「蟻の一穴」、「悪貨が良貨を駆逐する」だ。

更に別の金言をあげれば、「需要あるところに供給あり」…
ここで、ようやく本稿本旨に入る。
本稿における主役は、そうした医師たちというよりもむしろ、彼ら彼女たちの患者たち、いや得意先の方である。

美容整形であるか?
相当(肉体的)痛みの伴うものですよ、と申し上げよう。
ここに過去投稿で論じた林郁夫の妻・林りらの執刀例がある。
ペーパードライバーならぬ、このペーパードクターは、オウム特別手配犯第一号である松本剛の整形手術を行った。
松本は逃走期間中、いや逮捕後もしばらく痛みと出血に苦しみ続けた。世に言うオウムウォッチャーたちですら、むごい話だと顔を顰めていたのだが。

さもありなん、顔面には神経と血管が集中している。
ちょっと腫れ物が出来ただけであれだけ痛む顔を刃物で切り刻んで無事で済もう筈がない。
いやはや、何らの疾病もなく命の危険もないのに、かかる手術をされることを積極的に望む人種があろうとは!
間違いなく自虐症、それも典型例であるといえる。

いやそれどころか。
自殺願望であるとすらいえよう。
「自分を変えてみませんか?」、はい、変えてしまえば別人、そもそもの自分は死んでしまうのである。
あるがままの自分に誇りを持とうではないか、論者が折りあるごとに訴え続けていることだ。
自らの肉体に改造を施されるのは、人間ではない『ヤプー』だけ…
奇書『家畜人ヤプー』の設定で駄目を押しておこう。

最後に、話を脇役に戻す。
医師というのはサディズムの有効利用に成功した人たちであるというのが、過去稿で論じてきた分析学上の学説であった。
どうも、池田某等は…

サディズムよりも遥かに遥かにたちの悪い変態性癖である「金銭至上主義者」に変質してしまったようである。


 注* 原記事投稿は6/28にされてます
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


アデーレ・シュトラウス − ワルツ王の"妻たち"に見る亭主操縦術

0939c18f.jpgワルツ王・ヨハン.シュトラウスUは、その生涯に3度の結婚をしたのであるが、最後の妻が表記の女性である。
いやいや、彼女自身は本ブログの話題になりそうな人物ではない。
悪女・悪妻というなら、夫を老いぼれよばわりして逐電した2番目の妻・アンジェリカあたりなのであるが。
実際ワルツ王は、アデーレ・ドイチェとの再婚により、幸せな晩年を送れたと伝えられる。

にも拘らず、何でアデーレを?
名前に聞き覚えがある方もあろう。そう、喜歌劇『こうもり』だ。
シュトラウス創作中の女性たちに被せるために、アデーレである必要があったのである。

喜歌劇『こうもり』のアデーレは妻ではなく、主人公家の小間使いになるのだが、それはそれで論の手順。
夜会で主人公アイゼンシュタインと顔をあわせ、その旨指摘された折の彼女は、持ち前の芝居っけで切り替えし逆に主人を嘲るのだ。
そんな甲斐あってが、シュトラウスの死後に創られたバレェのこうもりでは、アデーレは主人公ヨハンの妻であるベラに昇格する。

子供の世話に明け暮れ、疲れ気味の主婦ベラ。なのに夫のヨハンは毎夜のように、こうもりの翼を付けて夜遊びに出かけている。
そこでベラは友人のアドバイスを得て謎の美女に変身。夫が酒やダンスを楽しんでいるカフィへ向かう。
そして、変身したベラはカフェで、夫を含むカフェの男たち皆を誘惑する。変身前は長いドレスで隠している脚を惜しげなく披露し、つま先で「おいで、おいで」と。
女性の足に執着する男性心理を計算尽くした誘惑法、再三論じているとおりだ。

変身ということで、喜歌劇の方に話を戻す必要があろう。
前述の夜会にはアイゼンシュタインの妻・ロザリンデも仮面を付けて参加する。
自分の妻とも気づかず、熱心に口説く主人公… これが古典的なお笑いを誘うのであるが。

ここで、以前論じたアニマ論だ。
アニマ、男性の心に住まう『永遠の女性像』であった。唯一の女性像を求め続け、世の男性は多くの現実女性を求める。
女性の場合はこの正反対だ。即ち、永遠の男性像・アニムスは(一人の女性の心中に)複数存在する、だから一人の(現実)男性に回帰する結果となるのだ。
これが性差…
下世話にも、男は女房に似た女と浮気するいうが、シュトラウスの喜歌劇はこれを伝えてくれている。

結論。
男性を支配したいと欲する女性は、ともかく結婚すること。
ワルツ王の"妻たち"から学べる教訓である。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


春の七種

七種粥さて、今日は日付に因んだ投稿をしましょう。
一月七日は、七種ですね。
年中行事として、七種粥を食べる風習のある日です。

芹(せり) 芹 セリ科
薺(なずな) 薺(ぺんぺん草) アブラナ科
御形(ごぎょう) 母子草(ははこぐさ) キク科
繁縷(はこべら) 繁縷(はこべ) ナデシコ科
仏の座(ほとけのざ) 小鬼田平子(こおにたびらこ) キク科
菘(すずな) 蕪(かぶ) アブラナ科
蘿蔔(すずしろ) 大根(だいこん) アブラナ科

春の七種は全部野菜で食べることができます。
まあ、その分だけ花がなくなった (秋の七草参照)、花札とは無関係になってしまいましたが、それはそれで進めましょう。
七種粥は、邪気を払い万病を除くとされます。科学的に見るなら、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちなビタミンを補うという、ということになりましょうか? 昔の人たちの生活の知恵、大したものです。
更に我々の祖先は、

  芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種

五七五七七、風雅の道も併せて嗜んでいました。

五七五七七、ミソヒトモジですね。
原型は五・七・七だったったんですよ。
こんな感じ。

  新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる

  かがなべて 夜には九夜 日には十日を

倭建命(ヤマトタケルノミコト) & 御火焼(ミヒタキ)の老人(オキナ) 古事記<景行>

五・七・七の形式の歌を片歌といいます。
古事記も初期のころは4音や6音の句も見受けられましたが時代が経つにつれ、5音ないしは7音の句に落ち着いてきました。

さて、この歌ですが、倭建命が東国征伐の帰途、甲斐(カイ)の酒折(サカオリ)の宮に滞在した折のものです。
命が「新治…」と歌ったところ、かがり火をたく老人が「かがなべて…」と歌って答えた…これでひとつの歌の完成ですね。
述べましたように、片歌×2が旋頭歌です。

後に、この問答は連歌の起こりとみなされるようになりました。
連歌を「筑波の道」と呼ぶのは、そのためです。

と、この言い回し、



筑波の隣県住民から愛をこめて

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


ホトトギスと我妹子(わぎもこ)

卯月 ひのき繰り返し話題にしてますように藤のタネ札に描かれているホトトギスは、爽やかな初夏を告げる鳥として多くの和歌に詠まれてきました。
ところが、この和歌に詠まれたホトトギスをとんでもない意味に解釈している奇書があるのです。
「『ホト』とkiss」だなんて。いやはや、とんでもない…
意味は詳しく述べません、ええ、一応はエロ厳禁のgooブログですから。

この奇書の名は『家畜人ヤプー』といいます。皆さん名前は聞いたことありますよねえ。何せ『"マゾヒズム"に花札を!』を読んでいる人たちなんですから。
ご存知のとおり、和歌の独自解釈の出てくる後半加筆部分は評判が芳しくありません。特にマゾ男を自負する人たちからは、もう散々に言われています。

でもねえ、僕はこれでいいと思っているんですよ。
日本の文化を徹底的に貶める、その屈辱に昂ぶりたいなら昂ぶるものよし、反英感情を抱くもまたよし。
書物をどう読むかは、それぞれの感性次第、これでなければいけないという決まりなどありません。
というよりは、たとえあったとしても、(そう)思わないものは思わないんですから仕方ないですもんね。

ということで、同書からもう一個、『ワギモコ』をみてみましょうか。
投稿日付では後日ですけど、前に話した、我妹子(わぎもこ)です。

   ワギモカは 常世の国に 住みけらし 昔見しより 変若(おち)ましにけり

この直後に、「わぎもこ」に関する注がついてますので掲載しておきます。

---------------------------------------------------------

**「ワギモカ(wagimoka<vagimocker<vagim−mocker<vagin mocker<vagina mocker)セッチンは女体に奉仕する場合、排泄孔に隣る膣孔(Vagina)を意識しないわけにはいかない。特に、貴族邸勤務で少数の貴婦人に接するうち、特定の女性に感情傾斜したセッチンは、そのレディすなわち〈心のドミナ〉の股間部に顔を押し当てながら、女陰にかかわるといっても排泄両孔だけて、「女体の本義」ともいうべきVaginaにかかわる資格のないことを膣孔から嘲笑されているように感じるもののようだ。彼らはそれをvagina mocker(膣=嘲笑者、潮る膣口)と呼び、ヴァジは次第にワギの音に変わって、やがてwagimokaワギモカの語を生じた。そして、セッチンにとって女体とのかかわりは局部だけなのだから当然のことだが、ワギモカの語はその局部の持ち主である当の女性をも指すことになり、やがて、セッチンに限らず、ヤプー一般の《心のドミナ》を指す言葉になった。更に、男神を『心のドミナス』とするヤプーのための語wagimokoワギモコも生じた。古代家畜語の『わぎもこ』(吾妹子)は、『恋人である女性』を意味する。イースのワギモカの語の遡時訛伝に間違いないが、男を指す語を用いているのは、滑稽な誤りである」S・マックレーン『語源考証』

---------------------------------------------------------

…まあねえ。
日本伝統文化をここまで貶めてるということには、触れないでおきますか。
ここでは、『イース人』社会が徹底した女尊男卑であることに注目しましょう。

『家畜人ヤプー』の世界で人と呼べるのは『イース人』という白人だけ。
黒人は奴隷、そして日本人(であった)『ヤプー』は道具という設定です。
勘違いしないでください。これは解釈の類ではありません、全編を通じて繰り返し明言されている設定です。

時々いるんですよねえ、『イース女権社会』を「白人女性が女性上位思想の元、日本男性を組み敷いている社会」だ、なんてとんでもないことをいう人が。
どこをどう読んだら…

うーん、これも某ビデオ製作会社からの連想ですかねえ。
憎むべきは商業主義。。。

と、この言い回し、



マゾサイトではあまり評判の高くないこの奇書

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


戦場の遊び女たち − 死に行く者の命を預かった彼女らは…

2b4335fe.JPG鹿屋特攻隊飛行場の隣接女郎屋の娼婦たちでもよかった。
すばり、従軍慰安婦と言っても大きくは外れないと思う。
ただ、これらの人々を主役にしてしまうと、政治的な色合いが強くなり誤解を招く元となるので、表題のごとく論説対象を広く設定した。

さて、過去稿・戦場の女の論説対象のうち、ずばり直接的に春をひさぐ者が本稿の主役である。
ここで、少々戦場の状況について検証する必要があろう。
飛び道具を使った集団戦の時代以前は、現在の我々が思い描くほど悲惨なものではなかったということだ。
言い方が曖昧であったか? 実例をあげたほうがてっとり早い。

一例として、日本の戦国時代。
近隣の百姓杣人たちは戦があると聞くと、握り飯を持って集まりそれを見に来たという。
そして、勝敗が決するや、お決まりの落ち武者狩りである。
と、何がいいたいか? 戦時における非戦闘員というのは一方的な被害者というわけではない、ということだ。
それを刷り込んだところで、本稿俎上の遊び女たちを論じなければならなかったので、寄り道をした。

死に行く男たちは、最後に女を抱きたがる。
自らの生を残しておこうとする生物の雄共通の本能だ。
そんな彼らのニーズに応え、セックスの相手を引き受ける女性のことを下世話では『観音様』というらしい。

観音、観世音菩薩、玄奘三蔵の新訳では観自在菩薩…
原義アヴァロキティは、世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩である。
人々の姿に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相になるのであるが、この場合は人間の女性の姿である。
因みに英訳では the (Buddhist) Goddess of Mercy 、最初から女神と言われているこの観音様、死に臨んだ男性の目に映った本稿主役たちの姿である。

ここで、その Goddess of Mercy たる彼女らだ。
こちらの側の主観にたてば、営業活動の過程で性交渉しているだけ。
片や最後となる件の行為、片や明日以降も綿々と続けるであろう行為、あまりにも不平等な性の営みではなかろうか。
少なくても、この人たちは女神ではない。いや、それどころか。
女性側から(男性に)する屍姦とすら思えるのだ、ああ、彼女らの行為時の心理がである。

突拍子もないか?
けど、果たして彼女たちは、男たちから預かった生の証を胎内に育み世に生まれ出でされたか?
この客観的統計値をもって想定反論への反論としたい。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


江戸の伊達女 − 雪中でも足袋をはかず爪に紅を刷く

ba270a47.jpg伊達と書いて『ダテ』と読むのは何故?
そもそもは『イダテ』だったらしい。
イの字がとれてダテとなり現在に至るのだか、それはさておき。

タイトルのごとくである。
前々稿で論じた女性の能動的露出の例を、我が国江戸期に見つけた。見事に男性のフェチ心理を捉えている。
過去数回紹介しているように、男性が女性の足に偏愛するのは、足というものが女性の持つペニスであるから。
表題の女性たちもまた潜在意識下に、足を自らのペニスと理解し、それを見せ付けていたのかもしれない。非常に事例の多い男性の性器露出と全く同じ心理で。

我が国は隣国中国より多くの文化を輸入した。
が、以前一稿裂いた纏足は輸入しなかった。
して、伊達の素足と纏足との比較である。
中国纏足の例に比べ遥かに女性の能動性が高い。
(性行為における通常の心理態度である)受身ではなく、攻撃的なアピールですらある。
伊達の素足は鎖国期に生まれた純国風文化…
思えば我が国固有の文化形態は、存外女性上位なのかもしれない。

論者もまた、真冬でも素足で通す一人…


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


三笠の山に 出でし月かも

手書き 坊主旧暦でいえば8月は月見る月です。
そうですよねえ。団子と芒、花札にもちゃんと反映されている風物です。
僕もお月見は好きだったですよ。
上見るのもくたびれるので、縁側に置かれた芒の花瓶ばかり見ていたのを覚えてます。

遥か遥か昔、安倍仲麻呂も幼いころのお月見を思い出して、有名なこの歌を詠んでます。

  天の原 ふりさけみれば かすがなる 三笠の山に 出でし月かも

百人一首7番、古今和歌集<羇旅・四○六>、「唐土(モロコシ)にて月を見てよみける」ってことで、これ、外国で詠まれた歌ですね。

十六歳で唐に留学した仲麻呂。
35年後遣唐使と共に日本に帰ろうとして、明州から船出する折にこの歌を詠んだんですよね。
海上から海上に上った月。『土佐日記』には、初句が「青海原(アヲウナバラ)」となって出てきます。
あの月は、幼い頃奈良の都の近くにある三笠山から出た月と同じであろうか?
その生涯を学問に打ち込んだ仲麻呂の、遠い故郷に思いをよせて少年の日の昔を懐かしむ、限りない哀愁を含んだ歌ですよね。

ですが、ご存知の通りです。
仲麻呂らを乗せた船は暴風雨に遭い大陸に押し戻されてしまうのです。
漂流の末流れ着いたのは、遥か南の安南。
故郷に帰ろうとした希望は潰え、70歳で生涯を閉じるまで唐で暮らすことになる仲麻呂です。
これも秀才ゆえの悲劇、といったとこでしょうか。

今でも年間3桁いるそうですね。
国外に出たまま、ついに日本に生きて戻れなくなる人が。
外国かぶれの僕が言うのもイヤミな話なんですけど。これから先、申し上げることは、決して海外在住(経験のおありの)方のことを申し上げるわけではありません。
そうした社会体制全般のこと、ということでお読み頂きたいと思います。

果たして、水になじまない海外に出てまで稼がなければならないのでしょうか?
下世話にも「命あってのものだね」というでしょうが。
それも、エリートと呼ばれる人たちがむしろ海外出稼ぎ組だという事実には驚かされます。
「将来は大卒の半分は海外に就職することになるだろう」とこれをいいことと決め付けてのたもうた識人もいました。
はっきり言って、バカ識人ですよ。

御津の浜松を期待し、三笠の山の月を懐かしんだ「先人知識人」のこころ。
彼ら自称知識人は、これをどのように受け止めているでしょうか?

と、この言い回し、



開拓者精神、と言えば聞こえがいいんですがね

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


さくら銀行さくら支店

花札 桜日本を代表する花であり、花札を代表する札でもある桜。
当然のこととして地名その他の固有名詞でよく使われますす。
今日はあえて違う字の「さくら」の話をしましょう。

佐倉というところはご存知ですか?
江戸時代の城下町ということで桜の名所でもある千葉県の都市です。
そして、今はなくなってしまったけど、さくら銀行という銀行があった。当初は太陽神戸三井銀行と言ってました。
佐倉にも支店があった。さくら/さくら です。

して、問題。この店は元々はどこの銀行の佐倉支店だったのでしょう?
意外なことに、これ、神戸銀行の佐倉支店だったんですよ。
よく聞かされたもので、覚えてます。
それから、この歌も。

  朝日あび 松と桜も 原の景 八千代栄える 千葉となりたる

こちらは、ちっとうろ覚えなんですけどね。
古い古い新聞スクラップで見たような気がします。
で、その心は、

 旭 我孫子 松戸 佐倉 茂原 八千代 栄 千葉 成田

地名を織り込んだ地元賛歌というわけです。

織り込みの川柳狂歌のお話ですか?
えーっと、またしても当家秘蔵の新聞スクラップが役に立つときがきましたか。

昔五大政党の時代、京都府で5党全ての支持を集めて長期知事をつとめていた蜷川虎三氏という人がいたそうですね。
ところが1974の選挙の折、

京都府知事選…72年府議会・部落問題蜷川問責決議→社共関係悪化、73年大橋(江田派)府本部委員長就任、府本部方針(「革新府政推進本部」)「反蜷川・反共産」を明記。
石橋書記長(反蜷川)と成田委員長(親蜷川)でのズレ→第37回党大会江田派決議案を否決(運営委の時点)。
成田、京都に蜷川を説得に出かけるが、当地で、蜷川7選支持を表明。
結局、共産・左社vs右社・公明・民社・自民で4500票差で蜷川辛勝。

という事態がおこったとか。

     蜷川に 大橋かける 騒ぎかな

その折に詠まれた川柳だそうです。
勿論、「かける」は「架ける」に「賭ける」を「掛けて」ますよね。

と、この言い回し、



これもミユの句ではありません。だって、そのころ…、あはっ!

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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一体何ゆえにファイル交換ソフトが情報漏洩の元凶なのか?

巷間、ファイル交換ソフトによる情報漏洩問題が未だにメディアを賑わしている。
何でまた未だに?!

問題になりだした折には論者においても、別サイトその他で論評のトピックスにした。
漫画的(な社会事象)であると。
そうであろう? ネットに接続している機器には秘匿情報を置いておかないこと、これだけで片付く話なのだから。
卑しくも国家権力を担う公僕が、この程度の当たり前のこともできないのが漫画的だと評した。
参考までに、他の名もなきネット民諸氏の見解も大方はこれと一致していた。(というよりも他に…)

さりながら、官僚やIT産業従事者等々影響力の大きい各位の言動は必ずしもこの限りではなかった。
即ち、交換ソフト叩きの方向に走る。
先ずは、官房長官の「ウィニーを入れないこと云々」である。
更に、ぷららネットワークスにおける遮断ソフト開発、導入検討。
こんな違法、いや違憲(にながる)行為までに発展したとなると、もはや笑えない笑い話では済まなくなる。
ずばり言えば、恣意的だ。

さて、論者のネットワーク機器の利用法である。
先ずはネットワーク接続できる環境には、個を特定できる情報や逸失利益の生ずるデータは入れてない、いうまでもなく。
それから、こまめに接続は切断する、見てないときは機器の電源自体を切断する。
いや、別に意識してそうしているわけではなく、気がつけば自然にそのようにしているのだ。
であるからして、この種の問題で悩まされたことはない。
物心ついたときから、大事なものはしまっておく、扉を開けたら閉める、電気をつけたら消す、と教え込まれてきた、その躾の賜物だろう。

言わせれば、問題を起こしている人たちは幼児期の基本的な躾をされずして育ってしまったということにもなろう。
そういった人たちが、企業人となっているのだから始末が悪い。
いや、彼らとて紙のメディアならきちんと金庫に格納し厳重なる施錠をしているであろう、そう信じたい。
電子メディアは全く異質のものと錯覚しているのであろうか? ともかく簡易施錠をしただけの状態で玄関先に放置しとくに亜流の管理状況が多々。
それに迎合する幇間オピニオンリーダーも罪が深い。

舞台裏を明かすなら。
本稿を書くきっかけとなったのは、数日前のある全国紙の記者名入記事である。
同記事は、前記安倍官房長官のウィニー発言を、正論過ぎるくらいの正論と称していた。
「交通事故をなくすためにはクルマをなくすことだ」というようなものだと。
いやはや…

くどいようだが、どうしてファイル交換ソフトの問題とする?
うん、同じ自動車でたとえ話するなら。
件の官房長官発言は、
「飲酒運転を撲滅するためには酒類の製造を中止するのが一番」
といっているに等しいと思料するのだが如何?

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貂蝉 (中国・三国) − 『連環の計』にみるフェムドムの構図

9462f8bc.jpgなんでも、現地・中国では架空説・実在説双方ありとか。本日初めて知った。
論者は架空の人物とばかり(楊貴妃・西施・王昭君と並ぶ古代中国四大美人の一人 = 三ではなく四になっているあたりが怪しげだ)。
とまれ、三国志演義では前半重要局面のキーパーソンとなる貂蝉だ。

舞台は董卓が実権を握っている頃である。
衆人快く思わぬも、剛勇の呂布がボディーガードとなっている限りは手の施しようがない。
そこで、貂蝉の養父である王允は一計を案じる。
美女たるこの養女を使い両者の仲を裂く…
詳細は割愛するも、この計は見事に功を奏し董呂は相克することになるのである。
世に言う『連環の計』(別の意味もあり)

さて、この逸話における貂蝉をどう評価するかである。
哀れ、男どもも権力闘争の具とされる一輪の可憐な花、と見るか?
「帝王を股間に弄し、女の本懐、これにすぎるものはなし」の極例と見るか?
論者は断然後者だ。
なんとなれば、董卓にせよ呂布にせよ乱世バトルロイヤルの決勝リーグに進出しているだけの実力者だ。
そこに予選も経ずして参加し勝利してしまったのである。彼女の実力は並々ならぬものといえるのではなかろうか?

これは、よく言われることであるのだが。
乱世は男尊女卑の時代に見えて、実は正反対なのである。
戦時ほど、女性の力が重要になる。
簡単である。男どもは全てをおっぽりだして、命のやり取りをしているのだ。生産は誰が行う?
古今東西、戦乱の世においては女はそれはそれは大事にされた。
であるからしてまた、実力発揮のチャンスも多い。これは男女ともそうなのであるが、(戦場で殺しあうことがない分だけ)死亡率の低い女の方が、より有利なのである。
今ちょうど大河ドラマでやっている山内一豊の妻、これなどを見れば成る程と合点も行くのではあるまいか?

して、勝者貂蝉のその後である。
これについては諸説紛々。
呂布が董卓を討った時点で自害して果てたとするものもあれば、二人駆け落ちしたというものもある。
さらにその後、逃げおおせたとも曹操に捕らえられたとも。
果ては彼女を巡り、関羽と曹操が争ったとするものさえもある。
極めつけは陳舜臣『秘本三国志』… 関羽の妻になった貂蝉は熱心な仏教徒となり、今度は羽の頭痛の種となるのである。

貂蝉の評価や実在性は、『その後』をどう考える、或いはどう設定するか次第なのではなかろうか?

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あかあかや月

朝鮮坊主旧暦8月15日は仲秋の明月です。

さて、芒 (坊主) 名物、というよりは花札48枚を代表する札であるといっていい8月光札のバックはまっかっかです。
幼少時代の僕はこれが印象的で、花札が好きになりました。
秋の夜空に月光が反射して、このような色彩を醸し出してるのでしょう。
鎌倉時代の高僧・明恵上人はこんな歌を詠んでます。

  あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月

なんと… これでもれっきとした短歌なんですよ。
ねえ、和歌なんて簡単だ! って、まあ実際これだけには創れませんけどね。

さて、この拾い物のCG。
あ、これです。クリックしてみて下さい。
随分とまた黄色い月ですね。
月は赤かったんじゃ?
ん? 十三夜月は青い

やた!
綺麗に三色そろった、

と、この言い回し、



ちょっとコワい句を

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


トップレスビーチの女性たち − 女性が本能的に胸を隠すという俗説は大出鱈目

f5e215cf.jpgご存知、日本では禁じられているトップレスの水着。
南欧あたりに旅行する男性諸氏の楽しみのひとつは、トップレスピーピングにあるとか。
さりながら。果たしてそれほど大仰なことなのだろうか?

ルソーの稿では、男性の露出癖がいかに多いかを論じた。
男性のみで終わらせるのは不公平である。女性に関しても論じなければならぬだろう。
結論を言えば女性にも露出願望はある。それも、コンプレックスを抱いている裸体をみられたいというマゾヒスティックなものでなく、男性のペニス露出同様、堂々能動的に自らの肉体を誇示したい願う願望が。

工場の生活を研究したイタリアのニセフォローの研究によると、夏場になると働いている娘たちは下着をつけず胸のボタンもすっかり外し足を組んだまま作業をしていたという。
これを読んだとき愕然とした。いや、我が日本においても全く同じだったと聞いていたことから、という方の意味でである。
しかも、我が国の事例は既に20世紀も後半になっていた頃の話だ。男子禁制の女の園というわけではない、当然そのあられもない姿が異性の目にとまるのである。

更にあげれば。
各位は幕張という地名はご存知であろう? そう、メッセの。
つい先ごろまであの地区は、農業の地であった。夏場になれば胸部を露出した娘たちが、少なからず見られたという。
フロイド的にみれば、女性は性器について劣等感を持っているから、むしろ他の部分を誇るのであろう。

本稿に盛り込むのは誤解を招くかもしれないが、(学校における)男女同部屋着替えについて述べよう。
いや、我が県は…
因みに論者は抵抗がない(なかった、というべきか)。
いやそれどころか、(同性の)友人たちとともに、何で男子は、ああも拘泥するのか? と密かに研究課題としていたくらいである。
往年のシュミレーションゲーム『ときめきメモリアル』の主人公が教室に忘れ物を取りにいった時に着替えをしていた女生徒たちは、
「きゃー! 覗きよ〜」
と悲鳴をあげることになっているのだが。

この設定は、男子校の出身者ばかりと伝え聞く同ゲーム製作者たちの幻想であると断言してよい。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


小式部内侍 − 中世日本版『詩のボクシング』強者

afd533e1.jpg別ブログのテーマから輸入してみる。
小倉山百人一首こぼれ話の検証だ。

概略かいつまむに。
本稿主役である小式部内侍は、歌人として名高い和泉式部の娘である。
偉大な親を持ってしまった者の悲劇とでもいえばよいか? 小式部の歌は全て母・名高い母が代作してるという流言が飛び交った。
そこは今も昔も変わりないこと、そんな宮中が背景だ。
かかる折中納言定頼なる男性が、丹後の母からの(歌のしるされた)手紙は届いているのか、と彼女をからかったのである。
立ち去ろうとする定頼の袖を引きつかみ、小式部が即詠したとされるのが百人一首に残るこの歌だ。

   大江山 いく野の 道の遠ければ まだふみもみず 天の橋立

定頼は顔色を失うわけであるが。

さて、ここからが本ブログにおける論だ。
先程、ねたみそねみからの流言は今も昔も同じと言った。
であるのだが、詩文の応酬、一部に流行する『詩のボクシング』に関しては、今昔大いなる温度差がある。
留意すべきは、当時の歌詠みたる貴族たちにすれば、これが生活の術であったということだ。

同じく百人一首こぼれ話として、平兼盛・壬生忠見の逸話があろう。
『初恋』という題での歌合せに敗れた忠見は失意のうちに死んだとも。
貴族の歌合せは武士の武芸勝負と同じ。即ち、負ければ死…
それを頭に入れたところで、小式部内侍の行動心理は考えねばならぬだろう。

和泉式部を母に持つ小式部のことだ。当然、事後定頼がどうなるかは知っている。
もし相手が悶死するようなことになれば、これは未必の故意による殺人。
それを承知でのかの即詠は、復讐的加虐心の発露以外の何物でもない。
将しく女性型ハードサディズムと言えよう。

その後、中納言定頼なる者がどうなったかは知らぬ。
ただ、碌なことになっていないことは確かだ。なぜならば彼に関しては余り聞くことがないから。
格闘・拳闘。
そもそも発祥時に於いては、どちらかが殺されるまで闘ったという。

詩のボクシングもまた、起源はデスマッチであると伝えられる。 

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


鹿恋(かこい)

シカト 「鹿(シカ)の十(トオ)」で,花札の十月の絵柄の鹿が横を向いているからという〕無視することを俗にいう語。そっぽを向く、無視する、知らんぷり、相手にしない、といったことを「シカトする」といいます。さてさて、この間は花札10月のテーマ植物である紅葉を調べました。
今日は、テーマ動物である鹿について調べることにしましょう。

CGの意味は『シカト』してちゃんと辞書を引きますね。
えっと、1の意味は割愛。2が面白いですよ。

2 江戸時代、大坂の遊里で、大夫・天神に次ぐ遊女の位。鹿恋( かこい = 囲 )。

因みに語義は『揚げ代が十六文であったところから、「四四」を「鹿しし」にこじつけたという』とのことです。
いいですね。『かこい』といい、この語義といい、徹底した言葉の遊びで、そこはかとない情緒を感じます。
いやいや、勿論人身売買や売春を礼賛するつもりはありませんが、かつてそれもまた風雅であったことは紛れもない事実ですから。

遊女って商売も世界共通、古くからあるものですよねえ。
そして、これも東西共通、教養文化人の代表格だったようで。

意外に思うかも知れませんけど、男が学校に行くようになったのは極近代になってからなんですよ。
それまでの男たちは、物心ついたことから即労働に従事していた。そして、学問は遊女と呼ばれる人たちから教わってました。
学問だけでなく風雅、生活の豆知識の類も。

これは池波正太郎さんが著書『男の作法』で書いていたことです。
池波さんによれば、当時の「吉原の人たち」は男の子を男にしたという誇りを持っていたとのことですが、どうなんでしょう?
その点については知る由もない僕ですが、ただ原始時代からの法則が池波さんの時代にまで続いていたということの発見は刮目ものでした。

と、この言い回し、



遊女が入ってるからアダルトカテゴリですね

を巧みに丸写ししました。
もうせんは、見てるだけ〜 だったんだ…けど…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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美脚の誘い

 相変わらずコンスタントに新作をリリースしている北川シリーズだが、過去20年間の膨大なアーカイブから、脚フェチにマトをしぼった抜粋編が発売された。

これは凄い。

 過激なハードプレイがウリの北川作品と思いきや、

こんなにフェチでソフトなシーンもあったの?

と驚いてしまう。そういう部分だけを丁寧に抜き出して、女王様別に構成してくれているので、誰にも必ずハマるシーンが見つかる。ありとあらゆるバリエーションのお宝映像の中からレベルの高い場面が厳選。これはただたんに脚を舐めるとか踏まれるとかいったありきたりのダイジェスト版ではなく、各女王様ごとに実に多彩でエキサイティングなプレイの数々が巧みに編集されている。各作品本来の持つパワフルさに加え、構成の妙といった隠し味がまた美味しい。脚フェチマニアならずとも垂涎の一作。

 次々に登場する有名女王様の美脚は官能的であると同時にもはや芸術的な域に達している。きれいな脚は見ているだけで幸せな気持ちになれます。むろん目的は達成されるべく、下半身をも満足させてくれる内容になっているのは言うまでもない。

 正直に言います。感動しました。興奮しました。逝かせて頂きました!!


注*  元記事にある画像とリンクは割愛してあります。
「イジメ」の記事にお褒めを頂いたばかりのところに、またこんな変態エロ商業サイトの第三者的謳い文句の宣伝記事を書いてしまいました。
ちょっといいことしても、後が続かない人なんだなあ、僕チンて。
せめてバランスをとるために、北川プロへの否定的な記述でも添えましょう。

ここの社長も、使えもしないくせにネット好きでして。blogで盛んに日記書いてますよ。
前は、ウェブリングでやってたんですけど、規約違反で削除されてしまい引っ越したんですけどね。
その引越しちょっと前に、事務所電話番である女事務員を女王様扱い (しかも、「どうか、私めの卑しい口をお手洗いに見立て排便なさってくださいませ」のクチ) する電話がよくかかってくることを書いていた記事がありました。
その記事へのコメントです。

>やはり、受け手を選ぶメディアですか?
>そうお考えになるのなら、ネットというマスのメディアを駆使してのプロモーションは如何なものかと思います。
>ここをご覧下さい。
>http://balder.prohosting.com/gtwy/cgi-bin/vote/log.cgi?room=251&pm=500
>執拗に貴女の名前を挙げる輩がいますでしょう?
>投票対象は「ネット人格」なのにねえ。
>記事中言及されていた架電者しかり。
>こういう仮想と現実の区別のつかなくなってしまった狂人を作ってしまった責の一翼は、貴社にもあります。
>ひとこと言わせていただきました。

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春告草に春告鳥

梅酒春に先駆けて咲く花、梅。いくつかある異称の一つに、春告草というのがあります。
そして、花札は梅の10点札。配された鳥はウグイス。これもまた異称が多い鳥なのですが、うち一つに春告鳥というのがあります。
更に花見鳥にして歌詠鳥、そうそう女性、とりわけ声の美しい女性のことを『ウグイス』と称することも。
ほら、あれですよ。野球の場内アナウンスをする人。

じゃあ、野球というのは春の季語?
残念ながら、これは不正解のようでした。
うーん、

 久方の アメリカ人(びと)の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬも

作者は日本野球の生みの親としても知られる、あの正岡子規。
定めし子規あたりが、季語として定めたのかと思ったのに。

いや勿論、

   ナイターの 光芒大河 へだてけり (水原秋桜子)

ナイターとなれば、これは夏の季語になりますよ。
因みに、これ、和製英語ですね。

さあ、どんどん行きましょう。
この句は、どの季節と思います?

   ラグビーの 今終わりたる 笛高し (井桁蒼水)

俳句は季語を要す、ということですから、ここにも季語があるはずです。
なにかといえば、ラグビー、これが冬の季語なんです。

ラグビーは冬の季語。
けど、サッカーは季語ではない。
不思議ですねえ。

と、この言い回し、



日本野球の生みの親
ちょっと歳時記を捲ればネタは拾えるのにね
季語っていいかげん

を次々に丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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ある足フェチシストの実例

人殺しのトピックスが続いた。
少々軽い時事ものを挟むか。
といっても、被害者の出ている刑事事件、軽いという言い方は不謹慎であった。
とまれ、全文掲載する。

クギ付き靴で美女にトーキック…足フェチ男一発退場

 警視庁渋谷署は19日までに、JR渋谷駅前(東京・渋谷区)のスクランブル交差点でくぎを付けた靴で女性の足を蹴って傷を負わせたとして、傷害容疑で川崎市宮前区の会社員・葛西精太郎容疑者(31)を逮捕した。調べに対し、同容疑者は「スタイルのいい女性の足に傷をつけたかった」と供述。余罪もほのめかしており、同容疑者の自宅からは同じように細工された靴や多数のくぎが押収された。

 女性のナマ足を狙った、極めて悪質な“タックル”に、即刻レッドカードが突きつけられた。

 事件はW杯のピッチではなく、東京・渋谷のド真ん中にある、スクランブル交差点で起きた。

 調べでは、葛西容疑者は17日午後6時50分ごろ、信号待ちをしていた世田谷区の無職女性(28)の後ろを付け回し、つま先部分にくぎを付けた革靴で、女性の両ふくらはぎを2、3回と右足“トーキック”。約5分間に及ぶ執拗(しつよう)な“削り”で、全治3日間の刺し傷を負わせた疑い。

 葛西容疑者は女性と面識がなく「スタイルのいい女性の足に傷をつけたかった」などと供述しているという。

 足フェチ男は、革靴の右つま先には、ペンチを使って靴のゴム底から細いくぎ5本を斜めに打ち込み、1ミリほど先端が飛び出るように細工していた。同容疑者宅からは、ほかにも、同様の“特製スパイク”2足や、くぎ約100本などが見つかった。

 被害に遭った女性は素足にスカート姿で、数回痛みを感じて後ろを振り向くと、不審な動きをしていた葛西容疑者を発見。取り押さえて交番に突き出したという。

 葛西容疑者は以前にも数回、同じような行為をしたことがあると話しているといい、渋谷署では余罪を追及する方針。

 葛西容疑者の自宅周辺の住民は、同容疑者について「小さいころから『優秀なお坊ちゃま』。(都内の)薬科大学を卒業した、まじめな人」といい「最近は、庭の池で飼うコイに餌をあげていたのを見たが…」と驚いた様子だった。


過去記事で論じたトピックスが目白押しであろう?
足フェチの大半は、踏まれたい、蹴飛ばされたい、と願うマゾヒスト。この事例は少数派のサディストであった。
女性の持つペニスである足を傷つけた葛西容疑者なる人物は、男版阿部定といったとこか。
サディズムとはマゾヒズムを克服した状態、既報分析学通説の傍証としてはうってつけの事例だ。

そして、普段は温和な人物、これもまたサド男と評された歴史上の人物たちと同様である。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


イジメ

 マゾだから苛められたいと思ってるでしょうって? 

かわいい同級生からなら虐められてもよいかな〜と、昔は思ってました。

 だけどイジメはよくないです。よくないことだけど、昔から子ども社会にはあったことだし、大人の社会にだって村八分も含めて、ある程度の組織やコミュニティでは、避けては通れない社会的通過儀礼みたいな面もある。集団の中で味わう孤独や疎外感は、人生の肥やしになるのである。死ぬほどのことはないんじゃないかな。

 自殺されたら、親のせいとか学校のせいとか、何かへんなムードが蔓延している印象ですが、どこかおかしい。

 一番の問題の本質は、やっぱり自殺する本人にあるだろうし、本人にしかわかり得ないことの方が多いと思う。自殺するほどまでの痛みや悩みは、第三者に予測も理解もできるものではないのではなかろうか。

 イジメをとりまく環境がいくら健全であったとしても、自殺する人は死ぬ。また逆に、たとえ不健全であったとしても、自殺しない人は死なない。

 今の子どもたちは、あまりにもカンタンに人を殺すし、自殺もする。その原因はいろいろ考えられるだろうが、原因を特定する根拠も薄いのに、その原因に責任をとらせようとする態度は、ある種の責任逃れみたいな気もする。


林郁夫 (宗教名 クリシュナ・ナンダ) − 13人を殺しながら国家に命を保証された男

f60f24e1.jpg昨日、世間の注目の光・母子殺害事件、最高裁判決が出た。
判決内容について逐一述べることを目的としない。
また、屍姦症の典型ともいえる当該事件加害者の心理分析も、この稿の目的とはすまい。
よって、番外篇に位置する本稿である。

さて、かの最高裁判決を前に法曹関係識者たちは色々と意見を述べていた。
法廷とは刑事被告人の量刑を決める場であって、事件究明の場でもなければ、ましてや被害者の仇討ちの場ではない。であるからして、報道や被害者感情その他の状況に左右されることなく、独立独歩、公正無私の立場から判決を下すべきである…
将にそのとおり。愚見ととってもらって結構。
犯人加害者の改悛度合いは量刑に(過度に)加味するべきではない…
我が意を得たり! 犯した(とされる)犯罪を裁くのだから。
一々ごもっともな意見がブラウン管を賑わしていた。

ならばだ。
何故それを10年前、かの人物の裁判の折に述べなかったのであろうか?!
林郁夫、本稿主役の法廷の折にである。

このオウム医師は、地下鉄サリン事件・公証人役場事務長拉致事件において、13もの人命を奪った。
しかるに、確定した判決は無期懲役。いや、あまつさえ。
検察は初手から死刑を求刑しなかったのである。
人の命を救うのが仕事である医師が… 分別盛りの教養人が…
だから私、あんまりぐちゃぐちゃ言いたくない。見れば分かるでしょう?、バカバカしいですよ、こんなの! それこそ、この一言であろう。

殺人、人が人を殺す、この世の中にこれほど卑劣なことはない…
胡桃沢耕史『翔んでる警視』の主人公・岩崎白昼夢が、連載初回登場の折に述べた言葉だ。
殺人こそがサディズム暴走の極…
そして、論者も前稿で、こう論じた。

一口に刑事犯罪と括らず、人命を奪ったものとそうでないのは分けて考えるべきではないのか?
勿論前者には厳罰を。
被害者の肉体も精神も未来永劫消滅させてしまったされる被疑者なのである。

ここで留意しなければならないのは。
死刑というのは、攻守ところ代え今度は、国家権力が被告人の命を奪う行為である。
だから、万万が一にも冤罪ということがあってはならない。
逆に言うならばである。
人殺し犯人の法廷において関係者がすべきは、この一点のみではなかろうか?
被告人の改悛度だとか、被害者感情だとか、世間の関心度だとか、それが主眼ではない、主眼であってはならないはずだ。

幸い情報システム環境や技術の飛躍的な進歩によって、冤罪判決が起こりうる可能性は格段に少なくなっている。
であるなら、検察や裁判所は死刑の英断を…
被告人は、理不尽にも他人の命を奪った者である。(少なくとも一時は)自らの命をもって償わなければいけないという認識にならねば、ならさねば、道理が引っ込むというものだ。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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