あやめも知らぬ

アヤメ花札5月は菖蒲、描かれているのはハナショウブ、万葉時代はこれをあやめ草といいました。
時代をあがった古今和歌集に初夏を詠んだ名歌がありますよねえ。

   ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな

五月に飾るあやめ草、そのあやめではないが、物のあやめも分からぬほど理性を失った恋をすることだ…
いいですよねえ。恋は盲目、ロマンチックです。

恋で物のあやめも分からぬほどになるのはいいとしても、理性であたらなければいけない社会現実が、物のあやめも分からない状況になっているとすると…
野暮な話ですが、どうもこのところの日本はその傾向です。

と、この原稿を書いてるたった今、あやめも知らぬニュースが飛び込んできました。
キャバクラ女がホントに国会議員になっちまったんですねえ!
いやいや、決して職業差別の意図ではありません。
キャバクラ女だったってことが、選挙戦での後押しになったってことを言ってるんですよ。
それが、庶民派だなんてことになって。

なにか思い出しませんか?
今は刑事被告人となってしまった、ライブドア前社長の堀江貴文氏。
彼が時代の寵児ともてはやされていた時代の事情とそっくりではありませんか!
あの事件にせよ、太田センセーが所属している民主党が巻き起こしたメール問題にせよ…
喉もと過ぎれば熱さ忘れる。本当に熱しやすく冷めやすい日本人です。

日本のよさをは紹介しているこのブログですが、公平を期すため今日はこの日本の悪しき面をテーマに押しましょう。

さてさて、投稿日付が形式的な本ブログ、実際にこの記事を書いているときは、かの福知山線の脱線大惨事から一年も経ってないんですよ。
にも拘らず、もう世間の話題に上らなくなっていくばくか、といった感じです。
久々にされている報道をみるに、鉄道会社の体質は何も変わってないとか。憂慮するところです。

こういった意見に否定的な向きもあります。
「被害者でもないものがなぜ文句をいうのか?」と。
この場で愚見を述べておきましょう。

まずは、鉄道というものの公共性。
僕もそうですが大概の人は、一生涯鉄道に乗らなくて済むというわけではないでしょう?
一歩間違えれば自分が被害者になっていたかも知れない、或いはこれから被害者になるかもしれないのです。
だからひとごとではない、これが一つ目の理由ですね。

そして二つ目。僕的にはこちらの方が大きいのですが。
関係者に鉄道マンとしての誇りが感じられないのが情けないのです。
日本の鉄道は世界一、資源も何もない小国が世界に誇れるもののひとつ…
僕はこれを信頼して彼らに命を預けて来ました。いや今現在も預け続けています。

でも、どうやら彼らには、日本の国が世界に誇れるものを担っている、という自意識はないようで。
かつて蒸気機関車の時代、時刻表どおり、一秒もたがわぬ時間に、停止線と1cmと違わない位置に機関車を止めることのできた運転士が何人かいたとか。
こういう先人たちが持ってきた鉄道マンの意地や自負はどこに行ってしまったのでしょうかねえ?
猛省してください、大いに恥じてください。

と、この言い回し、



再び福知山線脱線転覆事故を考える

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!



posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。