『インターネット』の『インター』を外して『ネット』になった?!

論者もよく使う、ネットとの呼称…
いうまでもなくインターネットの略称である。
では、接頭語のinter- とは? 辞書を引くとこうある。

in・ter-/íntr-/
「…の間の」「相互の[に]」

もう一年も前のことなのだが、ある人がライブドアへの苦情に添えた言葉だ。

「『インターネット』の相互関係を切りすてて『ネット』になったのか? (まさかそうでもあるまいに)」

将に正鵠を射ていると思い、本稿の投稿に至った。

時に、本プログはコンテンツ転用を許可している。何故かといえば禁じても詮無いからだ。
いや、例え詮無くないとしても禁止する気にはならないだろう。
"インター"ネット上に公開している情報なのだから。
入用ならば拾っていけばよい。ただそれだけのことだ。

禁じても詮無いと言った。詳説するならば技術上の理由だ。
ご存知のとおりウェブ公開すれば、それぞれのファイルにURLという住所が付される。
その住所を書けば、当該ファイルは(いずこなりへも)表示されてしまう。勿論制限をかけることは技術上可能なのであるが、原価性のない行動だ。
ここで『inter-』である。制限をかけるくらいなら最初からウェブ公開しなければよい、少なくても論者はそうする。

ここで著作権の話に迂回しなければならないだろう。
コンテンツ転用を許可している本ブログであるのだが、論者はその著作権まで放棄しているわけではない。
明確に主張する。
そう、著作権の存在と転用の許可不許可は全く別次元の問題なのである。
どうも、これを勘違いしている人が多い。転用許可すると著作権を放棄することになりはしないかと。いや、なるのであると。
そんなバカげた話はない。現にオンラインソフトといわれているプログラムの類は、大多数が著作権を主張したまま転用を許可しているではないか。
いつのころであろうか? これもまたインターネットのインターの字が取れだした頃から起こり始めた現象に見える。

自サイトの展示情報を他で見かけると、異様に過敏になる人たちが現れだしたのも。
どこまで本気で怒っているのかは知りえないものの、かかる人種を一部では『著作権荒らし』と呼ぶようだ。
全くの私事だか、かつて論者も連中のドタバタ劇のとばっちりを喰った挙句、因縁まで付けられたことがある。
どこぞのサイトの展示情報を論者のサイトで見たとか、見なかったとか。
まあ、その折は軽くいなしておいたのだが。

ここで回答をしておくも苦しかるまい、ということで元の話になる。
論者のサイトには、「ネット公開情報の全てがある」
全てのウェブサイトには、「私の公開した情報がある」
少なくてもつながりはする。
それが"インター"ネット…
その(個々の)出典を突き詰めるなど現実味のないことだ。
繰り返すが、一旦ウェブ公開したが最後、その情報はURLという唯一無二の住所が付され、原則その住所を打ち込むことにより全世界の通信機器のいずれからも参照できるようになるのである。
いやそれどころか…

ローカルにおいてある情報すらも危うい。
ファイル交換ソフトの問題をトピックスにした過去投稿で論じたとおりだ。
ともかく不特定多数に見られたくない、見せることができない情報は、電話回線等に直結している場所には置かないことだ。
それに尽きる。ひとたび置いたら、inter- 相互利用 の情報となってしまう、これを頭に叩き込んでおく必要があろう。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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