博徒・郭解の姉 (前漢) − あてつけのために我が子の他殺体を道端に捨てる

8c99c9a6.gif韓非子によれば、世界を揺り動かすものは儒者と侠者とか。
儒者は文をもって法を乱し、侠者は武をもって禁を犯すから。
しかしながら、漢朝が儒を国教化して以来、儒者は体制に組み込まれた。
ということで、以降は侠者の孤軍奮闘となるのである。
さて、本稿主役の弟・郭解は、そんな漢朝成立程ないころ、未だ項羽と劉邦・戦国気風が残っている時代の博徒であった。

ここで、事件の概要を。
主役の息子は、酒の飲めない相手に無理強いして喧嘩となり、かえって刺し殺されたのである。
この場合、母親とすればどう動く?
考えられたい。
警察機構などというものができたのは近世も近世、それまでは世界中どこでも郭解のごとき侠者が司法警察の役を司っていたのである。
当然彼女は弟を頼るのである。
しかるに、解は下手人の言い分を聞いて今日言うところの正当防衛を認めるのだ。
納まらないこの母親は、副題にしたとおり我が子の死体を道端に捨てる。
動機とすれば、弟へのあてつけ、「義の人が聞いてあきれる。甥を殺されて相手を捕まえることもできない」ということだ。

ひとつ補足しよう。
中国に仏教が伝来したのは、後漢末期だ。
よってこの時代は、死人を仏と尊ぶという仏教流の心理態度はない。
いやそれどころか、既報のとおり、かの国かの時代における死人とは食材・工芸材料であったのである(勿論全面的ではないものの)。
その背景を鑑みたところで解の姉の行為を考えれば、これは屍体に関するサディズムからは遠かろう。
サディズムの対象は弟・郭解、これを貶めようとしたのであろう。
復讐的加虐だ。人というものは、直接の敵よりも敵を庇った者、味方にならなかった者の方により多くの憎しみを抱くものだ。
この逸話を史記で紹介した司馬遷が、李陵を弁護したために武帝の怒りを買い、腐刑に処せられたのは有名な話である。

…もう、お気づきであろう。
論者が真に意図したものは、全く別の時代、全く別の国のある女性の…

昨夜来のニュース解説同様、奥歯にものの挟まったような書き方の本稿である。


注* 元記事投稿日時は6/5夕刻です。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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