目的をもってする加虐被虐はSMにあらず、今更ながら

昨1日来つい夕刻までライブドアブログ全般にわたり、大規模システム障害が起こっていた。
掲示板サイトは大賑わいである。
こんな声があった。

「こんな欠陥だらけにライブドアにしがみ付くのはマゾヒスト」

言わずもがな、話を面白くするために、あえて間違ったことをいっているのであるが、ここから話が膨らむ。
目的のための我慢は、マゾヒズムでないのは勿論のこと、マゾヒスティックですらもない。
にも拘らずSM談義においては、しばしば話が混線する。
論者はかつて、次のように発言した。

>利益を追求しない企業体など社会悪以外の何者でもない。
>そして、目的をもってする加虐被虐はSMでもなんでもない。
>前者は存在意義から、後者は辞書的語義から導き出される。

と、その詳説である。

まずは時代劇によくある光景だ。くノ一が捕らえられ逆さづりにされ青竹で打たれるシーン。
青竹を振るってる警吏はサディストでもなんでもないでだろう。
密書のありかを吐かせるという「目的」があって虐待を加えてるのであって、虐待そのものが目的じゃなのだから。

そして、逆のケースとしてあげたのが、女性トレーナーに師事するボクサー志望の青年の例だ。
青年が、異性である女性トレーナーから痛めつけられることに喜びを感じるのは、強くなりたいという「目的」に近づけるから…
見た目ややってることは全く同じでも、天地ほどの差があるということである。

さて改めて自らの過去発言を見返すに。
前者・警吏の例は、(潜在的)サディズムの昇華である可能性はある。
趣味と実益を兼ねた「サディズムの有効利用」とまで話を広げたら前提が崩れてしまうものの兎も角、昇華である可能性だけは付け加えておこう。
ただ後者・ボクサー志望の例は、どうやってもマゾヒズムには結びつかない。
言うまでもなかろう。(いつまでも)痛めつけられること(そのもの)を喜んでいたなら、本来の目的が果たせなくなるではないか。

それだけマゾヒズムというものは自己矛盾的なのである。



注* 元記事の投稿は6/2宵の口ころです。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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