浅草駒太夫 − 元祖アイドルストリッパーの活躍した古き佳き日々

b6404b7a.jpg例によって巷間に目を転ずれば、コメディアン萩本欣一率いるところの野球チームが、解散の取り消しのとちょっとした騒ぎを巻き起こしている。
勿論その件を論じようというのではない。
コメディアンと言った。この萩本欣一のいうコメディアンは、浅草フランス座というストリップ劇場(=こや)の出身。

なんでストリップ劇場にコメディアンが?
戦後風俗史を紐解くに、警察(の手入れ)対策のようである。
即ち、手入れが入ったら即踊娘を退場させ漫才師を出す、それで「ここは寄席ですよ」と言い訳するというわけだ。
そんな訳で本稿は日本戦後風俗史第二弾として、ストリップの話を論題にしよう。

ストリップの隆盛は、第一弾として論じたトルコ嬢・サロメ角田よりも年代的には前になろう。
多少のいりくりはあるものの売春防止法による赤線廃止の頃、その禁止を請け男性の欲望の受け皿代替として発達したようだ。
そんな中、三大アイドル的なビックネームがいたと記録される。
蝋燭ショウの一条さゆり、レズビアンの桐かおる、そして花魁ショウの浅草駒太夫…

うーん、本来このブログで代表するとしたら一条さゆりであったか?
(残念ながらMであるにせよ)SMからみ、数多くの法廷記録、このブログでも多いに参考としている中国文学者・駒田信二の研究…
なのであるが、いずれも資料を入手するに至らず、駒太夫を代表にすることにした。

打ち明け話をするに、駒太夫を(直接)"見た"人から話を聞けたのである。
そして調べて見るに驚くではないか! なんと彼女はブロガーとしてネット活動しているのである。
これも17の年から可也高齢になるまで劇場に立ち踊ってきたという駒太夫のバイタリティと感服させられた。

折角聞けた話であるから、花魁ショウとはどんなものが書こうか。18禁めいた記述。
まあ、花魁のいでたちで登場して、ストリップの辞書的定義どおりのことをする。
そして最後、行灯を持ってきて腰巻の『中』を覗かせるというものだ。

花魁(おいらん)の語源は、「おいらのネエさん」であると聞く。
ネエさん… 駒太夫自身にも当てはまると思料する。
姉が弟の面倒を見るがごとく、お客である男性に女というものを視覚的に教える。
ただ、女性器というセックスシンボルだけにとどまらず、それが醸し出す動体美を。
トルコ風呂が母子姦であるなら、ストリップは姉弟姦といったところだ。

そして年齢関係だ。
今では考えられない17歳の年から、この商売をしていた浅草駒太夫…
当時においては『年下の姉』であったのであろう。この点においても逆転による女性上位が指摘できる。
古き佳き昭和の日々である。

今で言えば風俗なるがさつな言葉で括られてしまう、この産業にも奥ゆかしさがあった。
もっと直情的な遊郭にせよだ。
青雲の志をもって上京した青年が故郷に錦と凱旋した折、彼を男にした遊女も村の名士に混じって出迎えをした。日陰者がしゃしゃりでて、恥をかかせないようにと物陰に隠れてこっそりと。
女郎と蔑まれながらも、その蔑まれた職業に対し、歴とした誇りと涙が出るくらいに奥ゆかしい倫理観を持っていたのである。

何も分からず逆にお客の方から物を教わり、そのくせどこになりともしゃしゃり出る。
あまつさえ、自らのことを『女王様』などと称する現代の遊女。
こんなものに間違えられては堪ったものではない。


posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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