趙群の母 (前漢) − 孟母に比肩する? 紀元前中国の教育ママ

8c99c9a6.gifさて昨今の社会情勢であるが。
相も変わらず親子の確執に起因する刑事事件が多発している。痛ましいことだ。
ジャーナリズムは、これを教育の問題であると位置づける。「子供の"将来"を云々」と。

だが、言わせれば。
そんな大仰な言葉が必要なのであろうか? これは単に『学校の問題』と標記すべきと思料する。
そう、精々人が学校の庇護下にある、人生4分の一分程度の期間にしか効をなさない問題に過ぎない…
と、言われ続け育てられてきた論者は、すっかりその考えだ。これが幸か不幸かは、まあ、残りの4分の三で検証できることだから、ここでは論を波及させまい。

少なくても、殺し合いをするまで拗らせるのは愚のきわみであることには論はなかろう?
まあ、奈良の事件こそ男親がシテであったものの、大半のこの手の事件は女親がキーパーソンだ。
女性は、頭と子宮を二心とする楕円思考をする… 山田みつ子の稿であった。

論は転じて紀元前150年のころの大陸。趙群の父・趙属は一代で財をなした人物だ。
彼が成金となったのは酒類の製造が悉くあたったからである。とりわけ夏の清涼飲料。
そうなると、妻、すなわち趙群の母は、人が変わる。成り上がり者のおかみさん−虚栄心の塊のような女となる。
かつては夫とともに埃まみれとなり働いていた彼女は、さっぱり額に汗することもなくなり、ただ着飾ってばかりいるようになった。
そして、子供に題目のように聞かせる。「お前は誰にも負けない子だよ」と。

そんな彼女が唯一した店の仕事が、清涼飲料の配達であった。
子である趙群を伴い、上得意である有力者連中を訪う。
そう、この時代に清涼飲料などを飲することができるのは有力者くらい。
とびきり上等なお客には手土産を持参することもある。そして、

「これは私の息子です、宜しく」

これが肝心。
趙群は母に尋ねた。売上代金よりも高価な土産を持っていくのは何故か、と。
いや、母親の魂胆など承知のうえで意地悪く聞いたのである。彼は、こんなことをする母親が好きではなかった。

さてさて、英才教育の甲斐あって、かの息子は…
長じて、後世に名を残す侠徒となるのである。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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