白菊・黄菊

菊短さて、投稿日付にはあまり拘わりなく随分前に、菊は外来の花のようだ、とお話しました。
意外に感じた方も多いでしょう。
そうですよねえ。かしこきところが家紋にしているくらい、日本人に親しまれている花ですもの。
おそらく、伝来と同時に爆発的に津々浦々へと流布していったものと思われます。

なぜ、こんなにウケたか?
僕はひとつには、色が色々と揃っていることが人気の秘密になっていると思うんですよねえ。
ご存知のとおり、花札の菊は黄菊ですけど、その他もろもろ。
小倉山百人一首の時代には、既に白菊もあったようです。

  心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花

もう、お馴染み、凡河内躬恒の歌です。

ところがですよ。
明治の大歌人・正岡子規は、この歌をボロクソに評してるんですよ。

「此躬恒の歌戸人一首にあれば誰も口ずさみ候らへども一文半文の値うちも無く之駄歌に御座候。此歌は嘘の趣向なり。初霜が置いたくらいで白菊が見えなくなる気遣い無く之候」

うーん、確かに嘘はいけません。理屈を並べてもひとのこころをうつことはできません。
ただ、写生主義を提唱した子規流でいけば、万葉集志貴皇子の歌

  葦辺ゆく 鴨の羽交に 霜零りて 寒き夕は 大和し思ほゆ

などという歌はやはり同じ理由で「一文半文の値うちもない」ということになってしまいますよねぇ。

頼山陽の漢詩「天草洋二拍ス」


 雲耶山耶呉耶越 水天髣髴青一髪
 萬里泊舟天草洋 烟横篷窗日漸没
 暼見大魚波間跳 太白當船明似月


 雲カ山カ呉カ越カ 水天髪髭青一髪
  万里舟ヲ泊ス天草洋 煙ハ篷窓二横タワリテ日漸ク没ス
瞥見ス大魚ノ波間二躍ルヲ 大白船二当リテ明月二似タリ

もダメ。J・シュトラウスの円舞曲「美しく青きドナウ」もしかりでしょう。

なぜならば、眼に写る現実を写生すれば、生きものである鴨は霜が羽に置く前に飛び立つであろうし、月は金星の一万倍以上の明るさであるし、ドナウは赤茶けた色の川水であり、これらはすべて「嘘の趣向」でしょうから。

もとより、前書後段での反論「菊は霜が置くと赤みを帯ひる。だから白菊と色菊の区別がつかなくなるでのあり、躬恒はそれを歌っているのだ」などというチャチな屁理屈は論外ですよ。

しかし、現実に眼球に映るものだけが真実の世界なのであり、これのみが至上ときめつけるのはどうなんでしょうか?

霜の凄さに感じた躬経の気持ちが菊の見分けをつけさせなくなったのであり、志貴皇子の旅情一前にもいったとおり辛く厳しいもの一が朝の寒さを水鳥の羽に霜が置くほどに感じさせたのであるし、天草の雄大な風景が山陽をして金星をマイナス四コンマ四等級よりは一万倍以上明るいマイナス十コンマ六等級近くに見さしめ、ウィーンを愛するヨハンの心が国の象徴であるドナウを美しく青く見せたんですよ。

『嘘の趣向』ではありません。皆、心眼で見た真実をかたっているのです。

と、この言い回し、



「歌よみに与ふる書」、異議あり!

を丸写ししました。
こんなに長々…と…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!




posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!
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