デカルトの密室


人工知能をめぐる科学情報の最前線



デカルトの密室

瀬名 秀明 (著) /新潮社




 読者の皆様に謹んで新年のお慶びを申し上げます。
というわけで、このお正月休みに読んだ本の感想などを...

 この本を読むと一瞬だがIQが上がったような気がする。「アルジャーノンに花束を!」の主人公チャーリイのように。「おりこうさん」になれた気分は心地よい。たとえ錯覚でもね ^^

 子供の頃からの大きな疑問の一つに「僕って何者?」というのがあった。おそらく誰もが抱く自我の目覚めとでもいうやつで、年がら年中そんなことを考えていたわけではありませんが...(そういう意味では「僕ってマゾなの?」という問いかけとともに変態的妄想はいつもやっていたけれど)

 大学入試の共通一次試験では比較的楽そうな「倫理社会」を選んで合格したくちですが、哲学やデカルトの知識なんてそんなレベルです。大学の一般教養でも「哲学概論」を受講はしたものの、いったいどうやって単位がとれたのか覚えていない^^

 だけど、専門書をいくら一生懸命読んでもなかなかわからないことが、ひとつの「物語」というフィルターを通すことで理解が容易になることがある。人はどこから来て、どこへ行くのか? 「デカルトの密室」ではそんな哲学的問いかけに、現代科学の最先端情報を手がかりとして解明の糸口が探られています。

 鉄腕アトムに始まり、ガンダムは言うに及ばず、日本のマンガやアニメには数多くのロボットが登場する。大雑把にはメカとしてのロボット(鉄人28号やマジンガーZ)と、心を持つアンドロイドタイプ(アトムやキューティーハニー、ドラエモンなど)の2つに大別されてきた。一番の違いは、前者は人を殺すこともあり得るけれど、後者は「アシモフのロボット原則」に従い、人に危害を加えたりすることはない。これはフィクションの世界の、しかも人間に都合のいい定義であって、現実にはどうなのか?「人工知能は殺意を抱くことが可能か?」つまり、ロボットは自分の意志で殺人を犯せるか?「人造人間キカイダー」では良心回路という名前が使われていました。

 要するにマシンに自我はありえるのか? その裏返しとして人間らしさとは何かを問うている。

 本書の魅力はミステリー仕立ての物語を通して、このテーマをロジカルに、そして雄弁に語っているところだろう。デカルトの思想や人工知能に関して、楽しみながら少しはわかった気になる。

 産業と技術の発展の中で、工業用ロボットは昔のSFレベルに追いつきつつあり、古くは電子頭脳などと呼ばれていた概念、つまりロボットの「心」は人工知能へと収斂されていく。ハリウッド映画でも、「2001年宇宙の旅」のコンピュータHALや、「ブレドランナー」のレプリカント、スピルバーグの「A.I」、ジェイミー・フォックスの「アイ・ロボット」など枚挙にいとまがない。人工知能とは意識を持つ機械。考える物質であり、呪物崇拝(フェティシズム)の究極の到達点であろう。遺伝子医療(クローン人間)や宇宙開発などと並んで、人類のこの大いなる野望、つまり人間そっくりの「モノ」をつくろうとする情熱は、人類最後の究極のフェチ願望の現れと言えるのではないだろうか。

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posted by homer_2006 | マゾヒズムに花束を!
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