特殊性癖と思い悩むのは愚かである

ネット巷間を見渡すに。
世に言う特殊性癖なるものを持ち合わせているとお考えの方々は、色々お悩みのようだ。
自分と同じ○○癖の人間を探す。同一性癖と思われる他者を見つけ接触を図る。が、突き詰めるうちにどうも違うようだと感じる。そして、このような性癖の持ち主は自分一人ではないかとまた落ち込む…
といったような具合に。
悪循環と言えよう。

先ずは、かのクラフト・エービングの分析事例を提示しようか。

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(例)二十九歳の官吏。彼は六歳のころ、素足の女性をみて興奮した記憶がある。それからズッと彼は足を追っていた。八歳のとき、まったく自発的に一素足を空想しながらオナニーをするようになったが、十四歳のある夜、眠っている妹の部屋へ忍び込んで足をつかみ接吻した。十六歳のとき、よく下女の靴や靴下をベッドの中へ運んで、興奮を高めながら自慰を行なうようになった。
 十八歳一初交。しかし、フェティシズムは消えやらず、二十四歳になると、異性をいとうようになり、二十六歳で都会へ出、同性愛の生活へ入った。相互自慰と口淫である。しかも次第に男の足をみて夢精したりするようになり、路上の男を追いかげたこともある。その男が靴をぬぐかもしれないと思ったので。
 男の足が見られないときは、自分が素足で外出しようという衡動に駆られ、雨の目でも毎夜数時間さまよったことがある。手に靴をもち興奮にふるえ、ついに射精するまで。いちばん幸福だったのは、温泉へ行って「ノイローゼ」の静養をしていたときである。人々がみな、素足で歩いていたから。
 やがて、女性への関心が再び湧いて来たけれども、性行為に入るには相手を素足にしなければならなかったりして、なかなか満足できなかった。そのためまたもや同性愛がぶり返し、ただ男の素足へ接吻するだけでも十分満足するようになっていた。
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如何であろう? 所謂特殊性癖がいくつ入っている?
さもありなん、である。
いの一番、第1稿で論じたことを思い出されたい。性格性癖などというものは、数多くの人間の事例を分析し共通因子を抽出したものなのである。
一人の人間が色々な因子を持っているのは、いわずもがなのことなのだ。

繰り返そう。
そういう意味で、○○癖などというものはこの世に存在しないのである。
にも拘らず、「自分は○○癖」と思い込み決め付けるのは決定的な間違い、掲示板サイトで見た言い回しを借りれば「湯上りに先ず帽子を被り、しかる後に猿股を穿くようなもの」だ。
ここまで言えば、言うには及ぶまい。同じ性癖の人間などこの世に二人といないのである。

論者はかつて多次元座標を使ってこれを説明した。
世の人間の数だけ座標値がある。しかも上記事例で解るように同一人物の座標値も時とともに推移するのである。
更に言えば。
ノーマルといわれるオリジンの位置も、サド・マゾ・○フェチ等々座標軸の向きも、時代とともに推移するのである。

であるが故に、論者は自身がS女とやらであろうがなかろうが、そんなことは気にも留めない。
ましてや、同一性癖なる人物を探そうなどとは微塵も考えはしない。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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