アドルフ・ヒットラー − もっとも有名な便器願望者

fbd4283e.jpgかのヒットラーが便器願望者であったことは名高い。
単にマゾヒストと書かれている記述が大多数であるが他の記録を照らし合わせるに、女性の排泄物を飲み食いしたいと願う『豚マゾ』と呼ばれるタイプのそれであったことは間違いないであろう。

排泄物に対するフェチシズムと便器願望とは同一のものであろうか?
平中・平貞文の稿で論じたとおり、若干の温度差があると思料する。
一番の根底部分である排泄物自体に対する興味、これを比較すれば両者の差異は瞭然であろう。

便器願望者は排泄物に対して興味がある必要はない。
汚くて臭いウンコ、それを嫌う正常な心理態度であっても構わないのである。
いや、むしろそうでなければならないはずだ。
それを飲み食いさせられる苦痛と屈辱感に昂ぶるからこそマゾヒストなのではないか?

プレーSMにおいては、大便のことを黄金と称する。
この手の老舗ビデオの主催はこう解説する。

「敬愛する女王様の体内から出るものである以上、ウンコであってはならない。『黄金』なのだ」

異議あり。
大胆に論じよう。この前提における便器男の心理態度は特異とは決め付けがたい。
あばたもえくぼは正常な心理態度だ。
今少し論じようか。

先ず、マゾヒズム性。
あるように見えてその実、皆無であろう。便器人間は屈辱感を感じてないのだから。
かかる状況を見て我と我が身に置き換え昂ぶる、見手の心理態度がマゾヒズムなのである。

では、排泄物のフェチシズムか?
これは少々迷うところだが、論者はNOに軍配をあげる。
理由は『敬愛する女王様』のもの限定であるという点だ。
フェチシズムと断ずる以上は、本来の性愛対象からある程度は切り離されてなければならないはず。
あまりにも本来の性愛対象の影が大きすぎる。

有名な東歌

    信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ

この(正常な)心理態度といかばかりの差異があろうか?
やはり便器願望者というのは、ヒットラーの如く、"汚くて臭い"大小便を否応なしに飲み食いさせられることを願う人物であると考察する。

話は替わるが、論者はそそっかし屋の部類だ。
和式便所で用を足して立ち上がる際に蹴躓き、便溜りに左足を踏み入れてしまったことがある。スリッパが脱げてしまった状態で…
自分が出したばかりのものをモロに踏んでしまったわけだ、お恥ずかしい話。
あの時足の裏に感じたなんとも形容しがたい気持ちの悪さたるや、今でも忘れられない。
あんなものを食べたい、食べさせられたいと願う人がいるとは!

既報のとおり、論者も時折「貴女の排泄物をいただきたい」と声をかけられる。
まあ、どこまで本気であるのかは知り得ないのであるが、もし心底そう願ってるのならば…

人間の性愛心理とはなんと不可思議なものであるかと驚かされる。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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