真幸くあらばまた帰り見む

松5松の5点札の赤短冊には「あかよろし」五文字が記されています。
これは「明らかによい」という意味です。

松はおめでたいとされる植物、それは多分常緑樹で一年を通じて青々としているから。
投稿日付に拘らず、一昨日お話しました。
植物の葉緑素は光合成により、酸素を作り出します。
動物は植物の作り出した酸素により生命を保っている、言ってみれば植物の寄生虫のようなもの。
だからこそ、緑を大切に、ということになるのですが、それはさておいても、一年を通じて青々としている松が「おめでたい」「明らかによい」とされるのが、このことに起因するのではないかと仮設するのは荒唐無稽ではないでしょう。
ここに、万葉集・有間皇子の歌があります。

  磐代の 濱松が枝を 引き結び 真幸くあらば また帰り見む

有間皇子は孝徳天皇の皇子。謀反の罪で捕らえられ、牟婁(ムロ)の湯(=白浜)に護送される途中で、この歌を詠みました。
間違えなく処刑される。やがて自分の命は終わってしまう。
そんな状況の中、枯れることのない松の生命力に憧憬を感じたのかもしれませんね。

続けて詠まれた、この歌の方が有名ですね。

  家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

主情的なことばを使わないこの歌の裏にある皇子の心情を、皆さんはどのように推測しますか?
我が家にいたならちゃんと食器に盛り付けて食べられるのに、旅に出ちまうと葉っぱが食器代わりか、不便なことで、とほほ、ですか?
いやもう一歩進んで、なんだよ、木っ端役人の野郎!? 蒸しあがった飯をそこいらにある葉っぱにのっけて「さあ食え」って突き出しやがる、こんなメシが食えるか! ですか?

結論を言えば、そうでないです。
いや確かに昔、戦前くらいまではそういう解釈が有力だったんですがね。
今は、土地神に対する感謝の念、とするのが通説です。

100%帰れる見込みがないのにも拘わらず旅の無事を祈った、その健気な歌の直後に、「とほほ」や「食えるか!」は不自然ですよね。

と、この言い回し、



死出の旅路は…

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!
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