梅雪

ワッペン梅花札2月は梅、短冊札には「あかよろし」の赤短が配され、種札には春告鳥・鶯が描かれる。
如何にも春の訪れを感じさせる風情です。

これが一つの梅の風情ならば、もう一つ、寒中の梅というのもまた梅の風情です。
そうですよねえ。新暦では2月はもっとも寒い時期でよねえ。
事実、積雪は2月が一番多いんじゃないかな? いやいや、誰かの住んでいるあたりは。
一旦ぬくみかけて梅が開いたものの、また雪が降り出すという光景もよく目にします。

雪中の梅…
梅雪…

つーことで、突然話は飛びます。

其疾如風(その疾きこと風の如く)
其徐如林(その徐なること林の如く)
侵掠如火(侵掠すること火の如く)
不動如山(動かざること山の如く)
難知如陰(知りがたきこと陰の如く)
動如雷震(動くこと雷の震うが如し)

お馴染み、武田信玄の旗印、『風林火山』。『孫子』が出典ですね。
『孫子』は春秋時代・呉の国の孫武の兵法を伝えたものとされ、例の三国志・曹操が注釈をつけ、現在の形となっているとか。

あっと、そんな話じゃなくて武田信玄といえば、どんな風貌だったでしょうか?
うんうん、でっぷりと太った坊主。

あまりにも有名な信玄肖像画ですね。
ところが、ところがです。
実はなんとこれ、信玄ではないのです。

家臣にして、親戚衆筆頭にして、甥にして、女婿の穴山信君入道梅雪の肖像らしいのです。
信玄という人は肺病持ち、それが原因で死んだと伝えられます。
このようにでっぷり体型になれる体質ではありませんよ。
それに、若い頃の痩せぎすの肖像もあるし。

と、この言い回し、



信玄の話から

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


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桜色の音楽

13ヶ月桜さて、また一つ、日本人の音楽観に触れて見ましょう、桜のトピックス、続けていきます。
皆さん、タイトルの「桜色の音楽」というのは何のことだと思います?
なんと、これ、大相撲の第38代横綱・照國万藏の異名なんですよ。

色白のアンコ型体型。加えてそのリズミカルな取り口。
当時の人々をして音楽を彷彿させしめ、照國はこの異名をもって後世に伝えられることになりました。
いいですよねえ。これもまた、日本人の音楽観をあらわすものであります。
花札を愛してきた日本人特有の音楽観を。

と、いうものの。
このブログ的には、ちと困った話になりました。
なんとなれば、相撲は秋の季語で、折角の桜色も春・三月・桜に繋げられそうにない…
はたと思案数刻、歳時記を捲り、素晴らしい情報を見つけました。

相撲草、または相撲取草。
これは春の季語です。
で、どんな草なんでしょう?
答えは以下に、と、万葉集のこの歌を見てみましょう。

   春の野に 菫(すみれ)摘みにと 来し吾ぞ 野を懐かしみ 一夜宿(ね)にける

巻八.一四二四 山部赤人。

いやホント、なんとかの一つ覚えながら、なんて新しい古典!
訳など要りませんよ、一発で意味など分ってしまいます。

ところで皆さん。「三色すみれ」。
これを何て読みますか?

…ですよねえ。
「サンシキスミレ」じゃないですよねえ。
やっぱウチの近辺は極々ピンポイントの方言があるようで。

と、この言い回し、



完璧な季節外れから入ります

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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渡り鳥と回遊魚

たばこ雁花札8月の種札に描かれている鳥は、今更いうまでもなく雁です。
この雁と言うのは、鳴き声が来た俗称の類らしいですよ。正しくはガンですね。

昔の人はこの雁が渡ってくると、秋も深まりを感じ、そろそろ冬支度をと考えたわけですね。
そうです。雁は渡り鳥のうちでも冬鳥、夏のうちはもっと北のほうで暮らしていて、冬対策のため南の国である日本へとやってくるわけです。
これに対して、例えば別月の燕なんてのは夏鳥になりますよねえ。日本の冬は寒すぎると感じて、もっと南へと渡り越冬することになります。

うん、分かりやすいですよ。季節の告知者…
だからこそ春夏秋冬季節のはっきりとした気候の土地に住まう日本人の琴線に触れ、花鳥風月などと雅の範疇に入れられたのでしょう。
成る程と頷けるところです。

時に魚の中にも、海外旅行するのがいますよねえ。回遊魚なんて。
これは鳥類のような越冬目的ではなく、産卵のためですか。
でもね。こっちの方はどうもよく分からない。ほら、鮭なんてのはフランチャイズは海なのに産卵のために日本(と言っていいかな?)の河川へとやってくる、逆に日本の河沼に住まう鰻あたりは遥か遥か遠くの外洋まで赴いて産卵する…
正反対ですよねえ?
僕はね、小学生のとき、鮭と鰻が(回遊の途中で)すれ違うときの様子をイメージして一人楽しんでいたものです。
ほら、夏鳥と冬鳥は絶対にすれ違わないでしょう? それとの対比です。

おっと、おっと、今日の投稿は話が脱線しすぎ。
鰻といいました。せめて新暦8月に縁深いこの鰻の話にでも続けるとしましょう。

鰻は夏バテ防止のスタミナ料理の代表格ですよねえ。
あのねえ、驚いてくださいよ。この風習は遥か万葉集の昔からあったんですよ!
なんと、あの大伴家持がこう詠んでます。

  石麻呂に われ物申す 夏痩せに 良しといふ物そ 鰻捕り召せ

巻一六・三八五三、左注に、吉田連老(ヨシダノムラジオユ)石麻呂がたいそう痩せているのを戯れ笑ったもの、とあります。
この歌、うなぎやの広告でみることがありますよね、結構昔からうなぎはスタミナ食品で通ってたようです。

もうひとつ興味深いのは、家持が結構お茶目だったってこと。戯れ歌はここで留まりませんぞ、続けて巻一六・三八五四でこう追い討ちをかけてます。

 痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を漁ると 河に流るな

と、いきいき歌いまくってた時代の家持でした。

さて、因幡の国守として万葉オーラスの歌を詠んだ家持が、以降『歌わぬ人家持』になったことは以前お話ししました。

と、この言い回し、



回遊魚はなんのメリットがあって海と川をいったりきたりするんでしょうねえ?

を丸写ししました。

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………

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元禄花見踊り

手刷り桜花札を代表する札である3月桜、意外なことに桜の花以外には小道具程度のパーツしか描かれてない、前に話題にしました。
にも拘らず、非常に存在感のある札です。

この秘密はなんなんでしょう?
うん、勿論桜の魔力はありましょう。けど、もう一度、この20点札を見てください。
いや、見るというよりは、耳を澄ましてください。
こう、なんか、聞こえてきませんか? 幔幕の向こうでは花見の宴…
そう、さながら元禄花見踊りの琴三味線聞こえてくるよう、いや聞こえてくるのが不思議ではありませんか。
ねえ、心の中に響いてきましたでしょう? 将に花札マジック、我々の中の日本人を呼び覚ましてくれます。

ラテンの人たちは音楽を体で楽しみます。
それに対して、日本人は心で楽しむ、うんうん、日本人にとって歌は心の音楽であります。

ということで、日本歌集の原点・万葉の昔まで遡り、同じく春を楽しむ古人の心の音楽に触れてみましょう。
万葉集<八・一四一八>、志貴皇子の歌です。

  石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも

この歌は是非声に出して読んでください。
節なんかどうでもいい、旋律付けて歌えばなおよし。

どうです?
「たるみの〜 うえの〜 さわらびの〜」
『の』の繰り返しの、躍動感。いかにも春になったという感じが伝わってくるでしょう?
同じ助詞を繰り返す文章は駄文↑ですけど、これが歌ならリズムとなる…
似たような台詞をどっかで聞いたっけ?

かの『アマディウス』、私は映画で見ました。
「芝居なら二人三人が一度に喋ったらぶち壊し。けどこれが歌なら二重唱三重唱になる」
そして歌劇を書くようになるんでしたね。

と、この言い回し、



歌は心の音楽デス

を丸写ししました。

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思い

たばこ萩あらまあ、さてさて、今日は一体何を書くべきか?
うん、随分前にいっぺんやった花言葉でも行きますか。

花札7月は萩。
日本特有の植物といってもいい、前にも言ったようにお隣・中国においてすら似ても似つかない別植物を指す、この萩に花言葉などあるのでしょうか?

ありました。意外…

だってそうでしょう? 花札においてさえ、やたら猪ばっかり目立って花らしい花も描かれてない萩の花を愛でる人があったんですもの。
そして、その花言葉とは「思い」
この花言葉見て、2度びっくりです。
到底結びつくとは感じられませんものねえ。

何て言ったらいいんだろ? うん、こんな感じの意外性かな?

   思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり

百人一首82番は、千載和歌集<恋三・八一七>に収録されてる道因法師の歌です。
おなじ涙でも、こちらは男の涙ではない、♀の気持ちの代詠ですね。

坊主の歌と姫の歌の区別の付かない小倉山。
だから、坊主めくりは面白い、ってね、

と、この言い回し、



もう「尿飲」には引っ掛けませんゾ

を丸写ししました。

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衣にほはせ 旅のしるしに

yatuhasi突然ですが、情感テストです。
皆さんは、お花といえば、どんな色を思い浮かべます?

そうですよねえ。
大体は、ピンクとか赤とか、そんな感じですよねえ。
事実花札の花も大よそは、淡赤系統です。

ところが、5月の菖蒲はといえば見てのとおりの見事な紫、非常に色素の強い花でして。
花弁も大きいし、やたらに触ったら色に染まってしまうかも、
って、よく知りません。それこそ、僕の情感ですので読み飛ばしてください。

遥か遥か昔のこの旅人も、今の僕と同じ情感だったのでしょうか?
万葉集巻一.五七、10点札の八橋と同じ三河を旅したおりの長忌寸奥麿の歌です。

    引馬野に にほふ榛原 入り乱り 衣にほはせ 旅のしるしに

えーっと、
「引馬野」、「阿礼の崎」の地名については、賀茂真淵が「万葉考」で「十六夜日記」に浜松の北方を曳馬野というとあるのを根拠に遠江説を立ててから、以後、多くの万葉研究者はその説に従っていたが、仙覚、荷田春満は三河説を立てていられる。
ということで、万葉と十六夜日記が結びついたわけです。

因みに岩波書店・萬葉集は三河説をとってます。
「榛原」とはハンの木の原っぱ、「衣にほはせ」とは、衣に榛の美しい色をうつせ、という意味です。
引馬野に色づいている榛の木の原っぱに入って、榛を乱して衣に美しい色をうつしなさい、旅の記念に、
というのが全訳になりましょうか。

と、この言い回し、



万葉集、十六夜の二語検索をかけて

を丸写ししました。

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緋牡丹博徒

緋牡丹博徒えーっと、投稿日付では昨日となってますが、長谷寺の話を書いたのは随分前のような気がします。
どうも、このブログでは投稿の進まない6月、牡丹の月ですねえ。
よし、今日はぐっと落差のある花札牡丹の話をしましょう。

なんて、勿体をつける前にタイトルにつけてしまいましたか。
そうですよねえ。
藤純子(富司純子)でおなじみの緋牡丹博徒。結構人気のあった映画です。
まあ、これもまたいかに花札が庶民に親しまれてきたかを示す証拠、思えば戦後昭和の花札で一番ポピュラーだったのは牡丹の札だったとも言えます。

おっと、おっと、博徒の方はもっともっと昔からありますよ。
はい、方丈記や梁塵秘抄を読むまでもなく、そのはるかはるか昔から。
そして、勿論日本だけでなく全世界に。
ってことで、例によって例のごとく、「お隣の国は」の枕詞の元、中国四大奇書に話を振りましょう。

緋牡丹博徒よろしく、博打のMF(ミックスファイト = 男女勝負)!
今日は水滸伝登場人物にスポットライトをあてましょう。
段三娘(ダンサンジョウ)いや段娘娘(ダンニャンニャン)といったほうがいいですか?
色男の放蕩児・王慶の妻、ってことで娘娘=奥様ね。

結婚のときの逸話がおもしろいんですよ。
逃亡中にたどり着いた村で、段三娘に一目ぼれされた王慶は彼女との博打に負けて否応なしに婿になるわけですが、初夜ところが面白いんです。
王慶といえば知事の娘に岡惚れとれたくらいの美男子。方や段三娘は不器量の代名詞。食指など動くわけがありません。
ところが、王慶、逃亡生活で暫くご無沙汰だったためもあって、薄明かりに覗いた段三娘の大きなおっぱいについむらむらと来て、テンテンテン、
ってことになってしまうのです。

と、この言い回し、



ニャンニャン@

を丸写ししました。

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「土下座」考



 ウィキペディアによると、土下座とは「日本の礼式のひとつで、極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪、お願いの意を表す場合に行われる」とある。確かに英語には直訳の単語が見当たらないし、様式としては日本独自の行為・文化なのかもしれない。しかし西洋社会になかったかというとそうでもなく、イスラム教の礼拝では土下座よりも激しく平伏するようなモーションで行われている。何かに対して畏敬の念を現したり、崇拝、感謝、恐れといった表現形式には、跪いて手をつき、お辞儀するように身をかがめるという行為は、洋の東西を問わず世界的に行われていたであろう。国王や君主の前で土下座のようなスタイルで服従の意を示す臣下や兵士たち。ただ、日本の場合は、土下座への意識的な抑制が、つまり土下座することを恥とする文化が独自に発達していたような感じがする。

 武士にとっては恥をかくくらいなら死んだほうがましという風習があって、死にも匹敵する「恥をかく行為」すなわち土下座することで自分の過ちや罪を許してもらおうとする意識が生まれたのではないだろうか。近年は、土下座さえすればたいていのことは許されるような雰囲気もあるようだが、ある意味で土下座が大安売りされているような印象ではある。本来土下座は、よほどのことがない限りしてはならないはず。そのよほどことを、最近の政治家や企業の経営者はしているのかもしれないが...

 ただ、現代社会においては、まともに、そして平和に暮らしていれば、日常生活の場で土下座するチャンスは一般庶民には滅多にないだろう。それこそSMクラブで女王様にご挨拶する時ぐらいではないだろうか。それだって今では平凡なサラリーマンのストレス解消の手段としてもはや普通のレベルだったりして。
 
 いったいどこまでが「普通のレベル」なのかは意見のわかれるところだろうが、まあ、乳首に針刺したり、スカトロまでやっちゃう人に比べたら、女王様の前で「土下座」するなんてママゴトみたいなものだと思う。

 ただ、ヤラセ的にやる土下座にも、やはり神聖な気持ちで恭しく、そしてしっかりとした「羞恥」も感じていなければ、「正しい土下座」とは言えないような気がする。あまり軽い気持ちで土下座はしたくない。土下座に対して失礼になる。そしてその崇高なる対象にも。

 土下座の伝統を正しく守り、後の世にも継承してゆかねばなるまい。滅多にできない、ステキなアクション。それが土下座の魅力である。
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庶民の歌心

鹿さて、花札は10月の種札、俗称シカト札は、

    おく山に 紅葉ふみ分け なく鹿の こゑ聞くときぞ 秋はかなしき

百人一首の猿丸大夫の歌を髣髴させる、と2度ほど記事にしました。
ここで注目しなければならないことは、花札完成当時には当然のこと学校などというものはない、よって今みたいにこの歌を中学高校の授業で教わるというわけではないということです。
なんだ、つまらないことを言うな、とおっしゃるなかれ、ここで考えてみてください。

当時は学校などというものはない、ということは庶民は文字も読めないんですよ。
その字も読めない庶民が、当時ですら古歌であった猿丸の歌を口ずさんでいた、うん、この歌がどれほど広く愛されていたかを示す証拠ではありませんか。
そして、それがビジュアライズされた花札は、庶民をしてその心中歌心を育んできた教材であったとも言えましょう。

実際、往時の名もなき庶民の歌心は素晴らしいものがあります。
うん、幕末は黒船来襲の折の落首です。

  町中に 打ち出てみれば 道具屋の 鎧兜の 高値うれつつ (夷辺赤人)

なんと、なんと、これ、万葉に原典し百人一首に選ばれたあの歌のパロではありませんか!
一大珍事に影響されたのは、幕府やかの吉田松陰らだけではありませんでした。
黒船来襲が松陰にとって一大転機となったのと同様、街の古道具屋にとっても大きなビジネスチャンスになったわけですよねえ。

風が吹けば桶屋が儲かる、ではありません。ちゃんとした経済の原則に基づいたものです。
すなわち、外国との戦にでもなりれば武具に大きな需要が生じる、それが理由で売り手市場になったわけで。

ちなみに作者ペンネームの「夷辺」は、アメリカのこと、そう、ペリーの毛が日本人には赤く見えたので、「赤人」としゃれたんですよ。
当時の日本人で西欧系異人を見たひとなんてざらにはなかったでしょう?
赤鬼のイメージでしょうね、これマジ。

あん?
「赤人」としゃれた?
需給により財サービスの値が決まる?

以上、極々一部の方にしか判らない謎かけをした

と、この言い回し、



「島国根性」 これ、私にとっては褒め言葉かも、あはっ!

を丸写ししました。
投稿日付では後日になるものの実は以前、丸写しだけは思いとどまった「問題」投…稿…

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鶯の…

うぐいす花札2月の10点札に配図されている鶯は、美しい声で鳴くことで有名です。
鶯、転じて声の美しい女性のこと、更に転じては、美女の符牒で用いられるようになる、前に話しました。

事実、「鶯を鳴かす」なんて言い回しがありますわ。
遠まわしに、「オレは女にもてるんだゾー」なんていうやつに限って、ハゲチビデブ3拍子揃ったジジイというのもまた、古典的な相場のようです。
うん、更に踏み込んで、「鶯の谷渡り」
なんかといえば…

いやいや、厳格なるアダルト禁止をもって名高いgooブログで、この意味を詳述したらば、とてもとてものこと、一発で削除されてしまいます。
どうかここは、山岡荘八『伊達政宗』の一節から、なんとなく意味を察してください。
えー、小田原攻めの場面ですよ。政宗と秀吉との煽り合戦が繰り広げられますよねえ。
「政宗よ、関東の連れ小便ということがあるが、奥州においても同じであるか?」
とからかう秀吉に、すかさず政宗、
「いえいえ殿下。奥州はおなごが多うございますから逆に鶯の谷渡りでございます」

分かりましたね?
まあ、このように家康江戸城入城までの関東以北は、(当時の「日本人」であった畿内人の感覚にすれば)未開の外国にも等しい土地であったことを伺わせる説話です。
えーと、投稿日付はずっと後になりますが、前に話した真間の手古奈を思い出してください。

万葉集でしたよねえ。
同じ関東の歌でこんなのもあります。

  伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといへど 我が恋のみし 時なかりけり

巻十四-三四二二、また東歌です。
これは田舎言葉が入ってませんねえ。おそらく今の榛名山周辺で歌われていた民謡を採譜したものなのでしょう。

この榛名山ってのは案外緯度が高いところにあるんですよねえ。浅間よりも北。
うん、ちょっと西のほうで歌われている民謡にもありますもんねえ。
草津の道は「南浅間に西白根」、浅間山を挟んで真南は信州軽井沢、真北が嬬恋、そして草津。
いやいや関東はいささか広いうござんす、意外な地理関係を認識しました。

と、話を元に戻せば。
わずか西暦700年代に、こんなにも広い範囲から歌を集めた歌集が成立していたことには、本当に驚かされます。

と、この言い回し、



坂東の土民だからこそ陥るこの錯覚

を丸写ししました。

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わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
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喜多玲子



 喜多玲子とは往年の「奇譚クラブ」の名編集者として知られる須磨利之の別名。竹中英二郎や高月大三というペンネームも使っていた。須磨は当時大阪で発行されていた「奇譚クラブ」を去り、東京で「裏窓」を発行後、美濃村晃という名前でも小説や記事を書いたり、誌面の企画や構成、グラビアの緊縛師などといったかたちで活躍し、1970年代のSM雑誌ブームを支えた。

 この頃発行されていたSMセレクトは、他のSM雑誌と比較すると、ややM男性向けの記事や写真にウエートがおかれていたように思う。カラーで女王様とM男系グラビアがしばしば掲載されたほか、須磨が喜多玲子の名前で発表したイラストの中にも、鞭を持った女性が男を虐めるという作品がみられた。奇譚クラブ時代にはモノクロの挿し絵だった喜多玲子の筆致が、カラーで再起動する。



(SMセレクト 1971年8月号より)

 S男性が主な読者層であるメディアで女性緊縛図を描く一方、このように男性マゾヒズムをきちんと満足させてくれるイメージもしっかり提供してくれていた。須磨のバランス感覚というべきか、M男性へのやさしい気配りと言うべきか。実際のところ須磨をよく知る関係者からの伝え聞くところによれば、この人にはMッ気もあったらしく、執筆された原稿からもマゾヒストでなかったら書けないような心情も吐露されている。

 そうはいっても、喜多玲子といえばやはり女性が責められる「責め絵」ということになり、 責め絵集 なるサイトもあるくらいで、ファンは多いようである。

 責め絵の巨匠・伊藤晴雨は喜多玲子(=須磨利之)の師匠筋にあたるのだが、伊藤の画風よりはモダンなタッチに加え、「責め」つまりサディズム側の視点からよりも、マゾヒズムをよく理解した筆致が、より多くの、マニアックな支持を得た理由ではないだろうか。女性緊縛図を見て喜ぶS男にも、自分と置き換えてマゾヒスティックな妄想をかきたてるM男にも、充分堪能することが可能な世界が描かれている。
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古の男やもめ

変り鶴さて花札・一の月は、大変エネルギッシュな月です。
テーマ植物の松の生命力に加えて、光札の日輪と鶴。
太陽はいうに及ばず、鶴というのも長生きの象徴として広く知られているところなのは今更断るには及ばないでしょう。

この鶴なんですが、長生きに加え生命の産み手である女性の化身として、昔話に描かれますよねえ。
前にも話したか? 鶴女房談は僕は個人的には好かんのですけど。
まあ、原型の鶴女房は非常にドライで、男が約定破りをすると、あっけらかんと飛び去ってしまいますので、それを教訓としときましょう。

そして、働き者にして子孫の産み手にして、そしてお楽しみの相手である女房に去られた男の方はといえば、全く哀れむべき存在となってしまいまする
今昔の差異で、昔の男たちのほうが妻をなくしたダメージがより大きい、そこらを伝えた伝承寓話ともとれるでしょう。

さてさて、そんな訳で、古くは万葉集に、妻に先立たれた男の哀愁をのぞきみましょう。

    秋さらば 見つつ偲へと 妹が植ゑし 庭の石竹花 咲きにけるかも

巻三・四六四の大伴家持の歌。
石竹花、読めますよね? ナデシコ。
秋になったならば見る度に思い出してくれと、生前に妻が植えた庭のナデシコの花がもう咲いてしまったなあ。
妻を亡くした悲しみを詠んだ歌です。

まあ、こうした歌を読むにつけ、妻たるものは絶対に夫より先に死んでしまってはいけない、と思い知らされますよね。
それが自然の摂理。
カマキリ&サソリの話を持ち出したら色気がなさ過ぎるでしょうか?

と、この言い回し、



いくらなんでもこれは早すぎるかな

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
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Helmut Newton



 パリのホテルで、全裸の女性が靴だけ履いて、首輪に繋がれている。いったいどのような物語がこの部屋で展開されるというのだろうか?

  ヘルムート・ニュートン は「ヴォーグ」に代表されるようなわりと上品なメディアに、鞭やハイヒールといったSMを連想させるシンボルを意図的に構成してみせた初めての写真家である。フェティッシュな形式美による場面構成には、そのものズバリの描写はないものの、見る人が見れば、どうしてもこれはエロティックな想像力を働かせざるを得ないような独特のスタイルで見る者を魅了する。

 やはりホテルの一室で、乗馬用の鞍を背中につけた女性がベッドの上で四つん這いになっている。これは誰がどうみてもかなりマニアックな「お馬さんごっこ」の世界に決まっている。しかし、不思議といやらしさは感じられず、かといってまったくエッチでもないかというと、そうでもなかったりして。ビミョー。

 そこはかとなく見る人の感性でどのようにでもエロティックに、あるいは上品にもなってくれる柔軟でスタイリッシュな作品性がこの人のウリだと思う。

 あるいは、ゴージャスでグラマーな女性が首輪をつけた犬を、そのリードを引っ張って見下ろしている作品。これなどは、僕は自分がその黒い犬になったつもりで見てしまい、どうしてもそっち方向の想像をしたくてたまらなくなる。(いったいどっちの方向なんだか ^^)

 デビッド・ボウイやアンディ・ウオホールのポートレート写真など、マトモな作品も有名だけど、そのマトモと思われている被写体の多くは、実は世界的な変態だったりもする。
 なんといっても映画「愛の嵐」でナチスの軍帽をかぶったユダヤ人女性を演じた 女優シャーロット・ランプリングのヌード写真が僕には忘れられない。

 ベルリンで1920年に生まれたニュートンの国籍はオーストリア。1950年代からパリで活動し国際的なカメラマンとしての経歴をスタートさせる。既存のモードを打破しようとする過激さの中に、どこか退廃的なエロスを感じさせる作品を発表して当初は物議をかもしたらしいが、70年代以降、マリークレール、エル、プレイボーイ誌などでも活躍し、この世界の押しも押されぬカリスマ的アーティストとして君臨した。


 日本ではヘアヌードが解禁になった90年代に石田えりの写真集を撮り下ろして話題にもなった。

 2004年に交通事故で亡くなった。

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