SMビデオ視聴者であるマゾヒストは本当にマゾなのか?

修道尼の稿で論じた視虐症に関して続けよう。

男女ともに事例の少なくないこのサディズムを人はどのように昇華しているのか?
ものの本によれば、例えばスポーツ観戦である。就中、格闘技等の荒事。
プロレスの余興が一番の説明材料になろう。
血を流してみたり、凶器で攻撃して見せたり… 観衆はそれを見て興奮する。
痛いだろうに痩せ我慢して、とハラハラもしながら。

論者の心理態度に関しては別投稿に譲るとして、ひとつ問いかけたい。
この視虐症の発散としての格闘技観戦。何かに似てはいないだろうか?

そう、前稿でも俎上に上ったSMビデオ、この愛好者である。
サドのほうはさておくとしてマゾだ。
この手の映像も昨今においては、十分虚構の世界であることが知られている。
女(男)優が演技として男(女)優をいたぶっていることを百も承知の上で、マゾヒストと言われる男(女)性はそれに昂ぶる。
なんと、サディズムたる視虐症の昇華としての格闘技観戦とそっくりではないか!

反論は想定される。
「Sは責め役に、Mは責められ役に身を置き換えて昂ぶっているに決まってる。なにをバカな」と。
だか、そういい切れるであろうか? 少なくても双方とも双方を見ているのである。
スティックコーヒーの中から砂糖粒だけ抽出するにもに似た作業を、果たして人はその心底のなかで行うことが可能なのであろうか?

論者はこれを以って、モレルの稿で結んだ「SとMとは紙一重、ことによれば同じもの」の追加根拠としたい。




posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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