北原ちあき? 北原佐和子? − 『妖精クイーン』としてSMビデオに出演した女性

f395890d.JPG教科書に載っている史実だけが歴史ではない。教室ではとりあげることのない史実もまた歴史には違いない。
本稿は1980年代のわが国の風俗史の一端に踏み込んでみよう。

回りくどいようだが、もうひとつ断らなければならないだろう。
本稿は、『妖精クイーン』もしくは『シルバークイーン』という忌み名でビデオ出演していた女性が、表題の2(?)女性であるかどうかを検証することを目的とはしない。
ただ、そうした風評があるということだけは確認できる事実、それ以上は関心は持てぬ。
何より、この時代に妖精クイーンなる間違いなくアイドル崩れであろう女性がこの種のビデオに出演していて、それが今日の女王様ビデオ花盛りのきっかけとなっている、このことが肝要である。

さて、論に入る。
この女性に関する世間の評価は大体が、「落ち目のアイドルはここまでしなければならないのか…」、『嗚呼野麦峠』の部類である。
論者も賛成である。
ただ、100%そうであるかと言えばこれまた疑問だ。
ということで、(当時の)彼女が置かれた立場になって考察してみる。

往年のアイドル、ピンクレディは予定では3人ユニットであったことはご存知か?
直前になり、うち一人がどうしてもついていけぬと帰郷していまい、残った2人で売り出したとのことだ。
アクトクコンビ、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった阿久悠、都倉俊一コンビのプロデュースにおいてすらこのようなことがあるのである。
何が言いたいか? 
アイドル志望といっても明治の女工ほど弱い立場ではないということだ。
嫌ならばやめることも出来る。アイドル志望の彼女たちを突き動かしていたのは、ひたすら有名になりたい、売れっ子になりたいという宿望、それが通常人では理解できないほど大きいがために、明治の女工にも見えてしまうのであろう。

ここで元の話につながる。
妖精クイーンの時代は、今日のように女王様ビデオ花盛りだったわけではない。
(アイドルあがりという触れ込みで)これに出演したところで、話題をとれるなどという保証はどこにもないのである。
これが二つ目の錯覚だ。
女王様役は非常にリスキィ、事故が起こるかもしれないし自分が怪我をしてしまう可能性も大きい。
にも拘らず売れっ子になれるか否かは全くの未知数、いくらなんでもこれは割りに合わない。

長くなったが、ここで結論だ。
すばり彼女のなかには(本当に)、男性を痛めつけたい、辱めたい、という願望があったのではなかろうか?
そう仮設すれば、通常の経済人ならば選択しない意思決定をした彼女の行動も説明がつく。

そして、ことによれば、いざやってみると事前にイメージしていたものとはギャップのある『サービスのS』…
それがために足を洗ってしまったのかもしれない。
ここまで言ったら穿ち過ぎとなるか?

だが、思案されたい。
女王様ビデオ花盛りの今、かつての妖精クイーンは神格化され美化された形で話題となっている。にも拘らず、「私が妖精クイーンだ」といって現れる女性はないのである。
もしそうすれば、それこそアイドルになれること必至であろうに。
逆もまた真なり、穿ち過ぎのほうの仮説の裏付けになりはしないだろうか?

同性から見た『妖精クイーン』はこんなところだ。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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