鄭永善 (谷口充恵) − 娘の同級生2名を刺殺した中国人花嫁

74651cab.jpg長浜園児刺殺事件…
畠山鈴香の出現ですっかり遠くなってしまったかの事件であるが、未だ半年もたたない近しき歴史の出来事である。
鄭などは、前稿で論じた『非合理な母親』の典型であろう。

その点は多く論じないとして、件の事件には今ひとつの側面がある。これもまた過去に論じた人種の問題。
人間誰しも自分から遠いものは人間と見られなくなってくる… 人間と見られない存在であるから、虐待するのも殺すも比較的抵抗感が薄くなってくる…
リンディ・イングランドの稿で論じたあれである。

実人格たる論者の住まいの近くにも、多くの外国人が出現する。
俗に言うところの『近所の外人さん』は教会がある関係で昔からいたのであるが、それに加え最近では東洋系とおぼしき外国人も目立ってきた。
で、正直なところである。
やはり、外国人となると少々身構えてしまう。そして、西洋系東洋系どちらがより身構えるかといえば…
明らかに後者なのである。

自分から遠いもの云々とは矛盾するか?
いや、そうでないと思う。
口を開くまでは同胞と思っていた人間が聞き覚えのない言語を発する…
その瞬間に『自分との距離』を実感する、直前までの意識との落差が内心をして彼らをより遠い存在と思わせしむる、と言えばよいのであろう。
それが証拠に世界各地の人種間抗争は、殆ど外見では区別困難な位『近しき』人種どおしの殺し合い…

鄭永善が凶行に及んだ際その車に乗っていた園児もまた、(鄭の主観から見れば)『近くて遠い』人種であった。


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大唐三蔵取經詩話の創造者たち − 奇書・西遊記の女魔に見る『非合理な母親』

70082640.jpg三蔵法師が白馬・玉龍に乗って三神仙(神通力を持った仙人)、孫悟空、沙悟浄、猪八戒を供に従え、さまざまな冒険をしながら天竺へ経を取りに行く物語…
現在伝わる西遊記は、16世紀明代に呉承恩が著したものといわれる。
勿論原型は民話伝承の類、宋代には既に表題に掲げた説話が存在していた。

さて、その中で俎上にあげるに相応しい登場人物は、羅刹女であろう。
物語も終盤近く、火焔山の段で一行の前に立ちふさがる女魔である。
彼女の話に入るためには先ず、息子・紅孩児のことを話しておかなければなるまい。
やはり過日、三蔵一行の行く手をさえぎった妖怪の1匹である。
悟空らに退治されそうになるも、観世音菩薩の口利きで命を助けられ菩薩の稚児となる。
と、そんな旅程を経つつ一行は火焔山にかかる。

目の前は火の山、土地神によれば羅刹女の持つ芭蕉扇でないと消せないとのこと。
ああ、羅刹女ならば義兄弟である牛魔王の女房、直ぐにでも借りてきましょう、と悟空。
ところが、悟空を迎えたのは、その名のとおり羅刹の形相の義姉であった。

「我が子・紅孩児の敵、覚悟!」

この場においては、短気者の悟空が珍しく理知的だ。
羅刹女の刃をかわしながら、事情を説明しなだめる。
「疑うのなら菩薩をたずねて直に会って確認するといい。なんなら案内しますぜ」
とまで言うのであるが、彼女は耳を貸そうとはしない。
古今東西我が子ことになると全く非合理になってしまうのが母親、本ブログでも幾人も俎上にあげた。

この羅刹女であるのだが、仏教の鬼子母神の影響が強いと思料する。
言い方が不正確か? 元々仏教の鬼神であったものが、道教のそれに混ざって登場している、といったほうがよい。
そう、我が国の神仏混交と同じく、かの国には道仏混交があるのだ。
鬼子母神であるか?
子供を捕らえては喰っていたこの夜叉の末子を釈迦が隠す。
末子を失った鬼子母神は悲しむ、そこで釈迦は「10000人いる子供のひとりを失ってもこれだけ悲しいのだから(お前に子供を喰われてしまった)親たちはどんなに悲しいことだろうか」と諭すわけだ。
はたと目覚めた鬼子母神は改心し、子供の守り神になるのであるか。

堺正章主演のテレビドラマ西遊記では、鬼子母神の仏教説話により近いストーリーがあった。
女魔・分数妖怪は非常に教育熱心、その子もそれなりの学力であるのだが、一点、分数の計算だけがどうしてもできない。
そこで、分数計算のできる子供たちをさらって回る… 鬼子母神説話のリメイクだ。

いずれの女魔も、自分の子供のために攻撃性を爆発させる。
非合理と言った。時には子供にすれば、かかる母親の行動は迷惑千万になるのであるから。
そして、不条理である。他人の犠牲は全くの考慮外。
であるのだが、それが母親そのものなのである。

人間のみにあらず、大方の生物の母親が…
例えば、猫は脅かすと自分の子供を食べてしまうことがある。(脅した相手である人間に)取られてしまうことを恐れ。
「猫可愛がり」「食べてしまいたいくらい可愛い」という成句があろう。
人間から見れば、全く訳の分らない母猫の行動でも、当人ならぬ当猫にすれば精一杯子供を守ろうとしているのである。

…にも拘らずだ。
あの母親は、これといった理由もなく、先ず自分の子供を殺した。
名実ともに畜生にも劣る。

これからもこのような形で、畠山鈴香をねちねちと糾弾していく積りだ。

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文化の日

おりがみ雨のち『紺碧の空』 と書いてから随分たったような気がしますけど、なぜか同じ日の投稿です。
いやいや、ちゃんと種を明かしましょう。
実際にこれを書いているのは、折りしも雨の季節、それに相応しく本州全般に渡って梅雨末期の大雨に見舞われています。

雨、花札11月・柳の異称。雨も柳も、稲光も燕も、小野道風も蛙も11月のイメージではない、何度も繰り返してきました。
今日はそうですねえ? 投稿日11/3に因んだ話でもしましょう。

  文化の日 昭和は遠く なりにけり

そうです。11/3、文化の日。
おっと、旧称は明治節ですね。
「明治は遠くなりにけり」、本当に偉い人たちが揃ってました。
鹿鳴館の話は前にしましたでしょう? 進取の精神の元、どんどんと新しい文明を創っていきましたよね。
ただ鵜呑み猿真似をするのではない、ちゃんと日本の文化として取り入れていく、
室町江戸の人たちが、トランプから花札を創っていた、あの気風が残っていました。

それから、もう一つ、学問もそうでした。
例えばですよ。「経済」という言葉は江戸時代にはありませんでした。
仏教の「経世済民」から、これを造語したのは福沢諭吉です。
これからの世の「経世済民」はこれしかない! とひらめいたからですね。

明治の人は偉かった。
外来語の概念をちゃんと咀嚼して、日本語を作ろうとした。
それに引き換え、平成の世のIT関連のおえらいさんたちは…

とまあ、こんな嘆きをよそに小学校英語必修の話が。
英語かぶれの僕が言うのも意外かもしれませんけど、これには大反対です。
でもね、世の反対理由と僕のとはちょっとニュアンスが違うと思うんですよ。

ほら、今出てる反対理由の大半は「国語力が落ちる」ってやつでしょう。
なんて言ったらいいんだろう? 「英語力」と「国語力」とは別物、へたすりゃ相対立するものって前提で考えている、って言えば言いのでしょうか?
僕は両者は同じものだと思うんですよねえ。「言語力」って意味の「国語力」ってことで。
ならば、少なくても初等教育の段階では母国語を使って鍛えたほうが効率いいに決まってます。
幸いなことに我が日本には、これだけ美しい古典があるのです。

万年英検落第生の僕が言うのも説得力がないのですが、でも言う。
国語が出来れば、英語だってヘブライ語だって出来るようになります。
逆に国語が出来ないのなら、英語もスワヒリ語も出来やしませんよ。

と、この言い回し、



50歳にならないと19歳を演じられないとな?
これも長篇歌謡浪曲の世界

のもうせんとは違う部分を丸写ししました。
それに。
どっかで同じような演説をしたような気…が…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


国技

あかよろし突然ですが、皆さんはモノポリーというゲームはご存知ですか?
勿論非電源タイプのゲーム、テーブルゲームというかボードゲームというか、其の種類のゲームです。
バンカースという名での子供向け簡易版がありますので、そちらで遊んだ人もいるでしょう。そうした人たちは、バンカースの本格版をイメージしてください。
ともかくも、モノポリーというのは世界規模での競技人口が非常に多いのですよ。
日本で言うとどうしても麻雀をイメージしてしまいますけど、遥かにこっちの方が普及している、言ってみれば、麻雀が野球でモノポリーがサッカーといったところでしょう。

では、花札は?
当然、相撲です。日本の国技ですよ。
ただまあ…

実際にこの記事を書いている大相撲名古屋場所期間中のある日、前代未聞といっていいような不祥事が勃発しました。
ご存知ですよね?
大関・千代大海 vs 前頭・露鵬 の取り組み後の小競り合い、それに端を発した部外者への暴行。
くどくは言いませんが、国技の担い手、それも看板たる幕内力士としての自続を持った行動をしてもらいたいものです。

露鵬関。
関取のお国は北のロシアですね。
お国ほどではないでしょうけど、日本の冬もまた結構寒い。新暦で言えば2月ごろが最高かな?
そんな中いつ早く春の訪れを卒じ取り、慎ましやかにも力強く咲く花が、花札に描かれてます。
そう、梅の花。我々日本人は、この花のこころを様々な形で伝えてきました。
関取も、ひとつここは花札で、日本のこころを実卒してください。

さてなんだかんだ言いましても、闘いというのはやっぱり殺し合いです。
だからこそ、礼節というものがあってしかるべきなのです。
古来、日本の武士たちは、それを実践してきました。
そして、殺伐とした殺し合いすら競技卒続で楽しむ。
八幡太郎の衣川、那須与一の扇の的、これから話す逸話もそうです。

   治部少に 過ぎたるもの 二つあり 島の左近と佐和山の城

治部少とは石田光成のことですね。

さて、この歌を枕に、これからお話しするのは、光成が秀吉の配下として小田原開城後の関東を平定していたおりの逸話です。(多分忍城の出城だったと思う)
この城のお姫様は弓の使い手として、近隣でも評判でした。

我こそは一番乗り! と攻め寄せる屈強の武者を、姫様が見事射止めるごとに、城方はどっと歓声をあげる。
圧倒的に有利な攻め方はたった一人に梃子摺り、なかなか落城させられなかったといいます。
そうでしょうねえ、姫様といえば城のもの全員のスーパーアイドル、この人が大活躍したとなれば大概勇気100倍となりますよ。
昔の戦とはスポーツ卒続だった、ということを現す逸話でした。

と、この言い回し、



美少女殺人鬼!?

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
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アリ・ファミリーの女性たち − 往年の拳闘王が引き連れていた彼女たちに考察する強女論

f8b6f45d.jpg三女レイラ・アリはプロボクサーとして活躍しているのであるが、本論は父親である"The Greatest"モハメド・アリの時代である。
その時代においては、少なくても日本においては女性がボクシングをやるということなど、想像しがたいことであった。どうか、その歴史背景をおいて読まれたい。

さて、アリの戦績については、ここで行数を裂くには及ぶまい。
裂くべきは、その遠征先における彼の行動だ。
宗教の関係もあろう。人種の関係もあろう。アリはどこに行くにも非常に多くの取り巻き連中を引き連れていた。
ファミリーというべきか? 当時の言葉風にグルーピーというべきか? 多くの女性も含まれる。
勿論彼女たちの『主たる役割』は夜のお相手なのであろうが、ただそれだけにとどまらなかった。

つまり、彼女たちは体格もよければ腕っ節も強い。
ある意味、チャンピオンのボディガードも兼ねていたのである。
強引な取材を試み、ポカリとやられた記者も少なからず。
つい先日、露鵬にやられた毎日新聞は相撲協会にあて正式に厳重抗議をしたそうだが、そこは冒頭申し上げたかの時代かの価値観のこと、かかるぎくしゃくもなかったようである。

人により色々な着眼があろう。
まあ、強い女、がキーワードとなることは、最大公約数になろうが。
で、本ブログは…
強女(腕力)は、女性上位・女性支配には結びつかない、という何時ぞやの結論に結び付けたい。

掲示板群サイトで得た情報に、目から鱗の思いをしたことがある。
女性が強くなったらどうなるか? こうなる。 の注釈文を添えられた画像ファイルのアドレス。
クリックしてみるに、男性の乗った古代ギリシャの(人力)戦車をアマゾネス風の女性が引いているCGが出てきた。

さぞやモハメド・アリも、取り巻き女性が引っ張る戦車に乗っかり、楽チンチンな思いをしていたことであろう。

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畠山鈴香 − この女性の心裏を『サディズムに花束を!』は憎む

畠山鈴香、おもしろ動画「娘を突き落とした」… ついにこの言葉を耳にする瞬間が来た。
古今東西様々な人物たちの行動心情に比類し、畠山鈴香のことを(も)暗示し続けてきた本ブログにすれば来るべき時がきたといったところである。
この瞬間到来を予想しつつも、敢えて『彩香事故死』を前提に書いた記事もある。外れてマヌケにならないことを悲願しつつ…
今更でもあろうが論を展開するに先立ち、被害者二児に衷心よりの哀悼を意を示す。

昨日のことであるが、昔の事件につき伝聞する機会を得た。
妻のほうが10歳以上も年上の夫婦が起こした誘拐事件があったそうだ。
この事件の折にも捜査が進むにつれ、新事実が発覚する。自分たちの娘は殺していた!

その際においても、手を下したのは年下夫だ。
妻は可哀相に思いつつも反対することができず、せめてもと(最後に)素麺を食べさせていたという。
鈴香が直前彩香にピカチュウの人形を買い与えたのは、これと同じく最後の親らしい愛情だったのだろうか?
だが、鈴香は直後に自ら娘に手を下す。
自分が腹を痛めた子供を惨殺した。

惨殺…
何をもってこの言葉とするかは色々である。
前段での用例はひとつには、殺害相手に対する背信度の甚大さからだ。
人形を買ってもらって喜んでいた。最後まで母親を信じていた。
その娘を川に突き落とし、その心情の一切を未来永劫この世から消し去ってしまった。
惨たらしい話ではないか!?

確かに子殺しなら他にも例を見る。
本日の新聞社会面にも、ちょうど母が娘を転落死された愛知・豊田の事件が隣接している。
しかし、これは無理心中のしそこないだ。
鈴香のように、その後もしゃあしゃあと社会生活を営み、あまつさえ人殺しを重ね、こと(事実上の)連行の時に至っても尚また画像のごとき自若とした態度をとり続けた者は、一線も二線も画したところでの評価がされてしかるべきであろう。

そして惨殺といった理由の今ひとつには、殺害した相手が死に至る際の距離の近さだ。
これは先に発覚した後のほうの殺人を含めてであるのだが。
つい今しがたまで、目の前で息をしていたものが物言わぬ存在となる…
自らの手で他の生命を消し去ったことを実感する、と表現すれば伝わるか?
論者自身も調理や昆虫採集でこれを体験し、これにある種の快感を見出したことを、勇気を持って告白した。

だが、畠山鈴香という人物が"惨殺"したのは、アサリやセミではない。
紛れもない同類生物、それも自分の子供と他人様の子供なのである。
法律や社会制度などといったケチくさい基準を遥かに超えた規範で判断しえたとしても、なおまた許されざる行為なのではなかろうか?
言いかけたように、その不可思議かつ許されざる行為のモチベーションたり得たのは、サディズム心理…

サディズムに花束を!
大いなるアイロニーを込めた付題をしている本ブログ…

畠山鈴香のサディズムを憎む。

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五七の桐

五七の桐菊のカテゴリで、かしこきところの紋所は菊と繰り返してきました。
けど正確には、一六弁の菊と五七の桐、なんですよねえ。
ちゃんと、桐も入っていました。

五七の桐ですね。
つらつら調べるに、

>明治政府は、明治5年に大礼服(重大な公の儀式に着用した礼服)を定め(太政官布告「大礼服制」)、例えば勅任官(天皇が任命した官吏)は、その上着に「五七の桐」を用いることとされました。
>明治8年には、勲章の旭日章が制定され、デザインの一部に桐花紋が使われました。

そして、理由は、

>桐は、聖天子の出現を待ってこの世に現れる鳳凰という瑞鳥(めでたい鳥)の宿る木だといわれており、天皇のお召しものにも桐や鳳凰などの紋様が使われるようになったといわれています
>(はっきりとはしていませんが、一説によれば嵯峨天皇(786〜842年)の頃から使われているようです。)。

どうです、見てください。
桐は花札12ヶ月の最後を飾る月のテーマ植物、始まりの松と平仄を合わせるように、おめでたい植物を持ってきていたのですね。
あらためて完成度を感じさせます。

さて、終わりよければということで、再三ひいています万葉集は20巻4500余首の最後を飾るのは、家持のこの歌です。

  新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事 (朗詠)

因幡の国守としてこの地ではじめての雪の新年をむかえた家持は、この歌を最後に『歌わぬ人家持』になりました。

始めより先に終わりを持ってきたのは、『ミ○流へそまがり』、

と、この言い回し、



仕方がない、伏字付で一首披露しよう

を丸写ししました。
ん? 確か2度目。でも前は加筆部分だったなあ。
「某会員制サイトの管理人さん」って…ヤバ

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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潮騒と宵宮と

浅間実日付で投稿します。
今日は僕の地区の祭りも本宮でして。

 潮騒と 宵宮と遠き こといづれ (永井龍男)

そうなんですよねえ。同じ風の光景でも、花札のように野山の萩を揺らしていくような絵ではない。
潮風が、防砂林兼防潮林である松林を吹き抜けていく、こうした図柄なんです。
ん? 形式投稿日とは一切関係のない実投稿日ペースで昨日は、1月カテゴリに7月の話題を書いてしまったのですが、今日は逆に1月テーマ植物である松の話になってますねえ。
まあ、いい。続けます。

宵宮から一夜明けて、7/15は本宮。
神社の祭神は、豊饒(というわけでもないのかも)を司る女神です。
周りは国有林、普段は閑散としている、この神社付近もイベントの時は人でごったがえします。
将に艶やかな女性神のイメージ、そして、海の方に目を向けるとちょうどマリンスポーツのシーズンです。

   夏祭り 豊の○花 陸の花 揺れる帆船 海に咲く花

まあ、実際は海岸線までは相当距離があるのですが、海岸埋め立て前なら、と想像力を働かせて創造してみました。

もう、皆様方には伏字の部分はばれてますよねえ。
え? 判んない? 仕方がないもうひとつヒントを。

なぜか『万葉カテゴリ』に入れてしまった『家畜人ヤプー』。
ここにも名前が出てきます。
アンナ・テラス (=ヤプーの間で天照大神として伝えられたイース女性) が一時使った変名、これです。

これ以上はご容赦、

と、この言い回し、



仕方がない、伏字付で一首披露しよう

を丸写ししました。
だ〜か〜ら〜 なんで僕の地区の?
それから、『万葉カテゴリ』って…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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天の岩戸

金時松さて開口一番、西洋の代表的なかるたであるトランプが権力者を描いてあるのに比し、日本の花札は四季の花鳥風月を描いた美しいかるたであると言いました。
そうですよねえ、権力めいたものは一切ありません。
ただ、強いてあげるとすれば唯一の例外が松の20点札かもしれません。
前に言った様に、日輪とは日本神話の主神・アマテラスなのですから。

ところで、実際にこの投稿を書いている7/14は、近くの神社の祭礼の宵宮なのです。
本宮である15日にかけて二日間限定イベントでお神楽をやるんですよ。
お馴染みの「天の岩戸」、アマテラスをひっぱりだすためのお祭り騒ぎですね。
立派な室内ショウではなくオンポロ野外ステージなのですが、一応文化財なのだそうです。

「天の岩戸」… Oooo!!!!! 日本におけるストリップショウの始まり!

と、人麻呂の歌は、天の岩戸は天の岩戸でもストリップとは似ても似つかない 挽歌です。

高市皇子の城上(きのへ)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌

かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏(かしこ)き 明日香の 真神(まかみ)の原に ひさかたの 天(あま)つ御門(みかど)を 畏くも 定めたまひて 神さぶと 磐隠(いはがく)ります やすみしし 我が大君の きこしめす 背面(そとも)の国の 真木立つ 不破山越えて 高麗剣 和射見 (わざみ)が原の 行宮(かりみや)に 天降(あも)りいまして 天の下 治めたまひ 食(を)す国を 定めたまふと 鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国の 御軍士(みいくさ)を 召したまひて ちはやぶる 人を和(やは)せと まつろはぬ 国を治めと 皇子(みこ)ながら 任(ま)けたまへば 大御身 (おほみみ)に 大刀(たち)取り佩(は)かし 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士を 率(あども)ひたまひ 整ふる 鼓(つづみ)の音は 雷 (いかづち)の 声と聞くまで 吹き響(な)せる 小角(くだ)の音も 敵(あた)見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに 差上(ささ)げたる 幡(はた)の靡きは 冬こもり 春さり来れば 野ごとに つきてある火の 風の共(むた) 靡くがごとく 取り持てる 弓弭(ゆはず)の騒き み雪降る 冬の林に 旋風(つむじ)かも い巻き渡ると 思ふまで 聞きのかしこく 引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱れて来(きた)れ まつろはず 立ち向ひしも 露霜の 消(け)なば消ぬべく 去(ゆ)く鳥の 争ふはしに 度会(わたらひ)の 斎(いつ)きの宮ゆ 神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず 常闇(とこやみ)に 覆ひたまひて 定めてし 瑞穂(みづほ)の国を 神ながら 太敷きまして やすみしし 我が大君の 天の下 奏(まを)したまへば 万代(よろづよ)に 然(しか)しもあらむと 木綿花(ゆふはな)の 栄ゆる時に 我が大君 皇子の御門を 神宮(かむみや)に 装(よそ)ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲(しろたへ)の 麻衣着て 埴安(はにやす)の 御門の原に あかねさす 日のことごと 獣(しし)じもの い匍ひ伏しつつ ぬば玉の 夕へになれば 大殿(おほとの)を 振りさけ見つつ 鶉なす い匍ひ廻(もとほ)り 侍(さもら)へど 侍ひえねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 憶(おも)ひも いまだ尽きねば 言(こと)さへく 百済(くだら)の原ゆ 神葬(かむはぶ)り 葬(はぶ)りいませて あさもよし 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 高くまつりて 神(かむ)ながら 鎮まりましぬ しかれども 我が大君の 万代と 思ほしめして 作らしし 香具(かぐ)山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天(あめ)のごと 振りさけ見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏(かしこ)くあれども(2- 199)


短歌 (二首)

ひさかたの 天(あめ)知らしぬる 君ゆゑに 日月も知らず 恋ひわたるかも(2-200)

埴安の 池の堤の 隠沼(こもりぬ)の 行方を知らに 舎人(とねり)は惑(まと)ふ(2-201)


高市皇子は天武天皇の第一子でありなから、母が身分が低かった、つまり持統天皇当時鸕野讃良でなかったため、皇位継承順はぐっと高順位でした。
と、出ましたねえ、「神さぶと 磐隠ります」 残念ながらこれは天武天皇のことですけど。

以上、万葉集中、最も長い長歌でした。

ということでございまして、今日はこれで仕舞とします。
有象無象の親戚も集まってるし。
また昔話を仕入れますので、乞うご期待!

と、この言い回し、



重文? 国文?
宵宮は 83日目

を巧みに丸写ししました。
ん? なんで僕の地区の…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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勧善懲悪はサディズムには馴染まないはずなのだが

所謂SM創作と呼ばれるもので特に女性がSになるものの場合である。
時折、「正義の○○女、悪漢を懲らしめる!」といったようなストーリーで描かれたものを見出すことができる。

確かに、女性の嗜虐は復讐的加虐が多いのであるが…
これを正義と称するのは如何であろう?
虐、シイタゲルの字と馴染まないように思えてならない。

まあ、それ自体は大した話ではないにせよ、曰くの『誤ったSM理解』に至る曲がり角にはなっている気がする。
と、本日は全くの私的事情で時間を裂くに困難な状況、ここまでとしよう。詳述は後日折を見て。

今少々筆を進め、連絡事項を。

  人の性は善か?悪か?

例によって例のごとく、『内容』欄で大ポカをやってしまった、このアンケート項目に協力賜れたら幸甚である。

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立ち読みのススメ



 毎日必ずといってよいほど、本屋に寄って立ち読みをする習慣がもう30年以上続いている。本を買うという目的とは別に、立ち読み自体が最近はメインの行動になりつつある。以前は面白そうな本はとりあえず買っておいて家に置くことが多かったけど、後で読もうなどと思っていても、ほとんど読まずに「積ん読」になってしまうことは過去30年の実績が証明している。もう置き場所もないし、せっかく買ってもヤフオクで二束三文で叩き売りするのも飽きてきた。それくらいなら、気合いを入れて「立ち読み」すればよいのでは?と、本当に最近思う。これまでなんと無駄金をどぶに捨ててきたんだろう。
 しかし本を買うという行為は、その本をきちんと読まなくても無駄とは言い切れない面もある。手もとにあるだけで、いつでも参照できるもんね、という余裕は捨てがたいものがあるのである。
 立ち読みはほとんどもう趣味ともいえるほど病み付きになっていて、最近は深夜のコンビニでの週刊誌の立ち読みの頻度がここ数年激的に増えました。気がつくと1時間ぐらいは平気で読んでますね。よく読むのはダカーポ、SPA、ビックコミック系、ジャンプ系、サンデーマガジン系のコミック雑誌と、最後にアダルト系を物色し、今週はFemdomっぽいのがないかな〜などと期待しつつパラパラとめくります。ちなみにサウナに行くと「週刊朝日」とか「週刊現代」、ポスト、新潮、文春という、自分では絶対に買わないような雑誌を読む事になります。そういう場所には必ずこのテの雑誌が当たり前のようにおいてあって、パブロフの犬じゃないけど、いつのまにか風呂上がりにはいわゆるこの種の「オヤジ系週刊誌」が読みたくなったりする。
 
 さて、マゾ男向け、または女王様系作品は登場してこなかった青年雑誌にまたまた期待のコミックを見つけました。以前から注目はしていたのですが、毎号連載しているわけではなく、ちょっとためらいがちに登場してた感じもするのですが、この扉ページには度肝を抜かれました。ここまであからさまにFem-Dom系をアピールしたのは、ビジネスジャンプでは三山のぼるの 「麗羅(レイラ)」以来ではなかろうか。内容もなかなか斬新で、まっとうな作品としてきちんと成立しているし、Fem-Dom的エロスもしっかりおさえられており、僕のツボにはハマってます。興味のある方はぜひチェックして下さい。
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朱雲 (前漢) − 折檻の語源となった晩学の士の行動とは?

漢書かの畠山鈴香が新供述をはじめてるとのことだ。今朝ほど来、ちょっとした旋風が起こっている。
本サイトでもそれとなく触れてきたかの水死事件(事故?)であるが、おぼろげながら全容が見えてきたような気がする。
勿論断言は出来ぬ段階であるにせよ、鈴香には『娘殺し』の称号を付しても差し障りのない現況にはなった。
即ち、欄干に乗せた手を滑らして川に転落してしまったとしたなら、過失致死。
全く知らぬところで彩香が川に転落したとしても、助けを求めようとしなかったことで、保護責任遺棄。
…なんともやり切れぬ話だ。

副題に付した折檻という言葉は、新聞の社会面で時折目にする。
即今は(女の腐ったののような弱虫)父親の例も増えてきてるにせよ、大概の場合その行為者は母親だ。自分が腹を痛めた子を虐待する…
そう、折檻ではない、虐待である。そこには(折檻に内包される)戒めの要素はないのだから。
ただただ自分の癇癪をより弱いものにぶつける…
これもまたなんともやり切れない。
鈴香が娘に対してした仕打ちがいかなるものであったにせよ、教育的な意義のある折檻という言葉を使って報道がされないことを願う。

さて。
前漢の朱雲は、元々は任侠であった。
これは古今東西共通のことであるのだが、アウトローというものはあるときを境に急激に紳士になってしまうものだ。
彼もまた例外ではない。簫望之という文士に弟子入りし学問を志すのである。
して、望之という男、それなりの学者であるのだが、残念なことに道ではなく栄達のために学を使おうとするタイプだった。
果たして足元を掬われ、自決させざるを得なくなる。
その折に朱雲に言い残したこと、「我が敵は丞相」

丞相…
三国志を読んだ方なら先刻承知のことと思う。
臣下としての最高の地位、今で言うなら、総理大臣と大将を兼ねたような職位である。
これは元々前漢の制度であり、後漢になってからは一人に権力が集中しないようにと廃止されていたものだ。(三公になっていた)
まあ、簫望之もまた丞相を目指していた一人である。
要するに「今の世の中が悪い」といった意味合いの繰言で「我が敵は」と言い遺したのであるのだが、直行型の朱雲は額面どおりに受け取ってしまう。
ひたすら丞相という敵を討つべく学問に励むのである。

その甲斐あって、文官として成帝の御前で意見を延べる機会を得た。
朱雲は滔々と述べる。「いま朝廷の大臣は〜」
漢書の朱雲伝によれば、彼はその弾劾文を次の言葉で結んだ。

「臣願わくば、尚方斬馬の剣を賜り、佞臣一人断ちて其の余を遒擦鵝・ラ

どいつもこいつもろくでなしだが、代表格一人を斬り殺して、残りのものの見せしめにしたい、その為に宮廷秘蔵の名刀をお貸し下さい、と願い出たのである。
誰を斬るのかと皇帝は尋ねる。
いうまでもなく丞相の名をあげる朱雲。

時の丞相は張禹であった。
成帝の学問の師匠である。帝位についたばかりの皇帝は、高齢を理由に固辞する師匠に無理無理を言って側近になってもらっていたのである。
野心もなにもない純然たる学者…
その老人の首を刎ねるというのである。
果たして皇帝は激怒した。

「身の程もわきまえず、よくも宮廷で朕の師父を辱めおった! 死罪だ、容赦はならぬぞ!」

引きずり出されそうになるも、宮廷の欄檻にしがみ付き、朱雲は叫ぶ。

「おお、死にましょうや! 臣はあの世に行って竜逢や比干と遊ぶことができれば満足です。さりながら、陛下はいかが遊ばしましょうや?」

竜逢とは夏の暴君・桀王を、比干は殷の紂王をそれぞれ諌めて殺された人物である。
つまりは、成帝をこれら暴君と同列に…
この暴言に、いよいよ力を込めて彼を引っ張りだそうとする近衛衆だが、朱雲もまた必死でしがみ付く。
ついに、欄檻はポキリと折れてしまった。

檻を折る…
このように、折檻というのは本来、臣下が皇帝に、子が親にといったように、下のから上への直諌を意味した。
ところが日本においては、その正反対に上から下に、という意味に用いられるようになってしまったのである。
そう、先ほど述べたように、親が子に、というような意味に。ちょっとした逆転である。

上から下へ…
再三触れているように、女性というのはより弱いものに対して、そのサディズムを爆発させる。
それしかはけ口がないというなら、限りなく悲しいことだ。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


柴田勝家 − 主筋の女性を嫁に迎えた男の泣き笑い

018acce1.jpg国営放送大河ドラマである。
直前回の『功名が辻』は、北ノ庄落城の場面であった。
既に、お市・淀の方の母娘に関してはそれぞれ一稿を裂いて論じた故、本稿主人公は勝家としよう。

既論のとおり、かの母娘はともに臣下にあたる男に嫁いでいる。
いわば、女性上位の嫁入り…
本ブログとしては歓迎すべきことに、本年の大河においてはこのあたりを強調した演出となっている。
そう、柄本明扮する秀吉は永作博美扮する茶々が現われたる折、庭先にまろび落ち土下座をして臣下の礼をとった。

勝野洋演ずる柴田勝家が大地真央・お市を娶る場においても類似であった。

「お市様には、ごきげんうるわしゅう…」「勝家、私を貰うてはくれぬか?」

城入りの折には平伏し上座を勧める勝野勝家。
両名の最期となる直前回放送では逆転し、「殿」「市」と呼び合う(かの地かの時代における武家の)通常夫婦となっていたのが印象的であった。

ここらが、本稿をお読み願うにあたり留意願いたい点でもある。
つまり、勝家は婿入りしたわけではないのだ。織田家の養子となり織田勝家として家督を継いだわけではない。
あくまでも、お市が臣下に下ったわけなのである。
言ってみれば、(勝家の視点からすれば)女房の七光りでによる出世狙い…
して?

お市の稿で述べたように、家庭人としては大々成功。
夫婦仲睦まじく三人の養女たちとは実の父娘のごとくで、幸せな晩年を送ることのできた勝家である。
お市にすればそれでよいのだが。
勝家には天下取りの宿願があったはずだ。敗死で「我が人生に悔いはなし」ということはあるまいて。
どうも男とっては、お市は『サゲマン』であったようだ。

歴史は巡る。のちに淀の方となった茶々もまた…
この母娘を見る限り、「嫁は下から貰え」の格言が正しいと実感される。
『功名が辻』の主人公は山内一豊の妻・千代、この女性はどこの馬の骨かわからないといっても過言でないほどの下級の出。
それがうまく夫を"支配"し、土佐藩主の地位にまで上らしめた。

乱世は駆け上るためには先ず、夫婦間での下克上があることが前提となるようだ。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


てふてふ

america蝶花札は6月の10点札は、牡丹に蝶、繰り返しているとおりです。
よくみると、札によって蝶が上に来たり下に来たり、どうも2通りの図柄があるようですね。
そして、よく考えてみると、花札48枚のうち昆虫が描かれているのは、この札だけです。
蝶が昆虫代表というのは、現在の感覚からしても同意できますでしょう? ねえ、蝶のまいをみるようだ、なんて表現もありますし。
あっと、あっと、よく読んでくださいよ。「蝶のまえ」ではありませんからね。

と、改めて「蝶の舞」と確認して貰ったところで、続けますと。
日本古典では、余り見かけぬ表現のようです。
キーワード『舞』で思い浮かんでくるのは、おそらくこれでしょう?
梁塵秘抄から、有名な<四句神歌>を。

 舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に 蹴ゑさせてん 踏み破らせてん まことに美しく 舞うたらば 華の園まで遊ばせん

「舞へ舞へ」とは「角出せ角出せ」ということ。
つまり、かの童謡に同様なわけです。
じゃ、てほにはがおかしいかしら、

と、この言い回し、



これも「現代に生きている古典」?

を巧みに丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


月見の女王

大連坊主お月見の話を続けましょう。
前回話したように、僕はご幼少のころから家の縁側から見るの専門です。
こんな感じで、

    名月や 畳の上に 松の影 (其角)

ま、これはこれで風情もあるんですけど。
ただ、やっぱり当ブログとしては、野外での月見を推奨したいですね。
そうです、芒の山にのぼる仲秋の名月。ちょうど花札8月の光札のような光景を楽しみたいものです。

では、例によって万葉集から一首。

   倉橋の 山を高みか 夜ごもりに 出でくる月の 片待ちがたき

巻九・一七六三、沙弥女王の歌。
「倉橋の山」は、多武峰(奈良県桜井市)の東方にある音羽山(八五一メートル)のことでしょう。異説もあるようですが。

沙弥女王という人は伝未詳のようです。
ところで皆さん。
今でも「女王」いう人たちが何人がいらっしゃるようですね。
ううん、アレじゃない。ブログ名が「マゾヒズムに花札を!」だからと言って無理やり気を回してくれなくてもいいです。
皇室関係で、女王という人たちがいるそうなんですよ。。
正直、よく知りませんでした。

と、この言い回し、



私も時々「女王(様)」って呼ばれるんだけど、よく分かんないんだよね

を巧みに丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

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『サディズムの先祖返り』と『犯罪適齢期』

このタイミングで挟むのがよかろう。タリウム少女の話だ。
昨年10月31日のことであったか? 静岡県伊豆の国市の高校1年生女子生徒が、母親にタリウムなどの毒物を与え殺害しようとした事件が発覚したのは。
これなどは、是が否にも本ブログで論題とすべきトピックスである。

先ずは。
毒を盛るというのは、女性が得意とする攻撃法だ。
古今東西枚挙に暇がなし。
更に。
視姦と露出、ネットにおいては?  の稿の結び…
「いわゆる異常性癖は有効利用可能であり、また先祖返りの危機もはらむ。」
将しく、その典型だ。
即ち、彼女は化学に興味を示し研究対象を攻究することにより持ち前のサディズムを有効利用しだしたのであるが、惜しむらくはプロセス段階で『先祖返り』、道を踏み外してしまったのである。
一稿使って書きたいのであるが…

いかんせん情報が集まらなすぎる。
そのために彼女の心裏まで踏み込んだ考察に至ること適わず、こうして社会事象のカテゴリとして寄稿せざるを得ないのである。
集まらない原因は言わずもがな、現行社会制度、未成年の犯罪についての報道自粛傾向によるものだ。
まあ、これについては少年法立法趣旨にまで踏み込んだ論説をする積りはないのだが、ただ一点だけ。

前稿の平田恵里香は1985年10月5日生まれの二十歳だ。
もし、平田がものの9ヶ月も後に生まれていたのであるとか、逆に犯行が9ヶ月前であったとしたのなら?
そら恐ろしい話だ。さしずめ論者の記事などは即刻削除、いや、それでは済むまい。しかるべきお上の部署からお咎めを喰っていたであろう。
何せ、未成年被疑者の実名を晒すのは極悪行為なのである。

お分かりであろう?
19歳11ヶ月と20歳0ヶ月とどう違いがあるのか? もっと言うなら16歳(タリウム)と21歳(生き埋め)との間に引くべき年齢境界線などあるのか? といっているのだ。
まさか「何事も若いうちにしておきなさい。…犯罪も」という訳でもあるまいに。

そうした意味においても、『くまぇり』はバカなことを仕出かしたものだ。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


ウィニー裁判地裁判決に思う


某玉置アナの台詞を借りるなら「一週間のご無沙汰」、今週もひとつ意見投稿なぞを手がけるとしましょう。

さて、先週はかの「クラブきっず」を巡るネットオピニオンに触発されての投稿でした。
件の渡邊教諭は著作権法に抵触したサイト運営を断罪されたのでしたよねえ、確定している部分を話せばです。

ネット…
著作権法…

この2ワードに大いに関係のある司法判断が、また示されました。
断るまでもないでしょう。ファイル交換ソフト「ウィニー」を開発した元東大助手金子勇被告(36)に対する京都地裁判決のことです。
懲役1年の求刑に対し、罰金150万円の判決、つまり当該一審は有罪判決を示したのです。

…もう、くどくは言いたくありませんね。
「交換ソフト開発者が有罪で三菱ふそう経営者が無罪。司法とは何なのか?」
うん、これに尽きてます。これで終わりにしてもいい、
終わりにしてもよかったんですよ。被告やその支持者の判決批判を耳にするまでは。

「(この判決は研究者たちの)開発意欲をそぐ」

なんですか、これ?!
こんな駄々っ子じみたことを言う人たちの存在を知ってしまった以上、ひとり司法を悪者にして終わりにするわけにはいかなくなりました。

「やる気がなくなったのなら、やめちまえば」
駄々っ子を叱るのですから、こんなところで十分でしょう。
ん? そっけない?
じゃあ、大人に昇格させてあげましょうか。

この人たちは業者ですよね。うん、研究業者。
研究者じゃないでしょう、研究者とはいうのは、例えどんな迫害を受けても研究を続ける人たちです。「それでも地球は回る」
それを何ですか。一度や二度ブタ箱にぶち込まれたくらいで、やめるのやめないのと喚きだすとは。
要するに自分の利権を守りたいがために研究を人質にとってごねる業者代表に過ぎません。
この人たちが大人であるにせよ、子供に等しいにせよ、こんな研究もどきはやめてくれたほうがいいです。
ねえ? 公共財に等しいネットというものを実験用に使い大きな波紋を巻き起こし、なおかつそれが万人にとって有益なものであると信じて疑わないような人たちは消えてくれたほうが助かる、
少なくても、これを飯の種にしようと考えない者のひとりとしてはです。

ここで時系列を戻し、本件が刑事事件化した経緯を振り返りましょう。
僕はさっき「大きな波紋」と表しました。これは、誤解を招くことを防ぎたいがための曖昧表現です。
まあ、僕らならば曖昧表現のままで済まされましょうが、司法が(「大きな波紋」を放置しとく訳にはいかずと判断して)刑事事件にするためには、そんな訳にはいかないですよね。
法規に定められている歴とした罪状を提出しなければなりません。
そこで、もって来たのが、著作権法違反(幇助)。
このプロセスで読まなければ話を間違えましょう。先ず罪状ありき、ではないのです。

随分昔のことですが、ブルセラなるものが流行ったことがありました。
中には濡れ手に粟の大儲けをしている者もある、これを放置するのは社会のためにならずと判断した当局は摘発に乗り出しました。
適用したのが「古物営業法」、古物商の株を持っていないものが古物を取り扱うのは違法だというなのですが。
まあ、感覚的に見たらば、これは変ですよ。けど、よくも悪しくも司法とはこんなものなんです。
規則を曲げるわけにはいかないのなら事実を曲げるしかない、美化すればこれを大岡裁きというのですがね。
果たして、使用済み下着等を骨董品と見なした件の刑事手続きは効を奏しました。

元に戻すに、「ウィニー」開発に著法を持ってきた件です。
これは失敗例でしょう。有罪とされた被告サイドが納得してないことは述べてきたとおり、つまり「穿き古しパンツが何で骨董なんだ?」と正面切って対抗してきたわけです。
そして、この判決の支持者です。
そうですよねえ、著作権で飯を喰っている面々が俄然勢いづいてしまいましたもの。つまり、穿き古しパンツを骨董としても(そんなものを取り扱ってない)骨董屋が利になるわけがない、しかるに今回の地裁判決は(位置が近かったために)「著作権業者」に漁夫の利を齎す結果となったのです。

著作権で飯を喰っている面々と言いましたね?
そうですよ、元よりいい印象は持ってません。
先ず喰うことがありき。そのための手段としては、著作権という既存の特権にしがみつくのが一番。
文化の発展寄与という理想などとうの昔に雲散霧消させてしまったこの人たちもまた業者、作(X)家というよりは著作権業者という呼称で呼んだ方がよいでしょう。
この著作権業者というのも、一言文句言いたい相手ですので触れておきます。

なぜ面白くないかといえば、司法の場を営業目的に利用している帰来があるからです。
代表的なものをあげるとするなら、ほら、あったでしょう?
ブルセラよりは新しいものの、これもまたかなり前ですけど、訴訟を宣伝かわり使う大手アミューズメントが。
「(我が社版権キャラの)清純なイメージを壊された」等々。
結構話題になりましたので、当時の報道を知っている方は思い出すことと思います。
極めつけは、「(ゲーム)セーブデータの著作権は(ゲームソフトの著作権者である)我が社にある」の主張です。

まあ、こんな話は、ゴッホのひまわりがウン十億円で売れた、
そこに、絵の具業者現れて、
「あの黄色は我々の秘伝。だから売買代金は我々のものだ」
というものなんでけど。
驚くなかれ、司法は原告大手アミューズメントの主張を支持したのですよ!
はしょっちゃいましょうか。一番驚いたのは原告でしょうね。当然敗訴となり最高裁まで係争することにより商品等の宣伝が長期にわたり続けられるというシナリオが崩れたのですから。

とまれ、今回地裁判決判決の支持者の大半は、こうした前科のある事業者たちなのです。
果たして、公権力が利するに値する公共性があるのでしょうか?

さて、そろそろ結論にもって行きましょう。
以上述べてきたことを、ここまでお読み願った各位には、読みにくい文章だったかもしれません。

「お前一体、誰の味方をしているだ?」「あっちについたり、こっちについたり矛盾だらけ」

こう感じてる方も多いことと思います。
まあ今回判決に関しては、(俎上の人物の)誰の味方もしたくない、「どいつもこいつも」、というのが、僕の感想ですので。
忘れてはならないのは、司法なるものは全て我々の血税により運営維持されている場であるということです。
その司法の場が一部の利便のために利用され、専ら業者間の鬩ぎあいが繰り広げられているのは、何とも不快な限りです。

更に言うならば。

かつて、文化財というものは、皆の共有財産でした。
よく言うところでは歌。
皆が歌いました。
一人が「つらつらつばきつらつらに」と歌えば、皆が「つらつらつばき」とやり出す、「山鳥の尾のしだり尾の」がいいなあと感じれば誰も彼もが「山鳥の尾」と歌い、この貴重な財産を共有する…
古代人たちの魂の息吹は、どこに消えてしまったのでしょうか?

 あら春や 浜つ椿の つらつらに とみ思ほゆれ こぞの夏こそ

…例によって例のごとく、パクリです。
でもよいではありませんか。歌は皆の共有財産です。

よし、只今作成中の来年の年賀状は、この歌で行くとしましょう。

タグ:研究者 被告 道路運送車両法違反 無罪 著作権 花輪亮男 懲役1年 宇佐美隆 横浜簡裁 経営者 開発者 情報流出 三菱ふそう 交換ソフト開発者が有罪で三菱ふそう経営者が無罪。司法とは何なのか? IT 一審は有罪判決 罰金150万円 金子勇 有罪 小島裕史 クラブきっず 越川忠 ウィニー ネット 歌は皆の共有財産 魂の息吹 司法 古代人 山鳥の尾のしだり尾の つらつらつばきつらつらに 共有財産 文化財 どいつもこいつも 花束 公権力 大手アミューズメント http://blog.livedoor.jp/homer_simpson_2006 オーソリタリアニズムに花束を! 絵の具業者 ひまわり ゴッホ ガリレオ セーブデータ 藤崎詩織 ときメモ コナミ 一週間のご無沙汰 訴訟で宣伝 訴訟 司法の場を営業目的に利用 サイト運営 著作権業者 ファイル交換ソフト オピニオン サイト 既存の特権 漁夫の利 著作権で飯を喰っている面々 支持者 著法 あら春や 浜つ椿の つらつらに とみ思ほゆれ こぞの夏こそ パクリ 使用済み下着等を骨董品と見なした 年賀状 骨董品 使用済み下着 winny 大岡裁き ウィニー裁判 古物商 古物営業法 当局 濡れ手に粟 著作権法違反 ブルセラ 幇助 罪状 刑事事件 波紋 実験用 公共財 利権 それでも地球は回る 氷室眞 意見投稿 司法判断 玉置宏 東大 研究業者 業者 渡辺敏郎 開発意欲 著作権法 京都地裁


平田恵里香 − 『くまぇり』の名で自らの全てをネット露出した放火魔ブロガー

6512f552.JPG今この瞬間は、瞬時にして過去となる。
かの会田美喜のことも畠山鈴香のことも、そのようにして過ぎ去った。
そして、また歴史には新たなページが書き加えられる。
而して本稿がある。事情で消された彼女のサイトが未だ検索キャッシュで拾えてしまえるくらいに近しき過去の出来事である。

奇しくも、「ブロガーとは露出症者」と論じたばかりだ。
芸能関係者とは露出症を高度に発展させ職業化したものであるということも。
タレント志望である平田恵里香の、ネットにおける露出はそれ自体は問題はない。
職業として目指したものも正解だ。
だが露出したものが許されざるものだった。
自ら犯した放火(の仄めかし)、そしてその裏にある彼女の性向…
八百屋お七の稿で論じたことそのものであるが故に結論のみにとどめよう。
放火マニア、汚涜症の一種にして、大元の括りはサディズム…

自ら投稿ジャーナリズム各位。
「ついにここまできたか」の論調は正しい。
だからこそ、「夢に行き詰まりストレスが溜まり…」の出来合い結論で片付けるのはやめて欲しいのだ。
ストレスが溜まった人間のうち一体が何人が、火付けをしたというのか?
事件を起こした彼女の心裏を掘り下げ、この切り口から、一人の女性の暴発したサディズムが惹起した社会不安を報道しなければウソであろう。
今でこそ軽く見られがちなもののかつては人殺しより重い、問答無用で火あぶりの刑に処せられた犯罪なのである。

そして、ネット関係だ。
彼女は積極的に露出した。こうして顔写真が意図も容易に入手できてしまう。
この恐ろしさだ。
仮に平田が罪を償い戻ってきたとしても、彼女の顔は広く知れ渡るところになっているのである。
「便利イコール危険」、ネット関係従事者は言うべきこの言葉を、なかなか発せようとしたがらない。

論者が代行する。
「ネット上に軽々しく顔写真を晒したら、取り返しのつかないことになりかねませんよ」

 注* 2枚のCGのうち下のほう及び下記資料は、7/11に投稿された原文にはありません。

その1  その2  その3  その4  その5  その6  YouTube  番外




posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


神無月、神有月

神無月本ブログ名物、形式的投稿日付をつらつら見るに、10/10ですね。
では、今日は十に因んだ話から入りましょう。

言って来ましたように、花札のルーツはトランプ、しかるに花札12ヶ月48枚、トランプは4種13宛の52枚ですよね。
この差異についての一説です。
なんでもトランプが日本に紹介されたころ、10の数字がない48枚のセットがあったらしいんです。
それをそのまま翻訳すれば、12ヶ月48枚となるわけでして。

うーん、個人的には眉に唾です。この説によれば10月はない月になってしまいますものねえ。
まあ、10月の異称は神"無月"ですけど。
と、狂歌師・大田蜀山人ばりの揚げ足取りをしたところで、ご本人の作を見ましょうか

  紅葉せし 間に間に神の 旅支度

例のあれですよ。百人一首菅家の揚げ足取りです。
日本にまします八百万の神々は10月には揃って出雲にお出ましになる、だから神無月、出雲の国に限ってはこれを神有月と呼ぶわけです。
おっと、百人一首のパロなら、もっとありますよ。

  このほどは 櫛も取りあへず むさければ 虱わくらし 髪の間に間に

今現代は虱なんてのはついぞお目にかかれない昆虫ですけど、江戸時代はポピュラーな存在だったんでしょうねえ。
芭蕉も奥の細道で、これを詠んでるではありませんか。

   蚤虱 馬の尿(しと)する 枕もと

《出典》奥の細道・尿前の関
《訳》
蚤や虱のために寝つかれずにいると、枕もとでは馬の小便をする音まで聞こえる。わびしくもまたこっけいな旅の宿りである。
《参考》
尿前(シトマエ)の関(鳴子温泉の西、陸奥(ムツ)・出羽(デワ)両国の境にあった関所)を越え、堺田(サカイダ)に逗留(トウリユウ)した時の詠。東北の農家は母屋内に馬を飼う。貧乏旅の辛(ツラ)さを訴えるというよりは、馬の小便が耳近く聞こえるような宿りに興じている気味がある。

誰ですか、誰ですか!?
これが馬でなくて、人間の♀だったら、もーこの世の天国! だなんて考えている方は?

と、この言い回し、



ちゃんとした芭蕉を

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


夢路はかなき

四月さてさて、投稿日付とは全く関係ないところで昨日の国営放送。
やってましたよねえ、北ノ庄城炎上!
これで、柴田勝家・お市の二人が舞台から去りました。

永作博美扮するところの茶々姫が、二人の辞世を披露しましたね。
これです。

  夏の世の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす (勝家)

  さらぬだに うち寝るほどの 夏の夜の 別れを誘う ほととぎすかな (お市)

といずれも、花札は藤の10点札に登場するホトトギスが詠まれてます。
さわやかな初夏を告げる鳥として古くから親しまれてきた記録がここにもありました。

今更ですが辞世とは、死に臨んで残す言葉・詩歌のことです。
武士にとって死とは最高の儀式、このような形で風雅のこころを遺したのでしょうね。

これが、町人なると。
ってことで、泰平の江戸時代は「東海道中膝栗毛」作者・十返舎一九の辞世を見てみましょうか。

  此の世をば どりゃお暇(いとま)に せん香の 煙りとともに 灰左様なら

お分かりと思いますが、掛詞(←「余命幾ばくもない」○ユ的)と縁語が使われてますね。
なんでも、ネット情報によれば、一九は1831年に67歳で没。この後火葬にされた際、自らがあらかじめ体に仕込んでおいた花火に点火し、それが上がったという逸話があるとか。

さて、ぐっと時代はあがって昭和初期。
太宰治39歳は、

  斜陽なら 人間失格 グッド・バイ

と、詠み遺し、玉川上水に入水したとか、
って、話は誰から聞いたんだっけ?
いやいや、勿論冗談よ、

と、この言い回し、



明るく楽しい辞世

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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阿部進 − カバゴン vs ママゴン 二大怪獣激闘に考察する漫画文化論

63cc3467.jpg女性の持つ攻撃性を母親の支配欲に投影し、教育ママについて論じた前稿である。
ブログ趣旨とは離れつつあるも、続けることとしよう。

そもそも教育ママなる言葉は、戦後日本の産物であろう。
下敷きとすれば、進駐軍の持ち込んだデモクラシー。
これが日本固有の精神主義と結びつき、「人間は誰しも平等に機会を有する、だから刻苦勉励すべし」
という思想となる。
事実これをスローガンに日本は奇跡的な復興を遂げた。
そして「もはや戦後ではない」とまで言われるようにまでなると、余裕が出来、虚栄心が目覚める。
前稿ヒロインと全く同じ心理で生まれてきたのが、教育ママなる人種と言えよう。

噛ませ犬と言ったら語弊があるかもしれないが、かかる(学校)教育法に一石を投ずる、という持論を引っさげメディアに現れいでたる教育評論家が、本稿の阿部進、愛称カバゴンである。
昭和40年前後であろうか? はからずも世は怪獣ブーム、それに擬えた副題のごとき形容がされた。
で、彼の業績のうち本ブログとしてスポットライトをあてるのは、漫画普及の功績である。
人は(漫画普及の)功労者として、ときわ荘の漫画家たちを思い浮かべる。が、教育畑の人間の推挙なくしては文化として市民権を得るまでには至らなかったと思料する。

「漫画なんか読んでないで勉強しなさい!」
教育ママの常套句以前にである。
未だ父親の地位が健在であるころは、先ず男親からゲンコを食った。
であるからして、子供たちは隠れて漫画を読んでいたものだ。(見て見ぬふりはあるにせよ)
それが、教育者のお墨付きの下、堂々読めるようになったのである。
ある意味、文化革命と言っても過言ではない。

ないのであるが… と続けるのが論者の常套、本稿も同じくである。
先に出してしまえば、今となってみれば、やはり漫画とは隠れて読むべき性質のものであった、というのが論者の結論だ。
何事にあれ、一旦権威権力を有してしまったものは必ず堕落する。
実のところ、これは昨日某所できつめのコメントをしたこと(の続編)なのであるが…

某所で糾弾したのは、大手出版漫画担当の特権意識である。集英社…
集英社といえば、何回か俎上にあげている弓月光や一条ゆかり、土田よしこらが執筆していた『りぼん』を抱える、少女マンガ名門中の名門だった。
それが、今の現場の面々の鼻持ちならない言動は!
将に水滸伝の舞台となる中国宋代の腐敗役人そのものにも似る。
断っておくが論者は、掲示板サイトの情報を鵜呑みにして批判をしているのではない。
全て検証済みの情報にて発言していることを付け加えておこう。

そういった感情を全て別にしても、漫画というのは褒められた媒体ではないと思える。
詩・小説、絵画…
文中絵あり、絵中文あり…
文字なら文字、絵なら絵で表現するべきなところを、両方使うのは反則にして掟破りと考えるのだ。
それでいて、俳画のように相乗効果めいたものは特に感じられない。

ここで注しておくべきか。
論者の頭にある漫画とは、原点であるポンチ絵、一枚もの漫画ではない。ストーリーものといわれる冗長なやつだ。
現代漫画の主流である劇画、漫画なのに笑えもしないあれは一体何なのか!?
一口で言えば、物心両面での無駄遣いといえる。

具体的に言おう。
横山三国志、実に六十余巻。
文庫本にすればたったの8冊の吉川英治三国志がここまで膨れ上がってしまった。(それも割愛箇所多々)
逆のケースをあげれば、手塚治虫『火の鳥』のノベライズがあろう。
失礼ながら大したことのない物書きの人たちが、手塚ライフワークと言われる漫画をうまく文章にまとめてくれている。
これが力ある作家ならば、作者意図を一冊にまとめあげてくれるかもしれない。
世界的な画家なら一枚の絵にも…
いずれにせよ、シリアスな場面でひょうたんづきが降って来るとか、「川上タケルの巨人クマソ」とかいうような直ぐに陳腐化するギャグだとか、頼朝義経兄弟に電話会話させて笑いをとりにいくだとかいったの演出をせずとも、意図は伝わるのである。

冗長メディアとでも表現したらよいであろうか? こうした漫画の宿命たる『両面無駄遣い』のために、伝え手の表現力は伸びない。
そして、受け手の鑑賞力はいつまでたっても鍛えられないのである。お仕着せメディアの代表例。
言ってみれば漫画風情が大ヅラをこくことにより、いつまでもいつまでも離乳食ばかりで通常の食物を摂取できない成人のごとき人間を育ててしまうのだ。

恥の文化… 「ネクタイしめた大人が電車の中でマンガ本広げている日本」

さて、江川ヤプーと呼ばれる、家畜人ヤプーの漫画化が継続している。
一体あれは何巻までいくことやら?


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      【資料】
タグ:http://blog.livedoor.jp/fem_dom_2006/ サディズムに花束を! サディズム 教育ママ 阿部進 カバゴン 怪獣 漫画 ときわ荘 集英社 集英社の鼻持ちならない言動 りぼん 弓月光 一条ゆかり 土田よしこ 水滸伝 三国志 横山三国志 吉川英治 手塚治虫 火の鳥 恥の文化 家畜人ヤプー 団鬼六 デモクラシー 攻撃性 ブログ 母親 非合理な母親 進駐軍 精神主義 刻苦勉励 スローガン 復興 もはや戦後ではない ヒロイン 怪獣ブーム マンガ 教育者 文化革命 ポンチ絵 川上 巨人 コミケ 江川達也 マンガ本 著作物 地下サイト 管理人 パクリ 漫画家 伊藤一蔵 UU 食い物 狐と狸の化かしあい 狐と狸 SM 北川繚子 女郎様 風俗店 コンパニオン 女郎 女王様 女王 無恥 末世 ラッシャー三好 銭湯 高速道路 マジックミラー エロ本 ビニ本 破廉恥 記事 経営者 文化人 三つ子の魂百まで このごろ都にはやるもの 奇譚クラブ フェティッシュ イベント 美学 毛を吹いて傷を求む 同人 同人誌 川柳 麗羅 レイラ 三山のぼる 山田ゴメス 北川プロ 美味しんぼ 課長島耕作 山口六平太 奴隷 M男 射精 マニア ビジネスジャンプ 著作権 小学館 秋田書店 講談社 武士道 菊と刀 ルース・ベネディクト 価値観 美意識 正義 名誉 世間体 罪の意識 ダ・ヴィンチコード 鞭打ち 宗教的 戒律 折檻 携帯電話 携帯 高度経済成長 戦後 道徳観 西洋風 SM観 韓国 カルト 朝鮮 れっど&ひひる 教祖 広告塔 チョン・ミョンソク 少女漫画家 鄭明析 摂理 東京都千代田区一ツ橋2−5−10 山下秀樹 有限会社コミケット 米沢嘉博 ラッシャーみよし カルトの巣窟・集英社漫画担当 トキワ荘 漫画的 捏造本 小畑健 藤井真也 キョウコ女王様 山崎早智子(蝶々)& 藤井真也 出版業界の恥さらし犯罪カポー 山崎早智子(蝶々) 蝶々 山崎早智子 キョウコ chochochan 株式会社集英社 gooブログ goo
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


牽牛のナキ

カブ札 7さて、七夕の翌日。極めて投稿日付に近いところで本稿を書いています。
残念ながら僕の地方では、今年の七夕もお天気には恵まれず、織姫と彦星はデートをすることができませんでした。
無理もありません。一年のうちで最も晴れの確率が低い時期ですもの。
やっぱ、ここでも新暦の欠点が暴露されましたか。

7。花札はおいちょかぶの世界では、これを『しちけん』または『ナキ』と呼びます。
うーん、牽牛のナキといったところですね。そのくせ涙雨とはいかず、はっきりしない天気ばかりが続いています。
…っといけません。はっきりしないの糸瓜のと泣き言ばかりならべていると、それこそ泣きっ面に蜂ということになってしまいます。ここらできりあげましょう。

てな感じで、よく、(消極的な意味での)エトセトラ、って意味で、「○○の糸瓜の」、って言いますよね。
これは何でなぜ?
たぶんなら、ヘチマはスカスカで中身がないから。
同義で「蜂の頭」。
こっちは簡単です。
虫ってのは大概口で噛み付くのに蜂はケツで刺す、だから頭は役立たずってことで。

では、「酢の蒟蒻の」の語源は?
これは存じません。。。

と、この言い回し、



これは必ずしも9/19〆後扱いにする必要はないのですが

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


趙群の母 (前漢) − 孟母に比肩する? 紀元前中国の教育ママ

8c99c9a6.gifさて昨今の社会情勢であるが。
相も変わらず親子の確執に起因する刑事事件が多発している。痛ましいことだ。
ジャーナリズムは、これを教育の問題であると位置づける。「子供の"将来"を云々」と。

だが、言わせれば。
そんな大仰な言葉が必要なのであろうか? これは単に『学校の問題』と標記すべきと思料する。
そう、精々人が学校の庇護下にある、人生4分の一分程度の期間にしか効をなさない問題に過ぎない…
と、言われ続け育てられてきた論者は、すっかりその考えだ。これが幸か不幸かは、まあ、残りの4分の三で検証できることだから、ここでは論を波及させまい。

少なくても、殺し合いをするまで拗らせるのは愚のきわみであることには論はなかろう?
まあ、奈良の事件こそ男親がシテであったものの、大半のこの手の事件は女親がキーパーソンだ。
女性は、頭と子宮を二心とする楕円思考をする… 山田みつ子の稿であった。

論は転じて紀元前150年のころの大陸。趙群の父・趙属は一代で財をなした人物だ。
彼が成金となったのは酒類の製造が悉くあたったからである。とりわけ夏の清涼飲料。
そうなると、妻、すなわち趙群の母は、人が変わる。成り上がり者のおかみさん−虚栄心の塊のような女となる。
かつては夫とともに埃まみれとなり働いていた彼女は、さっぱり額に汗することもなくなり、ただ着飾ってばかりいるようになった。
そして、子供に題目のように聞かせる。「お前は誰にも負けない子だよ」と。

そんな彼女が唯一した店の仕事が、清涼飲料の配達であった。
子である趙群を伴い、上得意である有力者連中を訪う。
そう、この時代に清涼飲料などを飲することができるのは有力者くらい。
とびきり上等なお客には手土産を持参することもある。そして、

「これは私の息子です、宜しく」

これが肝心。
趙群は母に尋ねた。売上代金よりも高価な土産を持っていくのは何故か、と。
いや、母親の魂胆など承知のうえで意地悪く聞いたのである。彼は、こんなことをする母親が好きではなかった。

さてさて、英才教育の甲斐あって、かの息子は…
長じて、後世に名を残す侠徒となるのである。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


中国にSMはあるの?



 しばらく中国に行ってました。ある仕事の取材で、北京に3週間、上海に5日、瀋陽に3日ほど滞在してました。

 中国はいまやインターネット先進国ですが、今回は個人的にはほとんどする暇もなくて、人に直接会ってどっぷりと話を聞くという極めてアナログな仕事です。ネットで情報収集するということはなく、もっぱら足で稼ぐといった感じで、久しぶりに泥臭い、土臭い仕事をしたなあという感じ。やっぱりナマの人間関係というのは疲れますな。特に外国人相手だと余計に神経を使いますから。

 だけど、同行した韓国人の若い通訳は、靖国問題については何も知らなくて、日本で何故あれだけ騒いでいるのか理解できない、などと言って僕を驚かせてくれました。世代や人によってこれも様々なんだな〜と....

 こだわる人は気にするし、こだわらない人にとってはどうでもいいこと。それが戦後の平和ボケした一般ピープルの常識のようです。国を問わず。日本も中国も、そして韓国や他のアジアの国の人々にとって、過去の悲惨な歴史は、「どうでもいいこと」と感じている人が多数います。それがけしからんという人もいるんだろうけど、「どうでもいいじゃん!」と思っている人にとってそれは、全然関係ないもんね!という態度があからさまに感じられて、ヤレヤレという気持ちで帰国しました。僕の知り合いには、声高にいろいろなことを主張する人がけっこういるので、何も主張しない無関心な人々というのも新鮮に感じられました。

 けっこう激務で、体力的にかなりマイってしまって、瀋陽で中国式マッサージのお世話になりました。「水流派」という本格的なヤツで、90分で200元(約3000円)という価格破壊的なお値段にしてはよかったです。
 そのマッサージの女の子(19歳!若い)の話せる日本語が「痛い」「気持ちいい」「ありがとう」の3つしか知りませんとか言われてしまって笑ってしまった。これって、何かマゾヒズムを連想する3大用語かも、とその時思って吹き出してしまった。SMのことはほとんど考える余裕もない一ヶ月だったので、何となく懐かしい気持ちになりました。この娘が日本語がわからないのをいいことに、もまれながら、「あ、気もちいいです女王様」とか言ってみたりして。これはかなり勇気がいるのですが、旅の恥はかきすてで、思い切って(小声で)言ってたりしました。

 ちなみに中国にはSMクラブは、僕の知る限りなかったみたいです。風俗営業自体が違法で闇やウラではあるのかもしれませんが、かなり取り締まりが厳しいようです。

posted by homer_2006 | Comment(0) | マゾヒズムに花束を!


天の月 地の月

天地さて改めまして、花札一年12ヶ月48枚。
トランプの代用品であるための名残として13番目の月のある52枚の変わり札もあることを紹介してきました。
して今日紹介するのは、なんと14ヶ月56枚の札です。

すなわち、竜虎(七七花)という四人花札。

 天の月 ハス 竜(光札)
 地の月 竹  虎(種札)  
 
が加わった14×4の56枚、点数は総計308点、4人ですから原点は77点というわけです。
また、新役として六光・竜虎(竜と虎)がでてきます。

竜虎相克、天と地と。
ありますよねえ、海音寺潮五郎に、上杉謙信の生涯を描いた大河小説が。

で、上杉謙信って誰?
いやいや、冗談、冗談!

ときに皆さんは、最強の戦国大名は誰だと考えます?
謙信を押す声が多いようですけど。
そもそも謙信は越後の長尾氏の血筋でした。

広く関東に覇を唱えていた上杉氏には、道灌の主家である扇谷家ほかいくつかの家系がありました。
その上杉氏の越後守護代を代々つとめていたのが長尾氏です。
謙信の家は長尾氏の中では決して主流に属する部類ではありませんでした。

と、まで言ったところで、急にはしょって結論。
謙信は、関東管領家からみれば、分家の家来のそのまた分家の出、それも長子にあらず、ということになるのです。

うーん、実力主義の好例。
思えば実力主義なるものが機能するのは、戦乱時のみかもしれません。

…って、またループしてきちゃいましたね。
話をふりましょう。天と地といえば、

 歌よみは 下手こそよけれ 天地の 動き出して たまるものかは

江戸期・宿屋飯盛の作です。

で、その元歌は〜

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、猛きもののふの心をも慰むるは歌なり。

古今集序の揚げ足取りデス。。。

と、この言い回し、



最強の戦国大名は?
念のために

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

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シャルル・ペロー − かの童話作家にみる17世紀欧州・サド花流考察

921a3354.jpg青髭でもよかった。
或いは、ペロー自身でも。
だが、ここは最も著名な赤頭巾の童話で論を進めるとする。

過去数回論じているように、よくよく読めば童話とは非常に残酷なものである。
とりわけ肉食人種主流のヨーロッパにおけるそれは。
殺したり殺されたり、食べたり食べられたり。
赤頭巾もその例外ではない。

先ずは、ヒロイン赤頭巾自身が生還できるというストーリーは、後の世のグリム兄弟の加筆によるものであることはご存知か?
ペローのそれも含め以前に書かれた赤頭巾においては全て、彼女は狼に食べられてしまいました、でエンドである。
もっともグリムの生還ストーリーにしても、狼の腹を裂くなどという残酷な話であるのだが。

幾つかそのほかにも。
赤頭巾が騙されて、おばあさんの血と肉をワインと干し肉として食べるシーン…
我が国のかちかち山にもある、このシーンはペローが削除したようだ。
同じく、ヒロインが一枚一枚服を脱いでは暖炉に放り込むというシーンも。
まあ、サロンの女性たちに読ませるために書かれたものである故、生々しい民話どおりにはできなかったのであろうが。
逆算的にいうなら一事が万事、中世欧州の民話伝話というのは非常に残酷なものであったという証である。

それにしても、何故に子供向けに残酷憚が語り継がれてきたのであろう?
赤頭巾のことで言うなら、その使用目的は戒め。
思えば。
かの地の母親たちは娘が年頃になると、この話を聞かせたのであろう。
軽々に知らない男について行くと、こんな目にあうのよ、用心、用心、と。

童話が神話と化してしまった現代IT社会に、ご用心。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


三権分立に対する第4の権力、或いは第一の権力とも言われているマスコミであるが



?.序論 − 渡邉敏郎「クラブきっず」を巡る状況

本論に入る前に先ず、元となった事件につき触れておかなければならないでしょう。
標掲の小学校教諭が自己のHPに交通事故死した子供の写真等を掲載し、その遺族らから告訴されたというものです。
巷間話題になっているところですので周知のとおりでしょう。
この件を巡る渡邉バッシングは、これも周知のところです。

渡邉敏郎は何が悪かったのでしょうか?
自己の趣向を出すべき場所を間違えたこと。僕は世間の通説とちょっと違った点を指摘します。
人間心の中で何を思おうが、それは自由です。誰からもとやかく言われる筋合いはない、それを心の中に留めて置く限りにおいてはです。
ですが、それを形に出すとなれば、話は根底から違ってきます。実際渡邉は、インターネットという全世界の人の目に留まる場所に自己の性向を吐露し、大きなリアクションを招きました。

彼はインターネットというものを、誤解してたのでしょうか? 舐めてかかってたんでしょうか?
僕自身も、自己の性癖を表に出したサイトをやっていますので、自分のこととして考えるのですけど、やはり…
分かってても、錯覚を起こしてしまうこともあるのですよねえ。「同好の志」だけが発信した情報を拾ってくれるものだ、と。
言わずもがな、そんな虫のいい話はありません。だからこそ錯覚なのですけど。
会員制SNSあたりが本来の機能を果てしていれば、こんな虫のいい話も100分の1程度は期待もできましょうが、現状はまた周知のとおりです。
おっと、誤解を招く言い方でしたか。僕は「虫のいい話があってはならない」と言ったつもりでした。
全世界不特定多数に情報を発信すれば、全世界不特定多数から反響が返ってくるということを片時も忘れてはならないでしょう。
果たして渡邉敏郎の発信した情報も、事故死児童遺族の受信する処となり、その神経を逆撫ですることになりました。

そして、この遺族です。
勇気を持って本当のことを書くなら、僕には「クラブきっず」の被害者とは思えないのですよねえ。
肝心なところですから、「この遺族」ではなく正確に書きましょう。「事故死した肉親の写真等をHPに掲げている人たち」です。
既に述べたことと全く同じ理屈です。誰かがうまいことを言ってました、仏壇を全世界にテレビ放映してるようなものだ、と。
お気持ちはよく僕なりには分かるつもりです。
けど、まあ…
それを見た人たちが、どんな気持ちになるのでしょうか?
その「放映」を全世界の誰が視聴するかもしれない… 繰り返しましょう、既に述べたことと全く同じ理屈です。
果たして、全世界のネット人のうちから「クラブきっず」がそれに反応したという事実を招きました。

 いつまでも忘れないことも供養なら、忘れることもまた供養ではないか?
 ここに『偲ぶ』という言葉がある。

どこかで見た言葉を向け、次の役者たちに視点を移すことにします。
羽村市立松林小学校、羽村市教育委員会…
渡邉の勤務場所なんですけどね。僕は一連のドタバタ劇の主役は、むしろここらだと思うんですよ。
うん、一番の悪役ということです。

既に、6月の時点においてですか? 渡邉敏郎が告訴され強制捜査を受け書類送検されていた旨の報告を受けていたのは。
して、彼は11/30まで教壇に上がり続けた、常識というあいまいな言葉は使いたくないものの…
虞犯者を教育の場につかせ続けた学校管理者たちは、非常識の極みだと感じますよ。少なくても、社会通例としては考えられないことです。

いいですか?
渡邉敏郎の持っている性癖なる心の問題ではないんです。傷つけたの、傷つけられたのという、専ら当事者どおしの話ではないんです。
正当な権限を持った公的機関から、刑事手続きという動かしようのないアクションを起こされたという事実なんですよ。
それを放置是認しておいたとは!

部下を庇うとか、身内の不祥事を隠蔽していたとかの次元ではありません。
佐藤美知子校長や角野征大教育長自身の職務怠慢です。
もし、この事件で罰せられる者があったとしたなら、この面々こそ一番の重罰を科せられてしかりと言っておきましょう。
また、「クラブきっず」掲載写真の出所を巡り別の役者がいるとかいう風評もありますが、現段階では情報不足、ここらで切り上げることとします。

図らずも序論が長くなりましたが、いよいよ本論に移ります。



?.本論 − ライブドア・ニュース(2006年12月08日掲載)・時のことば『児童ポルノ』に絶句

このような「クラブきっず」事件ですから、ネットジャーナリストたちも盛んにオピニオン種としていました。
いずれも、成る程と頷ける点もあれば、そうかなと首を傾げる点もあり、それ故にオピニオンなんですけどね。
そんな中、標記のオピニオンには呆れ返ってしまいました。

と論を進めるのなら、引用するかせめてURLなりを書くのが通例なんですけど、その気にすらならないほどすさまじいものです。
だって、「この幼児性愛というものだけは、人間として絶対に許し難い(犯罪)行為だ、抹殺すべし」、などと本気で書いてるんですもの。
愛する心を持つこと自体が、「絶対に許し難い行為」だと…
今更言うまでもなく、論の破綻というも馬鹿馬鹿しいくらいに支離滅裂な言いようです。

愛する心が犯罪なのですか?
あの大文豪ゲーテは齢70にして17歳の少女に激しい恋をしました。
こういった少女愛は、「時のことば『児童ポルノ』」論者に言わせれば「人として絶対にやってはいけない犯罪行為」なんですよねえ?

そもそも、人の心の中を取り締まる権力があるというのですか?
(そんな権力は絶対ありえないが)仮にあったとしても思うもんは思うんだから仕方がないですよね。
そうなればルイス・キャロル(アリス作者)あたりは一生涯獄中生活、『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』二部作はこの世にはなかった訳です。
何とも恐ろしいことを書く人があったものです。

僕は最初、この「時のことば」は、てっきり高校生パブリックジャーナリストあたりが書いたものとばかり思っていたんですよ。
正義感の強い若者が昨今の犯罪白書に憤るあまり正当な判断力を失ってしまった、(彼もしくは彼女を洗脳してしまった)マスコミとは罪深いものよと、そこに身を置いた者の一人として憂いていたところなのですけど。
それが調べてみるに、ジャーナリズムで飯を喰っている人間が書いたものと知ることになるのです。

満富俊吉郎、平成マスコミ塾
珍しい名前ですし、日誌に同趣旨のことが書いてあることからすれば、断定してよいでしょう。
職業だけでなく、学校も僕の先輩ということになるようでして、愈愈「なんたるちゃ」ですよ。
一言で言ってしまえば、これが(僕が嫌気した)ジャーナリストの職業病なのですけど。
要するに自分の判断で書いてるつもりでいても、その実は全くその逆ってことなんですけどね。

俎上の「時のことば〜」で詳説しましょうか。
そもそもの大前提が 児童ポルノ=悪 、その『絶対的価値観』に合わせるがために森羅万象全てを歪めてしまってるのです。
「(少女を)愛するという心自体が悪」、と言ったのは、「児童ポルノ製作視聴等が悪」、と言おうとして暴走してしまった、と好意的に解釈したとしても、なお未だ歪んでます。
価値観などというものは、そんな絶対的なものでなく極めて相対的なものでしょう。
いい例が、(児童のつかない普通の)ポルノ。
これがどのような歴史を辿ってきたか、記者生活が長いのならば、当然知っている筈です。
「チャタレー」「四畳半」、せめて高校の教科書にも出てくるこの程度のことくらいは、人並み以上に勉強してくださいと言いたい。
うん、したんでしょうね、かつては。
それが記者を続けるようになり逆にどんどん退化する… 『職業病』にかかって。
この点について詳説した別サイトがありますので、ご興味あればそちらもお読みください。

さて、話を続けますれば。
勿論、「これ以上子どもたちを犯罪の犠牲者にしてはいけない」ですよ。
うん、
半端だったら効果なし、徹底的にやるべし! そのためには手段を選べず。論理の破綻もなんのその、児童ポルノを性犯罪の元凶と決め付け、ジャーナリズムにおける優位を嵩に衆愚による少女愛者に対する魔女狩りを扇動するも厭わず!
ですか?
一理はあります。

だけどね。
同時にそれは、子供たちから「可愛がられる機会」を奪ってしまうということなのですよ。
ちょっと他所の子に近づいただけで物議をかもし出すことになる…
このような時代に生まれた少女たちこそ不幸ですよ。

幼いものというのは可愛いものです。
幼児期というのは人から可愛がられるよう天から与えられた期間だ、と言えば文学的になりましょう。
可愛がられるべき時期にその機会を得られなかった損失は、長寿時代の長き人生を終わるまで負の資産として残ります。
一部犯罪者のために、このような風潮が…
なんとも嘆かわしい限りです。

と同時に、「可愛い者を可愛がる機会」を奪われてしまった側の損失も重大なものといえましょう。
ここでひとつ、中国は北宋の俗謡をみてみましょう。

   琅琊王歌辞

  新買五尺刀 懸著中梁柱
  一日三摩娑 劇于十五女

   琅琊王歌辞

新たに五尺の刀を買い  中梁の柱に懸著(かけつ)く
一日三たび摩娑(まさ)す 十五の女(むすめ)より激し


原文は
新买五尺刀,悬著中梁柱。一日三摩娑,剧於十五女。
字が出ませんか?
元箇所で確認ください。

…なんか、すごいですね。
意味が分かるというか、なんか訳分かんないというか。
妖艶といおうか、はたまた陰鬱といおうか。
それこそ、プンプン匂ってくるってやつで。

刀マニアってのは古今東西多いようですね。
昔の男の子は必ずといっていいほど、肥後守を宝物にしていたとか。
実際、日本刀の鍛錬は精神修養になると聞き及びます。
でも、毎日三度なでなでして悦にいるということになると…

なによりもすさまじいのが、結句ですね。
15歳の少女を愛撫して昂ぶらせるよりも、エクスタシィを感じるというのです。
えーっと、この国のこの時代の荘園主が荘園内の♀をすべて自分のものにできたのですか?
魯迅の小説あたりにも、それが出てるらしいですね。

今日風に言えば、ロリ。
まさにここらか、意見が対立点なのですけど。
悪いのは犯罪行為であって、べつにそれ自体はどうということはないじゃないですか。
若い♀を求めるというのは、優性生殖のための自然の摂理です。

述べたように、数学者ドジスンであるルイス・キャロルは、その性向を『フル活用』して『アリス』を残しました。
なにもかにも、某M等々に結び付けて、ロリ = 悪 と決め付けなくともいいのでは。
刀マニア = 辻斬りでないのと同じです。

更にもうひとつ、我が国最古の歌集である万葉集から、一例拾ってみましょうか。
ここにも少女愛が、万葉人の大らかさで屈託なく表現されてます。

橘の 寺の長屋に わが率宿し 童女放髪は 髪あげつらむか

いやあ、凄いの見つけちゃいましたよ。
先ず、読み仮名つけないと解らないですね。

 たちばなのてらのながやにわがゐねしうなゐはなりはかみあげつらむか

とまあこんな読みをする、巻十六-三八二二、「古歌に曰はく」です。
前にお話した池田弥三郎さんの新書本繰ってるうちに見つけたのですけど。
問題は「うなゐはなり = 童女波奈里 宇奈為放」なのです。

まず、岩波書店『萬葉集』の脚注を記しましょうか。

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橘の寺−明日香川の上流(奈良県高市郡明日香村橘)の地にある寺。聖徳太子の創建にかかる。O長屋−棟の長い家。紬長い形の家。○率宿し−いざない寝た。O童女放髪ーウナヰは童女の髪の形から名づけた言葉。髪を切って頸のところまでたらしている形。ハナリは、束ねないで、垂髪の少女をいう。「少女らが放(はなり)の髪を木綿(ゆふ)の山」(巻七、三四四)など。
〔大意〕橘寺の長屋で、私が一しょに寝たあの垂髪の少女は、もう成人して、髪をあげたことだろうか。

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と、池田さんは、当然これでよしとせず「うなゐはなり」から、当時の頭部扮装→生活様式の検証に掛かるのですが、そこは割愛しましょう。

いや僕が注目したのは、作者の心理なんですよ。
性行為時の髪の印象…後に閨中の♀を連想させるようになる。
「♀のリビドーの象徴である髪」がここにもありましたもので。

しかも、これは前にご紹介したやさしげなものとはちょっと趣を異にする、うらに支配の心理が感じ取れます。
うーん、なんて言ったらいいんだろう? 足のフェチ:纏足 のような…


と、この言い回し、



ルイス・キャロル − 数学者ドジスンである『アリス』作者
すごいの見つけちゃった…
犬養万葉だけじゃないですよ〜

を丸写ししました。

…って、お馴染みのパターンですよねえ。
そうなんです。目に付いたものを丸写しして自分の知識としてひけらかす…
これが、ジャーナリズム畑で育った者のやり口なんですよ。
因みに、序論においては、



岡本千鶴子 − 自ら手にかけた娘を含む五遺体と同居

あたりも。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ(sato8644@yahoo.co.jp)様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


【注】
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池田亀太郎 − 窃視趣味『出歯亀』の語源となった植木職人

f8b88979.jpg彼が若妻殺人の真犯人であったか否かはここでは論じまい。
あくまでも出歯の亀吉の窃視願望のみを論ずることとしよう。

彼は女湯の覗きの常習者と伝えられる。
病膏肓で視姦症。述べてきたように、ここで倒錯がおこる。
即ち、性対象を覗くことにより十分に性的満足が達せられるようになり、対象と性行為に至る必要性がなくなるのである。
そういった意味で、窃視願望が講じた結果、強姦に至ったと言う法廷調書は合理性に乏しいといえる。
方向性とすれば、従来衣服を着けない状態を覗いていたものが、やがては何を覗いても満足を得られるようになる、通常の心理態度から遠ざかっていくのが多数例であろう。

実は論者にも少々嫌な思い出がある。
小学校のころであろうか? 木造の離れの雨戸に穴が開けられるという事件が起こった。
最初は虫か何かの仕業と思っていたのだが、どうも不自然だ。いぶかっているうちに警察が覗き事件の犯人を検挙したという情報を得た。
なんと、それなりの地位のある人物だったのである。
断っておくが、論者宅の被害は、離れの雨戸だ。穴をあけて覗いたとしても、女の裸体を覗けるわけではないのである。
つまり、この犯人氏、ともかく覗けさえすれば視野に何が飛び込んできても満足だったのであろう。
もし、これが浴室であったら、さぞやトラウマとなって残っていたことであろう。今思い出してもぞっとする。

と、ここまでは序論である。
実は本稿で論じたいのは、(裸体を)見られる側の女性の心理だ。
論者は先ほど、もし入浴を除かれたとしたらトラウマとなって残るほどの嫌悪感を催すと言った。
全く、そのとおり、一片の偽りもない。劣情を持って他人のあられもない姿と覗き見るなどという行為は破廉恥極まりないことだ。そのような行為をする男は、同じ人間として心から軽蔑をする。
だが、一方…

トップレスビーチの女性たち の稿において論者は、男女同部屋着替えに抵抗がないとも発言している。
それどころか、(合宿や修学旅行の際)混浴しても構わないとすら思っていた。
はしょったか? 順を追おう。

我が母校は伝統校だ。先輩たちの修学旅行のエピソードも多々ある。
まあ、公立校の修学旅行だ。その予算で泊まれる温泉宿の設備など押して知るべし。
(今では考えられないことだが、)その昔は、男湯女湯の別がないところに泊まることも少なくなかったとか。
で、いざ混浴風呂を前にしたとき…
平気で入るのは、むしろ女子の方なのだ。男子は大概部屋に篭ったっきり。
ある学年のときは、気の毒がった女子がいっしょに入ろうよと男子を誘いに行ったとか。

旅行のオリエンテーションでこのエピソードを聞かされたとき、自分たちも件の先輩たちと同じ行動をとるだろうな、との結論に至ったのが論者を含むところの女子班であったのである。
風呂に入るときは裸になる必然性がある。同じ異性に裸を晒すのであっても、劣情を持って覗かれるのとは天地ほどの差があるのだから…

これもまた本音。今でも混浴OKと思っている論者だ。
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三は菅原

じょじょ三月の節句に関する話題をもう一稿。
意識したわけではないのですが、実際記事を書いているのは奇しくも別の節句の日なのですが、そこらには触れずにいきます。

3、言うまでもなく一番最初の奇素数ですね。
人間は本能的にこの数字がすきなようです。いちにさん、、ワンツゥースリー、アンドゥートロー、アインツバァイドライ、イーアルサン… まあ、何でも好いですけど、こんな感じです。
花札でも123は菅原、表の三光、裏の赤短、このブロクでもことあるごとに触れています。

ところがね、音楽の世界においては3という数字は完全に人工的なものなんですよ。
三拍子というのは自然界には存在しない。ほら、「いちにさん」ではなく「いちにのーさん」と四拍子で数えるでしょうが。
だからこそ、三拍子というのは逆に耳に心地よく響くわけで多くの佳曲が三拍子で書かれるわけです。
残念ながら、日本の民謡には三拍子は殆どありませんけど。

せめて「歌はこころの音楽」ということで、万葉集でもみてみましょう。
巻三.二七六、高市黒人の歌。

   妹も我(あれ)も 一つなれかも 三河なる 二見の道ゆ 別れかねつる

妻。
羇旅の歌、ということでございますのでおそらくは「旅先の妻」ということだと思います。
そうでしたねえ。当時の結婚観を踏まえなければなりません。

二見が現在のどこであるにせよ、黒人は二股道に立って、1,2,3を重ねた即興の歌で別れを惜しむ、すると妻も同じく1,2,3で答歌するわけです。

   三河なる 二見の道ゆ 別れなば 我が背も吾(あれ)も ひとりかも行かむ

と、この言い回し、



羇旅=タビですね

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

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八重垣姫 十三月雪入花

十三月雪入花さて、以前話した花札十三番目の月。竹だったり雪だったり。
このCGは竹というよりは雪です。そして、完全にトランプの札構成。

参考までに、

 光札は八重垣姫
 種札は竹に雀
 短札は雪に短冊
 素札は黄雪で雪女郎
 ミツ勝負、原点100点、場十手七で行う。

とのことです。264(=88×3)+36(=20+10+5+1) = 300 = 100×3 ですね。

八重垣姫って誰?
上杉謙信の息女です。
上杉・武田両家の和解のため、武田信玄の一子勝頼の許嫁となり、その恋を全うする、
歌舞伎の超有名演目として、花札完成期の江戸時代から演劇に登場し続けます。

で、上杉謙信って誰?
いやいや、冗談、冗談!

ときに皆さんは、最強の戦国大名は誰だと考えます?
謙信を押す声が多いようですけど。
そもそも謙信は越後の長尾氏の血筋でした。

広く関東に覇を唱えていた上杉氏には、道灌の主家である扇谷家ほかいくつかの家系がありました。
その上杉氏の越後守護代を代々つとめていたのが長尾氏です。
謙信の家は長尾氏の中では決して主流に属する部類ではありませんでした。

と、まで言ったところで、急にはしょって結論。
謙信は、関東管領家からみれば、分家の家来のそのまた分家の出、それも長子にあらず、ということになるのです。

うーん、実力主義の好例。
思えば実力主義なるものが機能するのは、戦乱時のみかもしれません。

…って、前にも言いましたね。
じゃあ、これを。

  八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

古事記より。日本最古と言われてる和歌ですね。
須佐之男命(スサノオノミコト)の作とされてますが、そうでないことは明らかでしょう。
出雲地方に伝わる俗謡できまりです。

須佐之男命ってのも面白い神様ですよね。
基本的には姉・天照大神を困らせる暴れ者ですが、妙に泣き虫だったり、後年は急に人格者になってしまったり。
そうそう、家畜人ヤプーでは、アンナの妹スザンということで♀という設定です。

このように七変化する須佐之男命。
やはり、出雲地方の複数の神様が混同されて、一体の神となったと考えるのが妥当でしょう。
もともと天照(太陽)の弟は月詠です。
出雲地方を征服したヤマト族は、それぞれの主神を姉弟にして、その支配の一助にしたのですよね。

と、この言い回し、



最強の戦国大名は?
この項、家畜人ヤプー特集第三弾を兼ねます

を丸写ししました。

………
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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
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視姦と露出、ネットにおいては?

さて、論者が住まいするのはネット巷間。
それを踏まえたところで前投稿を続けるのならである。
窃視願望の職業化に、IT関係の幾つかの職業を加えるべきであろう。
即ち、Blog運営会社スタッフ・掲示板サイト主催者・アクセス解析開発者などがそれだ。

逆に「ブロガーとは露出症者」、これは言わずもがなの常套句である。
日記などという人に見せるべき性質にないものを全世界不特定多数の閲覧のように供するのであるから。
勿論否定はしない。が、果たして一方的にピーピングされるだけの存在なのか?
お分かりであろう、NOだ。
アクセス解析でちゃっかりこちらもピーピングしているのである。

このアクセス解析というのは非常に面白い。人が潜在的に或いは顕在的にもつ窃視願望を適えてくれる。
だからこそ論者は深みにはまらぬよう、精々アクセス数の解析だけにとどめているのだが。
こんなことがあった。

あるブログの記事である。
「オランダからのアクセスがあった。一体(オランダの人たちは)何語でこの記事を読んでいるのだろう?」
論者はそれを読み、「水を挿すようですけど、それってただオランダからのアクセスを示しているだけじゃ」とコメント。
ああ、そうか、の笑い話となった、このサイトは健全だ。
世の中には、ここで引けない面々も少なくないのである。

スパイウェアを仕込む、アクセス機器にハッキングする…
あらゆる方法で訪問者を裸にしなければ納まらないようになったら、これは病的であろう。
注意願いたい。論者は倫理や法規に照らしてこれを言っているのではない。
そのようなことをしても訪問者の個人属性など判りはしない、ということも見失うほどに熱中するのが病的である、と言っているのだ。
手段と目的が倒錯した立派な変態性向たる視姦症である。

まあ、種明かしするのも馬鹿馬鹿しいことなのであるが…
違法手段まで駆使して判明するのは発信機器であり、精々またプロバイダ契約者。
決して(そもそも知りたがっている)訪問者たる発信者ではないのである。

いわゆる異常性癖は有効利用可能であり、また先祖返りの危機もはらむ。
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唇歯の関係たる視姦と露出

孫夫人の稿の、その後から入ろう。

かくして劉備に輿入れした弓腰姫、初夜の寝室の周りに女侍を配置し聞き耳を立てる不心得者を見張らせるのである。
蜀人の名誉のために補足せねばならないだろう。かの時代、かの国には、新婚夫婦の寝所を取り囲み聞き耳をたてる風習があったのである。
緞帳ひとつ隔てただけの場所、ちょっと物音たてただけで丸聞こえ…
随分とまた、奇妙な風習があったものだ。
他にも中国には、つい近代に至るまで種々の嫁いびりの風習があったようなのだが、そこには至らず論を続けよう。

いうまでもなく、この奇習を裏打ちするのは窃視願望、平たくいえば覗き心理である。
そしてそれが病的なものになると視姦症、早田夫人の稿で論じたとおりだ。
これは男性固有の症状? の問いの回答は後ほどするとして、先ずは高橋鐵『アブノーマル』を引用しよう。

同書によれば、この視姦症も有効利用可能であり、その利用例として、
原子学者・細菌学者・天文学者・写真家・美術家・映画監督・撮影現像関係者・婦人科医・時計その他の機械製造および修理者
等々の職業を、視姦者風の作家として、
永井荷風・舟橋聖一・江戸川乱歩・瀬戸内晴美(寂聴)・曾根綾子
らを上げている。

参考までに反対の露出症者は、芸術家(美術・文学点演劇舞踏・芸能など)・出版業者・政治家・商品製造者等々。
示唆的に言えば、吉井勇・坂口安吾・太宰治・石坂洋次郎・斉藤茂吉・三島由紀夫・石原慎太郎らの創作態度がこれに属する、としている。

さて、先ほどの問いの回答を示すか。
なにが、男性固有の症状であるものか!
おかみさん達の井戸端会議を考えるとよい。世界共通の現象であろう?
そして、それがニューメディアに発展したのが、週刊誌・テレビワイドショー…
ここでも、窃視願望者との露出症者との需給が一致した一大商戦が繰り広げられている。
いわずもがな、ここにおける担い手もまた主として女性である。

そういえば、未だ分析に至る以前に下火となってしまった畠山鈴香。
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ヒンドゥー神話の創造者たち − 女神カーリーにみるFem-Dom観

ef06296e.jpg女神カーリーは、松本麗華の稿で論及んだとおり、シヴァの后の魔物と闘うときの姿である。
カーリーとは『黒ちゃん』と言う意味、CGの如き4本腕の異形の姿である後も拘らず、現在もインドでは人気の高い女神である。カルカッタという地名があろう? これはカーリーカート、カーリーの沐場という意味だ。
本稿は、カーリー神話を俎上に論を展開する。

彼女が魔物と闘ったとき…
斬っても斬っても血が大地に滴り落ちるたびに、その一滴一滴がまた魔物となって女神に撃ちかかる。
そこでカーリーは魔物の血を飲み干し再生を防ぎ、勝利するのだ。
そして、勝利宣言… 斬りおとした生首を掲げ彼女はダンスを始める。

踊る、踊る。
勝利に酔いしれた女神は踊り狂う。
そのために大地がグラグラと揺れだした。
慌てた夫・シヴァは止めに入るのであるが、トランス状態となっている后の目にはその姿が目に入らない。
女神は衣類がはだけ殆ど素っ裸になった姿で、夫を踏みつけながら踊り続けるのである。

と、これがカーリーに関する神話なのであるが、如何であろう?
本サイトの研究課題である女性のサディズムが、生々しくも艶かしく描かれているであろう。

それを生み出したアーリア人は、ご存知、インド・ヨーロッパ語族に属する征服民族である。
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のどとふところ

トランプ桐花札12月のテーマ植物は桐。
この桐に意外な意味があったを発見しましたので、今日はそれを話題にしましょう。

すばり、「大判・小判などの判金」
大判小判には桐の紋を打ってあることから、転じたようです。
更に転じて、「また、金銭」
うーん、風雅がテーマである本ブログに相応しくない話になってきましたか?
でもねえ、、、

なら、これでどうです?

  山吹の はながみばかり 金いれに みのひとつだに なきぞかなしき

作者=四方赤良ってことで、実に久々の蜀山人登場です。
例の山吹の歌のもじりですね。

おっと、江戸時代の狂歌師・大田蜀山人は色々な号を使っていたようですね。
四方赤良もそのひとつ。これは赤ら顔からきてるそうで。
その赤ら顔氏、ひとの家にいっちゃあ、夜遅くまでかっちゃべっていたらしいです。
そうなると、堪らないのがその家の奉公人です。いつまでたっても当日業務を終了させられない。
そこで、短冊に↓こう書き記し四方赤良センセーの草履の上に置いておいたそうなのです。

   いつ来ても 夜ふけて四方の 長ばなし 赤良さまにも 申されもせず

まあ、箒を逆さに立てておく(いやなお客をおっぱらうおまじない)くらいでは効き目がなかったんでしょうねえ。

と、この言い回し、



こ、こればかりは「さる ものは追わず」という訳にはいきませんナ(`ε´)
そうなのです、今日はきょうか(狂歌&強化)の日

を丸写ししました。

………
………

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松本麗華 (宗教名 アーチャリー) − 一世を風靡した麻原彰晃三女

384188e0.JPG迂闊であった。
オウム真理教を取り上げながら、この女性を俎上にあげるのを忘れているではないか!
今を去ること十年ほど前、彼女が警視庁前で暴れていたのを論者ははっきり記憶している。(噂どおりの)おっかないお姉さん… 忘れるものではない。

最上御前で触れたように彼女は、兄弟のなかではっきり贔屓されていた。
アーチャリーというが正式には、『アジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー正大師』である。
ここで、ヒンドゥーの神々について触れておく必要があろう。

この神話の神々の特徴は、同じ神が色々な姿、化身で現れると言うことである。
主神シヴァもそうであるのだが、ここでの説明はその后である。
幾つかの姿を持つシヴァ后も『カーリー』『ドゥールガー』『ウマー』『パールヴァティー』、まあ他にもあるのだが、ここらの姿で現れる。
前二つは魔物と闘う女戦士のときの姿、後の二つは美しく優しい女神のときの姿。
松本麗華の二人の姉は、それぞれドゥールガー、カーリーという宗教名であった。
一方彼女は、いいほう2つを占有、この一事をもってしてもきょうだい内での優遇ぶりが伺えよう。
しかるに伝え聞く乱暴振りは…

・大人の信者を角材で打ち据える
・すぐ上の姉に殴る蹴るの暴行
・幼児の上腕部をフォークでえぐる
・同年代の子供を四つんばいにさせ、腹を思いっきり蹴飛ばす

ざっとまとめてみただけでもこれだけある。
いやはや…
これは原始仏教ならぬ原始サディズムの顕例ではないか?

まあリーク情報には、教団をよく思わないものの嫉みも加味されているのではあろうが。
どこまでが真実で、どこからが脚色か?
答えは藪の中。

だからこそ上述は、もはや歴史上の出来事である。

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