パリの娼婦たち − ガラス便所で排泄姿を覗かせる

4ee8c8f1.jpg先々世紀、花の巴里は堕落した。
そこらの事情は、作曲家オッフェンバックあたりも有名な喜歌劇『天国と地獄』で痛烈に風刺している。
歓楽街で夜毎に繰り広げられる扇情的なステージショウ…
ストリップなどもここに発祥するのであるが、目線を隣に移すに。
なんと、表題に掲げたようなサービスが行われていたのである。

本サイトとすれば、娼婦たちの心裏を分析しなければなるまい。
サディズムの要因、客である男たちに(擬似的に)大小便をひりかけ嗜虐の悦びにひたる、というファクターが全くなかったとは言えないが、まあ。
圧倒的に大きかったのは、排泄姿を覗かれることへの羞恥であろう。
加うるに、それに昂ぶるというマゾヒストでもない。彼女たちは恥を金に換えてたづきに充てるという、極々ありふれた営業を営んでいたに過ぎない。
ここでも、女性側からは論ずるべきものはなし。
そして、男性側から論ずべきトピックスは目白押しだ。

世の男性というのは、女性の排泄姿を覗き見るのが大好きなようだ。
わが国とて決して他所様をとやかく言えた義理ではない。
先ずは昔も昔大昔、古事記にも登場するではないか。朱塗りの矢に化けて用便中の彼女の陰部を下から突付くというのが。
そして、再出の太閤秀吉。
藤吉郎少年が同じことをする場面が『真書太閤記』の偽作『淫書開好記』に登場する。

便所覗きというのは、排泄物のフェチシズムにサディズムが複合した症状であるという。
何故この手の倒錯が生まれたか? それは性器と排泄口が極めて近い位置にあるから。
過去において幾人か俎上にあげた便器マゾも、排泄姿を覗くという点においてはサディスティックであろう。
排泄物のフェチシズムは世に言われているほどにはマゾヒスティックではないのである。

ここに事例がある。
所謂吸血男、女性を殺してはその血を飲んでいたという猟奇犯罪者なのであるが、取調べに対してこう供述したという。
「俺は女の血だけではなく小便も全部飲んだ」
と。

元は所謂便器マゾ、女性の廃液を飲んでるうちにやがてそれだけでは飽き足らなくなり、体内の液体も欲するようになった訳だ。
分析学的にはサディズムとはマゾヒズムを克服した状態の症状である。
この事例は格好の検証例となろう。

少し論者自身のことにも触れようか。
どうも排泄物からみだと論が進むようだ。
好きなのであろう。
多くの女性であれば嫌悪感を抱くであろう「(貴女の)排泄物を頂きたい」にむしろ楽しみを見出してしまうことは既に述べた。

誤解なきように願う。
決して羞恥心のない女という訳ではない。
それどころか人一倍強いほうではないのだろうか?
セックスに関する記述、とりわけ同性の手によるものなどは、見ただけで真っ赤になってしまうのだから。
まあ、だからこそ変態なのであるが。

排泄物に対する興味は幼児期に生ずるもの、思えば論者もまた、前稿で指弾した面々とは全く別の意味で幼児から抜けきっていないのであろう。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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