朱雲 (前漢) − 折檻の語源となった晩学の士の行動とは?

漢書かの畠山鈴香が新供述をはじめてるとのことだ。今朝ほど来、ちょっとした旋風が起こっている。
本サイトでもそれとなく触れてきたかの水死事件(事故?)であるが、おぼろげながら全容が見えてきたような気がする。
勿論断言は出来ぬ段階であるにせよ、鈴香には『娘殺し』の称号を付しても差し障りのない現況にはなった。
即ち、欄干に乗せた手を滑らして川に転落してしまったとしたなら、過失致死。
全く知らぬところで彩香が川に転落したとしても、助けを求めようとしなかったことで、保護責任遺棄。
…なんともやり切れぬ話だ。

副題に付した折檻という言葉は、新聞の社会面で時折目にする。
即今は(女の腐ったののような弱虫)父親の例も増えてきてるにせよ、大概の場合その行為者は母親だ。自分が腹を痛めた子を虐待する…
そう、折檻ではない、虐待である。そこには(折檻に内包される)戒めの要素はないのだから。
ただただ自分の癇癪をより弱いものにぶつける…
これもまたなんともやり切れない。
鈴香が娘に対してした仕打ちがいかなるものであったにせよ、教育的な意義のある折檻という言葉を使って報道がされないことを願う。

さて。
前漢の朱雲は、元々は任侠であった。
これは古今東西共通のことであるのだが、アウトローというものはあるときを境に急激に紳士になってしまうものだ。
彼もまた例外ではない。簫望之という文士に弟子入りし学問を志すのである。
して、望之という男、それなりの学者であるのだが、残念なことに道ではなく栄達のために学を使おうとするタイプだった。
果たして足元を掬われ、自決させざるを得なくなる。
その折に朱雲に言い残したこと、「我が敵は丞相」

丞相…
三国志を読んだ方なら先刻承知のことと思う。
臣下としての最高の地位、今で言うなら、総理大臣と大将を兼ねたような職位である。
これは元々前漢の制度であり、後漢になってからは一人に権力が集中しないようにと廃止されていたものだ。(三公になっていた)
まあ、簫望之もまた丞相を目指していた一人である。
要するに「今の世の中が悪い」といった意味合いの繰言で「我が敵は」と言い遺したのであるのだが、直行型の朱雲は額面どおりに受け取ってしまう。
ひたすら丞相という敵を討つべく学問に励むのである。

その甲斐あって、文官として成帝の御前で意見を延べる機会を得た。
朱雲は滔々と述べる。「いま朝廷の大臣は〜」
漢書の朱雲伝によれば、彼はその弾劾文を次の言葉で結んだ。

「臣願わくば、尚方斬馬の剣を賜り、佞臣一人断ちて其の余を遒擦鵝・ラ

どいつもこいつもろくでなしだが、代表格一人を斬り殺して、残りのものの見せしめにしたい、その為に宮廷秘蔵の名刀をお貸し下さい、と願い出たのである。
誰を斬るのかと皇帝は尋ねる。
いうまでもなく丞相の名をあげる朱雲。

時の丞相は張禹であった。
成帝の学問の師匠である。帝位についたばかりの皇帝は、高齢を理由に固辞する師匠に無理無理を言って側近になってもらっていたのである。
野心もなにもない純然たる学者…
その老人の首を刎ねるというのである。
果たして皇帝は激怒した。

「身の程もわきまえず、よくも宮廷で朕の師父を辱めおった! 死罪だ、容赦はならぬぞ!」

引きずり出されそうになるも、宮廷の欄檻にしがみ付き、朱雲は叫ぶ。

「おお、死にましょうや! 臣はあの世に行って竜逢や比干と遊ぶことができれば満足です。さりながら、陛下はいかが遊ばしましょうや?」

竜逢とは夏の暴君・桀王を、比干は殷の紂王をそれぞれ諌めて殺された人物である。
つまりは、成帝をこれら暴君と同列に…
この暴言に、いよいよ力を込めて彼を引っ張りだそうとする近衛衆だが、朱雲もまた必死でしがみ付く。
ついに、欄檻はポキリと折れてしまった。

檻を折る…
このように、折檻というのは本来、臣下が皇帝に、子が親にといったように、下のから上への直諌を意味した。
ところが日本においては、その正反対に上から下に、という意味に用いられるようになってしまったのである。
そう、先ほど述べたように、親が子に、というような意味に。ちょっとした逆転である。

上から下へ…
再三触れているように、女性というのはより弱いものに対して、そのサディズムを爆発させる。
それしかはけ口がないというなら、限りなく悲しいことだ。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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