大唐三蔵取經詩話の創造者たち − 奇書・西遊記の女魔に見る『非合理な母親』

70082640.jpg三蔵法師が白馬・玉龍に乗って三神仙(神通力を持った仙人)、孫悟空、沙悟浄、猪八戒を供に従え、さまざまな冒険をしながら天竺へ経を取りに行く物語…
現在伝わる西遊記は、16世紀明代に呉承恩が著したものといわれる。
勿論原型は民話伝承の類、宋代には既に表題に掲げた説話が存在していた。

さて、その中で俎上にあげるに相応しい登場人物は、羅刹女であろう。
物語も終盤近く、火焔山の段で一行の前に立ちふさがる女魔である。
彼女の話に入るためには先ず、息子・紅孩児のことを話しておかなければなるまい。
やはり過日、三蔵一行の行く手をさえぎった妖怪の1匹である。
悟空らに退治されそうになるも、観世音菩薩の口利きで命を助けられ菩薩の稚児となる。
と、そんな旅程を経つつ一行は火焔山にかかる。

目の前は火の山、土地神によれば羅刹女の持つ芭蕉扇でないと消せないとのこと。
ああ、羅刹女ならば義兄弟である牛魔王の女房、直ぐにでも借りてきましょう、と悟空。
ところが、悟空を迎えたのは、その名のとおり羅刹の形相の義姉であった。

「我が子・紅孩児の敵、覚悟!」

この場においては、短気者の悟空が珍しく理知的だ。
羅刹女の刃をかわしながら、事情を説明しなだめる。
「疑うのなら菩薩をたずねて直に会って確認するといい。なんなら案内しますぜ」
とまで言うのであるが、彼女は耳を貸そうとはしない。
古今東西我が子ことになると全く非合理になってしまうのが母親、本ブログでも幾人も俎上にあげた。

この羅刹女であるのだが、仏教の鬼子母神の影響が強いと思料する。
言い方が不正確か? 元々仏教の鬼神であったものが、道教のそれに混ざって登場している、といったほうがよい。
そう、我が国の神仏混交と同じく、かの国には道仏混交があるのだ。
鬼子母神であるか?
子供を捕らえては喰っていたこの夜叉の末子を釈迦が隠す。
末子を失った鬼子母神は悲しむ、そこで釈迦は「10000人いる子供のひとりを失ってもこれだけ悲しいのだから(お前に子供を喰われてしまった)親たちはどんなに悲しいことだろうか」と諭すわけだ。
はたと目覚めた鬼子母神は改心し、子供の守り神になるのであるか。

堺正章主演のテレビドラマ西遊記では、鬼子母神の仏教説話により近いストーリーがあった。
女魔・分数妖怪は非常に教育熱心、その子もそれなりの学力であるのだが、一点、分数の計算だけがどうしてもできない。
そこで、分数計算のできる子供たちをさらって回る… 鬼子母神説話のリメイクだ。

いずれの女魔も、自分の子供のために攻撃性を爆発させる。
非合理と言った。時には子供にすれば、かかる母親の行動は迷惑千万になるのであるから。
そして、不条理である。他人の犠牲は全くの考慮外。
であるのだが、それが母親そのものなのである。

人間のみにあらず、大方の生物の母親が…
例えば、猫は脅かすと自分の子供を食べてしまうことがある。(脅した相手である人間に)取られてしまうことを恐れ。
「猫可愛がり」「食べてしまいたいくらい可愛い」という成句があろう。
人間から見れば、全く訳の分らない母猫の行動でも、当人ならぬ当猫にすれば精一杯子供を守ろうとしているのである。

…にも拘らずだ。
あの母親は、これといった理由もなく、先ず自分の子供を殺した。
名実ともに畜生にも劣る。

これからもこのような形で、畠山鈴香をねちねちと糾弾していく積りだ。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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