畠山鈴香 − この女性の心裏を『サディズムに花束を!』は憎む

畠山鈴香、おもしろ動画「娘を突き落とした」… ついにこの言葉を耳にする瞬間が来た。
古今東西様々な人物たちの行動心情に比類し、畠山鈴香のことを(も)暗示し続けてきた本ブログにすれば来るべき時がきたといったところである。
この瞬間到来を予想しつつも、敢えて『彩香事故死』を前提に書いた記事もある。外れてマヌケにならないことを悲願しつつ…
今更でもあろうが論を展開するに先立ち、被害者二児に衷心よりの哀悼を意を示す。

昨日のことであるが、昔の事件につき伝聞する機会を得た。
妻のほうが10歳以上も年上の夫婦が起こした誘拐事件があったそうだ。
この事件の折にも捜査が進むにつれ、新事実が発覚する。自分たちの娘は殺していた!

その際においても、手を下したのは年下夫だ。
妻は可哀相に思いつつも反対することができず、せめてもと(最後に)素麺を食べさせていたという。
鈴香が直前彩香にピカチュウの人形を買い与えたのは、これと同じく最後の親らしい愛情だったのだろうか?
だが、鈴香は直後に自ら娘に手を下す。
自分が腹を痛めた子供を惨殺した。

惨殺…
何をもってこの言葉とするかは色々である。
前段での用例はひとつには、殺害相手に対する背信度の甚大さからだ。
人形を買ってもらって喜んでいた。最後まで母親を信じていた。
その娘を川に突き落とし、その心情の一切を未来永劫この世から消し去ってしまった。
惨たらしい話ではないか!?

確かに子殺しなら他にも例を見る。
本日の新聞社会面にも、ちょうど母が娘を転落死された愛知・豊田の事件が隣接している。
しかし、これは無理心中のしそこないだ。
鈴香のように、その後もしゃあしゃあと社会生活を営み、あまつさえ人殺しを重ね、こと(事実上の)連行の時に至っても尚また画像のごとき自若とした態度をとり続けた者は、一線も二線も画したところでの評価がされてしかるべきであろう。

そして惨殺といった理由の今ひとつには、殺害した相手が死に至る際の距離の近さだ。
これは先に発覚した後のほうの殺人を含めてであるのだが。
つい今しがたまで、目の前で息をしていたものが物言わぬ存在となる…
自らの手で他の生命を消し去ったことを実感する、と表現すれば伝わるか?
論者自身も調理や昆虫採集でこれを体験し、これにある種の快感を見出したことを、勇気を持って告白した。

だが、畠山鈴香という人物が"惨殺"したのは、アサリやセミではない。
紛れもない同類生物、それも自分の子供と他人様の子供なのである。
法律や社会制度などといったケチくさい基準を遥かに超えた規範で判断しえたとしても、なおまた許されざる行為なのではなかろうか?
言いかけたように、その不可思議かつ許されざる行為のモチベーションたり得たのは、サディズム心理…

サディズムに花束を!
大いなるアイロニーを込めた付題をしている本ブログ…

畠山鈴香のサディズムを憎む。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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