竹内直子 − セーラームーン人気に女児の心裏を見る

ee7917b8.jpg過日話題にした太陽系惑星の件。
あの後も紆余曲折があり、とうとう(逆に)冥王星を惑星から外すことで最終結論になりそうである。
いや、論者の当初予想はこれだったのだが。
これで太陽系も例外が少なくなり大分すっきりした。

ここに、1968年発行の学習大百科がある。
而して、冥王星に関する記載。
「赤道半径こそ地球の半分程度であるものの、質量はほぼ地球と同じくらいなので、大気も地球と同じくらいあるものと…」
実際の処、月よりも小さいと判ったのは、その後なのである。
まあ、このように教科書なるものは常時書き直されているものなのだ。
今更ながら、惑星定義見直しの反対理由に教科書書き直しがあったことには、驚かされた。

それよりもである。
今回の8惑星結論で思わぬ打撃を受けたのは、俎上にあげた漫画家・竹内直子なのではないか?
なんとなれば、代表作『セーラームーン』シリーズを『戦士セーラープルート』を外して書き直さないといけないから。

…勿論、皮肉である。冗談ではなく皮肉。
なぜ、皮肉を書いたかといえば、セーラームーンを論ずるに際し、頻出する言葉であるからだ。

年代のせいもあろう。
論者の女児時代は、セーラームーンに関すれば丁度端境期であった。(その後の実写化で、本ブログ『おなじみの』成人男性諸氏が飛びつくことになるのだが、その点では膨らますまい)
それを割り引いてみても、(みた割には)面白い漫画とは思えなかった。
なぜならば幼稚だから。

変身ヒロインものであるか?
随分陳腐なネタだ。
古く古く昭和20年代、流行した手塚治虫『リボンの騎士』あたりと根は同じだ。
いや、むしろ退化しているとさえいえる。
『亜麻色の髪の乙女』と『サファイヤ』(=リボンの騎士)は、明らかに外見が異なっており、変身したものと実感できる。
しかるに、セーラー戦士たちはといえば、変身前も後も見かけはほとんど変わらない。幼児ですら同一人物と気づくくらいに。
なによりも、セーラー戦士たちは強くない。逃げ回ってばかりいて、最後はスティク等の力で辛勝。ならば最初から、という感じである。

にも関わらず、セーラームーンは(本来の受け手である)女児からも人気を博した。博している。
改めて考えるに、女児たちは皮肉、シニカルな目でセーラームーンを楽しんでいた(いる)のではないのか?
少なくても論者はそう。
こんな幼稚なもので作者竹内に遊ばせてもらっている自分がおかしくて、失礼ながら、さして面白くもないものにそれなりの時間をつぎ込んのである。
はっきり覚えている。この点に関しては断じて後出しジャンケンではない。
ひねていると嘲るなかれ。幼稚という言葉の少なくても概念だけは、小学校1-2年のクラス全員が理解していた。

そして何よりも、子供というものの感性侮るなかれだ。
精神という面で言えば、年齢一桁といえどれっきとした女なのである。
あの意地悪で陰湿で、もっぱら同性にサディズムを向ける…

作者・竹内直子との皮肉合戦、この女の闘いこそがセーラームーン人気の原動力と思料する。


【2007.3.7 管理人注記】


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!


NOVA美人講師殺人事件

 この事件、あまり興味はなかったのですが、イギリスでの反響が相当大きいようで、知り合いの英国人もただならぬ関心を示し、僕が以前NOVAに通っていたことこともありましてネホリハホリと聞かれて困ってしまいました。もう10年ぐらい前のことですが、報道されているNOVAの体質というか、やり方にはなんなく思いあたる節があります。

 僕はもともと英語をよく使う職場にいたので、今さら日常レベルの英会話を習う必要はありませんでしたが、雇用保険の関係で授業料の8割がキャッシュバックする制度を利用してちょっとやってみようと思ったのです。というのは口実で(実際20万円ぐらい戻ってはきたのですが)本当の動機はブロンドの白人女性に跪いてみたいという「ヤプー願望」みたいなものがありまして、特殊な依頼内容を英語やスラングでどう表現したらよいのかを知るために、下ねた会話からこの種の情報が得られないかと思ったのです。これが正直な話で、事実、駅前留学3年後、ニューヨークのSMクラブでめでたくプレイ体験することができたのは以前のブログで書きました(削除されちゃったけど)

 それはともかくとして、NOVAには様々な国々から幅広い年齢層の講師が来ており、若い人が多い中で40代〜50代の中年男性講師もたくさんいました。
 大都市の場合あちこちに分校もあってVoiceと呼ばれるフリーカンバセーションルームにはチケット制で自由に出入りできるシステムです。ただし、レギュラーのレッスンだけは所属する本校で受けなければならず、担当する講師はだいたい決まってきます。そして若い女性の生徒さんにはイケメンの男性講師、僕のようなおっさんには若い女性講師がアサインされることが多かったようです。生徒のモチベーションを高めるためとはいえ、いわばキャバクラ状態にしておくこのやり方には結構露骨さを感じたものです。


 初心者にとって外国人と英語で会話するのは最初はプレッシャーを感じるものですが、慣れてくるとけっこう楽しいものです。日本語だったらつまらない天気や趣味のトピックも、英語だとなんだかかっこいい。しかも美人でスタイルのいい白人女性との会話は、それが営業スマイルとはわかっていてものぼせてしまうのは無理のないことかもしれない。個人レッスンを依頼して親しくなったような気がしても、それは相手の講師にとっては金づるでしかなく、親しくなった気がするだけで実際はなんとも思われていないことが多いと思う。以前知り合いの外国人に、僕が下手な英語をしゃべると、「日本語では知的レベルの高い会話ができるのにとたんにアホに見えるヨ」と冗談まじりにバカにされたことがある。その時は自分の知性が誉められたのか、英語力をバカにされたのか複雑な心境でしたが、よくよく考えるとムカつくジョークだと思う。プライドを傷つけられたような気がした。かといって殺意までは抱かないですが、逃走中の容疑者も、もしかしてそんな感じで過ちを犯してしまったのかな、とも思う。
 まちがっても色恋ざたの殺人事件ではないでしょう。被害者にはフィアンセもいたんだしね。恋愛感情のもつれ以前の、たんなる勘違い野郎による衝動殺人。そんな感じでしょうか。異文化コミュニケーションに失敗しての顛末だったとしたら、なんとも不幸な事件であります。

posted by homer_2006 | Comment(0) | マゾヒズムに花束を!
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