則天武后 − 中国歴史上で皇帝と名乗った唯一の女性

aec73555.jpg同じく我が子をしいして帝位についた女性をとりあげよう。

女性でありながら皇帝にまで上り詰めたくらいであるから、彼女も相当に血なまぐさいことをした。
だが、なかなかの名君であったようだ。
政治だけではなく、文化の面でも功績あり。文字を作るといった業績も残してる。
水戸光圀の圀の字、これが則天文字である。

さて、『后』というくらいであるから、もともとはこの人は女官の出である。
若き日、太宗皇帝から癖馬の扱いを問われた折の逸話をひとつ。

「私なら先ず鉄鞭で打ちます。それでも従わなければ鉄撾を首につきたててやります。それでもなお従わないときは匕首で喉をかっきってやります。」

因みに論者が同じ質問をうけたとしたら全く同じことを言ったであろうが、それはさておき。
二代の皇帝の寵愛を受けただけあって、則天武后という人は美しい女性であったようだ。
そして、非常に若作りだったようである。なんでも70歳過ぎても30歳くらいにしか見えなかったとか伝えられる。

にも拘らず、武后からは女性のイメージがあまり浮かばない。
なぜか? 上述の為政者手腕のせいもあるだろう。
が、それよりも大きいのは彼女の『遊び方』から、ではあるまいか?

お気に入りの家来に陰核をしゃぶることを許したり、美少年を集めたハーレムで乱交にふけったり…
将に男の遊びそのものである。
事実、臣下から乱行を咎められたおり、武后は「男の皇帝ならば…」と愚痴ったという。

性格面という切り口からすれば、皇帝としての則天武后はドミナントを通り越して『男そのもの』であったといえるのではなかろうか?
少なくとも論者には同性の匂いが感じられない。






posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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