千姫 − 男を次々と誘い込んでは弄んだ末全員殺した?

8c7c19cd.jpgかの徳川家康が、豊臣方への人質として大阪城に送った実孫である。
因みに、豊臣秀頼に嫁いだときの年齢が数え七歳、そして大坂夏の陣の折落城する大坂城から救出されたのはその12年後だ。

まあ、この女性ほど実態とかけ離れた形で伝承されている人物も珍しかろう。
実際の千姫は非常に可愛らしく、温厚な女性であったという。
にも拘らず、錦絵や浪曲でよく語られる彼女は副題の如くだ。
代表例「吉田御殿の話」を少々引こうか。

大坂落城の際、坂崎出羽守に救い出された千姫は、坂崎の求婚を斥け、本多家に再婚した。が、千姫は吉田御殿にこもって遊興にあけ暮れた。大工の芳之助は一夜の伽を命じられたが、翌朝死体となって許婚者おかつに発見された。吉田御殿の悪評は紛々だった。本多家の若侍小林万次郎は、姫と刺しちがえて死ぬより方法はないと言い、自らその役を買って出た。しかし、万次郎は姫の美しさの虜となった。やがて、万次郎の死体も沼に上った。−−

凄い話…
日本のサロメ、快楽の末オスを食い尽くすサソリのメスの如し、といったとこか?
勿論作り話、定めし徳川に恨み骨髄の豊臣残党が意図的に流したデマであったことは想像に難くない。

が、暫し待たれたい。
唯のデマだとすれば、時代を超えて現代まで伝承することはあるまい。
それだけの価値があると言うことだ。
つまりは、人は「吉田御殿の話」等々に万人が感じうる最大公約数的な共感を見出しているということである。
論者は日本のサロメと評した。実際同様の妖艶なるエロスを感じる。

そして、もうひとつ。
女性サディスティン像というものは、洋の東西をとわず、そしていつの時代も、専ら男性側の都合によってつくられたものであるということが、千姫の例からも検証できるのである。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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