エドワード・ジェンナー − わが子を実験台に種痘を完成させたと伝えられる医師

47cf6d37.jpg本論に入る前に、前稿の補足をしよう。『池田某』ではなく『池田優子』と書ける程度までには調べてみたので。
彼女が資産家というのは誤り。ジェンナーが息子を実験台にしたと言うのと同レベルの誤り、唯の神話に過ぎぬ。
そもそも資産家とはなんぞや? 経済学に即して定義すれば、資産所得により生計を立てている者である。
池田のみに限らず、医師というのは須らく資産家ではない。押しも押されぬ労働者である。労働階級、無産階級だ。
資産家と言うのは、職業欄に地主と書くような人たち、そして彼女は自ら「時給〜」とエムプロイーたる己を吹聴して回っている人物… そうした意味でのやっかみは不用と思料する。
広げれば、昭和以降における労働での蓄財など全くとるに足らないものだ。

「どこからどこまで人の土地を踏まずにいけた」

古き佳き時代の、こんな資産家が現代にいたとしたら、SM観はどうなるか?
例のマゾ男性向けSM創作短編集に一本アップロードしておいたことを、遅ればせながら案内し本論に入る。

さてさて、医師は医師でも18世紀は英国の田舎医者が本稿主役である。
後に天然痘撲滅で大偉人となるジェンナー。
そうか、わが子で実験したというのは誤りなのか?
いや、どうも論者には『誤り』であるとする記述が『誤りである』と言っているようには読めないのであるが。というのは「臨床実験の過程で息子に種痘している」と書かれているので。
従って便宜上、副題のごとく論を進めるので、違和感ある向きは適宜読み替えられたい。

とまれ、ジェンナーが天然痘撲滅の大偉人であるという事実は動かしがたい。間違ってもこれにケチをつけようという趣旨ではない。
だが、医療の発見発明のためには臨床実験が不可欠になるというのまた事実、性質上その実験に人命に拘るリスクを伴うということもまた動かしがたい事実なのである。

ここに安倍英という20世紀の医師がいる。彼は安全性が確認されないエイズ治療薬投与のために殺人罪で訴えられた。
この二医師が行った医療行為の間にどのような差異がある?
片や成功、片や失敗、これは結果である。結果でなく行為自体にどのような差異があるのか? と問うている。

念には念をと言うことで繰り返すが、ジェンナーの功績にケチを付けたいわけでもなければ、司法における安部の無罪判決の積極支持が目的でもない。
両者の行為には(本質的)差異がないと言いたいのだ。

結果であるか?
雷の中で凧をあげたフランクリン。
感電死しなかったのが不思議なくらいであろう?
事実同じことをやって殉職した科学者もいることだし。
科学進歩のためには、危険が伴うのだ。また、失敗は成功の母である。
リスクを冒して進みたいと思うもよし、命あっての物種と自重するもよし、それはそれぞれの哲学次第だ。

で、愈愈核心の部分に入る。
リスクを冒し進んだジェンナーの心理である。
ここで肝心なのはケースの場合、死の危険に晒されたのは他者の命…
お分かりであろう? 医術とは人の持つサディズムの利用法の一、将しくその顕例であるので俎上にあげた。

しかも、この他者の中に自分の子供も入っているのだ。
まあ、獣であっても原則自分の身を犠牲にしても子供を守ろうとするのが本能、繰り返しているとおりなのだが。
彼の行為は少なくても、歴史をその場に戻し当時の価値観ではかれば倫理に反するもの、いや、(臨床実験に成功したことが広く知れ渡っている)現代においてすらも変態のレッテルは貼ってしかるべきであろう。
安全性の確認できていない新薬の臨床実験のために、わが子と他人様の子を使ったのだから。

こうして世に名前を残した人物というのは、一人の例外もなく変態なのである、という高橋説。


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posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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