刺青



 僕の入れ墨に対する考え方はこうです。

かっこいい。けど、痛い。これは肉体的にも精神的にも痛い。

僕は痛いのダメってことで。

しかし耽美主義の前では、そんなことはどうでもよくなってしまう。

 タトゥ−は自己表現のひとつ。アート。そうとも考えている。
だから自分ではやらないけど、上手い彫りはきれいだなあとは思うし、ネガティブな気持ちはない。
(痛そう...というのはある意味でネガティブと言えるのかもしれないが...)
 ただ、長年にわたるこの国の文化的、因習的偏見の影響は受けていたのかもしれない。

 アメリカでは入れ墨は非合法であったが、5年造ど前にマサチューセッツ州で合法化され、公衆衛生上の問題点もクリアされ一気にブームに。彫る人(アーティスト)の数も急増しそのクオリティは向上、技術を学びに多くのアメリカ人が日本にもやってきた。数年前に僕が世話をしたハーバード大学からの留学生(女性)もワンポイントのタトゥ−(「和」という漢字)をしていた。留学を斡旋していた事務局には・女も隠しており、お世話揃としてちょっと親しくなった僕にだけそっと見せてくれたのには苦笑してしまった。一応向こうにもなんらかのタブー意識はあるらしい。いや日本でタブー意識が根強いことを知っていただけかもしれないが。

 いずれにしてもセレブやプロのスポーツ選手がこぞって入れ墨をやりだした影響もあり、日米ともに入れ墨・タトゥ−に関する社会的許容度はこの5〜6年で激変したような印象を受ける。とてもポジティブになった。ある一定の年齢層を除いて、誰もがファッションとして気軽にできる雰囲気はある。茶髪と似ている。

 しかし、それでも、身体全身に大きな面積で本格的に彫るのはよ造どの覚悟がいるだろうし、ワンポイントで彫る場合とは目線がだいぶ異なってくるのではないだろうか。敬意を飛び越えて、畏怖の念さえ湧いてくる。

 微妙な苦手意識があるにもかかわらず、僕が入れ墨にこだわってしまうのは、中学生の頃に読んだ谷崎潤一郎の短編「刺青」の影響が大きい。この作品の荒筋をひとことで述べるなら、

 「無垢な娘が刺青を彫られることによって女王様になる」というもの。
(先日の「痴人の愛」の時も思ったけど、↑ レベル低い要約ですみません。短いのでぜひ読んでみて下さい)刺青は人を変える。

 作品的な評価や感動とは別に、そういう知識・読後感を持った。この頃の僕にはコンプレックスはあったかもしれないが、それを他り越え、「変わりたい」という自分を見つけることはなかった。いや、今から思うと、「人は変わらない」というシニカルな絶望を感じていたのかもしれない。

 だから、まれに銭湯や温泉でそういう方にお目にかかると、いったい何がこの人を変えたのだろうか...とか、あるいはこの人は変わることが出来たのだろうかとか、背中から感じるその人なりの人生を思ってしまったりするのです。偏見とかではけっしてなくて。

 よけいなお世話ですよね。すみません。

さて、今回の写真は本文とは関揃ありなんですが、アップしたかった本命の写メがPCに転送できず、本題は次回にエントリーします。


(注)諸事情から写真部は消してあります
この記事へのコメント
「刺青」と「痴人の愛」、共通点がありますね。かたや「愚か」という美徳のあった時代の美の探求者と、かたや「愚か」という美徳の失われた時代の痴人。そして、自己の理念を投入した対象が自己を越えていく姿。
谷崎自身が入れ墨をどう評価していたのかは知りませんが、「近代化」の中で因習的・俗悪とされたものにも実は深い精神性すなわちイマジネーションの解放があったと言いたかったんだろうなあと思いました。
しかし、私はこの小説には感情移入ができないんです。入れ墨が嫌だからです。それは幼い頃の恐ろしい記憶があるのと、肉体に手を入れる事が生理的に恐ろしいからで、理性ではどうにもなりません。
私が一番惹かれたのは足の描写と、芸術は女性美の婢女、美の実現形である女性の中に包み込まれていくものなんだろうなあということでした。
ただ、最後の描写、これはディティールを越えています。
Posted by またまたしつこく (つる) at 2005年10月11日 23:34
私の写真使ってくださってありがとうございますー^^

光栄です^^
Posted by あらー^^ (辰神麗子) at 2005年10月12日 02:03
あっ、ホントだ!
麗子さまのお写真ですね〜。
色んな雑誌を拝見してきましたが、このお写真は見たことがありません。
先日、御一緒していただいた時もお衣装から見え隠れするtattooは素敵でした!
私もtattooにはとても関心を寄せています。
というかdominaのtattooしか興味がないわけですが・・・。
やっぱり和彫りが最も魅力的です。

M男性がdominaの名前などを彫っていたりしますね。
見るたびに幸せそうで羨ましく思います。

私の世界ではエナメル、ラバー、レザー、tattooは鞭や縄よりも最重要なアイテムなのです!(微笑)
Posted by 3domination (akira) at 2005年10月12日 02:24
刺青に関しては色々言いたいことありますねえ。ふふふ。いや、私は入れてませんがね。(でも、お金があれば入れたかった、と思った時期もあった)。金の我慢と体の我慢ってね。金もだけど、体の我慢が無理か。あと、現代だとその後の社会生活の我慢もあるんだろうなぁ。銭湯やサウナに行かれなかったり。
Posted by 刺青だ! (たぬきの腹鼓) at 2005年10月12日 10:05
Homerさん、すみません。まずいことを書いてしまいました。
削除してくださって結構です。
これからは余計なことを書かないように、ROMに徹しますからご容赦ください。
Posted by 申し訳ない (つる) at 2005年10月12日 10:20
単なるコメントなんだから関係ないんじゃないの。自意識過剰よ。
Posted by つるさんへ (Moja) at 2005年10月12日 11:10
記事を拝読した感想を少々。
まず、指摘申しあげなればならないのは、『入れ墨』と『彫り物』の混同ですね。
字句的総括をすれば『刺青』ね、よく混同されるけど本来似ても似つかないものなんです。

『入れ墨』というのは、それこそ奴隷や囚人に施したものですよ。
前者は家畜に焼印を押すのと全くの同目的、後者は衆人に囚人であることを知らしめる目的である意味刑罰の延長でしょう。いずれにせよ他者から強要されるものです。

これに対し『彫り物』は自分に意思で施すものですよね。
主にアウトローとか荒くれとかが「(この痛みに耐えた)自分は強い人間なんだ」ということを他人に知らしめる目的で。
まあ、今は電気彫りとかで痛みがなくなってきたので、それ以外の人たちにも普及したのでしょうけど。

さて、話を貴Blogテーマに繋げれば、ってことで『家畜人ヤプー』。
『イース人』たちも髭や無駄毛の処理をしますよね。
「イースの科学技術を持ってすれば、生えなくすることなどいともたやすいことだけど、『人』に『肉体改造』を施すのは…」
という要旨の設定でしたっけか?

はてはて、このトピックス、SMという定規で測ると
…、あはっ!
Posted by ふっ、ここが一番最初になったか… (ミユ) at 2005年10月12日 12:09
そりゃ特殊な社会では区別するかも知らんが、一般社会では入れ墨も彫り物も同じや。辞書にもそう書いてある。
何を言いたいのか知らんが、区別せんのが普通の使い方や。
Posted by 混同? (PRETENDER) at 2005年10月12日 14:33
ほーか。
ひょっとしてわざわざ辞書引いた?
ご苦労!
ご苦労ついでに、単細胞と唐変木を引いて、区別する必要があるかどうか書いてくれや。
Posted by CE掲示板の例もあるしな、早めに手を打つか (ミユ) at 2005年10月12日 17:28
ちょいとちょいと喧嘩腰なコメントはおよしなさいよ。
いや、私もその二つの使分けにはこだわっているんですが。
入れ墨は、ほら、時代劇なんかで島流しになった人が腕に入れられちゃう奴ね。前科者の証しというか、入れ墨者みたいに言われて差別されたりするわけです。中国ではこれを顔にしちゃうから怖いよね。
一方の彫り物(刺青)はアイデンティの顕示なんだと思う。自分の人生の指針みたいなものを己の体に刻んで確認して、他人にもアピールする。
使分けたほうがいいと思うんだけど、たとえば長谷川伸の「入墨丁半」とか、ホントは「刺青」なんだけど、わざとかどうか、そういう使い方もしてたりする。体に彫り物入れること自体が、入れ墨者と同等の意味、みたいな使い方なのかもしれない。刺青があることで堅気の世界へ戻れない者の悲劇みたいな。そういう意味では、刺青も入れ墨も、特に現代では同じ意味に使われるのかもしれません。
ただ、時代劇ファンとしては、区別して欲しいなぁとも思う今日この頃です。
Posted by 入れ墨と彫り物 (たぬきの腹鼓) at 2005年10月12日 19:21
「単細胞」ろくに智慧もないくせに蜀山人を僭称してみそをあげている輩。
「唐変木」一知半解な知識を掲示板に書いて恥をかく輩。
とあったわ。あんま変わらんなあ。それにしてもええ辞書や。
Posted by 単細胞と唐変木 (PRETENDER) at 2005年10月12日 19:37
たぬきさん、あんたの言うことは分かるが、事実と願望はちゃうで。
Posted by 事実と願望 (PRETENDER) at 2005年10月12日 19:39
 いずれFemDomアートのカテでとりあげようかと思っているアーティストに小妻要という絵師がいます。これはSM雑誌の表紙や口絵で皆さん一度は目にしているはず。いわゆる女体刺青画で、僕の中ではこちらのイメージが大きい。
ただ、それ以前から、僕は子どもころ、遠山の金さんをテレビでたまに見ていて(母が好きでよく見てた)水戸黄門の紋所みたいな入れ墨というイメージが先行しており、もともとSM的な文脈とは切り離されていました。「刺青」を読んだ中学の頃はまだピュアだったと思う。
 
 ただ、細かい話ですが、さらにそれ以前に春川ナミオのイラストの洗礼を受けていたので(小5の頃)、既に筋金入りのマゾッ子ではあったのでした。

 「刺青」を読んだのは偶然だったけど、僕の中にあった別のマゾのツボに効いて、「肥やしになってみたい願望症候群」に見舞われたような気がします。

 「刺青」以外にも入れ墨や彫り物に関して考えるきっかけを与えてくれた作品や経験はあるのですが、上手く言い表せないと思います。今回のエントリーでもきちんと書けてないかもしれない。
 ただ、谷崎文学を媒体としてマゾヒズムに関連してなら、僕なりの自己表現ができるかなと、チャレンジしてみました。 あくまでも「僕なりの」の解釈でして、他の誰かのとは噛み合ない部分はあるでしょう。

僕は入れ墨は「いやじゃない」けれど、それが作品「刺青」に感情移入できる理由にはなっていないと思う。まぎらわしい言い方ですみません。つまり、よしんば入れ墨がいやだとしても、感情移入はできちゃう。そこがつるさんとは違うのかもしれないですが、つるさんの考え方はわかるような気もするし、おもしろいと思う。また、たとえ理解できなかったとしても、一つの考え方として心にとどめておきたいです。ですから削除はしたくありませんので、すみませんが残させて下さい。(akiraさんのはだぶっていたので、一つ削除させて頂きました)

 *ちなみにgooのサーバは時々変で、投稿してもしばらく反映されない時があります。
反映されなくても、しばらく(もしかして一晩くらい)たってると反映されてたりします。
また、投稿ボタンを押す前に、はたしてそれでいいかのかどうか(誤字・脱字/内容など)再読をお勧めします。

 気をつけて頂きたいことは、僕以外の読者の方へ不快な印象を与える可能性のあるコメントはお控え願います。Blogの内容に関する意見や批判は大歓迎ですが、そのコメントに対する意見や中傷などはやめて下さい。前向きにお願いします。人それぞれってことで^^

あと、しゃれでも「調教口調」はちょっと....

僕もきらいじゃないんですけどね^^
 ( ↑ 直メールでお願いします)

akiraさんとはいずれ決着をつけなければなりませんが、レーザーラモンHGの登場で、僕の中にもレザーファッションがアイテムとして認識されつつありますが....

う〜ん、やっぱり順番としては、「 鞭→縄→ファッション」となりそうですね。

タトゥ−もだからファッション的なとらえ方になってしまうような気がします。
あ、これは管理人のレスです。人それぞれってことで^^    フォー〜!

今のところ鞭は非常に微妙なアイテム。好きなんだか嫌いなんだかわからんくなってきた。
お馬さんごっこ普及振興会としては、騎乗された女王様に乗馬鞭でビシバシされるのはオッケーなんだけど、一本鞭で打たれるのは、やっぱり....いいかも?

 ネホリさんって落語といい時代劇といい、渋い趣味ですよね。マゾッホ論書いた同じ人とは思えない。
Posted by Homer (前向きに) at 2005年10月12日 20:00
おーおー!
私のリクエストに応えて辞書引いたか。
一々辞書引くとは、まんで在日外国人並だな。
だから、洗脳されたわけか、成程、成程。
Posted by ♀ガキだってばらしちまったんだから、逆にもう気取る必要もなくなったからな (ミユ) at 2005年10月12日 20:33
私もついつい余計なこと書いちゃいました。
一緒に削除しちゃってください。
私も刺青の最初のイメージは遠山の金さんですね。しかも中村梅之助。
あと昔の時代劇って結構エロスがありましたでしょう。子供の見るもんじゃなかったけど。ふふふ。
Posted by すみません (たぬきの腹鼓) at 2005年10月13日 08:32
homerさんの「 鞭→縄→ファッション」の順番。
ふむふむ・・・。
私の場合、レザーやラバーはともかくtattooはファッションの域を超えていると思います。
特にtattooはその人のidentityの一部であり、その人自身とも言える訳で、その奥深さが魅力の一つなのです。
順位は付けられませんが、私のSM観と最も密接に関係しているのです。
Posted by tattoo (akira) at 2005年10月13日 23:03
何はともあれ、お美しいお方でございますね!
Posted by ま、 (しんのすけ) at 2005年10月13日 23:10
はじめまして(笑)
彫り物とは彫刻の意味ですが、刺青の意味に使われたのは江戸後期です。嘉永期(19世紀半ば)『守貞謾稿』という江戸風俗について書いた本の中には

 最近、江戸では刑罰と区別したくて刺青のことを彫り物という

というようなことが書いてあります。
ただ、どこまでこれが通用していたかは不明。
Posted by 彫り物 (たづ) at 2005年10月14日 00:50
 弁解がましく聞こえるかもしれませんが、入れ墨・刺青・彫り物・タトゥ−の区別をあえて意識的に曖昧にした文章を組み立てました。全部同じ意味ではないし、同じ意味でとってもいいし、あんまり深く考えたくなかったので、わざとそうしたのです。やっぱりまずかったかな。だって言いたいことは他にあったんだもん。

 この種のトピックでエントリー立てるのを決めること自体にけっこう時間がかかっていて、ネタ的には北川イベントのシリーズに入れようと思っていたのですが、考えあぐねてここまでひっぱりました。

 akiraさんがおっしゃるように、もちろん刺青はファッションとひと言で説明できるほど単純なものではないし、その人のidentityともいえる奥深いものであることは、見識の浅い僕にもわかります。もう本当に痛いほどわかる。だけど結局自分が「どこまでわかっているのか」を上手く説明できないし、ひょっとして、わかっていないのかもしれない。

 出典までは知らなかったけれどたづさんのご指摘は想定の範囲内にありました。わざわざコメントどうもありがとうございました。感謝です。

 今後ともご指導、ご鞭撻お願いします。
Posted by Homer (補足) at 2005年10月14日 22:16
こん**わ。

 恥ずかしながら谷崎は読んでいませんで、まず短編を。このBLOGに触発されつつ。

 フロイト流にいうと、超自我を捨て抑圧された無意識を解放した。それが刺青。
といった感想でした。

疑問点。
1.谷崎は刺青に詳しいのか単なる素材として付け焼刃的に扱ったのか。女郎蜘蛛の刺青を一晩でできるものでしょうか。できないのだとしたら、わざとか知らなくてか、どっちでしょう。

2.刺青は”しせい”と読むようですが、この言葉も字もなじみがないような気がする。書かれた当時は普通だったのでしょうか。なぜ”いれずみ””ほりもの”ではいけなかったんでしょうか。

蛇足。
単なるボディアートでかたずけられるものではない。魅了される人もいれば、嫌がる人もいるでしょう。当然です。
私自身は、フィロソフィとして理解できるが、実物を見たことがないのでどうともいえない。そんなところです。
読後感はあくまでも小説の感想ということで。
ん?ここまで書いてふと。谷崎はそこを意識して刺青を題にしたのかな。
Posted by 読後感 (暮らしの手錠) at 2005年10月15日 18:48
暮らしの手錠さん、ようこそ。
(おもしろいHNですね!これはブログ名ですか?)

 フロイトできましたか...まともには読んでないのでなんとも言えませんけど、おっしゃることわかるような気がします。
(「暮らしの手帖」は母が定期購読してたのを時々読んでました)

 フロイトさんも今度読んでみようかな。
な〜んか昔から僕のまわりではあんまり人気なくて、読まんくてもいっかーと、先送りしてました。
( ↑ もともと読む気もないくせに)
Posted by フロイトでつか... (Homer) at 2005年10月16日 15:19
暮らしの手錠様
聞きかじりの知識で恐縮ですが、「刺青」には典拠があるそうです。刺青関係の雑誌から、知識を得ているだけではなく表現なども採っているそうです。ただ、それを以て谷崎自身の知識と関心がどこまで深かったのかということを窺い知ることができるのかは分かりませんが。
私は一晩でできるものなのか知りませんが、仮に谷崎がそんな短期間ではできないことを知っていて書いたとしたら、それはそれなりの意図があるのだと思います。例えば、情熱と造化のイマジネーションを瞬間にたたき込むような超人的な芸術家としての姿を描いたとか。
刺青という表記、つまりこれを「しせい」と読むか「いれずみ」と読むかに関わらず、これは一般的ではなかったようです。前述の刺青関係の雑誌で使われたものだという指摘もあります。
私の勝手な解釈ですが、谷崎は「入れ墨」「彫り物」ではない「刺青」という表記を用いることにより、新しいイメージを与えたかったのではないかと思います。それは具体的なディティールを捨て去らなければならないという認識があったのではないかと思います。つまり、暮らしの手錠様がおっしゃっているように、具体的なイメージとしての「美」ではなく、観念としての「美」を描くためには、「刺青」であらねばならなかったのでしょう。
Posted by 典拠 (たづ) at 2005年10月17日 01:11

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刺青
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