小式部内侍 − 中世日本版『詩のボクシング』強者

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小倉山百人一首こぼれ話の検証だ。

概略かいつまむに。
本稿主役である小式部内侍は、歌人として名高い和泉式部の娘である。
偉大な親を持ってしまった者の悲劇とでもいえばよいか? 小式部の歌は全て母・名高い母が代作してるという流言が飛び交った。
そこは今も昔も変わりないこと、そんな宮中が背景だ。
かかる折中納言定頼なる男性が、丹後の母からの(歌のしるされた)手紙は届いているのか、と彼女をからかったのである。
立ち去ろうとする定頼の袖を引きつかみ、小式部が即詠したとされるのが百人一首に残るこの歌だ。

   大江山 いく野の 道の遠ければ まだふみもみず 天の橋立

定頼は顔色を失うわけであるが。

さて、ここからが本ブログにおける論だ。
先程、ねたみそねみからの流言は今も昔も同じと言った。
であるのだが、詩文の応酬、一部に流行する『詩のボクシング』に関しては、今昔大いなる温度差がある。
留意すべきは、当時の歌詠みたる貴族たちにすれば、これが生活の術であったということだ。

同じく百人一首こぼれ話として、平兼盛・壬生忠見の逸話があろう。
『初恋』という題での歌合せに敗れた忠見は失意のうちに死んだとも。
貴族の歌合せは武士の武芸勝負と同じ。即ち、負ければ死…
それを頭に入れたところで、小式部内侍の行動心理は考えねばならぬだろう。

和泉式部を母に持つ小式部のことだ。当然、事後定頼がどうなるかは知っている。
もし相手が悶死するようなことになれば、これは未必の故意による殺人。
それを承知でのかの即詠は、復讐的加虐心の発露以外の何物でもない。
将しく女性型ハードサディズムと言えよう。

その後、中納言定頼なる者がどうなったかは知らぬ。
ただ、碌なことになっていないことは確かだ。なぜならば彼に関しては余り聞くことがないから。
格闘・拳闘。
そもそも発祥時に於いては、どちらかが殺されるまで闘ったという。

詩のボクシングもまた、起源はデスマッチであると伝えられる。 



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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