フローレンス・G・ジョイナー − 夭折した陸上短距離女王の心裏にあったものは?

95a1e68c.jpgジョイナーは果たして違反薬物を使っていたのか?
それは、このプログの論ずるところではない。
ただ心裏を知る上で注目するのは、この(男性並の)肉体、同時出場した日本人男子選手を上回る五輪レコード、そして38歳で死去したという事実である。

彼女には男性化願望があったのか? それを論じても面白いのであるが、ここはやはり女性のサディズムの線で論じよう。
とはいっても、男性を打ち負かすこと云々の話ではない、過去投稿で一刀両断したとおりである。
パソリーの稿で例示した、サディズムの昇華法・利用法の具体例としてである。
これに該当することには異論はなかろう。
何せ、これだけの競技実績を残せたという事実から逆算的に言い切れる。

ピエール・ド・クーベルタン男爵「オリンピックは参加することに意義がある」
今はすっかり「オリンピックはお祭り騒ぎ」という意味で受け取られているこの言葉の真の意味はご存知か?
因みに男爵は「参加のためには過酷な修練を積まなければならない、その過程こそが尊い」という意味で言ったのである。
さてさて話を戻せば、人間技とは思えないような実績を生むための修練には、異常と分類されている心理態度をモチベーションとして使わざるを得ないだろう。
サディズム、それが内に向いた自虐マゾヒズムを含めてである。

で本稿の主たる論点は、これがサディズムの利用例として、果たして"有効利用"法と言えるかどうかなのである。
まあ、論者の見解は否である。ローマコロシアムの稿、結論の逆向き視点だ。
ありとあらゆるスポーツなど、本来健康増進のためのものである。それが(極めるがために)早死にでは本末転倒もいいとこではないか!

論者は幸いにして、スポ根路線などというものが下火になった時代に生まれた。
前はどれだけ珍重されていたかは、前にあげた漫画『巨人の星』あたりを見れば判る。
そして、それが下火になっていた歴史過程は、前稿でもあげた弓月光のアンチスポ根・風刺ギャグ漫画で覗き知った。
だが…

本当に我が国におけるスポ根教信者は絶滅したのであろうか?
ここに、気になる言葉がある。「感動を与える」「夢をもらう」「ありがとう、選手の皆さん」
冷静に考えればおかしな話であろう?
感動だの夢だのは個々人の心の中に沸いてくるものであって、人から与えられたりもらったりするものではない。
また、対象に対して礼を言うべき性質のものではないのである。
調べてみるに、いつぞやのオリンピック中継でアナウンサーが(文学的比喩的な意味で)言い出したものが、いつの間にか字面どおりに使われるようになったしまったということのようである。

むしろ危険なのは選手のほうだ、字面どおりに受け取っている選手のほう。
金の亡者になっているのならまだいい。「命あっての物ダネ」、この防波堤でとまるから。
だが、「自分は国民に『夢を与える』使命があるのだ」と思い込んでいる選手は…
第二第三の「幸吉はもう走れません」になる可能性が少なからずあるのだろうか? スポ根崇拝が絶滅した現代においても。

今日、皇居で催された茶会…
このようなスポーツ選手の文化人扱いには、首を傾げること多々の論者である。

   利休忌や トリノみやげは 金ひとつ (去る2/28に)


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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