現代の芸者は女王様?

 公開中の話題作 SAYURIを観てきました。

 チャン・ツィイーの日舞が見事!同世代の日本人女優であれだけの舞いを踊れる人はいないのでしょうか。残念なことに、世界を舞台に通用する女優は、栗山千明みたいな例外を除いてはまだいないのかもしれない。それでもまあ、英語のセリフがくさい気もしたけど桃井かおりはいい味だしていた。パリの売春宿にもああいうタイプの女将さんっていそう(行ったことないですが)

 あの芸風は万国共通なのだろう。

 日本が舞台の、日本人が主人公のアメリカ映画。台詞はほとんど英語なのだが、ところどころ日本語(ちょっとした挨拶とか「早く!」とかいう細かい表現)が聞こえてくる。

 それから、He is my DAN-NA.(旦那)とか、日本人のキャラクターが付け焼き刃の英会話をしているみたいで、

どこかに無理がある ような気がした。

 しかしそれは最初のうちだけで(ちなみにイントロのシーンは全て日本語で英語の字幕がなく「アレ?」と思ってしまう)そういう違和感は見ているうちに消えていった。この作品が本来的に持つ虚構のイメージが、嘘をリアルに描くのに役立っていたのかも。加えて豪華なハリウッド・マジックによる映像美が些細なこだわりを吹き飛ばす。

 欧米社会から見た日本の伝統文化は、今の日本人が見てもそれなりに納得のいく描写であったように思う。もともと花街とか芸者の世界は、一般庶民にとっては最初からアナーザーワールド。どこにリアリティがあるのかなんてわからないですよ。要するに「愛人関係」みたいなものを、格調高く優雅に表現しているんだけど、いまどき制作されるにしてはかなりストレートな純愛もので、恥ずかしくも感動してしまいました。

 半玉の芸者を水揚げする旦那。これって確実に不倫なのに戦前は社会的に大目にみられていたのかしらね。「夜だけの妻」なんて映画の中では言われていたが、マゾ男の都合のいい幻想を女王様に押しつけるのとたいして変わらんのじゃないか?などと思ってしまう。しかし、プロの女王様はある意味で芸者だとも思った。まぎれもなく「芸」を売っている。

 貧困のために花街の置屋に売られてしまう娘。上流社会と下流社会のアクセスポイント。それが花街だ。現代に無理矢理置き換えると、SMクラブで遊ぶ中流サラリーマンも、自分好みのミストレスに出会ったならば、お金をつぎ込んで個人奴隷にしてもらい、リアル調教をしてもらう...などといった図式とだぶってしまった。純愛的な人間関係もあるだろうけれど、金銭の授受が伴う限り、財力にもの言わせて愛人を囲うのと一緒で、SMクラブで女王様を水揚げするのは現代のマゾ男のファンタジーかもしれない。





posted by homer_2006 | Comment(1) | マゾヒズムに花束を!
この記事へのコメント
京都の花街が隆盛を誇った頃は芸者や置屋、道具屋それに繋がる産業も大いに潤っていたのでしょうね。
最近は芸者や舞妓さんも見直されてトライする女の子も増えたらしいけどどんな具合なのでしょう。

そうですよ、女王様は職業の別名です。
ネットにM男性の心得とか女王様論とかいろいろ書いてる人(女王職の方)も偶にいます。
深い精神的な繋がりとか理解不能の字句の羅列だけ目立って内容は皆無です。
私はビジネスと割り切ってる方の方が安心できますし、秘めた思いも素直に告白できます。
プロであればこそ信頼して素裸になってセッションして頂けるのです。
プレイの中味はプロ、後の付け足しでヒューマンな側面を見せてくれたら嬉しいと言うところですか。
それが演技でも完璧なら酔えます。



Posted by 昨日に続いて (hana) at 2005年12月14日 01:19
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