細川ガラシャ − この戦国キリシタン女性が洗礼を受けた目的は?

e773a1e9.jpg昨日、イエス様を俎上に上げたのが絶妙の伏線となったか?
折りしも折、国営放送大河ドラマの昨日の放送が本稿にお誂え向きのお膳立てをしてくれた。

長谷川京子が演じていたであろう。細川忠興の元に戻りながら、次第次第に空虚になっていくお玉を。
艶かしくも不気味であった。
その後、お玉が洗礼を受け細川ガラシャとなることは、敢えて述べるまでもあるまい。
気位が高く怒りやすかった彼女は、カトリックの教えを知ってからは謙虚で忍耐強く穏やかになったという。

古今東西、宗教の如何を問わず大体はこのパターンだ。
宗教施設というものは、逆にこうした人々の受け皿、一番わかりやすく言うなら人殺しが処刑を免れるために出家、これである。
まあ、悪い話ではない。手の付けられない暴れ者ほど穏やかな高僧になるもの、元々の絶対値が大きいのだから、正負符号の付替で、ということだ。
で、付替の方向である。

サディズムとはマゾヒズムを克服した状態…
前に論じたであろう。即ち、内に向いていた攻撃本能が外に向くようになる、一皮剥けるということである。
これが、宗教というものが介入しない場合の通例パターンだ。
然るに、介入した場合。
もう言うには及ばず、正反対である。
外に外にと向いていた攻撃本能を内へ内へと封じ込めるのである。
それが、前段で使った用語たる『付替の方向』…

それが宗教の人為性なのである。
勿論、ガラシャの場合や、暴れ者あがりの高僧の場合はよいことだ。
よい方向に作用したと言ったほうが妥当か?
ここで再度、マルクスの言を引く。

  宗教は麻薬

麻薬と聞けばネガティブなイメージしか浮かばぬが元々は医療用である。
あれがなければ、身体的に感じる痛みがために落命する人間が如何ばかり増えることか。
細川ガラシャが宗教なくしては心の痛みに耐えられなかったであろうが如くに。

かく言う論者は宗教嫌いである。

   ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ (辞世)



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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