ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト − 生誕250年に賑わう2006

de3591d4.jpgジョン・スチュアート・ミルを俎上に上げたなら、この大作曲家に触れない訳にはいかないだろう。
同様、父レオポルトからスパルタ式英才教育を受けた神童である。
長ずるに従い記録があやふやになるのが特筆だ。
これほど謎につつまれた偉人も珍しいと言えよう。

例えば、所謂三大交響曲の作曲期間だ。彼はこれを合計3月で書き上げたと言われている。
検証するに、並みの音楽学生あたりなら3月では写譜すらも覚束ない。
あまつさえこの時期のモーツアルトは貧困のどん底、オルゴールの作曲等々で糊口をふさいでいた時期である。
傍らに、これだけの産物を生み出しているのである。人間業ではない。
とまれ、天才中の天才であることだけは間違いないであろう。

となると、天才となんとかは紙一重、の格言が生きる。
数あるモーツアルトの奇行のうちで最も有名なもの。
「俺の尻を舐めろ」
いや、
「僕のウンコを食べろ」
だったか?

…排泄物のフェチシズム。

つらつら検証するに。
これは同じ排泄物のフェチシズムでも過去論じたものとは毛色が違う。
自分の排泄物に対して偏愛を示しているという点で、純然たるフェチシズムと言えよう。
まあ、それゆえに実生活に支障をきたすほどまでに暴走してしまうことが大半なのだが。
因みにこれは、所謂普通の人間でも、幼児期、或いは逆に痴呆になった老人期に見られる症状だ。

で、モーツアルト・スカトロジスト説であるが、論者はこれを支持する。
排泄とは生理的なものだけではない。精神的な排泄というのもあるのだ。
そして、一見似ても似つかないこの2つであるが実はなんらの差異もない。これがカタルシス論である。
となれば、35年の生涯でこれだけ多数の作品を残した『大糞垂れ』モーツアルトが疲れて、生理的な排泄と精神的なそれとを混同したとしても不思議ではなかろう。
繰り返せば、天才となんとかは紙一重、そして歴史に名を残した人物は一人残らず変態なのである。

さて余談である。
広いネットの一角で、カタルシスの概念を知らぬ自称創作家が、それを知ろうともせず「人が時間を掛けて創ったものを糞に例えるとは失礼だ」などと、ただただ文句ばかりを垂れていたことがあった。
この手の人種の評論には、一行しか使いたくない。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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