平貞文 − 平安時代の実践スカトロジスト

63ddd4e1.jpg平貞文は中古三十六歌仙の一人で多情多感な風流子といわれたドンファンである。
あるとき、本院ノ侍従という美女に恋して、さまざま手をつくしたが彼女が逢おうとともしない。
可愛さ余って憎さ百倍、そこで彼女の尿尿を見たり嗅いだりすれぱ、その疎ましさのため一度に恋情が思いとどまるだろうと考えたのである。

この時代は虎子筥といわれる『おまる』を使っているので、尿尿の入手も比較的容易だ。
貞文が尿尿の入った虎子筥を奪って来させ、三重がさねのその筥(はこ)をあけてみたところ外にも中は薫香に充ち、丁子を濃く煎じて入れた匂い物がこめてあった。あきらめようとしたのに「かく心ある人やある」と思われ……「いとど死ぬばかり思へど甲斐なし」と失恋のどん底にしずんだという。
これが『今昔物語』巻三十に書き残されている『平中の遊び』。芥川龍之介が『好色』に、谷崎潤一郎が『乱菊物語』にそれぞれそのままの形で創作化したことは有名である。

尿尿を見たり嗅いだりする…
さて、これを女性の立場から、しかもサディズムという切り口で論じなければならないのだが。

論者も時々「貴女の排泄物を頂戴したい」といわれることがある。
これは排泄物に対するフェチシズムというよりも、俗に言うところの『便器マゾ』の心理に基づくものであろう。
因みに便器マゾは圧倒的に男性が多いとされていることを補足しよう。

確かに「糞食らえ」という罵り言葉が複数言語にあるように、他人に自分の汚物を食べさせるというのは最大級の辱めには違いない。
「貴女のお尻の下で口をあけて待っています」
などと、言われると、くすぐったい気持ちにさせられるのも事実である。

だが、はっきり言って現実味はない。
いやそれどころか、プレーSMにおけるところの『黄金プレー』なるものは、むしろ責め手(排泄物を食べさせる女性)が責められているとさえ感じられる。
最大の理由は衛生上の観点から、ほかにも色々あるのだが、これだけで十分だ。
自分のものとはいえ、排泄物が体にかかったり、甚だしくはそれを手でつかんだりすることを快しとするであろうか?
便器願望者の思い描くフェムドムワールドの虚構性がここにもあった。

とは言うものの、汚物が非力な女性にとって有効な責め具となることもまた事実だ。
かの昔スケバン全盛期、汚物を使ったリンチがしばしば行われたという。
この場合責め手はただ普通に排便するだけ、排泄物を手でつかみ犠牲者の口に押し込むのは子分たちの役目となるので、前述の不快感は伴わない。サディズムである。

それにつけても、女性のサディズムは同性に向くことが多いという傍証の、なんと多いことか!



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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