徴側・徴弐 (チェン姉妹) − 西暦1世紀、後漢に反攻したベトナムの民族的英雄

5b70e849.jpg突然であるが各位は、世界一、戦の強い国、弱い国はどこと考えるか?
因みに論者は、それぞれベトナム、ロシアをあげる。
ロシアというのは広大な国土の割には案外攻められやすく、数々の歴史的大敗を喫している。
ジンギスカンにやられ、ナポレオンにやられ、ヒットラーにやられ…
しかもその全てにおいて、首都モスクワを陥落させられている。
これとは対照的にベトナムは…

先ず思い出すのは、20世紀の米国との戦いであろう。
それからジンギスカンが興したところの蒙古帝国にも戦勝した。
神風に助けれたわが国とは違い、堂々戦火を交え打ち勝ったのである。
他国に攻められても負けない… その全民族的心底にあるのが本日俎上にあげた、徴側(チュン=チャック)・徴弐(チュン=ニ)姉妹の英雄譚であろう。
時は西暦二桁の時代、かのイエスキリストのころである。

中国は漢のころから揚子江の南にも勢力を伸ばした。
江南は一くくりに交州と呼ばれていたのである。
南越(なんえつ)今で言うところのベトナムのその一部として漢朝の太守がおかれていた。
こうなると、お決まりのパターンがある。中央官吏による搾取。
そこで蜂起したのがハイ・パ・チュン、この姉妹である。
反乱勢力はインドシナ半島のみならず現在の中国南部にまで広がり、姉はその盟主として女王の座についた。

そこで中央政府が派遣したのが、かの伏波将軍・馬援である。
反乱勢力は伏波将軍に鎮圧され、姉妹は敗死する。
日本で言えば10世紀の平将門のケースとよく似ている。それだけ歴史の古い国だということであろう。

そして、ベトナムの将門は女性であった。
強女萌えを自認する男性各位の感想は如何であろう?
それを提起するための本稿である。

さて話を戻して、馬援であるが。
民族的英雄を倒したとあっては、さぞやベトナムの人々に恨まれているかと思いきや、必ずしもそうではないようである。
これは、かの国の『大南国史演歌』の一説である。

 …漢は馬援を将として 我を討つべく差(つか)わせば
 西湖のほとりを血に染めて 干戈交ゆる数百合
 されどかよわき手弱女が など英雄に敵すべき
 弓折れ矢尽き禁渓(かまけい)に 最後はあわれ落ちゆきて
 武運拙き姉妹は 無情の川に身を投げぬ
 戦いおわり伏波将軍が 銅柱ここにたつという…


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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