高坂 弾正 − 信玄の『ホモ達』

65b86af3.jpg戦国時代最強の部類に数えられた武田軍。
その武田軍随一の用兵家にすれば、表記の副題は大いに不本意かもしれない。

事実、信玄の信州の平定は弾正の力なくしてはありえない。
その地の豪族高坂氏を名乗るようになった彼は最前線を任され上杉謙信に備えた。
また文の方にも優れた弾正は、かの甲州流軍学書「甲陽軍鑑」の著者でもある。

が、信玄と男色関係であったことも紛れもない史実だ。
近習として出仕した彼は信玄には寵童として非常にかわいがられ、信玄が弾正に対してしたためた嫉妬の手紙、浮気の謝罪文も見つかっている。

これは、別に両人が特異だったわけでもなんでもない。
戦国時代、ほとんどの大名は幼い男子を側に侍らせした。
小姓… あれである。
また一説によれば、盟友の証として大名どおし肛腔性交に及ぶこともあったという。
けっして男色は不潔視されてなかった。
いや、むしろ不潔視されるようになったのが極近年になってからなのである。

古く古事記の時代に遡ろう。
有名なヤマトタケルのクマソ征伐。
記載を読むと、

女に化けてクマソタケル兄弟に近づき刺し殺す、先に兄を刺し弟のほうは尻から貫いた。
この勇敢さに敬意を表した弟はタケルの名を譲り息絶た。

とある。
女に成り済ませるほどの美青年、寝所、尻から、敬意を、このキーワードから読めるとおりであろう。
非常に艶かしい。

さて、論者はなぜ同性愛の話題に1稿を費やしたか?
『生殖を目的としない性行為』の典型例であるから、勿論それもある。
が、それ以上に大きな意図は、時代背景を元に戻さなければ歴史文書などは正しく読めやしない、ということを訴えるためである。

論者は、ヤマトタケルは非常に艶かしいと言った。
これは取りも直さず、クマソ征伐をした人物は現在の価値観に置き換えれば『女である』と読むべきである、という意味で言ったのである。
同様の例が、京の五条の橋の上・牛若の弁慶退治。
これは、『女』が大男をやっつけたという伝承である。

男色が異端視されるようになったのは、いつの時代からなのであろうか?
おそらくは男女同権の思想の元、女性が男性の領域に入るようになってからだろう。
ついでにいえば、戦前までは男女共学は変態中の変態という価値観で見られていた。
ノーマル・アブノーマルの線引きなるものは、全く以って曖昧模糊としたものであるのだ。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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