鸕野讃良 (持統天皇) − 果たしてこの敏腕政治家は女であることを否定していたか?

583d5370.jpg別のブログのほうでしばしば話題にした持統天皇だ。
天武帝の皇后であるこの女性の父は、天智天皇である。
つまりは、天武持統は叔父姪の夫婦であるのだが、本稿はそれを論題とはしない。
過去稿・北条政子の続論的な一稿としよう。

政子を論題にしたのは随分前ゆえ、少々復習するか。
あの折、論者は女であることも妻であることも母であることも一切否定した女性と政子を評した。
この政子とよく比せられるのが、持統帝だ。
確かに、内乱を制し覇者となった夫の後を継ぎ、自ら先頭に立ち組織存続、繁栄の為腕をふるった点はよく似てる。
そして、組織防衛のために政敵を謀殺したことも…
だが、あの折にもこの両者には決定的な違いがあると論じた。

再度俎上にあげる。
政子は腹を痛めた我が子すらも葬り去った。ひたすら幕府繁栄のために。
しかるに鸕野讃良は…
彼女が葬り去った政敵の代表格は、大津皇子だ。

日本書紀等によれば、この大津皇子たるや大変な能力者、非の打ち所のない人物と記される。
だからこそ、天武帝が政治の一切を任せると遺言したのであるが。
そう、彼に任せておけば壬申の乱後「神にしませば」と言われるほどまでに高まった朝廷・天皇家の地位は揺ぎ無いのである。
再度、しかるに鸕野讃良は… である。
これを葬り去った彼女の行動は、組織存続・繁栄とは逆行する。
無能な者ぞろいなことに業をにやし一掃した北条政子の粛清とは天地の違いがあるといえないか?
公私混同、私怨もいいとこ。事実、実孫にあたる文武天皇が一人前になるまで、『持統天皇』として自ら老骨に鞭を打たねばならなかった彼女である。
そして、文武帝に譲位し初の太上天皇、即ち上皇となる…

かくして検証をするに、持統天皇とは女を否定していたとは言いがたい。否、女そのもの。
即ち、自分が腹を痛めた者をたてたい、尽くしたい、というありふれた母親像が実体であり、政治手腕はたまたま有していた能力のひとつに過ぎないのである。
そして、そのためには人殺しをも辞さない、この意味では女性型サディズムが色濃い人物と言えるのではなかろうか?

我が子のためと思い巡らし、不条理とも思える殺人をも、であるか?
果たして、渦中の畠山鈴香なる容疑者は…


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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