霰降る

越後任天堂柳見かけの投稿日付ではつい昨日、実際の起稿日でもかなり近いところで書いた、雨に番傘の話。
よくよく絵を見れば、どしゃぷり、雅な言い方をすれば篠突く雨ですね。
慕情とは少し距離がありましたか、いやはや。

花札の雨(柳)が11月であることを考えれば、霰交じりなるかも知れません。
雨霰と降る、ここにまた別の成句が浮かびます。

霰降る、とくれば、これは(地名)鹿島の枕詞ですねえ。
何故か? 霰が降るとかしましいから。
ということで、

  霰降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍(すめらみくさ)に われは来にしを

えーっと。年配の方にはおなじみの歌とか。
戦争中にスローガン的使われかたをしたそうですね。

霰降りは鹿島の枕詞、鹿島の神はタケミカズチということで軍神ですか。
なるほど、「お国のため」路線の典型例ですね。
作者は那賀郡の大舎人部千文とあります。
那賀郡とは茨城県那珂郡、水戸市の周辺のことです。

さて、この大舎人部千文、実は初登場ではないのです。
前にも、この人の歌は取り上げました。

 筑波峯の さ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹ぞ 晝も愛しけ

これがそれです。
なんとなんと。この二首はセットで収録されてるんですよ。
ええ、右の二首、那賀郡の上丁大舎人部千文(防人歌、巻二十−四二六九、四三七〇)と記されてますから。

まあ、防人の歌で「皇御軍に」的なものは、全体の一割程度で、あとは家族等々への愛情を歌ったものです。
千文にしても、「晝も愛しけ」と愛妻への思いを素直に歌った後だから、「皇御軍に」という気持ちになれたのではないでしょうか?
うーん、人間歌謡・万葉集!

と、ここまでは犬養先生の受け売り。
以下、少しオリジナルを加えましょう。

7−8世紀において、今の茨城県から佐賀、果ては長崎県の諸島部ので出向くのは大変なことだったと思いますよ。
今で言えば、スペースシャトルで宇宙空間に飛び立つのにも匹敵するくらいの大事だったと思います。
それを命ずることの出来た当時の大和朝廷の力にも驚愕させられます。

律令国家、天皇を仏に見立てた仏教による宗教統治国家、といういいかたでいいのでしょうか?
かの有名な手塚漫画『火の鳥』のどこかにも出てましたよね。
やはり、人を支配するためには宗教の力を借りるのが一番、否、宗教が不可欠といっても過言でない、そのように思われます。

と、この言い回し、



犬養博士の講義を聞き返しましたゾ

を丸写ししました。
いや、丸写しじゃないっ!
とんでもない誤字があったのを直しといたから、、、

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!



posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!
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