戦場の遊び女たち − 死に行く者の命を預かった彼女らは…

2b4335fe.JPG鹿屋特攻隊飛行場の隣接女郎屋の娼婦たちでもよかった。
すばり、従軍慰安婦と言っても大きくは外れないと思う。
ただ、これらの人々を主役にしてしまうと、政治的な色合いが強くなり誤解を招く元となるので、表題のごとく論説対象を広く設定した。

さて、過去稿・戦場の女の論説対象のうち、ずばり直接的に春をひさぐ者が本稿の主役である。
ここで、少々戦場の状況について検証する必要があろう。
飛び道具を使った集団戦の時代以前は、現在の我々が思い描くほど悲惨なものではなかったということだ。
言い方が曖昧であったか? 実例をあげたほうがてっとり早い。

一例として、日本の戦国時代。
近隣の百姓杣人たちは戦があると聞くと、握り飯を持って集まりそれを見に来たという。
そして、勝敗が決するや、お決まりの落ち武者狩りである。
と、何がいいたいか? 戦時における非戦闘員というのは一方的な被害者というわけではない、ということだ。
それを刷り込んだところで、本稿俎上の遊び女たちを論じなければならなかったので、寄り道をした。

死に行く男たちは、最後に女を抱きたがる。
自らの生を残しておこうとする生物の雄共通の本能だ。
そんな彼らのニーズに応え、セックスの相手を引き受ける女性のことを下世話では『観音様』というらしい。

観音、観世音菩薩、玄奘三蔵の新訳では観自在菩薩…
原義アヴァロキティは、世の人々の音声を観じて、その苦悩から救済する菩薩である。
人々の姿に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相になるのであるが、この場合は人間の女性の姿である。
因みに英訳では the (Buddhist) Goddess of Mercy 、最初から女神と言われているこの観音様、死に臨んだ男性の目に映った本稿主役たちの姿である。

ここで、その Goddess of Mercy たる彼女らだ。
こちらの側の主観にたてば、営業活動の過程で性交渉しているだけ。
片や最後となる件の行為、片や明日以降も綿々と続けるであろう行為、あまりにも不平等な性の営みではなかろうか。
少なくても、この人たちは女神ではない。いや、それどころか。
女性側から(男性に)する屍姦とすら思えるのだ、ああ、彼女らの行為時の心理がである。

突拍子もないか?
けど、果たして彼女たちは、男たちから預かった生の証を胎内に育み世に生まれ出でされたか?
この客観的統計値をもって想定反論への反論としたい。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。