吾が立ち嘆く

霞花札の八月は芒、別名坊主でしたね。
調べてみると、もうひとつ、霞とする記載もあるようです。

いや、不思議に思いますよねえ。
だって、霞といえば春。旧暦八月は仲秋ですもの。

と、歳時記を捲っているうちに発見しました。
秋の季語に夕霧。
昔は春秋ともに霞ともいい、霧ともいっていたのが、後になって春を霞、秋を霧というようになったと書かれていました。

この歌もちょうどそんな時期でしょう。
投稿日付に拘らず前にお話した万葉集は巻十五に収録された遣新羅使人の歌です。

 安藝国(あぎのくに)風速(かざはや)の浦に舶(ふね)泊てし夜、よめる歌二首

   我がゆゑに 妹歎くらし 風速の 浦の沖辺に 霧たなびけり

   沖つ風 いたく吹きせば 我妹子が 歎きの霧に 飽かましものを

万葉集には天平8年(736)の遣新羅使人の一行の歌一五四首が収録されています。
本職の歌詠みの作ではない、だからこその叙情溢れる歌風は後の日本詩歌のいわゆるひとつの定番になったともいえるでしょう。

さて、歴史的観点から切り込めば、この一行の旅は非常に難儀を極めましたよねえ。
なにせ、当時の日本は新羅から相手にもされてないような国情に加え、道中も苦難の連続。
なんと瀬戸内海を渡るのに1月以上を要してしまったのです。

その瀬戸内海縦断中途のこの歌は、次の遣新羅使人の妻の歌とセットで読むとよいでしょう。
夫婦愛を伝える歌としてよく知られた歌です。 

    君がゆく 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ

あなたが行く海辺の宿にもし霧が立ったら、ドヨーン、私が嘆いて吐いた溜息だと思って頂戴ね、ドヨーン。
声に出して読んでみると、余計にさの重っ苦しさが伝わってきます。
だってそうでしょう? 西暦8世紀の時代に遥遥海を亘って新羅の国まで出向くんですよ。
当時の運輸事情を考えてごらんなさいませ。
今日、有人宇宙船で宇宙空間に飛び立つのにも匹敵する、いやそれ以上の大冒険であったに相違ありません。
待つほうの、なんて言うんですか? 心配度? は、それ以上の時代格差があるでしょう。
だって、情報収集の手段なんて全くなかったんですから。

そんな時代背景を踏まえ、「時を同じくして」読むと作者心情のよく分かる歌です。



と、この言い回し、



いや〜、またアーカイブ類が開かなくなってしまいました
いつもいつも時事ネタは一歩遅れて取り上げる 目指せ!! 平成の女蜀山人! 本稿に限っては計画的犯行ですけどね

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!



posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!
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