ベラ・レンツィ − 35人もの男性を永久に独占するために

b4019705.jpg馴染みの薄い人物である。

時は1925年、ところはユーゴ、世にも奇異なる性犯罪が歴史に記されている。
かの地の郊外にあるベラ・レンツィという妖艶な未亡人邸の地下室から35基の寝棺が発見された。
一つ一つに男の名前と年齢が記されたカードが付されている。
なんと、その中にはベラの前夫二人と息子の死体も入っていたのである。

何でこんなに殺したのか、と問われ彼女はこう答えた。

「男だったからです。私は、あの人たちが私を抱きしめたあの手で、また誰か他の女を抱いたりするんだろうと、そう思っただけでたまらなかったんです。」

いやはや、なんたる独占欲!
なんたる嫉妬心!

サロメに夕鶴のつうを絡めた過去投稿で触れた、あの心理そのものである。
女性が男性に対し抱く宿命的な憎しみ、男性性への反撃とも言える、女性サディズムである。

そしてベラは、なぜ息子までとの問いに微笑みながら答えた。
私から去りそうになったから、あの子だって男です、と。

愛するがゆえに殺す、いや、殺すために愛する…
愛あるがゆえに、憎しみ反撃する…

『愛あるSM』という言葉がある。将にベラ・レンツィはその典型例であろう。
サデイスティンと自負する女性は、並べてこの言葉が好きなようだ。
論者がどうであるかは、さておくとしても、「愛がなければSMにならぬ」というのは明らかに誤りだ。
でないと、奴隷たちを虐殺することに快楽を見出した中国歴代の悪女のサディズムが説明がつかぬ。
論を進める便宜上、後者を『愛なきSM』としよう。

一見『愛ある〜』の方がソフトモードのようだが、ベラの事例を見る限りそうとばかりもいえないだろう。
『愛なき〜』は別に対象が人間である必要もない。
ほら? 魚介類の調理などでも体験できるであろう。
過去投稿で触れたように、古代中国の奴隷は牛馬そのものだったのである。
だが、その対象が愛する異性限定となると…

鬼というのはそもそもは性別不明の魍魎であるようだ。
が、能の世界では、鬼は般若面を使う。この般若というのは女の嫉妬のあまり角まで生えたものの相である。
「道成寺」の女の霊、「葵上」の六条御息所の生き霊や、善意を裏切られて女鬼に変身の「安達原(黒塚)」のほか、「現在七面」の龍女…
我が国古典芸能は女性サディズムをよく演題にしていたものである。




posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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