鶴(タヅ)鳴き渡る

鶴そもそも花札というものは、徳川幕府の鎖国政策に伴い禁制品となってしまったトランプの模造品・代用品として作られていったもの、投稿日付では後日となりますが前に何度か書きました。
と、なると、1月は各組のエースということです。道理で松を持ってきてるわけですね。
とりわけ光札(20点札)は、豪華であってしかるべきです。
今日は久々、配置されている動物である、鶴の話をしてみましょう。

今更言うまでもなく、ツル目・ツル科(Gruidae)に分類される鳥の総称、長いくちばし・首・足をもつ大型の水鳥ですよね。
「鶴は千年、亀は万年」といわれるように、古くからカメとともに長寿の象徴として親しまれ、昔話にもよく登場します。
ただ残念ながら、松の木にとまっている図は虚構です。差し詰め、コウノトリやサギなどを鶴に置き換えたものでしょう。
古代人のもつ白い鳥に対する憧憬がそうさせたものであることは想像に難くありません。

  わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る

万葉集の有名な歌ですね。
そうそう、書き言葉では『タヅ』ですけど、話し言葉では既に万葉時代から『ツル』だったらしいですよ。
うーん、せっかくの名歌ですから全部目を通しましょうか

 神亀元年甲子冬十月五日、紀伊国に幸(いでま)しし時、山部宿彌赤人の作る歌

 やすみしし わご大君の 常宮と 仕へまつれる 雄賀野ゆ 背向に見ゆる 沖つ島 清き渚に 風 吹けば 自浪騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より 然そ貴き玉津島山 (巻六−九一七)

 反歌二首

 沖つ島 荒磯の玉藻 潮干満ちて 隠ろひゆかぱ 思ほえむかも (巻六−九一八)

 わかの浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (巻六−九一九)

 右は年月を記さす。但し玉津島に従駕(おほみとも)すといへり。因って今行幸の年月を検注して以ちて載す。

[歌意]この世をお治めになるわが天皇の永遠につづく御殿として、お仕え中しあげている雄賀野の宮の地から、うしろの方に見える沖の島の清らかななぎさには、風が吹くと白浪がさわぎ、湖が干ると美しい藻を刈りつつ、神代の昔から、このようにもマア尊い玉津島山であるよ。
沖の方の島の荒涼とした磯の美しい藻は、潮の干たところに潮が満ちてきで、海水に隠れてしまったら、心ひかれて思われることだろうナア。
わかの浦に潮が満ちてくると、干潟が無くなるので、葦辺の方をさして、鶴がずうっと鳴いてゆく。
[語意]「神亀元年」は、七二四年、聖武天皇の最初の年。「十月五日」続日本紀によれぱ十月五日に平城京を出て、八日に玉津島頓宮に着き、滞留十余日、廿一日に和泉に帰って、廿三日に帰京となっている。「山部宿禰赤人」は既出。「常宮」は、永久につづく宮殿。「雄賀野」は、和歌山市の市街地の南部で、和歌浦町の西北に接する一帯の地。

とまあ、万葉学者の犬養先生の講義に沿えばこんな感じです。

うーん、長歌反歌一体となった美の描写。
長歌が観念的時間的に歌えば、反歌はそれを受けて具象的空間的に歌う。
第一反歌が引き潮を歌えば、第二反歌は満ち潮を歌う。
長歌+反歌2首のセットでなければならない。
ですか。

最後に先生は、玉津島といえば赤人の歌、和歌山という地名になったくらいに切っても切り離せなくなった、この景観を残さなければならないと締めくくってました。

ヘドロで海苔も作れなくなった…
そういえばある方の地元も昔は海苔の産地だったんですよねえ。
まあ、こちらはヘドロより先に埋め立てで海岸がなくなってしまったらしいのですが。

ねえ、皆さん。
本当に日本は埋め立てまでして土地を作らなければならないほど狭い国土なんでしょうか?
簡単な計算問題。

日本の国土は38万平方キロ。
人口が、大幅に社会増して、1億9000万人になったとしましょうか。
一人あたり、どれだけの広さになるでしょう?

と、この言い回し、



よーし、「公約」どおり

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!
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