三木一草

藤カス花札4月は藤、あまり印象に残らない藤ですが、日本では古来よりこよなく愛され用いられてきました。

古事記あたりにも藤衣(ふじごろも)なんてものが登場しますし、万葉集でも、

    藤浪の 花は盛に なりにけり 平城の京を 思ほすや君

等々詠まれています。

さて、この藤ですが花札では『くさ』の扱いですよねえ、前にお話しました。
言うまでもなく実際は、マメ科・蔓性の落葉木本です。
まあ、昔の人は、つる性の植物なので草だと思ったんでしょう。

草、木。
『三木一草』をご存知ですか?
建武の親政の折に権勢を振るった四人のことです。
えー、草の付く苗字が1人、木が3人、誰でしょう?

正解は、名和長年・楠木正成・結城親光・千種忠顕 です。
何で名和長年が『木』なの? 受領名が伯耆守だから。名和ほう『木』。
ゆう『木』もその部類ですねえ。ほんと、楠木くらいしか分かりません。

楠木正成というのは古典太平記のヒーローです。
太平記といえば、南朝方の人間が書いた書物ですので、楠木正成がかっこよくかかけてますんですけど、まー、それを割りびいてもこの人は戦上手だったようです。

物語は正成再挙の段、本拠(河内)赤坂城を奪還した正成はその勢いでたちまち河内・和泉を制圧し、天王寺のあたりまで撃って出て、渡部(わたなべ)橋の南に陣を敷きました。
その数、五百乃至七百、といったとこですか。
渡部橋。今は大阪府大阪市北区堂島1にかかる橋ですけど、そのころは天満橋付近だったですね。

さて、それを聞きつけた六波羅北探題、鎌倉幕府京都支店ですね、北条仲時は、軍奉行の隅田次郎左衛門と高橋又四郎に五千の軍勢を与え、一気殲滅を図りました。
ところが、ところがですよ。
小勢には小勢の戦い方があるのです。
鶴翼の陣を敷いた楠軍は、橋にさしかかった五千の大群に3方からこれに撃ちかかりました。
なるほど、「面」でなく「線」を、「線」でなく「点」を攻めれば、逆に1対3の数の優位。
幕府軍は大混乱、なまじっか大軍だけに余計収拾がつかなくなり、殆どは討ち果たされ、川原も川岸も屍の山になってしまいました。

   渡部の 水いかばかり 早ければ 高橋落ちて 隅田流るらん

敗走した隅田・高橋両奉行を待ち構えていたのは、京の町の至るとこに立てられたこの立て札でした。

と、この言い回し、



さてさて、狂歌に人名を織り込むお話

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!



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