梅が枝の

梅が枝まだまだ寒い中、微かなる暖を感じ取って咲く梅。
主にこれまで、こうした慎ましやかな2月テーマを話題にしてきました。
前回のタイトルも「梅が枝」でしたか。
よし、今日は少し趣向を変えて、にぎやかな梅でいきましょう。

  ♪〜 梅が枝の手水鉢
     叩いてお金が出るならば
     若しも御金が出た時は
     その時や身請をそれたのむ

明治初期に流行った戯れ歌ですね。
その下敷きとなった梶原景季・妻の身売り話は、既に江戸中期にはあったようです。
文楽、歌舞伎、浄瑠璃…
ちょうど花札と同じく、江戸期の国風文化です。
そして、眉唾の悲劇話を面白おかしくはやすというやり方は、日本人流のユーモアと言えましょう。花札から感じられるユーモア精神と同じ匂いがします。

そうですよ。傾城「梅ヶ枝」となった影季の妻・千鳥が、本当にわが身も省みず無間の鐘になぞらえて手水鉢を一心に叩いた、としたのなら「かんかんのう」の替え歌なんかで、ふざけられる訳がありませんもの。
かんかんのうは、図らずもおフランスのカンカンダンスと瓜二つ、華やかな中にもどことなく退廃的なところがあります。
人は華やかさを求め、都を志向する…

都は人をひき付ける魔力がある、そして人を堕落させる。
再三にわたって述べてるこれは、童門冬二さんの説です。
ま、ハゲ同なもので繰り返してるわけですが。

そして、その傾向は万国共通のようです。
フレンチカンカンで有名な喜歌劇『天国と地獄』。
オリムポスの神々を茶化したこの作品は、実は堕落しきった19世紀パリ社交界を風刺してるのです。

と、この言い回し、



画像は足好きさんへのサービスです

を巧みに丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!



posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


一休と門松

たばこ門松さてさて、またしてもしつこく、3度目のあけましておめでとうございますです。

各月、テーマ植物が描かれている花札。何をもって各月のテーマとするか…
12ヶ月のうち、一番異論が少ないのが1月の松でしょう?
正月といえば松は欠かせませんもの。
ねえ、門松。どんなに時代が変わろうと、この正月飾りだけはなくなることはないと思います。
あの有名な一休さんも、こんな歌を詠んでます。

  門松は 冥土の旅の 一里塚 めで度くもあり めで度くも無し
 
おやおや、めで度くもあり めで度くも無し ですか? 
一里塚。そうです。数え年だった昔は1/1で一歳年齢が増えるというわけです。
みーんな、同じ日に誕生日が来て、みーんな同じく1歳年をとる…
万人確実に死に向かいつつあるという真理を詠み、浮かれがちな民衆の手綱を締めたわけです。

ちょっとイメージが違いますね。
アニメ絵本の頓知小坊主のイメージとはやや温度差あり、シニカルに人生を考えていた実在の一休宗純です。

と、この言い回し、



あと6日の差でお釈迦様になりそこなった私

を巧みに丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


ヒコ札

ウルトラ雨さて今更ですが、柳(雨)は20点札と10点札との両方があります。
合わせ競技において、この2枚を合わせると一挙に30点をものにできるわけでして。
30点雨、或いは次月の30坊主、これができると気分いいですよねえ。
でも、これが最高?
考えてみてください。

もし初期の場札に同月の札が3枚でていたとしたら?
残りの札は1枚しかありませんよねえ。その札を手札に持っているか、又はめくり札からめくりとったプレーヤーが4枚とも持ち帰ることができるわけです。
柳の場合なら、20+10+5+1 で36点ですよ〜

更に更に。
場札の6枚が柳×3+桐×3だとしたら?
そして、どちらでもいい、手札に持っていて更にめくり札で残りをめくり当てたとしたら?
なんと、なんと、一挙68点!
ご幼少のころの僕は、なんとかこの事象をひきあてられないかと、そればかり考えて合わせ(八八)を遊んでました。

3枚の札と合わせることのできる、この残り一枚のことをヒコ札と呼びます。
なんでヒコ札というのか? わかりません。が。
ヒコ、彦ってのは、男子の美称ですよねえ。姫の反対。
と、言うことで、どこぞの名物助教授の世界紀行句集からです。

    驢馬でゆく メヒコの酒や 鞍の幸

メヒコ…、メキシコの現地読みですか?
『女彦』にかけて、おしどり道中をイメージしているのだそうです。
そして、鞍の両脇にはテキーラ壷が。

実は、うちのすぐ近くに『メキシコ』という屋号の喫茶店がありまして。
よく待ち合わせにつかうのですが、ややこやしくて仕方ないので、我が家ではメキシコ合衆国のことをメヒコと呼んで(読んで?)区別してるのです。

と、この言い回し、



下世話にも耳年増ということがある

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


十二支と序詞

たばこ藤さて、花札では藤の月である4月ですが、暦の世界では卯の花の月ですよねえ。
あっと、異称『卯月』のことです。

ところが語源を調べてみると、他にも説があるようですよ。見つけました。
「初」「産」を意味する「う」で、一年の循環の最初を意味したとする説。
稲を植える月で「植月」が転じたとする説。
十二支の四番目が「卯」であることから、干支を月に当てはめたとする説。
そして、この解説によれば、「植月」の説は皐月の語源と似ていること、干支の説は他の月に例がないことを理由に不自然だとし、通例である卯の花説を支持していました。

うーん、引かせてもらった上で反論するのは心苦しいのですが。
まず、「語源が似ていることで考えられない」と言うのは考えられない。なぜなら前に話した如月&弥生の連続があります。
それから、他の月に例がないからの理由で否定するのは、ちょっと。
他月例のない語源の異称は他にもありますし、何より卯の花説自身が他に花のついた月はないことで矛盾しますし。
それこそ、花札のテーマ植物が語源になった月があったもいい位ですよ。
ねえ? 旧暦4月は、卯の花よりも藤の方がよほど似合います。
いやいや、マゾヒズムに花札を! に符合させるために無理やり言っているのではありませんよ。
何をおっしゃるうさぎさん、です。

何をおっしゃるうさぎさん…
結構使います。唄の歌詞からですか。
の例を挙げるとすれば、

来たぞ来たぞ → 来たぞ来たぞアラレちゃん

それがどうした → それがどうした僕ドラえもん

これもある意味言葉の遊び、「これはこれはとばかりに花の吉野山」の亜流でしょう。
某巨大掲示板群においては、このところ「番頭グループはどこまで〜」ってのが流行ってますよね。
「花の吉野山」に意味がないのと同じように、この用例の「番頭グループ」には何の意味がないものと見受けます。

「○○なんだ」とストレートに言う代わりに「番頭グループはどこまで姑息で○○なんだ…」とやる。
和歌で言うところの序ですね。

と、この言い回し、



火中の栗を拾う ミユ (深雪) ◆P7xWfy4tj. = ◆MIYU/Cay/Y = ◆MIYU/7A.SM

を丸写ししました。
番頭グループはどこまで姑息で手抜工事業者体質なんだ…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


議員やマスコミが襲撃されると必ず「民主主義への挑戦だ」と声高になる輩が現れるが

このブログこそ、シリアスに決めてやろうと意気込んで書いた前の記事ですが、ついつい又悪い癖が出てしまいました。
気を取り直してもう一稿続けましょう。

ここ数日のこと内外の凶悪事件勃発を請け、またぞろテロという言葉が新聞TVで飛び交ってますよねえ。
今朝も、江川紹子の糞ババアがラジオで吼えてましたっけ。
「(単に銃器犯罪として認識するにとどまらず)民主主義への挑戦として受け止めなければならない」
なんて。
相も変わらず大上段構えで金儲けするいけ好かないババアです。

江川紹子って?
ほら、オウムのときにいたでしょう。
早大卒の新聞記者出身ジャーナリストということで、職業も学校も僕の先輩になるらしいのですけど、間違ってもよくは言いたくありません。
何が「単身オウムと戦った」ですか?!
教団と喧嘩別れしてきた女とタイアップして「私は彰晃に犯された」と焚き付け記事を書き、エロ週刊誌に売り歩いていた食い詰めが、いつの間にかこのような評価を受けるようになってしまいました。
そうそう。
オウム放送華やかだったころに見たとって置きの話を紹介しましょう。

ダーキニあの教団の女信者には、「ダーキニー」のつく宗教名が多いですよね。
ワイドショー司会者は当然のこと、オウムウォッチャーなるものである江川に意味を聞きます。
ダーキニー…
ああ、ヒンドゥーの女魔、或いは女神だ。仏教でいうとこの荼吉尼天
まあ、ワイドショーのことですから学術的な説明など不要。単に女神という意味だ、と答えれば十分でしょう。
実際江川紹子も最初の頃は、そう答えてました。

ところが、ある時を境に。
あろうことか、それはメガネって意味だ、なんてのたまうようになったんですよ!
何でまた?
多分なら、こういうこと。
初めのうちはワイドショースタッフは、正しいカンペ(カンニングペーパーを略した業界用語)を出していたんですよ。
ところが、江川が次第に有名になるにしたがって、敵も出来てくる。その息のかかったスタッフが出鱈目のカンペを出すようになったんでしょうね。
…これ以上何をか言わん、あまり脇道ばかりでもなんですから、ここらで本題に入ります。

実際のとこ、物騒な事件が続く昨今です。
今、この原稿を書いている時点でも、また新たな事件が。
何か、都下町田市で拳銃立て篭もり事件が進行していると報じられていますね。
本当に不思議なことに類似事件というものは、えてして連鎖発生をする傾向のようです。

過日、海の向こうの某米国で銃乱射事件がおきたと聞いた僕は、「野蛮国はヤダね」などと構えてたのですが。
意外に思いました? 英語かぶれの僕がこんな感想を書くなんて。
タネを明かせば僕の外国語かぶれは、外人女王様とSMプレーがしたいがためのものであって、本音の部分の国際観はこんな程度なんです。
おっと、戻しまして。その翌日のことでしたよね。
何のことはない、我が国においても、かの銃社会のことをとやかく言えないような凶事件が起きてしまいました。
ご存知のとおりの、長崎市長銃撃射殺事件です。

先ずは、亡くなった伊藤一長氏に心よりのお悔やみを申し上げるとともに、そのご冥福をお祈りいたします。
その上で、この稿に於きましては、善悪とかモラルとかを超越したところでの愚見を述べさせていただくとことします。
そのための舞台として、このBlogを選びました。

今回の事件。
冒頭で触れたように、このような行為をテロと位置づける人たちがいます。
僕は、これはテロとは似ても似つかない行為と思うのですが、この点においては争うつもりはありません。
何故ならば僕は、テロを悪とは思っていませんから。
少しもです。これが先ほど述べた人たちとは180度考えを異にするところなのですが。

人の価値観というのは十人十色、これは方々で述べていることです。
ですから、人が集まるところでは必ず価値観の衝突が起きます。
そして生まれますのが、アウトサイダーという存在…
うーん、この先は先の都知事選の某候補に先に言われてしまったのですけどね。
而して、アウトサイダーの逆襲がテロと呼ばれる行為になるというわけです。

正義ではありません。
しかし必ずしも、義がないわけではない。義さえあれば人をして、善悪を超えたところで共感を覚さしめることもあります。
例えば僕は、昨年をおきた加藤紘一・元自民党幹事長宅の放火の堀米正広さんにある種の共感を覚えたと、前稿で話しました。
ああ、後先になりましたが、あの事件は僕もテロだと思います。
何故ならば、あれには一貫した主義主張がありました。
その主義主張に殉じた姿勢に、所詮は現体制の物差しで測ったに過ぎない善とか悪とかを超えた処で、僕は感じ入ったのです。
主義、イズム、テロイズム…
こういうことです。

城尾哲弥話を戻すに、今回の被疑者・城尾哲弥にはそれがありませんでした。
加藤宅放火事件や、或いは昔くしくも同じく長崎市長が狙撃された事件とは、全く事情が違うといっていい。
そもそもの襲撃理由が、唯の私怨とのこと。
しかも、金銭がらみのトラブルであって、到底主義主張とは言えるものでなく、義に乏しいものです。
それに、飛び道具で背後から襲ったやり口が卑怯だ。
せめて襲撃後に自決したというであるなら、百万分の1くらいは認めもしますが、奴は抵抗らしい抵抗もせず捕まっている。
これでは、共感を覚える者があろう筈はありません。

そして本稿の、もうひとつのキーワードは銃でしたね。
これもまた、キーワードにしてはいけない言葉でしょう。
銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのです。

これに関して思い出した処を少々。
胡桃沢耕史『OL博徒』にこのような台詞が出てきます。

「(拳銃を渡しておくけど)お嬢、勘違いしないでください。(敵に捕らわれて辱めをうけそうになるという)最悪の時の自決用に渡しておくのです。
こんな物では人は殺せません」

銃では人など殺せない…
将しく、そうでした。
城尾容疑者は長崎市長を殺そうとした、けど市長を殺すことはできませんでした。
不幸にして、流れ弾に中った伊藤一長氏という方が命を落とされました。
しかし、長崎市長は死ななかった、脈々と生き抜いていらっしゃる。
そうです、彼が仇と付け狙った長崎市長という職位の人は俄然世間の追い風を受けることとなった。むしろ凶賊に力を貰ったといっていいくらいです。

願わくば。
私利私欲のために、パワーアップしたその市長を担ぎ出すものが現れ出ないことを。


と、この言い回し、



城尾哲弥よ、見苦しい! 何故潔く果てなかった?!  

を丸写ししました。
…やっばり、僕ってこれし…か…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! sato8644@yahoo.co.jp(ミユ)様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
posted by homer_2006 | 真・テロイズムに花束を!


はき違えられた「言論の自由」に一石を投じます

堀米正広という刑事被告人をご存知ですか?
さる4月18日、懲役12年の検察求刑を請けました。
と言っても多くの方は一体誰なのか判らないでしょう。
では、山形地裁の公判において、と付け加えたら思い出すでしょうか?

いや、ズバリ言ってしまいましょうか。
昨年8月、元自民党幹事長・加藤紘一衆院議員の実家と事務所が全焼した放火事件で、現住建造物等放火などの罪に問われた被疑者です。
そうでした。
小泉前首相の終戦の日靖国参拝の是々非々に端を発したあの事件から、早8ヶ月がたちました。

言論の暴力による少数意見排除…
「表現の自由」を「放言の自由」にはき違えた衆愚世論…

亡国日本を、ひしひし感じさせられる社会事象でしたよね。
いや、僕は放火事件のことを言っているのではありません。
翌9月5日に催された、石坂啓、上原公子、斎藤貴男、きくちゆみ、佐高信、西川重則、小倉利丸、内田雅敏ら十数名の拝金主義者による威嚇的プロパガンダ集会のことを言っているのです。

これらの者の名は、既に広く知られわたっているところでしょう? 現社会において不相応にも多くの発言機会を有しているということです。
これに対し、者どもが徒党を組み攻撃した、いや、している冒頭の人物。彼の名を予め知っていた方が如何ほどいらしたことでしょう?
そうです。全くと言っていいほど発言機会に恵まれない人です。

将に弱い者いじめ…
弱きを挫き強きを助ける…
件の私刑集会に加わった石坂らの、そもそもの人間性を如実に示しているものと感じます。

元となった加藤紘一・元自民党幹事長宅の放火について述べましょう。
堀米正広さん、いや、公平のためにこの場は堀米被告と表記しましょうか、が犯したとされる行為は、現行法規に照らせば現住建造物放火に該当し、それは裁かれるべきであり僕とて異論はありません。
但し、裁くのはあくまでも司法当局であり、その対象は違法行為に限られるはずです。
何ゆえジャーナリズム関係や著名人が勝手に、彼の人格や心中思想までをも裁こうとするのでしょう?
だから、私刑と言った。マスコミにおける圧倒的優位を嵩に、傷つき収監された堀米さんに追い討ちをかける…
これこそが暴力なのでないでしょうか?

そして石坂ら売国奴が錦の御旗に掲げているのが憲法の言論の自由。これが全くの出鱈目であるという点が肝要です。
言論の自由…
敢えて、ここで振り返るまでもありますまい。
旧憲法の反省から、国家等の権力が言論封殺を行わないよう新憲法において設けられた制度です。

然るに件の事件はといえば、元発言者が権力の中枢に近い人物…
そもそも、これをどうやって封殺しようというのですか?
国家権力に加え尚いっそうの保護を与えなければならないほど弱いものなのですか?
あべこべもいいとこです。

勿論、近隣住民の生命や財産に被害を及ぼす恐れのある現住建造物放火は憎むべき犯罪です。
しかし一介の名もなき者が、言論の暴力により完全支配された現在日本の巨大権力に物申すために、他にどんな手があるというのですか?
堀米正広さんは、事後に割腹して潔く果てようとしました。
死を賭して権力者に意見した…

これぞ、尽忠報国の士!
この心意気は讃えられてよいでしょう、例え間違っていたとしても、断じて抹殺すべきものではありません。
さもなければ、権力に物言う者などなくなってしまいます。

そう。
冒頭・石坂啓らのような権力に媚を売り自らに齎した現状地位を、手段を選ばず保全しようと目論む輩だけが、社会の中枢に座り続けることになります。
尽忠報国の士・堀米正広さんを犬死させてはなりません。

最後に、本稿で糾弾した国賊ども流の「言論の自由」語義を掲げておきましょう。

【「言論の自由」とは】

@ 別項「言論の暴力」により生計を立てる者が、恒常反復的に暴力を振るい続けた相手からごくまれに反撃された時、それを駆逐すべく声高に唱える題目
A 日刊新聞定期購読料値上げの際の口上


と、この言い回し、



尽忠報国の士・堀米正広さんを犬死させてはなりません  

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ(sato8644@yahoo.co.jp)様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
posted by homer_2006 | 真・テロイズムに花束を!


アグリッピナ − アグリッピーナコンプレックスの語源となった稀代の"子不孝"母

b5fefdc3.jpg相も変わらず親子の確執による嘆かわしい事件が続発している。
西暦二桁の時代の、かの親子を見るがごとくの。
息子ネロは既に論じた。従って本稿の主役は母・小アグリッピナとする。
彼女といえば、本ブログではもうお馴染み『非合理な母親』の代表格といえよう。

息子しか見えない。
息子を皇帝にするためなら、どんな卑劣無惨な行動でも辞さない。
まずは、息子を連れて30歳年上のクラウディウス皇帝に嫁いだのであるか? 敢て近親婚の謗りをうけることを承知で。
齢60の皇帝なら直ぐにでも天寿をまっとうするであろうとの目論見が外れるや、毒茸を食わせて毒殺を図る。それにしくじると今度は医師に言い含めて、毒を塗った羽根箒を喉に押し込み殺すのである。
こうして宿願どおり、ネロを皇帝にしたはいいものの、かの息子は近衛隊長ブルスと哲人セネカを側近に置き母に相談なく政治を進める。
そこで君臣離反をめぐらすも、逆に息子からうとなまれる結果となり、この息子の手により殺されることになるのである。

この最期が特筆だ。
幾人も俎上に上げた『非合理な母親』…
肝心要の子供に嫌われた挙句、その手に掛かって果てたパターンは、彼女が初めてである。

人間とは感情の動物。それ故、どこに行っても気に入らないヤツに遭遇することになる。
その処方はといえば?
意識に入れないことだ。無視ではない、無視とはある意味注目の一種、路傍の石のごとくに扱うことである。
但し、可能な限り、という注釈がつく。
そう。どうしても意識に入れないわけにはいかない人間もでてくるわけだ。

親子・血縁とは、限りなく罪つくりなもののようである。
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


しちけん

七賢おいちょかぶの世界では、7を『しちけん』または『ナキ』と呼ぶ、投稿日付を7/7にして前に話しました。
あの折は『ナキ』の方で話をしましたか。では今日は残った『しちけん』でいきましょう。

しちけん、七賢。
うん、竹林の七賢なんてのがありましたね。
万葉集は大伴旅人・酒を讃むる歌にも。

  古の 七の賢(さか)しき 人たちも 欲りせし物は 酒にしあるらし

酒の話に絡めて菊の月に載せました。
この場では飲兵衛ということではなく、囲碁に興じた風流人である側面を強調するとしましょう。

さてこの七賢に限らず、7という数字は古今東西並べて好意的な扱いをされる数です。ラッキーセブンなんて。
何故か考えてみるにです。
この数の持つ神秘性なんですよ。
正六角形までは描ける、けど正七角形は描けない。
そういえば、完全なる神は最初の完全数である6日で世界をつくり1日休んだ、一週間は7日ですね。

おっと、一行戻って補足しないと。
描けるという言葉の定義です。
これは、(特殊な製図用具ではない)コンパスと定規だけで描ける、という意味ですよ。
ちゃんと定義されてます、確認して下さい。

そうそう、娘なんて言葉も、ちゃんと定義されてるんですよ。
数え年で19歳までの未婚♀、これが正解だそうです。
因みに20歳以降は『中年増』、振袖を着ちゃ駄目なんですよ〜。

へっ、へっ、へぇ〜。

と、この言い回し、



『娘』という言葉の定義

を丸写ししました。
そして、『青柿が熟柿を弔う』の彼女は現在、



めでたく『中年増』になっています

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


春川ナミオ

 オンライン辞書の「 ウィキペディア (Wikipedia)」というのは、ある一定の規則を守れば誰でも自由に記事や項目を書き編集できる、リナックスみたいな開放性がウリのフリー百科事典です。巷で出版されている普通の百科事典には掲載されそうもない様々な項目があふれかえっております。

 アダルト系の用語も豊富に掲載されており、 マゾヒズム なんてのもきちんと解説されていました。
 
 実は 春川ナミオ の記事は、僕が一部を執筆しているのですが、最初おそるおそる書いてみたところ、実にカンタンに記事がアップされたのにはちょっと驚きました。そして一夜明けると、その内容はさらに加筆・修正され、僕が書いたオリジナルの内容は保持されつつ、より読みやすくかつ正確な文章に仕上がってました。誰か(あるいは複数の校正者)が手を加えたのでしょう、なんだか上等な文章教室のような感じで感心してしまった。それよりなにより、描かれる内容やテーマゆえに、作品もファンも不当な扱いを受けやすいだけに、まっとうな評価がなされるあたりにもプチ感動してしまったのです。誰だかわからないけど、春川ナミオの理解者が他にもたくさんいるということがわかって嬉しかったですね。
posted by homer_2006 | Comment(0) | マゾヒズムに花束を!


羞恥の陽ざし




全裸で四つん這いになった男の背中にアナル拡張用の挿入具がおかれている。これからどのようなドラマが展開していくのだろうか...
タグ:Homerことat


たがやす月

皐月花札菖蒲の月・5月の異称は皐月ですね。
これは有名ですよ、何せスバリ五月と書いて『サツキ』と読ませることもあるくらいですもの。ここで説明するまでもなく皆さん知ってるでしょう?

ところがね。
その語源は意外なところに。
「皐」とは「神に捧げる稲」という意味、それから転じた耕作を意味する古語「さ」から、稲作の月として名づけられたようなのです。
耕作ですか? タガヤスは「田、かえす」ですね。英語ではcultivate。

ふふん、少々英語の知識をひけらかしましょうね。
cultureってのは?
そうです。文化です。
で、cultivateとcultureは同じ語源なんですよ。文化というのは耕すということなのです。
(cultも同じ語源なんだが、それは書かぬが花)

先人が遺してくれた土地を耕作するがごとくに創り上げていくのが文化。
意外や意外、全くの外国語に和の心がありました。
そういえば、花札5月は在原業平が遺してくれた文化、和歌と歌物語のワールドでしたね。
英語経由で、菖蒲に八橋と5月がつながったと言ったところです。

さて、文化といえば年号にもありますよ。
ちょうど花札で、江戸の粋文化が花開いた時期と一致します。
お馴染み狂歌師・大田蜀山人の、今日は正統派の和歌を見ましょう。

   富士のねの 烟はたゝず なりぬれど あさまの山は とことはにもゆ

                文化十三年(1816)  丙子 秋九月

うーん、この時代はまだ宝永(ほうえい)四年(1707年)におきた富士大噴火の記憶が残ってたのですね。
地学的見地からすればこんな新しい時代に噴火した富士山が、最近まで休火山に分類されていたのが不思議でたまりません。

日本は火山帯の上に形成された大地。
極端な話、火山の噴火口の上に住まっているといっても言い過ぎではないでしょう。
天災は忘れた頃にやってくる、災害対策は万全ですか?

と、この言い回し、



浅間山は活火山、そして富士山も

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


大唐三蔵取經詩話の創造者たち A − 玄奘三蔵の童貞を珍重した女魔

867e84bf.jpgいわゆる西遊記からの2回目として、サソリ妖怪を紹介しよう。
別ブログで書いたよう、陳舜臣はこの女魔に『お萬の方』という名前を付けている。

西遊記全編、読んでわかるように立ちふさがる妖怪たちのターゲットは三蔵、特に女魔の場合はその童貞を狙う。
意外に科学的といえよう。
即ち、男性と言うのはその生理構造上、性交渉により大脳中枢系の能力が低下する。
逆にいえば性交渉を断つことにより、その大脳中枢系の能力を人外にまで高めることができる。
例えば、旧日本軍においても士官候補生は手淫の習慣すらない者から選んだ。
禁欲というのは精神論にあらず、それどころか実利の極みといえよう。いかな玄奘三蔵といえども、ただの一度たりともセックスを体験しようものなら、極々ありふれた男になってしまうのである。

それを狙い、件のサソリ女怪は腐心する。
貼胸交股、この四字熟語に尽くされよう、とりわけネットでは人気の高い「男性受け」とか「逆レイプ」いわれてる世界だ。
で、この状況下における『お萬の方』の心裏だ。

サディズムがあろうか?
明確に否定する。
結論から先に述べるなら、下世話にいうところの「男性受け」「逆レイプ」はSMとは全くの異次元だ。似ても似つかないといってもいい。
それは、性器構造の違いから生じるセックスにおける両性の役割の違いからである。
即ちセックスとは、男性は陽根で女性の陰部を貫く、女性はそれを受け入れる、両性合意の下に。
で、合意のない場合だ。
これが男性ならば強姦、拒む女性を無理やり貫くこともできる。言うまでもなく、その行為の心裏には大いなる加虐心が存在する、サディズムだ。

逆に男性が拒んだ場合は?
過去数稿で述べてきたとおり、(性交の意思あって勃起しなければ)性交渉自体そもそもが成り立たなくなるのである。
だから、逆レイプなどということは元々ありえない。せいぜい女性がリードする男性受けパターンということになるのであるが、そうなれば普通の性行為だ。
そのリードした女性は相手男性の陽根で自らを貫かれてしまうのである。
どうしてこれが、女性サディズムなのか?
まあ大方、一部男性諸氏が(男女性差に全く気づくことなく)頭の中で創り上げた女性サディズムであろう。

いや違うか。
括弧書きの「気づくことなく」は「意図的に気づかぬふりを装い」、「創り上げた」は「でっちあげた」であった。
こうした似非SMを商売のネタにする、エロ業者は本当に腹立たしい。
それにも増して腹立たしいのは、かかる業者に協力する女どもと、ウェブサイトを立ち上げておこぼれに有り付こうとする同人サークルを自称する業者もどきである。

posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


竹内直子 − セーラームーン人気に女児の心裏を見る

ee7917b8.jpg過日話題にした太陽系惑星の件。
あの後も紆余曲折があり、とうとう(逆に)冥王星を惑星から外すことで最終結論になりそうである。
いや、論者の当初予想はこれだったのだが。
これで太陽系も例外が少なくなり大分すっきりした。

ここに、1968年発行の学習大百科がある。
而して、冥王星に関する記載。
「赤道半径こそ地球の半分程度であるものの、質量はほぼ地球と同じくらいなので、大気も地球と同じくらいあるものと…」
実際の処、月よりも小さいと判ったのは、その後なのである。
まあ、このように教科書なるものは常時書き直されているものなのだ。
今更ながら、惑星定義見直しの反対理由に教科書書き直しがあったことには、驚かされた。

それよりもである。
今回の8惑星結論で思わぬ打撃を受けたのは、俎上にあげた漫画家・竹内直子なのではないか?
なんとなれば、代表作『セーラームーン』シリーズを『戦士セーラープルート』を外して書き直さないといけないから。

…勿論、皮肉である。冗談ではなく皮肉。
なぜ、皮肉を書いたかといえば、セーラームーンを論ずるに際し、頻出する言葉であるからだ。

年代のせいもあろう。
論者の女児時代は、セーラームーンに関すれば丁度端境期であった。(その後の実写化で、本ブログ『おなじみの』成人男性諸氏が飛びつくことになるのだが、その点では膨らますまい)
それを割り引いてみても、(みた割には)面白い漫画とは思えなかった。
なぜならば幼稚だから。

変身ヒロインものであるか?
随分陳腐なネタだ。
古く古く昭和20年代、流行した手塚治虫『リボンの騎士』あたりと根は同じだ。
いや、むしろ退化しているとさえいえる。
『亜麻色の髪の乙女』と『サファイヤ』(=リボンの騎士)は、明らかに外見が異なっており、変身したものと実感できる。
しかるに、セーラー戦士たちはといえば、変身前も後も見かけはほとんど変わらない。幼児ですら同一人物と気づくくらいに。
なによりも、セーラー戦士たちは強くない。逃げ回ってばかりいて、最後はスティク等の力で辛勝。ならば最初から、という感じである。

にも関わらず、セーラームーンは(本来の受け手である)女児からも人気を博した。博している。
改めて考えるに、女児たちは皮肉、シニカルな目でセーラームーンを楽しんでいた(いる)のではないのか?
少なくても論者はそう。
こんな幼稚なもので作者竹内に遊ばせてもらっている自分がおかしくて、失礼ながら、さして面白くもないものにそれなりの時間をつぎ込んのである。
はっきり覚えている。この点に関しては断じて後出しジャンケンではない。
ひねていると嘲るなかれ。幼稚という言葉の少なくても概念だけは、小学校1-2年のクラス全員が理解していた。

そして何よりも、子供というものの感性侮るなかれだ。
精神という面で言えば、年齢一桁といえどれっきとした女なのである。
あの意地悪で陰湿で、もっぱら同性にサディズムを向ける…

作者・竹内直子との皮肉合戦、この女の闘いこそがセーラームーン人気の原動力と思料する。


【2007.3.7 管理人注記】
posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


NOVA美人講師殺人事件

 この事件、あまり興味はなかったのですが、イギリスでの反響が相当大きいようで、知り合いの英国人もただならぬ関心を示し、僕が以前NOVAに通っていたことこともありましてネホリハホリと聞かれて困ってしまいました。もう10年ぐらい前のことですが、報道されているNOVAの体質というか、やり方にはなんなく思いあたる節があります。

 僕はもともと英語をよく使う職場にいたので、今さら日常レベルの英会話を習う必要はありませんでしたが、雇用保険の関係で授業料の8割がキャッシュバックする制度を利用してちょっとやってみようと思ったのです。というのは口実で(実際20万円ぐらい戻ってはきたのですが)本当の動機はブロンドの白人女性に跪いてみたいという「ヤプー願望」みたいなものがありまして、特殊な依頼内容を英語やスラングでどう表現したらよいのかを知るために、下ねた会話からこの種の情報が得られないかと思ったのです。これが正直な話で、事実、駅前留学3年後、ニューヨークのSMクラブでめでたくプレイ体験することができたのは以前のブログで書きました(削除されちゃったけど)

 それはともかくとして、NOVAには様々な国々から幅広い年齢層の講師が来ており、若い人が多い中で40代〜50代の中年男性講師もたくさんいました。
 大都市の場合あちこちに分校もあってVoiceと呼ばれるフリーカンバセーションルームにはチケット制で自由に出入りできるシステムです。ただし、レギュラーのレッスンだけは所属する本校で受けなければならず、担当する講師はだいたい決まってきます。そして若い女性の生徒さんにはイケメンの男性講師、僕のようなおっさんには若い女性講師がアサインされることが多かったようです。生徒のモチベーションを高めるためとはいえ、いわばキャバクラ状態にしておくこのやり方には結構露骨さを感じたものです。


 初心者にとって外国人と英語で会話するのは最初はプレッシャーを感じるものですが、慣れてくるとけっこう楽しいものです。日本語だったらつまらない天気や趣味のトピックも、英語だとなんだかかっこいい。しかも美人でスタイルのいい白人女性との会話は、それが営業スマイルとはわかっていてものぼせてしまうのは無理のないことかもしれない。個人レッスンを依頼して親しくなったような気がしても、それは相手の講師にとっては金づるでしかなく、親しくなった気がするだけで実際はなんとも思われていないことが多いと思う。以前知り合いの外国人に、僕が下手な英語をしゃべると、「日本語では知的レベルの高い会話ができるのにとたんにアホに見えるヨ」と冗談まじりにバカにされたことがある。その時は自分の知性が誉められたのか、英語力をバカにされたのか複雑な心境でしたが、よくよく考えるとムカつくジョークだと思う。プライドを傷つけられたような気がした。かといって殺意までは抱かないですが、逃走中の容疑者も、もしかしてそんな感じで過ちを犯してしまったのかな、とも思う。
 まちがっても色恋ざたの殺人事件ではないでしょう。被害者にはフィアンセもいたんだしね。恋愛感情のもつれ以前の、たんなる勘違い野郎による衝動殺人。そんな感じでしょうか。異文化コミュニケーションに失敗しての顛末だったとしたら、なんとも不幸な事件であります。

posted by homer_2006 | Comment(0) | マゾヒズムに花束を!


夜長月・長雨月

長月秋というのは、季節の移り変わりが急なものです。
花札を見るに。
9月は、特に新暦旧暦の違いを入れなければならない月と言えるでしょう。
即ち、旧暦9月と言えば、10月後半から11月前半にかけて。
もう肌寒くなってきたころです。

9月の異称、長月の語源は「夜長月」とも「長雨月」とも。
いずれにせよ、太陽光がいとおしくなる時分、花札の菊もそんな時節を請けて描かれてます。
前にも話したでしょう。朝晩の霜で変色した残菊の風情を感じます。

では、更に季節感を出すべく、御馴染み百人一首から長月の歌を拾いましょうか。

   今来むと 言ひしばかりに 長月の 有り明けの月を 待ち出でつるかな

百人一首21番・素性法師、出展は古今和歌集<恋四・六九一>ですね。
さて、内容にご注目。これ女性視点なんですよね。
坊主がこんなことやってさ、って、宗教関係者が出るたびの悪口、

と、この言い回し、



昭和後期の歌謡曲の定番

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!


かぜのかけたる

大石紅葉日本固有の美観といえば、幽玄にわびさび、概して地味好みです。
我がテーマである花札というのは〜
派手でですよねえ。
だから、人目を引くものがあった。江戸の人々は伊達ものよ、かぶきものよと飛びついたのでしょう。

派手中の派手ともいえるのが、赤青黄色三原色の10月紅葉ですよ。
百人一首の春道列樹の歌でも見てみましょう。

   山河に かぜのかけたる しがらみは ながれもあへぬ 紅葉なりけり

詞書に、「志賀(シガ)の山越えにてよめる」とあります。
晩秋の山あいの自然美。
こうなんいていうか、紅葉の極彩色ってのは日本の伝統的美観からすれば余りなじむもんではありませんよねえ。
だからこそ、人造美に見えた。紅葉の落ち葉が風のために細い流れのひとところにかたまって、水をせき止めている様子を柵と見立てたわけですね。
風を擬人化し、知的操作を加えて歌った列樹です。

あっと。
柵=しがらみですね。
…なーんか、思い出しちゃった。一旦WEB張ると、しがらみが出来て中々すぱっと消え去ることができないもの。
アソコさんも、そしてどこぞさんも…

と、この言い回し、



えっ!? BBSを覗くと、、、

にたった今加筆された部分を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。