心の問題

 マゾヒズムには大まかに言って、自己に向けられる「被虐願望」と、他者に向けられる「崇拝願望」の2種類があり、それらが微妙にミックスしたかたちで現れる場合が多いようです。一番典型的な例が、崇拝する女性から虐められたいというもの。好きでもない女性から虐められたいとは普通は思わないでしょうが、マゾヒズムには屈折したかたちでいろいろなパターンがあるようで、一概にはなんとも言えない世界。
 
 似たようなことがフェティシズムに言えて、例えば靴やストッキングを履いているのが誰かという問題を越えて、靴そのものに愛着を持ってしまう場合もある。全ては本人の心の問題であり、その本人ですらきちんと理解しているとは限らない。なんでかわからないけど、こだわってしまう。そうした、他の人にとっては意味不明なこだわりを、理解できないまでも、認めるというか、尊重する態度は大切なことだと考えます。


 最近誰かさんが「心の問題」とかいうようなことをおっしゃっておりました。

それはご自分の心の問題だったような印象でしたが、個々の人々、つまり相手方の心の問題にも触れて欲しかったように思います。
 
 対象がなんであれ、レスペクトする気持ちは尊い。例え邪悪なものに対しての忠誠や尊敬の念でも、本人にとっては純粋で不可侵な心の問題と言える。

 ただそれが、周囲に与える影響によって、社会的な判断は分かれるでしょう。自己のこだわりを尊重するのと同じぐらいのレベルで、他者のこだわりや心の問題を意識することが、この複雑な現代社会を賢く生き抜いていく知恵のような気がします。



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