果たして、恨みとは不毛なものなのであろうか?

さて、今年もまたである。
広島・長崎の原爆忌に様々な式典がとり行われた。

「2度と過ちは繰り返しません」「戦争がなくなることを…」

まあ、書きたいことは山とある。
だが、それを書き出したらきりがないし、なによりもサイト趣旨から外れてしまう。
であるが故、ただ一点だけとしよう。

何ゆえに、落とされた側の国が『平和の誓い』をしなければならないのか?
落としたB29… この戦闘機を見ても、(米国民に対する)恨みの心は起きないとの旨の当事者遺族の声も聞いた。
まあ、この件に関してだけでなく全てのことは、当事者になってみなければ分からないとはいうものの…
やはり、人間感情にも最大公約数的なものはあろう。悲惨な目にあった人たちに心に恨みがないというのは合点がゆかぬ。

といいつつ、またしても自らの書いたことを否定するような内容に続ける。
両原爆忌と平行して、満州からの引き上げに関する資料展がとり行われている。
満州からの引き上げであるか。当時のソ連という国の、第二次世界大戦末期及び終了後における我が国に対する仕打ちにより、どれだけ多くの同胞が理不尽且つ悲惨な体験をしたというのか?
にも拘らず、我が国には然したる嫌露(旧ソ連)感情というものはない。
いやそれどころか、ソ連の日ソ中立条約破棄という史実すら忘れられつつある。
「熱しやすく冷めやすい」と一口に括ってしまえばそれまでなのだが。これもまた日本人感情の最大公約数であるか。

何故であろう。
ひとつには。
「恨みからは何も生まれない。さっさと捨ててしまえ」
という美学めいたものがあるせいとも思料する。
果たして?
ここにシベリアからの引揚げ者の証言がある。

その方には、一つの宿願があった。
軍隊時代に自分を苛め抜いた上官を斬り殺すこと。
そのために彼は、一振りの日本刀を隠し持った。
そう、捕虜がそんなものをもっていていい訳がない。隠し持っていたのである。
酷寒、飢餓、拷問とありとあらゆる苦難を乗り越え、彼は日本へと生還してきた。
そして、件の上官の下宿を訪ねて見ると、位牌がひとつ。
奇声一声、彼は、どんなことがあっても肌身離さなかった日本刀を畳へ突き立てて戻ったという。

「これ(=上官を斬り殺すという宿願)がなかったら、生きて日本に戻ることもなかっただろうなあ」
すっかり好々爺となった彼は、笑いながら語る。
何度か論じてきた復讐、加虐… 今度は加虐的復讐心のほうか?
サディズムを有効利用したこの方は、今なおお元気である。
有効利用といってよいであろう? 半世紀以上も前に鬼界に入っていたところなのである。

断っておくが論者は、恨みをもつことの是々非々議論を提起しようとしているのではない。
恨みをモチベーションに命を長らえた例もあるという事例を提出しているのである。

杜子春の稿で俎上にあげた7つの心… その中にも怒、悪(お)があった。
怒り恨み悪(にく)むというのもまた、素晴らしくも偉大なる人の心なのではあるまいか?
白居易は長恨歌。



posted by homer_2006 | サディズムに花束を!
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