藤と富士

藤と富士花札4月のテーマ植物である藤は、意外且つうれしい事に日本原産であると話しました。
他方、ニッポンと言えば「フジヤマ、ゲイシャガール」、これらについては、ここで改めて話すまでもないでしょう。

藤と富士。語源こそ似ても似つかないものの、現代日本語においては同じ音となるのも何かの巡り合わせですね。
どれ、藤の花咲き誇る旧4月の富士山の光景に思いをはせてみましょう。

 ♪〜 富士の白雪ゃノーエ 富士の白雪ゃノーエ
    富士のサイサイ白雪ゃ朝日でとける

そうですよ。富士山頂の冠雪がとけて流れ出した頃ですよ。
とけて流れて三島に注ぐんでしたね。ご存知、ノーエ節です。
そして、とけてながれりゃみなおなじ、
投稿日付に拘らず前に話したお座敷小唄の文句にありましたね。
そう、あの折の話題についての続報があるんですよ。

ああ、二番の歌詞ですね。

 ♪〜 好きで好きで 大好きで
    死ぬ程好きな お方でも
    妻という字にゃ 勝てやせぬ
    泣いて別れた 河原町

これ、どうもピンとこないんです。
なんか、サビの部分「妻という字にゃ」のために前後がちぐはぐになっているような…
っと、はしょりましたか? 順にいきます。

先ずは、芸妓(♀)と既婚客(♂)の忍ぶ恋が舞台であることは、いいですよねえ。
感覚的には、芸妓視点だ。ならばですよ。
なんで大好きなお方と、「泣いて別れ」なければならないのか? ってことなんですよ。
ねえ? 趣味と実益、これ以上の上得意はありません。

だから、僕は子供の頃は既婚客の視点だと思っていたんですよ。
大好きな芸妓にイレあげたけど、やっぱり女房がかわいい、「妻という字にゃ 勝てやせぬ」、だから「泣いて別れた」…
まあ、デュエットの女性歌唱部であることとは矛盾するものの、言葉とすれば、このほうがしっくりきます。
なんて女々しい男なんだ… なーんて。

とまあ、初めてこの歌を聴いてから10年、ずっと疑問に思い続けていたことを、戦中戦後を女として生き抜いている人物に聞いて見ました。
と、答え。

「だから、妻という字(妻の座)が欲しいわけよ」

うーん。
大好きな男性にして上得意でもある、かの男性の妻になれるわけではない。
なまじっか芸妓として接することができるものだから、妻になれるような、なったような錯覚に陥ってしまう。
このように「妻という字」(の魅力)に「勝て」ない自分であるから「泣いて別れた」ということでしたか。
ようやく、納得。

と、この言い回し、



「ある」なのか「ない」なのか、それが問題だ 8/10加筆部

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて〜!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!




posted by homer_2006 | マゾヒズムに花札を!
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